3話 会議室の帳
名護駐屯地 水陸機動団本部新庁舎作戦室
作戦室の机で業務用パソコンに向かっていた剣崎1尉は顔を上げて左腕のプロトレックをちらりと見やった。終業時間どころか、すでに二三時を回っていてとっくに消灯時間だったがまだ多くの隊員達が作戦室に残っていて作業に追われていた。
水陸機動団は相浦駐屯地に本拠を置くが、この名護駐屯地ことキャンプ・シュワブに一部部隊を移転する予定でこの新庁舎が整備されていた。それが今回の作戦に役立った。
主に海上機動団偵察中隊から選抜された隊員達で編成された偵察分遣隊の存在は秘匿されていた。この作戦が外部に漏れた場合、敵に対抗手段を講じられる前に政治的に作戦の遂行が困難となる。それだけは絶対に回避しなくてはならなかった。
その為、入念に参加部隊には消毒を施す必要がある。
ここでの消毒とはアイソレーション、つまり部隊の痕跡や動向、更には情報の漏洩を秘匿する作業を指す。作戦に参加する隊員達は一般の隊員達からも隔離され、外部との接触や連絡も制限されるのだ。
こうした消毒の手順は、本来特殊部隊の通常作戦手順だ。この作戦の詳細を知るのは限られたほんの一部の隊員達だけであり、一般部隊には完全に秘匿されている。同じ偵察隊の隊員の中でも何かが行われている事を肌で感じている者もいたが、誰もが表立ってそれを口にすることは無かった。
秘密を守るためには秘密に関わる人間を少なくすることが最も有効だが、そのおかげで隊務に関わる人間も少なくなり、一人当たりの仕事が増えている。
そうでなくてもただでさえ自衛隊初の任務だ。指揮官、幕僚達の仕事量は平時の倍では済まない。情報収集や様々な調整、計画立案。やるべきことは文字通り山のようにあった。
ホワイトボードには陸曹達が集めた情報を自分達で使うためにさらに分析、処理した内容が掲示され、今もそれが追加されている。陸曹達はそれぞれの特技等から各専門役職を付与されており、潜入に必要な地形や敵部隊に関する情報収集や分析、作戦間に必要な武器等の装備に関する見積もりを行う情報陸曹、作戦間に必要な装備品を見積もりを行う施設陸曹、作戦間の通信活動に必要な見積もりを行う通信陸曹、作戦間の衛生に関する見積もりを行う衛生陸曹等に大まかに分かれており、業務用パソコンに向かったり、専門ごとにディスカッションを行ったりしていた。
しかし普段の陸曹勤務ではあまり経験しない幕僚活動で陸曹達の顔には早くも疲労の色が浮かんでいる。剣崎は作戦室を見渡して立ち上がった。
「日付が変わる前に休め」
睡眠不足は全てにおいて敵だ。明日も訓練の合間に幕僚業務を続けなければならなかった。剣崎の言葉でようやく陸曹達も席を立って会議室を出始めた。小隊陸曹を務める高野曹長がそれぞれの進捗具合を掌握してホワイトボードに書き出していた。
高野がそれを報告に来る。
「進捗は芳しくないな」
「無理もないですよ。日本国外への長期潜入。自衛隊未踏の地で敵の配置も分からないんです」
「だが、やり遂げなければならない」
「ええ。この仕事に関して皆、士気は高いですよ」
「あとは総隊の
要求した情報がレスポンスよく届かないのも作業を遅れさせている原因のひとつだった。しかし陸上総隊も他にも多数の臨時編成された部隊から似たような情報要求が殺到しているであろうことは剣崎にも想像できるため、その幕僚たちにわずかに同情する気持ちはあった。
高野と分かれ、剣崎も自分の居住場所となっている隊舎に向かう途中で自販機に寄るとそこに空挺戦闘服姿の精悍な顔つきの男が歩み寄って来た。陸上自衛隊唯一の空挺部隊である第一空挺団の第三普通科大隊第7中隊に所属する栗原智也1等陸尉だった。
「今日はもう終わりですか?」
「ああ。徹夜は体に悪い。そっちも今終わった所か?」
「そんな所です」
剣崎と栗原は空挺レンジャー課程同期だった。第一空挺団も水陸機動団同様、部隊を抽出して
「準備は順調ですか」
「まだ始まったばかりだ。史上初、想定外が多過ぎて全く先に進まない」
「こっちもですよ。RJNOのノウハウなんて空挺には無いに等しいですからね」
「課題でいっぱいですよ。自国の領内を日本の軍隊が走り回るなんて韓国軍が認めないでしょうし、空路による脱出も戦闘が始まれば困難です。制約だらけの中で三万人から六万人もの邦人を避難させなければならない。あらゆる想定の訓練が必要です」
栗原はそうしたケース別の訓練を行い、不測事態に備えなくてはならないのだ。
「しかも今になって無線機や新型の暗視装置だとか付属品が更新されたりで、面倒事ばかりです」
栗原は溜息交じりに愚痴を言う。
「個人装備はこうやって危機感が高まって必要性が上がらないとなかなか更新されないからな」
「若い奴らは喜んでますが、自分みたいなアナログ人間には結構面倒なんですよ」
隊舎を出るとまだ演習場の方からはヘリが飛び回っている音が聞こえてきた。エンジン音の特徴からCH-47輸送ヘリだと剣崎は判断する。
「デジタル面に頼り切らない栗原のような指揮官が今の時代には少なからず必要だ」
「なるほど」
そんな話をする中、目の前の駐屯地内の道路を二輛の
「夜間訓練か。……空挺だな、あのLAVは」
軽装甲機動車の屋根に取り付けられた防盾には軽機関銃が据えられ、それを構える隊員のヘルメットには双眼の暗視装置が装備されていた。
「今訓練してるのは第2大隊です。
日本国内で起きる可能性のある北朝鮮工作員による破壊工作、テロを警戒して準備している部隊だ。何かあればヘリ等の航空機も使って二十時間以内に日本全国に即応展開する。
「オスプレイも使って緊急展開するユニットか。ずいぶん入れ込んでるようだな」
「大隊長は演習で日本刀振り回して陣頭指揮する現代の侍です、気合が入ってますよ」
栗原が苦笑する。
「やれやれ……俺の居た時と大して変わらないな」
「伝統は受け継がれます」
元空挺隊員である剣崎は過去を懐かしんだ。第一空挺団は第一狂ってる団と揶揄される。部隊の標語は「精鋭無比」。危険な落下傘降下を行う空挺団に自ら志願して集まった若い隊員達で構成される空挺団は血気盛んで愛国心の高い隊員が当然多い。剣崎の所属していた頃も時代錯誤と思われるようなことが平気で行われていた。だが、だからこそ団結の固く士気の高い部隊であるともいえる。
空挺団に所属していた頃から剣崎は、日本を守るため、海に囲まれ、多数の島嶼部を抱える日本の国防環境に適応した戦える専門部隊を作る野望を持ち、水陸機動団創設に関わって来た。今、その中でも選抜された精鋭を持って特別な任務のための部隊を臨時編成する中、剣崎は部隊の能力を最大限に発揮することを考えていた。基本と初心に立ち返って部隊を訓練しなくてはならない。
伝統の無い部隊にはその部隊の気風が必要だった。
「伝統か……」
剣崎は思わず独り言ちた。自分が思い描く部隊の屋台骨が今出来上がろうとしている所だ。剣崎は偵察分遣隊を今回の任務だけの臨時編成で終わらせる気は無かった。
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