第17話 混乱の序章
大韓民国 インチョン広域市中区 インチョン国際空港
黄海に面する永宗島と龍遊島の中間に位置する埋立造成地内に存在するインチョン国際空港に航空自衛隊のC-130H輸送機が降り立った。
国際貨物量で成田国際空港を抜いて世界一位となったインチョン空港は三七〇〇メートルを超える三つの滑走路を有し、今も多数の旅客機が離発着を続けており、その合間を縫うように日米韓の軍用機が時折離着陸している。
インチョンには
中央即応連隊の目的地派遣群とそれを支援する第1空挺団第3普通科大隊第7中隊の隊員達は、完全武装してインチョン空港に集まった邦人を警護していた。ここインチョンには軽装甲機動車四輛と中央即応連隊の誘導輸送隊の輸送防護車二輛が持ち込まれていた。最大の武器は84mm無反動砲で、誘導弾などの対戦車火器は無い。持ち込めた弾薬も多いとは言えなかった。
インチョン空港の周囲は、国外へ脱出しようとする外国人だけでなく、韓国人も押し寄せており、警察と軍が展開して規制を行っていた。サイレンが鳴り響き、喧噪がターミナルビル内にも聞こえてくる緊迫した状況だ。
空挺第7中隊の隊員達は、物々しいインチョン空港の空気に呑まれながらも、集まった邦人の誘導に当たっていた。
「
空挺第7中隊長の栗原1尉は、ターミナルビル内に設置されたECCで指揮を執っていた。空挺第7中隊は主に警備を担当しており、このターミナルビルと飛行場の間を警戒していた。
「そうですね。我々の任務はいかに彼らをサポートするかにあります」
先任陸曹の伊坂曹長が頷く。
ECCで説明を受けていた日本人たちが誘導隊の隊員達に誘導されて、エプロンへと向かった。手荷物は十キロ以下。盲導犬等を除くペットは連れて行けない。
今誘導されているのは日本人学校の関係者だ。女子供が優先されているが、集まった日本人達からは非難や抗議もなく、人々のほとんどは皆、パニックに陥る事なく冷静を保っていた。彼らの顔に不安の色は濃く残るも、決して狼狽える事はなかった。
先の災害に際しても目撃されたが、このような時の日本人の高い自制心と連帯は、しっかりと機能している事実を改めて知らされる。
ただし中には外務省による渡航規制の中、観光に訪れていたような観光客もおり、彼らは民間機への搭乗を要求する等、外務省職員や自衛隊員達の神経を逆撫でしていた。それに対応する大使館の職員らに栗原は思わず同情する。
エプロンでエンジンを回す青灰色の航空自衛隊のC-130H輸送機までの導線には、防弾の盾を持った完全武装の中央即応連隊の隊員達が立ち、輸送機の周囲にも陸自と空自の隊員達が小銃を持って警備している。
誘導隊の隊員に先導された日本人達が列を作って、彼らの間を抜けてC-130H輸送機に乗り込んでいく。日本人を乗せて後部のランプドアを閉じたC-130H輸送機はすぐさま離陸のために地上滑走路を開始した。
先ほど着陸したC-130H輸送機が、邦人を乗せたC-130Hのいた駐機スポットに進んで空自の隊員の誘導で停止する。その駐機スポットが数ある中で唯一日本に使用許可が下りた駐機スポットだった。
「第四便だ。急げ」
「了解。誘導します!」
「これより航空機に向かいます。説明された注意事項を厳守し、指示に従ってください!」
続いて待機していた日本人達が誘導隊と共にエプロンに向かう。
「次に着陸するのはC-2です」
連絡役の空自の隊員が告げる。空自の隊員達も作業服の上に鉄帽を被り、防弾チョッキを身に付けていた。
「了解」
C-130もC-2も搭乗要領は変わらないが、搭乗できる人員の数が、C-130は92名、C-2は110名でわずかに違う。同行する自衛官や外務省等の職員もいるが、可能な限り邦人を乗せる必要があった。
しかしその時、ヘリパッドに韓国軍のヘリコプターが着陸し、韓国軍の軍用車輛が飛行場内に集結し始めた。兵士達が車輛を降りて周囲に散っていく。
「あれは?」
「分かりません。
伊坂はその場を飛び出していった。すでに到着していたC-130輸送機へ向かおうとしていた邦人達は、エプロンからターミナルビルへと追い返された。
「どういうことですか?」
やってきた韓国軍のLOは栗原に緊迫した表情で説明した。
「DMZで、北朝鮮軍の侵攻の兆候があります。よって只今から、韓国内のすべての空港と港は、反撃基地として優先使用することとなりました」
続けて、邦人の輸送に協力はするが、いつの離陸になるかは後から伝える、と言うだけだった。
「まずいことになった」
栗原は直ちに中央即応連隊の目的地派遣群の指揮官である高橋1佐と話し合った。
「このままではここで足止めを食らう」
「米軍は?」
同じターミナルビル内で韓国軍のLOが米軍の士官に同じ内容を伝えていたが、米軍の士官は激しい口調で抗議している。
「C-2は上空待機しているのか?」
「はい、着陸許可が下りません」
空自の連絡幹部の顔にも焦りの表情があった。その間にもエプロンには韓国軍が次々に展開していた。
「大使館に連絡しろ」
すでに空港には千人近い日本人がおり、
だが、事態は最悪の状況へと転がっていく。
現地時間1005時。邦人が集まった各空港や港でほぼ同時に、銃声が鳴り響いたのだ。
即座に小銃を構えて警戒態勢を取った自衛官達は、その光景を見て驚愕した。
韓国国旗を戦闘服に貼り付けた複数の韓国軍兵士が、味方のはずの兵士達に向けて自動小銃を乱射している。その人数は一人や二人ではなく、数十名だった。続く爆音でターミナルビル内に悲鳴が上がった。滑走路をタキシングしていた韓国軍の輸送機がオレンジの炎を上げて爆発したのだ。
その頃、北朝鮮警報室はさらなる緊急通報をチョンワデに送っていた。
「韓国軍の軍服や警察官の制服で偽装した偵察総局隷下の、少人数で編成された特殊戦部隊がソウル市内へ密かに浸透し、韓国の要人の暗殺や誘拐、重要防護施設や市街地に対するゲリラ作戦を開始した模様」
一度動き始めた北朝鮮軍の行動は迅速だった。さらに国境の地下に掘られた南侵トンネルから潜入した北朝鮮軍特殊部隊が浸透を開始。オサン空軍基地が襲撃を受け、韓国軍と在韓米軍の前線基地が壊滅。さらにDMZ沿いの野戦火砲部隊の射撃が開始され、ソウルに砲弾が降り注ぐ。ソウルは大混乱に陥った。
『たった今入ったニュースによりますと、本日十時過ぎ、韓国と北朝鮮国境付近で大規模な戦闘が起こった模様です。韓国軍の基地などが攻撃を受け、多数の被害が発生しています』
『ソウル市内には爆発音が鳴り響いています。これは南北非武装地帯沿いの北朝鮮軍火砲陣地からの砲撃と見られ、市民に多数の死傷者が出ています。現在ソウルはまさしく戦場となっています』
テレビは朝鮮半島の有事に関する速報で埋め尽くされていた。SNS等のインターネットを通じて韓国の惨状は瞬く間に世界中に広まっており、政府の関係機関には在韓邦人の安否を問い合わせる電話が殺到し、一部の学校は臨時休校となった。
全国の自衛隊の基地や駐屯地も厳戒態勢に移行。休暇中の隊員も全員非常呼集を受けて呼び戻され、全部隊で訓練が中止された。また即応予備自衛官には出頭に備えるよう連絡が始まる。
多くの日本人達がテレビやスマートフォンにくぎ付けになっていたが、都民の生活はほとんど平常通りだった。彼らの関心はなによりも韓国国内にいる日本人の安否だった。
『現在韓国国内には三万人弱の日本人が滞在しており、朝鮮半島情勢の悪化に伴い、在外邦人等の保護措置のため、自衛隊による輸送が行われていましたが、日本人や自衛隊が戦闘に巻き込まれたとの情報は未だに入っていません』
自衛隊による在外邦人等保護は、不幸にも間に合わず、さらには自衛隊が韓国国内で戦闘に巻き込まれる可能性を孕んだ最悪な事態となっていた。
官房長官はすぐさま記者会見を開き、政府の対応について説明した。
「このたびの北朝鮮による韓国への侵攻は、国際平和を脅かし、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態であり、政府は、我が国と密接な関係にある韓国に対する武力攻撃、及び我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命と財産に明白な危険がある事態と受け止め、我が国を防衛するため必要があると認め、自衛隊に対し防衛出動を命令しました」
官房長官のその言葉に、記者達は文字通り、熱狂した。
「自衛隊を韓国に派遣するのですか!」
「日本人の安否は確認できているんですか!」
殺到する質問に、山岸官房長官は一つ一つ慎重に答えた。
「現在、邦人等保護のために派遣されている自衛隊の部隊に関しては、当初の任務の完遂を持って韓国国内から撤収させます。韓国政府、米国政府と協議を進めていますが、邦人等保護以外の自衛隊の派遣は検討していません。しかしながら、その他、弾道ミサイル攻撃に対する自衛隊の対応については、今後の自衛隊の活動に支障を来す可能性があるため、現段階では明らかにすることは出来ません」
「現在、外務省は現地大使館などと連絡をとり、在韓邦人の安全を確認中です。韓国政府とも情報を共有し、全力で対応に当たります」
記者会見の予定時間を過ぎても記者からの質問の嵐は止まることを知らず、官房長官は対応のために質問を打ち切って足早に記者会見室を後にした。
官邸内閣危機管理センターには武力攻撃事態及び存立危機事態が認定され、この事態に対処する事態対策本部が設置されており、対策本部長である総理大臣以下、
「与野党からの非難は必至です。法制上、自衛隊は直ちに撤収する必要があります」
そう言ったのは、長谷部法務大臣だった。
自衛隊法第84条の規定では、自衛隊の任務として在外邦人又は外国人の輸送を行うことができることを定めており、緊急事態が発生し外務大臣から防衛大臣に輸送の依頼があった場合に、輸送の安全について外務大臣と協議し、これが確保されていると認めるときは、邦人等の輸送を行うことができる、とされており、事実上、安全が確保されている平時の活動に限られていた。
「今はそんなことを議論している場合じゃないだろう。自衛隊だけじゃない。日本人も戦火に巻き込まれているんだ」
池谷副総理が唾を飛ばして怒鳴った。SNSで拡散されている画像や映像には、現地の日本人の様子もあった。空港で自衛官達が
「こうなってしまっては防衛出動の下、超法規的措置として自衛隊による救出を続行させるほか、ありません」
河本外務大臣は須藤を横目で一瞬窺いながら言った。その時、官邸内閣危機管理センター内にアナウンスが流れた。
『Jアラート発動。北朝鮮、トンチャンリ基地付近より弾道ミサイルが発射されたとの情報。現在、自衛隊が情報収集及び迎撃対応中』
「ここは大丈夫なのか」
長谷部が誰にとも言わず呟いた。
「対策本部を、防衛省に移した方がいいんじゃないか」
市ヶ谷の防衛省地下には自衛隊中央指揮所が存在する。シェルターとしての機能を持っており、被災により官邸が機能を喪失した場合は、この中央指揮所に事態対策本部が設置され、関係各所への指揮に使用される。
「国民に政府が自衛隊を信頼していないと思われたくない」
高嶋の言葉に大臣達は閉口した。常時破壊措置命令により、海空自衛隊は迎撃態勢を維持しており、朝鮮戦争が再開した今、北朝鮮の弾道ミサイルは日本に着弾するかに関わらず、すべて破壊することが決定され、すでに命令が下されている。
「先ほど、発射が確認された弾道ミサイルですが、数については二発と思われます。ほぼ同時発射だった模様です。現在、落下が予想される地域にJアラート警報を発動しています」
須藤が言った。その須藤に防衛大臣政務官がメモを渡す。
「訂正します。先ほど発射された弾道ミサイルの数は二。海上自衛隊のイージス艦が迎撃を行い、二発を撃墜した模様です。Jアラートについては解除される見込みです」
「おお……」
大臣達からもどよめきが上がる。
「米軍がすでに北朝鮮を攻撃しているんじゃなかったのか」
「米軍が行ったファーストストライクで、北朝鮮の主要な発射場や飛行場、その他軍事施設はほぼ壊滅しています。恐らく発射されたのは移動式発射車両によるものと思われます」
日本海に展開する空母打撃群とグアムを離陸した爆撃機、嘉手納から飛び立った戦闘機が北朝鮮に対する反撃を開戦から一時間以内に実施していた。三時間に及ぶ爆撃で、米国本土に脅威となるICBMの発射場等は壊滅している。
しかし未だに韓国本土にはスカッドなどの短距離弾道ミサイルが打ち込まれており、現在も米軍による掃討作戦が行われていた。
「北朝鮮国内で実行されている作戦の進捗状況を報告します」
スクリーンは悲惨な韓国国内の画像やニュース映像から無機質な朝鮮半島の電子地図に変わった。
「弾道ミサイル捜索破壊及び拉致被害者救出作戦を1013時に開始しました。主要なミサイル発射基地に関しては米軍の巡航ミサイル及び航空攻撃で1200時までにすべて破壊。また米軍を含めた捜索部隊が発見した移動式発射車両五機も航空攻撃で破壊されています。しかしながら移動式発射車両は他にも約五十機あると見積もられており、依然捜索中です」
米国は北朝鮮が南侵を開始すると、海上封鎖を行っていた第七艦隊の空母打撃群に対し、即座に攻撃命令を下していた。水上艦からの巡航ミサイル攻撃と空母航空団の戦闘攻撃機による航空攻撃等によってわずか二時間で主要なミサイル発射基地や航空基地は破壊されている。
「拉致被害者の救出は?」
「現在情報を集約中ですが、大きな問題は今のところ報告されていません」
「北朝鮮での作戦は今のところ、想定の範疇ということだな?」
「その通りです」須藤はそういうと新しい資料を開いて説明を続けた。
「
「武器使用許可?」
長谷部が聞き返した。
「部隊と邦人輸送の安全を確保するための必要最小限度の武器使用です」
「韓国国内で自衛隊が銃撃戦を繰り広げるというのか。無茶な……」
池谷が呻く。韓国国内で自衛隊が戦闘を繰り広げるなど、悪夢だ。戦闘になれば自衛隊も無傷では済まないだろう。死傷者が出ることは覚悟しなくてはならない。
「現地指揮官の判断を信じよう。邦人を救出できず、戦火の犠牲にしてしまえば拉致被害者を奪還できたとしても意味がない」
「韓国政府が渋らなければとっくに救出は出来ていたんだ。今韓国政府は何をやっているんだ!」
「今韓国政府を批判したところで意味はない!超法規的措置となる自衛隊による邦人等保護の安全の確保を最優先するべきだ。諸外国の協力を仰げ」
高嶋は大臣達を一喝した。外務省や防衛省の官僚達が議論する中、次々に情報が入ってくる。
「オーストラリア軍が自国民保護のため、韓国入りするとの情報があります」
「イギリスが軍の派遣を検討中です。日本に前進基地となる空港の提供を要請しています」
「フランスが海軍艦艇の派遣を決定。強襲揚陸艦を含む艦隊を太平洋に派遣します」
高嶋は再び表示されたニュースの映像を見つめた。ソウル市内だけでなく、韓国の各都市で黒煙の柱が立ち昇っている。あの戦火の中に助けを待つ日本人たちがいることを思うと、高嶋は胸を締め付けられる思いだった。
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