半島有事

小早川

1話 プロローグ

プロローグ



 東京千代田区永田町の総理大臣官邸地下一階に存在する危機管理センターこと内閣情報集約センターの会議室には時の首相である高嶋茂義たかしましげよし総理を始めとする国家安全保障会議NSCのメンバーが集まっていた。

 会議室には重苦しい空気が漂っている。軽快な談話など想像できない厳粛な雰囲気がこの会議室だけでなく、地下施設を覆っており、誰しも表情は明るくなかった。

 中央の椅子に座った高嶋の視線は危機管理センターの壁面に映画館のスクリーンのごとく設置された大型ディスプレイに注がれている。ディスプレイ中央のメイン部分には朝鮮半島を中心とした電子地図が表示されていた。


「現在の北朝鮮の動静ですが、軍は現在も戦闘準備を着々と進めており、一ヶ月以内に電撃戦を開始する準備が整うと見積もられています。その他、北の通信状況なども日増しに変動し続けており、国内でも在日朝鮮人系組織の活動が活発化しつつあります。総合的な情報からも防衛省はこれを単なる挑発行為ではないとみなし、開戦の兆候であると判断しています」


 硬い表情の防衛事務次官が国家安全保障会議のメンバーたちの前で説明を続けていた。高嶋以下の大臣達の表情もまた優れず、渋いものだった。

 現在、極東情勢の緊張は最高潮に達していた。二か月前に北朝鮮の行った核実験に対し、国連安全保障理事会は制裁措置を決議。遂に中国も経済制裁を発動し、北朝鮮は完全に孤立した。

 その後、北朝鮮の国内情勢は悪化。軍のトップが解任され、粛清の嵐が吹き荒れた。そして今、北朝鮮は三十八度線の北、百キロ範囲の地帯に軍を集結させつつあり、航空部隊にも以前とは異なる動きが見られていた。その動きに呼応して米国は太平洋艦隊の空母打撃群を北上させ、中露も北朝鮮国境付近に軍を集結させつつあった。


「米国及び韓国の情報機関も同様の見解です」


 内閣官房国家安全保障局NSS局長、彦江が口を開いた。


「米国国家安全保障局は三か月以内の開戦を予想。韓国国家情報院も大規模な軍事衝突を警戒しています」


「我が国への脅威は主に弾道ミサイル攻撃です。在日米軍等米関連施設を標的とするほか、日本国内の混乱と国内世論を反戦、反米へ操作する擾乱工作を行うと思われます」


 北朝鮮がミサイルを発射しても日本政府に批判が集まるのがこの国だ。日本に存在する在日米軍施設を標的に北が弾道ミサイルを発射し、それによって民間人に被害が出ればミサイルを発射した北朝鮮よりも米軍と政府が非難を受ける。開戦すれば在日米軍関連施設を狙った弾道ミサイル攻撃やすでに潜入している工作員等が日本の重要施設等に対して破壊工作を行う可能性がすでに考慮されている。


「弾道ミサイルの迎撃態勢は?」


 池谷副総理兼財務大臣が口を挟んだ。高嶋内閣の中では最年長である池谷の物言いは遠慮がない。


「常時破壊措置命令により、首都圏に配備したPAC-3は二十四時間の迎撃態勢を維持しています。日本海上では日米のイージス艦が常時六隻体制で警戒を」


 中央スクリーンには海上自衛隊のイージス艦の配備状況も表示されていた。そのイージス艦とPAC-3迎撃ミサイルがカバーしている防護エリアも示されている。首都圏を除くと西日本には特にPAC-3が集中配備されていた。


「もし朝鮮半島有事が現実のものとなれば在韓邦人の避難も必要です。すでに渡航自粛と帰国を外務省は呼びかけていますが……」


 河本外務大臣の言葉が濁る理由は皆分かっていた。日本国民の危機感はまだ高まっていないのだ。すでに日本海には弾道ミサイルを警戒する日米のイージス艦以外に米太平洋艦隊の空母二隻がオンステージし、さらに一個空母艦隊が現在、黄海を目指して東シナ海を北上している。今までにない事態だとマスコミも危機感を煽っていたが、そのマスコミへの信用が無かった。


「とにかく、自衛隊には万全を期してもらいたい。戦争が始まったならば、防衛出動を発令するのはすでに確定事項だ」


「総理、戦争はすでに始まっております」


 硬い表情の須藤防衛大臣の言葉に他の大臣達も顔を上げた。須藤は現高嶋内閣の中では若いが、外務副大臣や防災担当大臣等を務めた実績のある外交・安全保障に明るい防衛相に適任の男として高嶋が選んだ。防衛相となってからはさらに頭角を現わしており、自衛隊の改編を推し進めている。


「米国は非公式にですが、限定的な予防空爆の計画を進めています。この計画は日米韓軍の共同連携なしには達成は困難です。朝鮮半島有事の兆候があれば自衛隊は計画通り“朝鮮半島における邦人保護”及びこの限定的予防空爆に併せ、必要最小限の自衛権の行使による策源地攻撃を実施いたします。部隊はその作戦計画に基づき、準備を行っています。一ヶ月以内に所定の準備訓練を終える予定です」


 その計画についてはすでに官邸に降りてきている。アメリカは抑止戦略に基づき、経済制裁の効果がなく、北朝鮮の軍事的徴候があった時点で先制攻撃を行い、北朝鮮に釘を刺す予防空爆の計画を進めている。

 この予防空爆の成果次第では、北朝鮮による報復攻撃も予想されている。報復攻撃が行われれば当然、在日米軍基地の存在する日本も標的になる恐れがあった。それに備えた策源地攻撃の準備を自衛隊は進めている。


「一ヶ月以内に北朝鮮の軍事的挑発や軍事衝突が起こった場合は……?」


「訓練を終了していなくても部隊を投入します」


 須藤と共に、その後ろに並ぶ机に控えた青磁色を基調としたデジタル迷彩の航空自衛隊の戦闘服に身を包んだ自衛隊制服組トップ、統合幕僚長である清住空将が高嶋の顔を見つめていた。高嶋は清住の様子にこれは制服サイドも納得しているのだと理解した。


「国内の警備体制の強化が必要です。北朝鮮と米韓の軍事衝突が起きれば、日韓国内に潜入させている工作員による破壊工作を実施し、後方攪乱を行うと思われます」


 国家公安委員長の平賀大臣が言った。


「警察庁は警備対策室を設置し、全国の警察に対し、警備体制の強化を実施させる予定です。特に警視庁及び神奈川県警、埼玉県警は二万人の警察官を動員し、首都圏の警備体制を強化する方針です」


 機動隊員を米関連施設や空港、駅などの重要な交通インフラ施設の警備に動員、さらには対テロ特殊部隊であるSATを待機させる警備計画がスクリーンに投影される。さらに防衛省サイドも立ち上がった。


「陸自第一師団の即応態勢を強化するとともに、第32普通科連隊の即応部隊を市ヶ谷に待機させます。首都防衛に当たっては警察庁と綿密な連携が必要です」


 平賀はその言葉を聞いて眉根を上げた。国内の警備は警察庁の領分だ。プライドもあり、防衛省の干渉は受けたくないはずだった。


「まぁ、北の工作員が首都でテロを行うとは限らないじゃないか。自衛隊が下手に動くと不味い。治安出動待機も出ていないんだからな」


 事を荒立てたくない池谷の言葉に須藤は黙った。その後ろにいる清住統合幕僚長の表情は複雑なようだった。


「私は想定外という言葉を使いたくない」


 高嶋の発言に池谷が振り返り、他のメンバーたちの視線が集まった。


「テロ対策強化はもちろん不測事態に備え、自衛隊と警察共同で訓練を行い、有事の連携に備えるべきだ」


「分かりました。治安維持対応訓練を警察庁と調整します」


 高嶋の言葉を待っていたように須藤が即答した。国内警備に食い込み、防衛省の存在感を示したい須藤の思惑を叶えてしまうことになるが、高嶋は1996年に韓国で起きた江陵浸透事件を知っていた。訓練を受けた北の工作員は日本の警察官の手に余る存在であることは明らかだった。

 平賀も訓練を否定することは出来ず、表情にこそ出さないものの渋々という雰囲気だった。

 危機が迫っているというのに縄張り争いかと高嶋はこっそり溜息を吐いた。数年前に大ヒットした怪獣映画では政府等の全ての人々が協力してその脅威に立ち向かう姿が描かれていた。足の引っ張り合いが起きている現状は、怪獣という明らかな脅威よりも危機感が無かった。


国家安全保障局NSAと国家情報院も開戦を秒読みだと見積もっている。須藤大臣の言った通り、戦争は始まっているんだ。各省庁はその垣根を超え、この国難を乗り越えるべく協力してもらいたい」


 この言葉がどこまでの効果をもたらすのか。高嶋は普段自信の無い自分の求心力を信じたくなった。


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