第29話 ブレイクコンタクト

北朝鮮国内



 偵察分遣隊は集合地点に集結していた。

 衛生要員である板垣3曹がパイロット二名にブドウ糖やこれからの過酷な行程となるであろう離脱に必要な栄養を配り、体調を確認している。カール・ニックス中尉は北朝鮮軍兵士による暴行を受けており、身体中が腫れ上がっていた。剣崎が彼らを回収する地点の調整を司令部と行っている間に近藤と高野が各人の荷物を再配分し、パイロット二名にも背嚢に取り付けていた斥候用のバックパックを背負わせた。

那智もまた大急ぎで離脱の準備を進めていた。予備の水を水分補給ハイドレーションシステムに移し、空になった弾倉に予備弾を込める。


「追ってきますかね?」


 大城が半端な戦闘糧食を口に頬張りながら那智に向かって聞いた。


「十中八九な。自分の家の庭に不法侵入どころか自宅ぶっ壊されて放っておける太い神経はしてないだろう。死に物狂いで追ってくると思ってもいい」


 那智は悲観的だった。


「まあ、なんとかなるっしょ」


 弾倉に弾を込めていた坂田は普段通りの落ち着きぶりで、西谷は背嚢に入れていた弾を引っ張り出している。


「あらら、せっかくお手製クレイモア使ったのにまた戻って来たよ」


 他の隊員の持っていた予備のクレイモアが背嚢に詰められ、久野が愚痴を言っている。北朝鮮国内でのパイロット救出という一つの作戦を達成し、皆、気が高まっていた。


「回収地点はここから十二キロ南東に進んだ場所だ。周辺の対空火器は破壊されているが、着陸地点がない。エキストかホイストで離脱するか、必要によっては木をなぎ倒す必要がある。爆薬は捨てるな」


 山城が準備を進める那智達の元へ戻ってきて言った。


「了解」


 那智達は手を休めずに返事をする。


「那智3曹、警戒を交代」


「了解」


 那智は寝ころんだままミステリーランチのNICE 6500 BVSバックパックを足で押さえて締め上げる。締められるストラップはすべて締め上げて背嚢をコンパクトにしないと背嚢が動揺し、負担が大きくなる。そのため荷物も限りなくコンパクトにしなくてはならなかった。

 転がした背嚢に背中を押し付け、腰バンドで体に固定し、肩紐も締めると寝転がってうつ伏せになり、起き上がると、今警戒している隊員と交代する。


「出発は三分後」


「俺、全然準備できてないぜ」


 警戒していた宮澤1曹が絶望した声で小さく呟いた。

 濡れた地面に伏せて那智は取っておいたエネルギーバーをチェストリグのポーチから引っ張り出して齧りながら闇夜に目を凝らした。暗視装置だけに頼ると視界が制限されるため、ヘルメットを外してブッシュハットを被り、裸眼で夜でも見張った。

 隊が動き出したのは交代して三分と少し経ってからだった。近藤が前進する隊員達をヘッドカウントし、那智は近藤の拳に拳をぶつける。

 静寂が森の中を支配している。感覚を研ぎ澄ませ、敵を先に発見する事だけを意識しながら那智は進んだ。


前方警戒員ポイントマン、こちら隊長コマンダー。用心しろ。無人偵察機からの情報では我々に追撃がかかったそうだ。約二百名。この地域の通信量も増大中だ』


「ポイントマン、了解」


 山城が剣崎からの通信に応答する。先頭を進む坂田もわずかに振り返って軽く頷いた。


殿アンカー。追跡はないか?』


『コマンダー、こちらアンカー。追跡者は今のところ確認できず』


『了解』


 上空を飛ぶ戦闘機の爆音が通り過ぎたが、直俺機ではないらしく、そのまま遠ざかった。

 一時間ほど歩いて一度、休止する。ニックス中尉が遅れている。打擲による怪我が悪化しているようだった。

 救出ヘリの着陸地域LZまでまだ四時間ほどかかる。


「全身が痛いぜ……」


 久野が呟いた。完全武装して重装備を百キロ以上運び続け、すでに体の筋肉という筋肉が悲鳴を上げつつあった。


「カロナール飲んどけ」


「他に異状はないか」


 疲れていない隊員などいなかった。那智もまた肩の痛みが増し、足裏は発汗で濡れてふやけ、負担が増している。それでも全員がそれぞれの役目を果たしていた。

 普段より長い休止になるであろうことを見越した山城がさらに警戒範囲を広げた警戒を命じた。那智は背嚢を下ろした後だったが、それを背負いなおし、警戒に当たるために主力から離れ、バディとなった西谷の援護の下、もう一度背嚢を下ろした。

 西谷が背嚢を置こうとした時、那智は何かの気配を感じて手の平を向けて西谷を制した。西谷がぴたりと動きを止め、静かになる。


「視線を感じないか?」


 西谷は首を横に振った。那智はしばらく気配を探ったが、先ほど感じた違和感はもう無かった。思い過ごしかと思った時、横から剣崎がぬっと顔を出した。


「追尾を受けてるぞ。今は気づかないふりをしろ。前進を再開したら任意のタイミングで釣り針機動。伏撃する」


 そう小声で囁くと剣崎は再び闇に消えた。那智は生唾を飲み込みながら西谷が警戒する中、急いでソックスを履き替える。間違ってもこれを落としてはならない。敵が犬を使っていれば臭いで一生追いかけられることになりかねない。西谷と警戒を替わると西谷も靴下を替え、ワセリンを股や脇に塗っている。間もなく山城からの『前進用意』の声を聞いた。

 偵察分遣隊は前進を再開する。歩き出してから七分経ったところで那智は無線機のPTTボタンを二度クリックしてジッパーコマンドを送ると、釣り針を描くように歩き、元のルートを監視できる位置につけた。そこで隊員達は横隊に展開し、敵を待ち伏せする。

 敵が痕跡を辿って追ってくれば剣崎の張った罠に飛び込むことになる。那智は89式小銃にサプレッサーを取り付け、弾倉を亜音速弾が装填されたものに交換し、規制子を調整した。

 息を潜めて森の中で敵を待つ。配置について数分経った。双眼鏡を使って監視していると、森の中を歩いてくる北朝鮮軍の迷彩服を着た男達が静かに歩いてくるのが見えた。ぶらぶらと歩いている訳ではなく、確実に進むべき方向を定めて歩いている。偵察分遣隊の痕跡を追っているのだ。間もなくキルゾーンに敵は入る。しかしその手前で敵が動きを止めた。


「四百メートル先だ。勘づいているな」


 Mk17を構えてスコープを通して監視していた山城が言った。


「くそ、伏撃適地だと知ってるんだ。奴らこの地形にも詳しそうだな」


 那智の隣に伏せていた近藤が呻く。


「じわじわと追い詰めて俺達がぐだる・・・のを待ってるんだろう」


「LZまで連れて行く訳には行かない。この先で一気に片をつけるぞ」


 剣崎が言った。偵察分遣隊は前進を再開した。

 歩きながら剣崎が指示を出す。


指向性散弾クレイモアを配置。そこを基点に百メーター離れて展開しろ』


 進みながら那智達は後ろを歩く板垣に背嚢の指向性散弾を取り出してもらい、準備する。


『ここだ』


 剣崎の合図で指向性散弾を那智達は設置した。ワイヤーを素早く伸ばす。


「どうせワイヤートラップじゃ気付かれる。遠隔で斉発爆破する」


 那智はワイヤーをダミー代わりに張り、遠隔で起爆するための樹脂製チューブの内壁に爆薬を塗布したNONELノンネルチューブと呼ばれるコードを伸ばす。指向性散弾六基が仕掛けられ、隊員達は偽装を補備して完璧な伏撃を狙った。

 数分待つと敵が姿を現した。


『四名だ。先頭の二名は十メートル間隔、その後ろ八十に二名』


『間隔が広い。伏撃を警戒しているな』


『距離がありすぎてクレイモアの効果が』


『可能な限り引き付けろ』


 無線のやり取りを聞きながら那智は指向性散弾の点火具をノンネルチューブのカプラーに取り付けた。

 四名の兵士達の後ろから二十人以上の兵士達が姿を現した。距離は三百メートルほど。大きく横隊に広がって進んでいる。


『敵の数は二十六。その後ろにも人影を確認』


 先頭の兵士が何かの合図を出すと後ろの三人は動きを止めた。先頭の兵士が数メートル進んでしゃがみこむ。指向性散弾に気付いたのだ。


『タイムカードを切るぜ』


『不吉なセリフはよせ』


『……やれ』


 那智は点火具のレバーを握り込んだ。点火具の撃針が開放されてノンネルチューブの雷管を叩き、ノンネルチューブ内のペンスリット爆薬が瞬時に燃えて指向性散弾内の雷管まで伝わり、指向性散弾が炸裂し、地面が震える爆発が起きた。しゃがみこんだ兵士は爆煙の中に掻き消え、大量の散弾が森の中にばら撒かれ、木々の枝が落ちた。


「射て」


 剣崎の号令で、全員が敵の方向に向けて射撃する。圧縮空気を放出するような短いサプレッサーで抑制された独特の射撃音が林内に響き、弾丸が飛び交う。

 先頭を進んでいた四人の兵士のうち、一人は指向性散弾で粉砕され、残りの三人は伏せたが、一人は指向性散弾の散弾を浴びて負傷し、残りの二人は射撃を浴びて倒れた。

 その後ろから続いていた兵士達が応戦し、88式自動歩槍の射撃音がこちらの射撃音に覆いかぶさるように山に響き渡った。

 敵は火力で勝っているが、こちらは精密な射撃で敵を圧倒する。那智は暗視装置を通して射撃し、こちらの位置を正確に把握できていない敵に射弾を浴びせた。


「敵の一部が左に迂回しているぞ!」


「動くぞ!」


「カバーよし!動け!」


 二班、三班の射撃援護を受ける中、那智達は後方へと駆け出す。

 銃弾が一班の後を追ってきた。目の前の地面に銃弾がぐさぐさと刺さり、AirFrameヘルメットの横を銃弾が掠める甲高い音が聞こえた。

 滑り込むようにして伏せ、小銃を敵の方向に向けて切換えレバーを単射に切り替えて発砲する。暗視装置ごしの緑色の視界の中で銃弾を浴びた敵兵士が倒れていくのが見えた。敵は時折伏せて発砲するとすぐに立ち上がってこちらに向かってくる。

 那智の弾も走ってくる敵を捉えた。ダブルタップで二発放った弾丸の内の一発が敵兵の肩を撃ち抜き、兵士は88式自動歩槍を手放して木の裏に倒れ込んだ。その木に向かって三発ほど撃ち込んで那智はすぐに別の敵に目標変換する。

 山城がMk17で正確な射撃を浴びせている。サプレッサーで抑制された銃声と共に放たれた7.62mm弾に胸を撃ち抜かれた兵士が崩れ落ちる際にその頭を撃ち抜く。西谷が40mm擲弾発射機を使って40mmHE 弾を敵の後方に撃ち込んだ。HE弾が炸裂し、周囲に破片をまき散らす。


「弾倉交換!」


 山城が声を張り上げた。


「カバーよし!」


 那智は山城に怒鳴り返し、弾倉交換中の山城を援護する。

 その時、敵の一角で動きがあった。激しい発砲炎が光り、曳光弾の火線が飛んでくる。


機関銃MGだ、潰せ!」


「1班、MGに集中射撃!」


「了解!」


 那智達は敵の機関銃に射撃を集中した。60連の弾倉を89式小銃に装填した大城が単射で制圧射撃を敵機関銃に浴びせる。機関銃の射撃が途切れた瞬間、山城が起き上がってMk17で狙い撃ち、西谷がHE弾を撃ち込んだ。7.62mm弾に首を撃ち抜かれた兵士が崩れ落ち、そこへHE弾が直撃して周囲の兵士達を殺傷した。


「敵MG沈黙!」


 半壊しかけていた敵だったが、重火器を持った後続が続々と追いつき、態勢を立て直そうとしている。

 このまま戦闘を続けても戦力と火力、それに弾薬で敵に劣る偵察分遣隊はジリ貧になる。


敵との接触を断てブレイク・コンタクト!右ブレイク!右ブレイク!」


 剣崎が声を張り上げた。ただ後ろに距離を取っても、敵が正面に広がれば火集点に集まることになってしまうため、敵の正面に対して横に離脱するのだ。


「右ブレイク!」


「右ブレイク!」


 隊員達がその声を復唱して怒鳴った。


「動くぞ!」


「カバーよし!動け!」


 最左翼で射撃していた宮澤1曹が立ち上がり、弾倉に残っていた弾を撃ち尽くすとその隣にいた高野の肩を叩いて右側に向かって弾倉を交換しながら走り出す。さらに肩を叩かれた高野も猛烈な勢いで弾を敵に向かって撃ち込むと立ち上がり、宮澤に続いて走り出し、右隣にいる的井2曹の肩を叩いた。的井2曹もMk17を連射に近い勢いで射撃して宮澤を援護すると立ち上がり、八木原の肩を叩いて走り出す。

 その時、敵の方向からRPG-7対戦車擲弾が飛んできて那智達の傍にあった倒木に直撃して爆発した。乾いた倒木が粉々になって破片がバーストツリーになって那智達を叩く。走り出した84mm無反動砲M3を背負った八木原3曹が倒れた。


「八木原が撃たれた」


「八木原、動けるか!?」


 呼びかけに応答する素振りは見せたが、八木原は立ち上がれないようだった。


「助けに行く!援護しろ!」


「カバー!」


 山城が怒鳴り、駆け出す。それに板垣が続いた。射撃のペースを上げて弾幕をより密にする。


「スモーク!」


 剣崎が声を張る。那智はチェストリグのポーチ内に入れていた発煙筒スモークグレネードをむしり取ると安全ピンを結んでいたビニールテープを千切り、ピンを引き抜いてレバーを外し、敵の方向へ投げた。

 坂田は黄燐発煙手榴弾を敵に向かって投げつける。信管が炸裂し、弾殻が砕け散り、黄燐が飛散し、自然発火して白色の煙が発生する。北朝鮮軍兵士の凄まじい絶叫が上がった。黄燐は粗製白燐のことで、皮膚に付けば水では消すことが出来ないため、抉り取るしかない。

 煙幕が展開され、各人が連射に切り替えて弾幕を張って敵を抑える中、倒れた八木原を引きずるが、六十キロの背嚢に84mm無反動砲M3を背負った八木原を運ぶのは簡単ではない。

 八木原の背嚢を切り離して素早くその下に黄燐発煙手榴弾をトラップにして仕込む。その間に第2分隊の瀬賀2曹と近藤3尉が後退しながら八木原を運ぶのを手伝った。二班の剣崎や野中、古瀬は二人のパイロットを連れて走っていた。


「起爆!起爆!」


 剣崎が怒鳴る。残った指向性散弾を起爆させる。強烈な爆発音が劈き、森が震える。敵の射撃が一瞬止んだ。

 西谷がM320グレネードランチャーでM680煙幕弾を撃ち込む。投げられた発煙手榴弾や煙幕弾が煙を噴き出し、敵と偵察分遣隊の間を煙覆する。敵の目から逃れられるが、敵の接近を許す事にもなる。

 一斉に隊員達は小銃を煙幕に向かって撃ち、下がる。西谷がさらに40mmHE弾を発射し、那智も89式小銃に装填していた弾倉を撃ち切るまで撃つと弾倉を交換しながら共に後退する。

 ありったけの火力を発揮して敵が頭を上げられない間に偵察分遣隊は離脱した。

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