4 麻布霞町/シナリオ研究所

4 麻布霞町/シナリオ研究所


「いまでも、鹿沼に住んでいらっしゃるのね」

 現実のわたしは何か話していたらしい。

「単身……残留ってやつですよ」

 時子が? 説明をもとめるように首をかしげた。

「子どもは都会で生活させたいので……」


 あの頃、麻布霞町にあったシナリオ研究所に通っていた。時子は青山一丁目の外苑寄りに稽古場のあったM劇団の研究生だった。研究生同志は、卵と卵はある朝、外苑を散歩していて知りあったのだった。神宮の森を吹き過ぎていく風に時子の長い黒髪がたなびいていた。風に色や匂いをかぎとることのできる年頃だった。風だけではない。樹木も芝生も古びたベンチすら輝いていた。

「ぼくはこの朝の出会いのことをいつまでも忘れない」

 若さから夢中で、そんなきざなことを彼女に言った。時子はなんと応えたか。……それからのふたりは毎朝のように、はじめて会話を交わしたベンチで会った。華麗な絨毯を織あげるように、言葉を紡いでは糸として交差させ、過ぎいく時をせきとめようとしていた。

「ぼくの戯曲で、時子ちゃんが主演で……」と臆面もなく話しは絢爛豪華に飛翔していくのだった。愛などという言葉は必要としないほどふたりは理解しあっていた。すくなくとも、わたしはそう信じていた。

 

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