第16話 水面下の戦い
キムポ空港とインチョン空港、またプサンの国際空港では、民間機や船舶の離発着ならびに出航が制限され始め、韓国軍が展開を開始していた。装甲車や対空砲が配備され、厳重な警備態勢が敷かれ、出国のために押し寄せていた日本人や外国人が出国できない状態に陥った。さらにソウル市内では、避難する大量の市民が道路に溢れパニック状態となり、帰国を急ぐ日本人を乗せたバスの運行が不可能となった。
この事態の中、外務省は韓国政府に自衛隊の入国同意を取り付けていた。NEOに協力しなければ、在日米軍の支援を行わないことや戦後復興を支援しないという日本の立場を突き付けた上、米国からの圧力を受けて最終的に韓国側が折れ、領空と領海の通過と入港の許可、領土への着陸の同意を得たが、「邦人の陸上誘導輸送」については合意に至らなかった。
現状では、韓国が治安維持と警察権を持っている。そもそも、武装した日本の軍隊が走り回るなど韓国側からは受け入れ難く、拒絶されたのだった。
さらに韓国側から突きつけられた計画遂行のための条件は厳しいものだった。
事態は、極度に緊迫している。北朝鮮が軍事行動を起こせば、韓国軍の戦闘機等の運用が即座に優先されるためだ。
作戦遂行は非常に困難を極めることが予想されたが、韓国側の合意を得て、引き続いて開催された閣議において、防衛省が提示した対処基本方針が承認されたことを受け、高嶋内閣総理大臣から須藤防衛大臣に対し、作戦開始が命じられた。
須藤は直ちに、
統合任務部隊は、すでに準備を進めていた。陸上自衛隊からは中央即応連隊を基幹とし、第1空挺団の第3普通科大隊、水陸機動団の第1水陸機動連隊、そして第1ヘリコプター団や第12旅団のヘリコプター部隊。海上自衛隊からはヘリコプター搭載護衛艦《ひゅうが》、《いずも》、おおすみ型輸送艦《おおすみ》、《しもきた》、《くにさき》。航空自衛隊はC-2輸送機、C-130輸送機、さらに政府専用機等が統合任務部隊の指揮下に置かれる。
統合任務部隊は閣議決定を受け、現地情勢の情報収集と輸送に関わる韓国側との調整のため、キムポ、インチョンとチェジュ島の各空港、さらにプサン港等へ
先遣指揮隊が派遣される中でも日韓の間で、ギリギリの折衝が行われた。
そんな最中、日本の原発や在日米軍施設が北朝鮮の破壊工作員と思われる武装集団によって襲撃を受けた。さらに日本の領海に北朝鮮の潜水艦が迫っている。
日本はかつてない困難に立ち向かわねばならなかった。
そうりゅう型潜水艦《うんりゅう》は、日本海を南下する北朝鮮の潜水艦を追尾していた。
「
水測員の報告を艦長の氷室2佐は聞きながら、副長の松浦3佐に向き直った。
「命令は再度確認したんだろうな?」
「はい。
《うんりゅう》は三十分ほど前に潜望鏡深度に浮上して衛星通信で自衛艦隊司令部からの命令を受領していた。その命令の内容が重大なために氷室は再確認を指示していた。氷室は、松浦の迷いない言葉を聞くと口を堅く結んで一瞬考え込んだ。
「……分かった。魚雷戦用意」
「魚雷戦用意!」
号令が下されると、発令所の乗員達は素早く、かつ静かに動いた。
松浦の脳裏に先ほどまで浮かんでいた戦後初の実戦を行う潜水艦の大任や敵潜水艦の乗員の数等はすでに掻き消え、今はただ訓練通り、淡々と冷静にこの《うんりゅう》という武器システムの一部に徹していた。
「魚雷戦。目標S22、S23、S24。針路248。一番から三番、魚雷発射管開け」
「一番から三番、魚雷発射管前扉開け」
氷室の命令が速やかに復唱される。
「発令所、発射管室。一番から三番発射管、魚雷発射用意よし」
「針路248度、
すでに《うんりゅう》の発射管には89式魚雷が装填されていた。目標のロメオ級潜水艦のデータが入力され、水深に合わせて調定され、発射を待っている。
「距離三一〇〇。命中まで100秒」
「一番から三番、発射」
「一番から三番、発射」
「セット、シュート。ファイア」
魚雷発射管から圧縮空気によって89式魚雷が打ち出され、89式魚雷は自身の推進機関によって推進を開始する。魚雷はワイヤーによって有線誘導され、目標に五十五ノット以上の雷速で海中を疾走した。
「一番から三番、魚雷出た。魚雷正常航走」
「命中まで90(秒)」
乗員達は固唾を呑んで命中を待った。ロメオ級が反撃してくる可能性は低いが、すでに対抗手段も準備されている。
「一番から三番、パッシブで目標捕捉」
どの魚雷も魚雷自体のパッシブソナーで目標を捕捉していた。有線誘導を切ることも可能だったが、氷室は有線誘導を継続した。
松浦が発令所のスピーカーにソーナーの音を流す。海中を疾走する三発の魚雷の不気味な音が発令所に流れる。
「命中まで五秒。……三、二、一」
一瞬遅れて爆発音が《うんりゅう》に届いた。爆発音と共に不吉な金属が潰れていく音が続く。
「水中爆発音及び艦体破壊音を確認。魚雷命中しました」
発令所の乗員達は歓声も上げることなく、ソーナーの音に耳を傾けていた。ロメオ級三隻の計百五十名近い潜水艦乗員達の命が、日本海に散った音は何時までも発令所のスピーカーに響き続けていた。
勝利の実感とは乏しい、空虚な空気が残った。
北朝鮮に潜入して一週間が経った。今日もこのPBから、MSRの監視と斥候による周辺の偵察が続けられている。本来のPBは二十四時間以上の滞在は出来ないが、任務の特性上警戒の度を上げて対応している。
那智はバディである山城1曹の姿を探した。山城もちょうど起き出してきて、目を擦りながら体を伸ばしていた。
那智は山城とハンドサインでやり取りをした。山城が頷くと、那智は背嚢から布を取り出して広げ、小銃をその布の上に横たえた。
山城は周囲を警戒しながら顔のドーランを塗り直し、食事をとっていた。
小銃を銃尾機関部から素早く分解し、バラバラにする。ミステリーランチのNICE6500バックパックの奥に入れていた武器手入れ具を取り出し、各部品をウェスで拭いて汚れを取り除く。雨に打たれたせいで、跳ねた泥が機関部を汚していた。小銃はダストカバーこそあるが、スライド部分が常に露出した状態になっている。
それらをふき取ると、専用のオイルで部品に施油する。最後に銃身に布のパッチを付けたワイヤーのような銃腔通しを通して整備を終えて組み立てる。
小銃自体は防錆加工がしっかりとされていて錆びていなかったが、乗せたスコープや
サイトを載せている架台を止めるネジが緩んでいないかマーキングを目視で見て軽く動かないか触る。ネジロック剤を使ってがっちり止めた89式小銃の架台は全く緩んでいなかった。そのことに安心する。もし緩んでずれでもしたら射撃時に精度を大きく損なう。
次に那智は弾倉を整備する。チェストリグに取り付けた八本の弾倉のうち、四本を取り出して布の上で5.56mm弾を取り出していく。すべて取り出して空にするとポリマー製の弾倉を軽く点検した。弾倉が変形していたり、バネが弱まっていれば給弾不良の原因になる。
今回の任務のためにすべて新品の弾倉を用意していたが、念には念を入れる。半分ずつ弾倉を手入れするのは、何かあった時に対応するための弾倉を残しておくためだ。
すべての弾倉の手入れを終えると、那智は山城と代わり、警戒とドーランの塗り直し、食事をとる。
朝食は、ビスケットバーと乾燥ゼリーだ。インスタントコーヒーと共にチーズの味付けがされたビスケットバーを齧る。味は数種類あったが、この食感には飽きてきた。食事をとりながら周囲のベースラインに異状はないか気配を研ぎ澄ませる。
今日の乾燥ゼリーは羊羹のようなものだった。餡子が入っていて、味はそれなりに良いがバリエーションが多いわけではないため、飽きてしまう。食事をとり、コーヒーを飲み干してもまだ山城は弾倉の手入れをしていたので、那智は周囲に目を慣らすことに専念した。
ようやく山城も整備を終え、二人は本部の集まっているPBの中心に向かった。
ポンチョや偽装網で偽装された本部には無線が置かれて常時傍受態勢を取っていた。近藤が地図を元に土を盛って作った砂盤と呼ばれるジオラマがあり、監視哨の置かれた位置や斥候が見てきた偵察結果が反映されていた。
剣崎は交替で先ほど眠りについたようで、近藤が起きて同じようにぬるいコーヒーをすすってエネルギーバーを齧っていた。
「変化事項は?」
山城1曹が尋ねた。
「車両の往来があった。今までとは少しコンディションが変わりつつあるようだ。日本で破壊工作も起きた。米軍の弾薬庫が破壊されたらしい」
「始まるんですね……」
「とっくに始まってる」
近藤は余ったコーヒーを大城に押し付けた。
那智達はPBの警戒を交替し、さらに二時間後警戒を交替すると、偵察斥候に向かうための準備を整えた。
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