第36話 南侵
新宿区市ヶ谷、日本国防衛省市ヶ谷庁舎A棟地下、自衛隊中央指揮所
中央指揮所には陸海空自衛隊C4Iシステムと連接した中央指揮システムが設置されている。この中央指揮システムを通して防衛大臣や自衛隊の最高司令官たる内閣総理大臣は戦況の全般を掌握することになっていた。
最高司令官としての責任を自分は取れるのだろうかと高嶋は陸海空自衛隊の幕僚達からの説明を聞きながら思った。韓国に派遣された
災害で発生した死傷者なら別の受け止め方になるのだろう。だが、この被害は人が為した行為によるものであり、自分が防ぎきれなかった被害であり、自分の命令を受けた者達が流した血であった。
「総理、新たな情報です」
「聞こう」良いニュースではないのだろうな。高嶋は半ば諦め交じりになっていた。
「北朝鮮と中国の国境で動きがあります。国境に集結していた中国人民解放軍の地上部隊に南侵の兆候が確認されました」
高嶋は目を剥いた。
「なんだって」
驚いたのは自衛隊の幕僚も同じようだった。
「一時間前の情報収集衛星による中国遼寧省丹東市の航空写真を表示いたします」
表示された写真に最初何が映っているのか高嶋は分からなかった。広い畑のような広場に無数の黒い影が整然と並んでいる。すぐに画像が拡大された。
黒い影はすべて車輛だった。思わず唸るような数だ。その一部が動き出していた。動き出した影の一部が進む方向の画像に切り替わる。
車列の進む先は幹線道路で、道路上には交通整理の人影もあり、大規模な車列がすでに形成され、画面の下に向かって進んでいる。
「集結しているのは北部戦区軍の第39集団軍です。これは快速反応集団軍とかつて呼ばれ、高い作戦能力を有する三個師団と四個旅団編成で、一九五〇年朝鮮戦争へ投入された部隊でもあります」
「車列の向かう方向には中朝友誼橋が存在します。中朝国境の鴨緑江を渡河し、南侵すれば米韓軍との衝突は必至です。中国は半島の親中勢力を擁立して米国との緩衝帯と自国の権益を確保する動きを見せています」
防衛省サイドの説明を受け、高嶋は閣僚達に向き直った。
「このことを中国政府は公表しているのか?」
「非公式なものを含め、発表はありません。しかし中国共産党機関紙、人民日報はすでに米国と日本の介入を批難する論調で書き立てております」
河本外務大臣の発言と共に防衛省サイドがスクリーンに人民日報の記事を表示する。
「国連を通じ、中国に自制を呼びかけると共に日米及び国際社会からの圧力を強め、中国を封じなくてはなりません」
河本が続ける間に人民日報の画面に翻訳が入った。「日本が朝鮮戦争に軍事介入」「米日軍が半島を空爆」と言った見出しに続き、外務省の報道官の声明をまとめた日本の記事も表示された。
「我々は一貫して国際関係における武力行使に反対し、各国の主権、独立、領土を尊重するよう主張している」との声明を発表。「国連安保理を開かずに取る単独軍事行動は国連憲章の趣旨に一致せず、国際法の原則にも違反し、朝鮮半島問題の解決に新たに複雑な要素を加える」と非難している。
「そう言って南侵するのか。凄い国だな」
思わず高嶋は唸ってしまった。
「とにかく中国の南侵だけは阻止しなくてはならない。この戦争の終着点を見失うことになる」
池谷副総理の言葉に閣僚達も頷いた。
日本政府は北朝鮮による日本への直接的脅威と半島内の邦人の安全を確保することを目標としている。その後も韓国の治安の安定までは在日米軍と共同で事態対処とその支援に当たることを米大統領との電話会談で確認していたが、中国が介入すれば事態はより複雑になることは間違いない。
「韓国軍内部でもクーデターが起きているとの情報が入っています」
内閣官房
「反乱部隊の規模や所属は不明ですが、ソウル市内に展開中の一部部隊が韓国首脳部及び米韓連合司令部が存在する龍山基地を攻撃。現在、情報を収集中ですが、龍山基地への攻撃は撃退されたとのことです」
「なぜ戦時中に韓国軍がクーデターを?正気とは思えない」
「北朝鮮による日米間三国協調の妨害工作によるものである可能性は否定できません。前線の韓国軍が混乱しており、このままではソウルに北朝鮮軍が押し寄せる可能性も」
「中国に介入する隙を与えかねないな……」
「米軍も一部在韓米軍部隊を在日米軍基地へと移動させる動きを見せています」
戦争はカオスだ。高嶋は事態収拾の目途の立たない現状に恐怖を覚えた。一体いつまでこれは続くのだ。
「韓国軍部内では対北朝鮮よりも対日本を念頭とした軍備の整備を進めようとしていた者も少なくありません。韓国軍の原子力潜水艦調達の検討という報道もありましたが、あれは対北への備えというよりは統一後の核資産を運用し、日本へ対抗する手段の一つである可能性も否定できませんでした」
ここ数ヶ月、北朝鮮に対する備えは出来ている、邦人避難に必要な自衛隊の入国は拒否する、と言い続けた韓国政府を相手にしてきた河本は心底うんざりしているようだ。
「宿敵日本を見据えて肝心な北への備えが疎かになった上、今さら北と手を組もうとする連中も現れて混乱しとるわけか?」
池谷の声は心底呆れたものだった。
「今さらそんな話をしても仕方がありません。防衛省は中国の南侵に備え、米軍と協議を進めたいと思います。また、米国主導の有志連合軍としてオーストラリア軍、イギリス軍の部隊が間もなく日本の岩国、嘉手納、三沢基地等に到着します。このことを会見で盛り込み、中国の牽制材料として使いましょう」
須藤防衛大臣の主張に河本は頷いた。
「私はこの後、ロシアの外相との電話会談を行うため、失礼します」
河本がそう言って会議室を退室する。
閣僚や防衛省、外務省、そして警察庁や警視庁等の各省庁機関の職員らはこの事態が始まってからその収集のために昼夜を問わず奔走していた。事態が長期化すれば現場だけでなく、司令塔の人間達も疲弊するだろう。
しかし未だに光明は見えない。朝鮮半島の戦争の行く末はさらに複雑になろうとしていた。
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