第十六話 皇紀2675の花の下にていま死なん。
皇紀2675の花の下にていま死なん。
平成27年の春だ。
戦後70年経っている。
その記念行事がいろいろとある。
年老いたものたちは、戦争中に使われていた、「ことしは紀元2600年」という標語をいまも忘れてはいない。
神国であり鬼畜米英には負けるはずがない。
必ず神風が吹くと、国民学校の先生が教壇で教えてくれた。
ことしは皇紀2675年にあたるようだ。
新鹿沼駅で降りた。
御殿山公園まで花見に東京からやってきた。
小高い丘の上にある公園だ。
新垣結衣の「フレフレ少女」のロケで有名になった野球場が丘の上にある。
この坂道を上るのが、老人にとっては健康を計るバロメーターだ。
昨年よりは息切れがする。
ウグイスの鳴き声を聞きながら坂の途中で一休み。
いつもの桜の幹に壁ドンみたいな恰好で体を寄せる。
だいぶ息切れがひどい。
「GGになっちまったよ、道子ちゃん」
と桜の古木に話しかける。
――この桜はわたしが縁故疎開から東京に戻る時に植えたものだ。
隣の道子ちゃんと2人で植えた。
「こんなところに植えてしかられないかな」
「記念樹だから。わたしとトオルの2人の思い出になるから」
坂道はまだ舗装されていなかった。
道幅もいまの半分もなかった。
路肩を焼夷弾の筒の鉄板でつくったシャベルで掘った。
「もう会えないの」
「会いに来るよ。ぜったいに会いに来るから」
「きっとよ。待ってる」
幼い会話をいまでも再現できる。
「道子ちゃん。元気だった」
老人はごつごつした木の幹に話しかけた。
根元がすっかり腐朽していた。
樹勢も衰退していた。
内側が空洞になっているからなのだろうか。
声をかけると幹の穴から音がもれでてくる。
それが道子ちゃんの声に聞こえるのだ。
「待ってるから。まってるから。マッテルカラ」
ごつごつした黒い瘤と空洞のある桜が全身で恨みの声、泣き声をあげている。
「もう少し待ってて、書き終わったら行くから。会いに行くから。まだ、道子ちゃんとぼくとのこと書いていないんだ。いちばん書きたいことを、さいごまで、残しといた。能なしだから、なかなか書きだせないでいるよ。傑作にしたいと欲張ってる。だってぼくと道子ちゃんのこと書くのだもの、後の世まで残る傑作にしたいよ」
道子ちゃんと植えた記念樹に会いにくるようになって、5年になる。
来る年ごとに、坂を道を上るときの息切れはひどくなっている。
いまだに、道子ちゃんとの思い出は小説としてまとまらなかった。
「道子はよっぽどトオルちゃんのこと好きだったのだね。中学を卒業すると東京へでたのよ。東京に行けばトオルちゃんに会えるとおもっていたのね」
5年前にはじめて帰省したとき、道子の母は100歳でまだ生きていた。
「立川まではいったらしいんだ」
「曙町の家は戦災で焼けてしまって……深大寺のほうに越してしまっていたから」
「基地の赤線で働き、体も心もぼろぼろになって帰って来たんだ。トオルちゃんに合わせる顔がないって、毎日泣いていたよ。泣き疲れて死んじまった。まだ17だったよ」
わたしにトカせたかった、トイテもらいたいとねがっていた、帯をこの桜の枝にかけてその重みで満開の桜が散った。道子は花に埋もれて息絶えた。
純潔で結婚するという、貞操観念がのこっていた戦後間もなくのころだった。
桜の老木は花が散ったら伐採されることになっていた。
老人がその老木に寄りかかって、抱擁している姿勢で息絶えているのが発見された。
老人は幸せそうなあどけない笑顔をしていた。
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