第43話 エピローグ

日本国長崎県、佐世保自衛隊病院


 朝鮮半島の混乱は収まっていない。日本は新たにいくつかの部隊を韓国に投入して邦人の救出を行っていたが、北朝鮮国内で策源地攻撃を行っていた陸海空自衛隊の部隊は全て撤収した。

 この戦争での現在までの自衛隊の被害は国内外を含め、戦死者十八名。負傷者五十三名。ほとんどが韓国国内での任務中の損害だったが、自衛隊は創隊以来、初の戦死者を出し、初の実戦を経験した。

 しかし韓国国内にいた日本の民間人で、残ることを決めた者以外の避難は負傷者こそ出たものの全員の避難を完了した。そして北朝鮮から発射された弾道ミサイルの数は予想をはるかに下回り、発射された弾道ミサイルの大半も迎撃され、日本本土への被害は皆無だった。日米共同作戦によるノドンハントが功を奏した結果であった。

 都内での北朝鮮工作員によるテロ破壊活動も鎮圧され、警察や自衛隊は第二、第三のテロを阻止するために今も厳重な警戒態勢を敷いており、未だに原発などの重要防護施設には自衛隊が防衛出動下令下の警護出動を行っており、防衛出動は続いている。

 中国の南侵は、米国主導の連合軍が韓国入りを果たし、ロシアが中国を牽制したことによって阻止された。しかしながら一部の北朝鮮軍は中国からの後ろ盾を受けてクーデターを起こしており、反体制派が継戦派の独裁政権を倒して主導権を握りつつあった。中国の影響が戦後の北朝鮮に残る懸念は強いが、最悪の混乱は回避された。

 日本への直接的な脅威が完全に取り除かれたことが防衛省によって発表され、自衛隊はようやく態勢を縮小しようとしていたが、テレビメディアなどの関心は現在も続く韓国国内での戦闘から政権・自衛隊批判へと移り変わっていった。

 すでに国会は大荒れで、野党は自衛隊を始め、官民の死傷者、そして国外への派遣を批難し、政府与党の責任を追及していた。韓国からの避難中に負傷した民間人だけでなく、戦死した自衛官達の名前も一部新聞に掲載され、政権批判の格好な餌食となっている。自衛隊の負傷者の収容された自衛隊病院には今もマスコミが詰めかけていて、そうしたマスコミたちの矛先は救出された邦人達にも向けられていた。

 国会前や各地の自衛隊駐屯地・基地前では連日、抗議デモが起きている。自衛隊は今も高度な作戦状態にあるため、警察の警備体制は強化されていたが、抗議活動は激しさを増していた。

 マスコミ等がそうした俗物的な論争を繰り広げる世間とは隔絶されたテレビの無い病室のベッドで那智は体を起こし、目の前に病院への出入で目立たないよう背広姿で立った剣崎と向き合っていた。

 目立たないようにと言っても洗練された戦闘員としての独特な雰囲気を隠して入ることが出来たのだろうかと那智には疑問だった。剣崎は顔に細かい傷や軽い火傷の跡がまだ残っているが、他に大きな怪我も無かった。

 偵察分遣隊は任務を終え、一人の欠員を出すこともなく日本に帰還した。撃たれた八木原や近藤、那智、大城、西谷達は佐世保の自衛隊病院に入院したが、全員回復に向かっている。幸い後遺症の残る怪我を負った者はいない。

 北朝鮮国内での偵察分遣隊の任務は公開されないことになっている。


「これを機に偵察分遣隊は、水陸機動団内に緊急初動対応部隊として正式に発足されることになった」


 剣崎は淡々と語る。那智はその言葉に驚きつつ、感動を覚えていた。部隊が負う任務と使命感、そして訓練はこれまでの部隊よりもはるかに充実していて、何よりも共に言語を絶する苦難を耐え抜き、戦った戦友達がこのまま解散するのは惜しかった。連帯感や信頼感、筆舌に尽くし難い絆があった。その仲間達と共に働くことは人生を賭けるに値する。


「任務はこれまで以上に非常に厳しいものとなるだろう。日常生活も制限されれば訓練拠点も国内外を問わず安定した生活は望めないだろう。そんな部隊だが、発足メンバーに名を連ねる気はあるか」


「はい……!」


 那智は飛び付くように即答した。剣崎は口許を緩めて頷いた。


「那智の能力は今後部隊基盤に必要となる。今は養生に専念していろ。だが、戻れば早速訓練だ。我々を必要とする現場はまだ無数に存在する。覚悟はいいな」


 朝鮮半島の混乱はまだ終わっていない。北朝鮮と韓国では相次いでクーデターが勃発。反体制派と現政権側とで争いながら、未だに現政権側同士は二国間の戦争を続けているカオスな状況だ。

 韓国で反体制派が実権を握り、北朝鮮の反体制派と手を組むようなことになれば日本への潜在的脅威は以前より高まる可能性もある。

 那智はその言葉に緊張を覚えながらも剣崎を見つめた。剣崎の鋭い切れ長の目は相変わらず厳しい眼差しだったが、那智には少し微笑んでいるように見えた。


「覚悟ですか。剣崎1尉は分遣隊をどうするおつもりで?」


「私が望むのは日本の防衛環境に適応し、現態勢の隙間を埋める特殊作戦能力を保有した偵察部隊だ」


「フォースリーコンのような?」


 剣崎は首を横に振る。


「それだけに留まらない部隊だ。なおかつ水陸機動団すいき隷下で水陸機動団以上の戦略的な任務を負える使い勝手の良い部隊だな。今回は空自の支援を受けたが、常設の統合任務部隊という態勢を取るつもりだ」


 水陸機動団の偵察隊はあくまで水陸機動団のための情報を収集することが任務だ。それを越えた方面隊あるいは陸上総隊の作戦に資する情報収集を行う部隊。

 四方を海で囲まれた日本の防衛環境、そして特殊作戦部隊と一般部隊の隙間。陸海空を問わない常設の統合任務部隊。那智にはそのどれも魅力的だった。


「精鋭が必要ですね」


「当然だ。なってもらう必要がある」


 剣崎の言葉に那智は苦笑した。認められているが、まだ精鋭には足りないらしい。


「定期異動の際の特殊作戦群S特別警備隊SBUの受け口になり、そしてSの入り口になる部隊が習志野以外にも必要だろう」


 自衛隊の人事上、特に幹部は定期異動は付き物でその部隊に留まり続けることは出来ない。海上自衛隊は特に特別警備隊以外の本格的な戦闘部隊は存在せず、特別警備隊で得た技術を護衛艦勤務で活かすことは難しい。

 那智が呆然としていると剣崎は部屋を出ようとした。思わずその背中に言葉をかける。


「実現できるんですか?」


「もう話はついている。今さら怖じ気づくなよ」


 剣崎はそう言うと病室を去っていった。

 現実味の無い話だ。だが不思議と那智はそれが実現する確信があった。


「休んでる暇はなさそうだな……」


 その言葉を漏らした直後、再び病室のドアがノックされた。


「板垣だよ」


「どうぞ」


 那智が声をかけると扉を開けて私服姿の板垣が顔を出した。


「元気にしてる?」


「ああ。そろそろ体を動かしたいところだ」


 板垣が那智に向かって何かを放る。受け取ったのはルービックキューブだった。


「暇潰しにはなるでしょ」


「もっとなんかあったろ」


「近藤3尉と西谷に山城、八木原が先に選んだからそれは売れ残り」


「酷いな」


 那智は少し弄ったルービックキューブをベッド横の棚に置く。


「缶詰め持ってきた」


「だからなんでサバ缶とかイワシなんだ。果物だろそこは」


「売れ残り」


 板垣のふざけに那智は笑いながら文句を言う。


「いてて……笑わせるな」


「射撃予習したいだろうからエアガン持ってきた」


「お、それは助かる」


 P226のエアソフトガンを受け取る。グリップ、撃発時のフィンガーコントロール、見出だし等エアソフトガンでも出来ることはある。握ってみて多少実銃との違いを感じながらもその感触に感覚が甦ってきた。


「良いね、根っからの戦士になってきたな」


「そんなんじゃない」


 那智はエアソフトガンの拳銃を握力トレーニング用のハンドグリップ等を収めた棚の引き出しにしまう。


「これから板垣はどうなるんだ」


「一度救難隊に戻ることになってる。今はまだ臨時勤務扱いだからね」


 板垣は衛生支援で派遣されている身だった。


「とんでもない臨時勤務だったな。今はまだっていうと」


「剣崎1尉に誘われてね。まだお世話になるつもりだよ。偵察分遣隊だって救難任務はやるならね」


「そうか。残ってるくれるのは心強い。救難だって実際やったしな」


「嫁はカンカンだよ」


 板垣は肩を竦めた。その左手の薬指に〈QALO〉のシリコンの指輪が填まっているのを那智は認めた。


「なんだ結婚したのか」


「入籍も済ませた。式は落ち着いてから向こうで挙げるつもりだよ。呼ぶからな」


「おめでとう」


「そっちはどう?暇なんだから電話くらいしただろ?」


 那智は最後の戦闘の前に交わした会話を板垣が覚えていたことに苦笑した。


「向こうから電話が来た。返したい荷物があるから新しい住所を送れだってさ。泣けるよ」


 日本でも官民を巻き込んだ大変な事態だと言うのに己の事ばかりで心配などされなかったことに、今まで付き合っていたことへの虚しさを覚えて本当に涙腺が弛んだ。


「新しい出会いに期待しよう。傷のある男はモテる」


「そうだな」


 また新しい日常と、任務が待っている。




東京市ヶ谷防衛省慰霊碑広場



 荘厳な葬送式の中で高島総理は読み上げる原稿の内容を反芻していた。戦後初の戦時内閣の指揮を執った総理大臣として自分の発言は歴史に残らざるを得ない物となる。

 自衛隊は軍隊ではなく、自衛官の立場は特別職国家公務員で軍人ではない。そんな彼らに国民を助けるために命を賭けろと命じた責任を負わなくてはならなかった。正直、何故自分が総理大臣の時にこのような事が起きたのだと高島は嘆いていた。

 戦死ではなく殉職という扱いを受けた隊員達の氏名が読み上げられ、その写真に目を移す。彼らの顔も名前もここに来る前からすでに知っていた。二十歳になったばかりの若い隊員もいる。高島は今年七十歳を前にしていた。ハーバート・フーバーの「戦争はいつだって老人が始め、若者が犠牲になる」という言葉はまさに至言だ。自分に降りかかった不幸を嘆いていた己に対して激しい怒りが湧き上がった。

 池谷副総理が軽く咳ばらいをしてもうすぐ自分の追悼の言葉が始まることを知らせてくれた。

 司会役の自衛官の言葉に立ち上がり、壇上に立つ。隊員遺族だけでなく殉職隊員の所属部隊、そして防衛省の事務次官や統合幕僚長以下、高級幹部らと高島以下、防衛相ら閣僚の面々が参列し、報道関係者が詰めかけたこの葬送式は、隊員への追悼というよりも政治的パフォーマンスの色合いが強かった。だが、自分は誠意をもって本当にこの国のために命を尽くしてくれた者達に感謝と哀悼の真琴を捧げたいと高島は思っていた。


「本日の葬送式にあたり、国の存立と国内外の国民の生命の危機に際し、自らの生命の危険を伴う重大な任務を遂行する中、職務に殉ぜられた自衛隊員に対し、総理大臣として、謹んで哀悼の誠を捧げます。我が国はこの度、戦争という未曽有の危機に晒され、官民ともに多大な犠牲を払いました。この犠牲の責任は、総理大臣である私にあります」


 カメラのフラッシュが瞬き、シャッターを切る音が激しく響く。自らの責任を認める事は政局に大きな影響を及ぼすことになる事は閣僚達も承知の上だった。


「自衛官は事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える事を誓った我が国の最後の盾です。そして彼らもまた誰かの息子であり、兄弟であり、親であり、我が国の代え難い財産である国民の一人でした。彼らは平時から国民の命と平和な暮らしを守りぬく最も重要な責務を担うことを自ら志し、そしてこの危機に際し、私の責任の下発せられた命令に従って職務を遂行しました。彼らが成した事は並大抵の人に出来る事ではありません。強い覚悟と責任感をもって、職務の遂行に全身全霊を捧げ、国防の任を全うし、これからの日本を支えるはずだった隊員達を失った事は我が国にとって大きな痛手であり、無念でなりません。また、愛する御家族を失われた、御遺族の皆様の深い悲しみを思うと、胸塞がる思いを禁じ得ません。強い使命感を持って、立派に使命を果たした、誇り高き自衛隊員である皆様。その御遺志を受け継ぎ、国民の命と暮らしを断固として守り抜き、このような事態を二度と繰り返さぬよう世界と地域の平和と安定にたゆまぬ努力を続け、全力を尽くすことを、自衛隊の最高指揮官として、改めてここに誓います。いま一度、十八名の御霊の安らかならんことを、そして、御遺族の御平安を心よりお祈り申し上げ、弔辞といたします」


 静かに深く頭を下げる。そこに向かって遺族達から「お前のせいだ」と言われる事も想像していた。いっそ自分の事をこの場で責め、少しでも気を晴らして欲しかった。式場は静まり返っていてそのような言葉が降りかかってくることはなかったが、高島は責任を取って腹を切る武士が羨ましかった。自分はその責任を問われ、裁きを待たなければならない。また国会で醜い論戦を繰り広げなければならないのかと思うと暗澹たる思いだが、今向き合うべきは国のために尽くしてくれた自衛隊であった。

 制服姿の儀仗隊が軍刀を持った指揮官の式で整列し、起立を求められた。


「捧げ、つつ


 指揮官の号令で並んだ儀仗隊の隊員達は一糸乱れぬ動作で祭壇に向かって着剣した小銃を左手で上に引き上げて体の中央で地面に対して垂直に構え、右手で小銃の下部を持つ、小銃携行の際の儀礼上最高位の敬礼を行った。それに合わせて葬送の譜を音楽隊が演奏する。

 参列者達は頭を下げた。


「弔銃、用意」


 続いて儀仗隊は祭壇に左半身を向ける形で一列になると小銃の槓桿を一斉に引いて構えた。


「構え、射てテッ!」


 殉職者へ捧げられた発射音が市ヶ谷に響き渡り、反響する。音楽隊の演奏の中で弔銃射撃が続く。北朝鮮における策源地攻撃、韓国国内での邦人輸送、日本国内でのゲリラ・コマンド対処、それらの任務遂行中に倒れ、命を落とした自衛官たちへの鎮魂は、これからも生きてゆく者からの手向けだった。



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半島有事 小早川 @illegal0209

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