第14話 会議室
中国による経済制裁措置と、さらに米国による海上封鎖が実行され、朝鮮半島情勢の緊張はピークに達していた。北朝鮮軍が無線封止を開始し、DMZ沿いの野戦火砲部隊はもはや戦闘態勢を取っている。
韓国国防省北朝鮮警報室は
米国は北朝鮮の軍事的挑発に対し、予防空爆も辞さないと強気な外交圧力を強めているが、北朝鮮の態度は変わることが無かった。米国は予定通り制限的軍事行動を実行する態勢に入っていた。
「米国の攻撃はもはや秒読みです。しかし北に潜入した部隊の一部はすでに行程に遅れが出ている部隊もあります」
閣僚会議の場において防衛相の須藤が立ち上がって報告する。
「大使館からも、韓国国内で民間人の夜間外出禁止令と移動禁止令が発令され、韓国軍のデフコンが最高レベルとなったと報告が入りました」
河本外務大臣が報告する。いよいよ閣僚たちも騒然となった。
「始まるのか?」
「韓国国内の邦人の退避を急がなければ」
「弾道ミサイル捜索部隊はどうなっている?」
そんな大臣達の囁きを聞きながら高嶋総理は腕組みをして小さく溜息を吐いた。
「開戦か」
戦後七十年以上を経て、日本に再び戦火が降りかかろうとしている。数ヶ月も以前から予想され、戦争回避の努力が尽くされてきたが、その努力も遂に実を結ぶことは無かった。
平和国家という理念も憲法も、米国や中国という大国を前には無力だった。否応が無しにこれから極東地域は戦争に巻き込まれていくことになる。
「……官邸対策室の設置準備は?」
「出来ております。事態対処専門委員会を招集いたしますか?」
「頼む。すぐに在韓邦人の避難に関する協議を行おう」
事態対処専門委員会とは、武力攻撃事態等を含む緊急事態に際しての国家安全保障会議の審議機能を強化するため、官房長官を委員長として、国家安全保障会議を補佐するものだ。
すでにこれは日本の平和と安全に重大な影響を与える重要影響事態だ。予期されたものだったため、高嶋は特段慌てることは無かった。だが、喉元まで緊張がせり上がってくるのを感じていた。これまでの進めてきた準備が問われる時が来たのだ。
すでに海上封鎖決定を受けて、策源地攻撃に備えた部隊の潜入を、国会の承認を事後に回し、極秘裏に承認している。朝鮮半島の邦人保護に関する案件についてすぐに関係省庁大臣協議が始まった。
「韓国の海外安全情報をレベル4の退避勧告に引き上げました。現地大使館は民間路線による邦人の国外退去を進めていますが、現地はすでに混乱しており、退避が間に合いません。在韓邦人保護のため、邦人の避難に必要な輸送及びその際の警護を防衛省に要請します」
河本外務大臣は、台本を読み上げる様に言った。各大臣達は淡々と協議を進めている。
韓国国内には渡航自粛勧告以降も五万人弱の日本人が滞在しており、今なお出入りを続けていた。レベル4の退避勧告に引き上げられたことから、ようやく避難が始まったに過ぎない。日本以外にも米国をはじめとする各国の外国人の避難を開始しており、すでに空港や港はパンク状態だった。
「外務省は韓国政府に邦人輸送部隊の入国の合意を取り付けてくれ」
「分かりました」
河本外務大臣が頷く。しかしすでに韓国政府と協議は行い続けていたが、韓国政府は全く譲歩する素振りは見せていなかった。厳しい合意交渉が行われることになる。
すでに重要影響事態でもあり、米国との事態対処協議も進められている。河本の秘書官達は、会議中も何度も耳打ちやメモを渡していた。
「防衛省の対処方針です」
須藤が続いて発言し、事態対処専門委員会のメンバー達はモニターに表示される朝鮮半島の地図を見上げた。
「陸海空三自衛隊の統合任務部隊を編制し、非戦闘員退避活動、いわゆるNEOを実施いたします。まず現地情勢の情報収集と輸送にかかわる韓国側との調整のため、
モニターに表示される韓国国内の空港や港等が表示され、それぞれに派遣される部隊の情報も表示された。
統合任務部隊はすでに準備を進めていた。陸上自衛隊からは中央即応連隊を基幹とし、第1空挺団の第3普通科大隊、そして第1ヘリコプター団や第12旅団のヘリコプター部隊。海上自衛隊からはヘリコプター搭載護衛艦《ひゅうが》、《いずも》、おおすみ型輸送艦《おおすみ》、《しもきた》、《くにさき》。航空自衛隊はC-2輸送機、C-130輸送機、さらに政府専用機が投入される。
「韓国側との調整が難航しており、各空港でどの程度の空自輸送機が受け入れられるかは不明です。ヘリコプター部隊等を持って、チェジュ島とプサン・金海空港の邦人を対馬まで輸送。在韓米軍オサン基地にいる米軍の家族や軍属も一時的に九州へ避難させ、その後嘉手納基地へ移送します」
対馬空港の画像が表示される。すでに対馬空港の外には陸上自衛隊の車両と
「一時避難場所となる対馬の受け入れ準備を総務省と国交省、外務省、警察庁と共に開始しました。現在、陸自第12旅団の先遣部隊が訓練として対馬入りしており、待機しています」
陸自第12旅団は、空中機動旅団と呼ばれ、他の師旅団に比べるとヘリコプター部隊が充実しており、ヘリボーン作戦の練度も高い。第12旅団隷下の第12ヘリコプター隊と第30普通科連隊が現在対馬に先遣部隊として入っており、対馬駐屯地とその周辺の陸上競技場やサッカーグラウンド等のスポーツ施設を拠点に待機していた。
「民間の高速船によるピストン輸送も行われる予定とあるが、防衛省が運用する民間船とは徴用のことか?」
「防衛省が運用する民間船は、PFI方式で契約している特別目的会社の船です。船員は予備自衛官のため、徴用には当たりません。JR九州高速船等は、政府の要請に基づいて協力し、臨時便を運航します」
「国交省海上保安庁もこの邦人保護のため、防衛省と連携します。韓国政府が自衛隊艦艇の領海への接近を拒む場合、邦人輸送及び邦人輸送に関わる民間船の警護を実施します」
朝鮮半島有事の危機が高まったことから防衛省と海上保安庁間の共同対処手順がすでに策定されていた。
「対馬を含む、九州・中国地方は難民流入による治安悪化も懸念されており、警察庁は長崎を中心とする日本海沿岸に全国から機動隊を派遣する予定です」
「韓国政府の反応はどうだ?」
「予想通りです。自衛隊入国などあり得ないと拒絶しています。外交ルートを通じて米国に協力を要請しました」
事前協議で、在韓米国人の避難を自衛隊が支援する事と対馬への一次避難の承諾を条件に、米国が韓国政府に自衛隊の韓国入国を認めるよう圧力をかけることになっていた。
「同意が得られない場合はどうなっている?」
「現在、現地大使館が在韓邦人の国外退去の手続きと民間の航空機や船の確保を進めています。米国も自国民の避難と共に日本人の避難への協力を約束してくれました。ですが、自衛隊入国が認められなければ避難が遅れ、少なくない邦人が戦火に巻き込まれることは必至です」
河本の顔には焦りがあった。日本政府はこれまで韓国政府に邦人避難等に関する協議を申し入れてきたが、いずれも韓国政府は応じていない。
一旦開戦すれば邦人保護の危険性は跳ね上がる。法律が改正され、自衛隊は現地において危険が予想される中、輸送を安全に実施することができる場合に限り、在外邦人等保護を実施することが出来るようになったが、平時どころか戦時下の韓国国内で輸送の安全を確保するには、部隊の規模も装備も足りなくなる恐れがあった。
現地で戦っているであろう在韓日本大使の手腕に期待するしかない。河本は祈るような気持ちで、続報を待っていた。
「弾道ミサイルへの対処はどうなっている?」
池谷が防衛省サイドに尋ねた。清住統合幕僚長が腰を上げた。
「現在、日本海に展開中のイージス艦及び首都圏を中心に配備されているPAC-3の迎撃態勢は万全です。また横須賀と厚木に米陸軍のTHAAD迎撃ミサイルが展開しています」
日本を中心とする地図上にはイージス艦やPAC-3の防護覆域が表示された。東京を中心とする人口密集地は二重で覆われている。
「早期警戒機等も常時滞空させて警戒態勢を取っています。米軍は当初の作戦通り、北朝鮮が攻勢に出た段階で、弾道ミサイル発射基地等への攻撃を実施します。以降、日米共同作戦として、潜入した部隊と航空部隊が連携し、策源地攻撃により弾道ミサイルを排除します」
「戦争が始まるのは分かった。日本への被害を食い止める術もな。米国はこの戦争をどう終わらせるつもりだ?」
「長引かせれば中国の介入を許すことになります。そうなればさらに事態は複雑になるでしょう。米国は韓国へ侵攻した北朝鮮軍を撃破後、多国籍軍を編成し、地上部隊を投入すると思われます」
「我が国は集団的自衛権の行使で、米艦防護などは行うが、自衛の範疇を越えるような大規模な地上部隊の投入はしない。憲法に明確に反することだ」
池谷はそう言い張った。
「しかし、これは我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険のある事態だ。密接な関係にある韓国に対する武力攻撃も、我が国の存立を脅かし、国民の生命が危険に晒される。国として憲法よりも国民とその財産を守らなくては」
山岸官房長官の主張に、他の大臣達も頷く。議論が脱線している。高嶋は立ち上がって視線を集めた。
「ともかく初の自衛隊の防衛出動が必要になる。戦後初めて伝家の宝刀を抜くことになる内閣だ。平和国家として歩んできた我が国の歴史に名が残る。事態対処に全力を尽くし、国民を一人残らず救出し、国民と国家の安全を守るんだ」
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