9話 潜入

日本海上 潜水艦《ずいりゅう》



 そうりゅう型潜水艦《ずいりゅう》は、深夜、闇夜に包まれた日本海上に浮上し、二十キロほど離れた位置を遊弋するおおすみ型輸送艦《しもきた》から発艦したMCH-101掃海・輸送ヘリから新たな搭載品を受け取っていた。

《ずいりゅう》の艦橋セイル後方の甲板ドライデッキでホバリングするMCH-101の着陸灯が、激しいダウンウォッシュで舞い上がった水飛沫を照らし出し、ドライデッキは真っ白になっていた。そのドライデッキには今、本来《ずいりゅう》の装備品ではない特殊なドライデッキ・シェルターが特別に装備されていた。海上自衛隊特殊部隊の特別警備隊用に防衛装備庁が日本独自に開発したドライデッキ・シェルターで、新たな搭載品とは、そのドライデッキ・シェルターの使用者だった。

 セイル後方の甲板にMCH-101の後部ランプドアからロープでリペリング降下した陸自の隊員達は、波に揺られ、ダウンウォッシュと水飛沫が叩き付ける甲板に危うげなく着地し、手際よく降ろされた装備を持って狭いハッチをくぐり、艦内に乗り込んでいく。


「日本版フォースリーコンか」


 それを監督するためにセイルに立った《ずいりゅう》副長の阿久津進也3等海佐は感慨深い思いで思わず声を漏らした。最後の隊員がリペリングで《ずいりゅう》の甲板に降り立つと、ロープを確保していた隊員達がそれを離し、MCH-101はロープを巻き上げながら暗闇の中に飛び去って行った。


「搭載作業を完了した。直ちに潜航する。潜航用意」


 乗員達の復唱が聞こえてくる。阿久津はセイルのハッチを潜って昇降筒を降り、発令所に立った。


「潜航準備よし」


 哨戒長がレインコートを脱いで制帽の水気を払う阿久津に向かって報告する。阿久津はその言葉に小さく頷いた。


「潜航。ベント開け、潜舵下げ舵十度。深度七〇へ」


「潜航。ベント開け。潜舵下げ舵十度。深度七〇」


 阿久津の指示が復唱され、《ずいりゅう》は潜航を開始した。艦長の新田2佐は阿久津の指揮を監督している。その発令所に搭載作業を支援していた海曹に案内されてツナギの作業着のようなODのフライトスーツを着た若い男が入ってきた。長身で、いかにも潜水艦の艦内は窮屈そうだ。


「水陸機動団偵察分遣隊、剣崎辰巳1尉です。今回はお世話になります」


 水飛沫で濡れた戦闘用ヘルメットを脇に抱えた男が頭を下げた。頭髪も短く切りそろえられ、切れ長の鋭い目は隙が無く、精悍に引き締まった顔立ちに不敵な微笑みを浮かべていた。


「艦長の新田2佐だ」


「副長の阿久津です。貴方達を歓迎します」


 新田と握手をした後に阿久津も剣崎と握手する。なるほど自信があるわけだと手を握っただけで分かった。

《ずいりゅう》の艦内にはあまり余裕がないが、今回の特殊作戦のために魚雷の搭載数を減らしてまで、偵察分遣隊の隊員十六名が乗り込む容積を確保していた。乗員達のベッドも彼らに貸し出すため、正直歓迎できない状態にある。だが、それを彼らに言っても仕方がない。お互い同じ宮仕えの立場だ。


「北朝鮮まで一日半の航程です。ベッドを可能な限り開けてあります。体を休めてください」


「お心遣いに感謝します」


 乗員達は好奇の目を偵察分遣隊の隊員達に向けていた。機密保持のため、乗員達には会話は必要最小限にとどめるよう注意喚起されているが、普段接することのない陸自の精鋭達への興味は尽きない。


「副長、彼らに艦内を案内してやってくれ」


「了解しました。艦長が指揮を執る」


「艦長が指揮を執る」


 復唱が行き届き、指揮権が艦長に移行されると阿久津は、剣崎達を案内するために発令所を出た。剣崎ともう一人、副官の近藤2尉を伴って艦内の使用する場所を案内した。先任海曹達が運び込まれた装備品を置く場所を陸曹達に案内していた。艦内の通路はさらに狭くなっている。

 阿久津は短い間、偵察分遣隊の隊員達が生活するための居住区と装備品の置き場、装備品を展開して準備する場所、入ってはならない場所を案内したあと、士官室で説明を行った。


「本艦は北朝鮮の哨戒網を突破し、目標である上陸地点まで接近します。潜望鏡での偵察を実施し、作戦実行に支障が無ければ予定通り、ドライデッキ・シェルターを使用して水中に貴方達を投入します」


「分かりました」


「本艦は非常に狭く、ご不便をかけることになると思いますが、ご容赦ください」


「いえ。こちらこそご迷惑をおかけしますが、宜しくお願い致します」


 陸自の特殊部隊の隊員だというからもっと荒くれ者かと思っていたが、意外と礼儀正しい理性的な隊員だった。


「それと女性隊員も乗り込んでいます。一応、その配慮もお願いします」


「女性隊員が?初耳ですね」


 これから北朝鮮に潜入する部隊に女性隊員が含まれていること自体驚きだった。


「機密保持のため、開示できる情報が限られていましたので」


 近藤2尉が申し訳なさそうに言う。


「分かりました。その隊員については艦長室を使用させてください」


「よろしいのですか?」


 驚いたように剣崎が聞き返してくる。


「はい。個室は艦長室だけです」


「自分がこういう事を言うのもあれですが、女性隊員とはいえ、彼女も荷物扱いには慣れています」


 近藤の言葉に阿久津は苦笑した。


「正直、乗員達には負担を強いています。艦長や自分のような幹部達が同じように負担を共有するのは当然ですよ。潜水艦の乗員は団結と結束が重要ですから」


「分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」


 剣崎が頭を下げると近藤も慌てて頭を下げた。

 潜水艦の艦内に余裕はない。剣崎達偵察分遣隊の隊長クラスの隊員達も、狭いベッドに押し込められる。

 隊員達は皆、迷彩服ではなく、難燃素材ノーメックスで出来たフライトスーツを着ていた。澱んだ空気の潜水艦の艦内で、様々な匂いがつくことを彼らは嫌っていて、現地で使用する戦闘服は着ないよう、艦内着と分けているらしい。食事も、体臭を気にして肉よりも野菜中心の食事をとっていて、植物性のプロテインやエネルギーバーで補っている。その徹底ぶりに乗員達は最初こそ好奇の目線を向けていたが、やがてそれは尊敬の眼差しに変わっていった。

 女性隊員である野中2曹もそれは同じだった。男しか乗ることの出来ない潜水艦の中で、彼女は明らかに異質な存在だった。しかし陸自でも男所帯の中で過ごしていることで、まったく気にならないらしい。逞しい女性だった。

 阿久津は彼らのために絶対に北朝鮮の哨戒網に発見されないことに努めた。もっとも北朝鮮の哨戒網はあって無いようなものだ。北朝鮮への潜入は容易だった。

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