第22話 邦人輸送

韓国ソウル特別市鍾路区 在韓日本国大使館



 ソウル市内は三十八度線を越える野戦砲による砲撃に晒されており、さらに韓国軍の戦闘服や警官の制服を着た北朝鮮の特殊戦部隊がゲリラ作戦を開始し、被害と混乱は拡大し続けていた。

 そんな中、邦人避難のためのAAアセンブルエリア(集合地点)と指定されたソウルの日本大使館には、未だに二百名弱の日本人が残されていた。


「市内は今、戦闘状態です。砲撃は続いており、銃撃戦も……警察も軍も混乱しており、とても民間人を空港まで移動させることは出来ません」


 大使館職員の言葉を聞いて、在韓日本大使の柚原は無言で頷いた。カーテンをわずかにめくると、黒煙の上がる市街地が一望できる。ここでは銃声こそ聞こえはしないが、いつ攻撃に晒されてもおかしくない状況だった。


「自衛隊が向かっています。手配した車両の準備は?」


「民間の大型バスを四台、何とか確保できました」


 補助席込みで各バスに五十名ほどが乗り込むことが出来る。一度に全員の輸送はぎりぎり可能に思えた。

 航空自衛隊は邦人保護のための空輸を優先しており、陸上輸送のための陸自の車両は韓国に持ち込んでおらず、限られた警護用の車輛のみを用意していた。そのため、大使館が車両を確保する必要があった。


「本当に自衛隊は来るんでしょうか」


 職員の顔には不安の色が浮かんでいた。数時間前、大使館から空港までの最短ルートである、空港から伸びる高速道路と一般道で爆発が起き、現在も炎上しているとの情報が目的地派遣群本部から入っていた。


「自衛隊は国民を見捨てません」


 そう断言したのは在外公館警備対策官の矢木だった。彼は自衛隊から出向していて、海上自衛隊の佐官だった。


「陸自の研究本部教訓センターCGLLは、こうした事態に備えて検証を行っています。大使館から空港までの道路は、最短ルートだけでなく予備経路や迂回路も含めて検証済みです」


 矢木は職員達を安心させるように力強く言った。しかし、自衛隊には厳しい交戦規則ROE武器使用基準RUWが課せられている。彼らがここに無事にたどり着くまでに大使館と邦人達が無事だという保証はどこにも無かった。




 実際、インチョン空港に置かれた目的地派遣群本部の指揮官である、中央即応連隊の高橋1佐は苦悩していた。空港は、韓国軍に扮した北朝鮮特殊戦部隊に襲撃を受けており、空港周辺では銃撃戦が続いていた。戦闘は外周よりも外で行われており、自衛隊と米海兵隊は空港施設内に展開して侵入者を許さない構えだ。

 大使館からの救助要請が来たとき、すでに大使館への最短ルートは失われていた。韓国側との調整も難航している。国家緊急事態発令はなされていたが、北朝鮮の特殊戦部隊が、各地で様々な欺瞞作戦を展開し、警察と軍との間で混乱が生じていた。どちらもこの期に及んで主導権を争っている。そのため、陸上輸送の調整は、たらい回しにされていた。

 ようやく合意がなされた経路は、韓国軍に指定されたものだったが、その経路にはすでに複数の問題があることが明らかになっていた。そしてECCが設置されたキムポ空港では、飛行場を韓国軍が優先使用するため、ソウルから離れたインチョンへのECCの移動が指示された。


「ソウルからインチョンですと、距離は倍以上です。危険は二次関数的に跳ね上がります。空港の外周では現在も銃撃戦が続いています。インチョンは危険です」


「キムポ空港周辺でも戦闘は起きている。やむを得まい、キムポのECCはインチョンに移す」


 幕僚の言葉は誇張ではなかった。経路は警察や韓国軍の統制が効かなくなりつつあり、避難民の車両で溢れている。さらに北朝鮮のゲリラ戦により多数の道路が寸断されていた。さらにルート上では北朝鮮特殊戦部隊の行動も確認されている。

 この作戦の安全な遂行は困難だった。武器使用についても緊急避難と正当防衛による危害射撃に制限され、武器や装甲車等、充分な装備があるとも言い難い。作戦を実行すれば死傷者が出ることを高橋は確信していた。もはや韓国は撤退条件となる紛争エリアであり、本来なら自衛隊法通り、輸送の安全が確保できないとして作戦を中止するべきだ。アメリカ軍であっても、紛争地域においては攻撃ヘリコプター等の高度な火力支援を得ての作戦となるのだ。

 しかし高橋はすでに決心していた。日本人は絶対に見捨てない。




 インチョン国際空港はアメリカとの共同のECCが置かれており、韓国軍の優先使用となりながらも自衛隊機にも着陸許可がようやく下りた。

 インチョン国際空港を襲撃した北朝鮮特殊戦部隊は韓国軍の対応で何とか制圧されていた。空港には戦車や戦闘ヘリまで配備されている。

 空港には米軍を含め、警備部隊がさらに展開しており、自衛隊も狙撃手を配置していた。その空港格納庫の一角から韓国軍のK131小型トラックに先導された自衛隊車輛の車列が出発した。

 中央即応連隊の隊員三十名と空挺第7中隊の隊員二十名からなる陸上輸送隊の指揮官は、空挺第7中隊中隊長の栗原1尉だった。軽装甲機動車四輛と輸送防護車二輛、高機動車三輛の車列はインチョン空港を出て、ソウルの在韓日本大使館を目指して前進した。


「焦らず急げ。大使館も危険に晒されている」


 伊坂准尉が輸送防護車の車長席(助手席)に座り、操縦手を急かしている。銃手ガナーハッチからはショルダーアーマー付きの鎧のような防弾チョッキ3型改を身に付けた空挺隊員が顔を出し、7.62mm機関銃M240を据銃していた。

 道路周辺の北朝鮮軍部隊は韓国軍によって退けられていたが、破壊された韓国軍の車両等が路肩に寄せられており、激しい戦闘を物語っていた。今も負傷者が空港へ運ばれており、負傷者が空港のゲート前に設けられた韓国軍陣地内に収容されている。

 栗原は、兵員室で車載型の広帯域多目的無線機のナビゲーション機能を使用し、韓国軍に指定されたルートをオーバーレイしつつ、部隊に指示を出していた。


「ECC、こちら11ヒトヒト1511ヒトゴーヒトヒト第1統制点PP1通過。送れ」


『11、こちらECC。了解』


 無線のやり取りは緊迫していた。ここはもう戦場だ。

 栗原は部下に射撃命令を下すことを恐れていた。平和を希求する日本の自衛隊は今まで戦闘を行ったことは無い。隊員達も人を助け、守ることに関しては驚くほど熱心だが、人を殺すことになるとそうではない。


「ECC、こちら11。周辺で行動中の友軍部隊の位置情報と規模、可能なら通信まで掌握してもらいたい。送れ」


『ECC、了解』


 ECCにそう求めたところで米軍や韓国軍部隊の行動をECCの限られた幕僚や幹部だけで掌握できるとは栗原も思えなかった。


「復路は往路の逆順でたどれるとも限らない。まだ生きている道路はすべてピックアップしろ。大型車輛が通行できる車幅の道路だぞ」


 韓国軍の車両に続いて曲がった交差点の先が渋滞しており、車列は停止した。市内から逃げ出そうとする市民の車が完全に道路を塞いでいる。道路の先で何かが炎上していて、多数の市民が逃げまどっている。


「動きを止めるな!狙い撃ちにされるぞ!」


 中央即応連隊の2曹が怒鳴った。先導の韓国軍のジープに続くしかない自衛隊が勝手に動くわけにもいかず、ドライバーは板挟みになって栗原に助けを求めた。


「なんと言ってる?」


 韓国軍のジープの士官と韓国語のやり取りができる連絡幹部が無線でやり取りをした。


『北のゲリラが道路を塞いだようです』


 警察官の姿はなく、歩道には韓国軍の兵士が倒れているのが見えた。逃げまどう市民が車両の間を抜けて移動している。


「この道は駄目だ。UAVはまだか」


 中央即応連隊が持ち込んだスキャンイーグル無人偵察機がインチョン空港で準備されていた。スキャンイーグルがあれば車輛部隊のための経路を自衛隊独自に偵察できるが、まだ準備できていない。

 韓国軍の指示で再び経路が変更になった。狭い二車線の道路を車列は前進した。

 ソウル市内はあちこちで北朝鮮軍よる砲撃やゲリラ活動のせいか黒煙が上がっている。通りに面する警察署も炎上していて消防士たちが走り回り、負傷した警察官が道路にも並べられていた。ゲリラの襲撃を受けたらしく、建物には無数の弾痕が刻まれていて、警察の装甲車が大破していた。


「この先でゲリラが確認されている。注意しろ」


 栗原は無線に吹き込む。ここは戦場で、敵は北のゲリラだと思うと何もかもが怪しく思えてくる。隊員達の緊張はピークに達していた。


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