第13話 緊張の途切れない潜入

 北朝鮮に潜入した偵察分遣隊は、すでに四日目の朝を迎えていた。三日目は昼間から無線が不通となり、定時報告もままならない状況に陥ったが、夜間に高所で通信を確保したことで本土の司令部と通信が取れている。

 半島情勢の緊張はピークに達している。いつ開戦してもおかしくない状況とのことだ。偵察分遣隊は予定を繰り上げる必要があった。

 剣崎の元に周辺偵察に出ていた的井2曹と大城3曹が集まった。

 的井2曹は第1空挺団所属で、偵察分遣隊の潜入方法が空挺降下になった時に備えて偵察分遣隊に配置された男で、水陸機動団の隊員ではなかった。それでも水路潜入を空挺団で修得している。


「この周囲には住民が材木の採取のために立ち入った形跡があります。可能な限り早く抜けた方が良いでしょう」


 的井2曹の報告に剣崎は近藤と顔を見合わせた。目標まではあと一日ほどの行程だ。北朝鮮軍の施設も近く、前進には慎重を要する。急げばそれだけ動きが目立ち、敵に発見される可能性がある。


「隊員達の疲労はどうだ?」


「想定以上に疲労しています。ですが、怪我をした者はおらず、まだ問題ありません」


 偵察分遣隊の最先任陸曹である高野曹長が言った。高野は冬季戦技教育隊出身の、遊撃戦のプロであり、分遣隊の中で最年長のベテランだった。先任陸曹として陸曹達の健康状態と精神状態を掌握している。


「最新の気象情報と衛星写真の画像です」


 通信担当の野中がメモを見せた。すでに雨雲が目立っているが、この地域の気象情報はこの後、20ミリを超える雨と霧の発生が予報されていた。島嶼作戦用の広帯域多目的無線機の制御部PDAの画面に表示された、情報本部が分析した衛星画像には偵察分遣隊の位置が青い菱形でマークされている。その周辺の動きは黄色い表示で記されていたが、距離は離れている。


「開戦も近い。今日は、昼間のビバークは行わず、雨に紛れて隠密に前進を続行する」


「了解」


 剣崎の決定に近藤と高野が頷いた。雨は視界を遮り、音と足跡を消してくれた。さらに水分の補給も出来た。しかし雨は体温を奪い、隊員を消耗させる。

 戦闘服を濡らさないように脱いで背嚢に詰め、ゴアテックスの雨衣レインウェアに着替え、隊員達は前進を続行した。二千メートル級の山でいったん濡れれば乾く前に体力を大きく消耗することになる。


「……“きれいな”山だな」


 那智は顔をしかめた。落ちている枝が少なく、間伐されている気配があった。歩きやすい綺麗な山は人の手が入っている。ここは早く抜けなければならない。


「嫌ですねぇ」


 大城が小声で那智に賛同した。


「さっさと抜けよう」


 山城が言った。


「こういう所こそ慎重に抜けないと」


 坂田は慎重だった。この1班の特徴は機甲科の偵察隊員が多いことだ。機甲科の偵察隊員は、陸士で特技として偵察技術を学び、陸曹となってさらに高度な偵察技術を学ぶ。その上でレンジャーや水陸機動団での水泳斥候スカウトスイマー前哨狙撃手スカウトスナイパー等の技術を学んでいる。

 那智としては山城に賛成だったが、坂田と大城、久野、そして元普通科でも水陸機動団偵察隊での勤務の長い西谷はさらに前進速度を落として慎重に前進することを進言した。

 この分遣隊の良い所は風通しのいいことだ。階級上位者の意見よりも、より優れた意見・判断が採用される。

 最終的に剣崎は、坂田達の案を取った。五十メートル安全確認してその半分進み、また五十メートル確認する。目と耳を十分澄ませて警戒する。雨の音は潜入する部隊の音を消してくれるが、周囲の状況も分かりにくくなる。

 昼を過ぎた時、先頭を進む西谷が停止の合図を送った。

 続いていた隊員達は気配を消して静かに姿勢を低くする。急激な動きは、敵にその存在を訴えることになる。ゆっくりしゃがむと半長靴ブーツは特に目立つのでそれを見せないようにして隠れた。


「敵歩兵を確認」


 那智は静かに、小銃のサプレッサーをリーコンベストのポーチから抜いた。

 性能はほとんど一般部隊に配備されている小銃と変わらないが、偵察分遣隊に支給された小銃は海外製の弾薬も使用可能で、サプレッサーを取り付けた際に使う亜音速弾にも対応していた。サプレッサーはSUREFIRE社製で、ワンタッチで脱着を行うために小銃の消炎制退器を交換している。


「距離は?」


「約百。それ以内」


 小銃に取り付けたショートスコープを覗く坂田が告げた。小銃弾が届く距離にいれば那智にとってはかなり近い。しかし呼吸だけは整えて余計な緊張をしないように平静を保った。


「数は四。……ここは巡察経路じゃないはずですよね?」


「ああ。こっちに近づいているか?」


「接近しています」


 その会話は胸のPTTスイッチを押して剣崎にも伝えていた。


その場を動くなフリーズ。隠密処理に備えろ』


 剣崎の冷徹な声を聞いた那智はシースナイフを抜き、さらに静かに呼吸を落ち着かせた。茂みに隠れたため、那智の位置からでは敵の姿は窺うことが出来ない。

 しばらく茂みの中で伏せているとスコープで監視する坂田がにやりと口元を歪めた。


「やつら、枝を拾ってます」


「……薪か。昼飯時だ」


 やがて北朝鮮軍の焦げ茶色の軍服を着た兵士達は薪のような枝を拾い集めながら偵察分遣隊の前から遠ざかって行った。

 それが遠ざかって行っても隊員達は三十分間動かなかった。


SLLSシルス


 山城が小声で発した。那智は静かにブッシュハットも脱いで、もう一度五感を研ぎ澄ませて周囲の気配を探る。

 SLLSとは、止まるストップ見るルック聞くリッスン嗅ぐスメルのことで、五感を使ってベースラインの波紋を探す。鳥や虫の鳴き声や木々のざわめき、空際線に見出す自然のシルエット。敵の兆候をしっかりと確認してから異状が無いことを報告して再び動き出す。

 初めて見る敵兵の姿は坂田の目に焼き付かれたようだった。泰然としている隊員などいないが、西谷は半目で眠そうだった。逆に那智は、目がすっかり冴えたので、西谷に関心した。一方で大城は見えない位置にいたので一目見たかったとでも言いたそうな顔をしている。

 この仲間達は全く底知れないなと那智は呆れた。

 手信号で前進が合図され、隊員達は再び前進を開始した。

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