第十話 なつかしい妻の白骨

 

 

                             

 佐伯啓介が妻とよく散策した黒川の河川敷――。鹿沼にもどったときに訪れる黒川の風景の中の点景人物に啓介は今もなっている。どうにか二足歩行は可能のようだ。変形性膝関節症の啓介には辛いことだが――。

 この黒川は日光山系から小来川に流れ、途中で行川(なめがわ)と合流して鹿沼まで到達する清流である。

「こんなにキレイな流れなのに、どうして黒い川というの」

「それは……」といったところで言葉をのみこんだ。

 妻が最初の子どもをミゴモッテいた。そのころは、元気だった両親に孫が生まれると報告がてら舞い戻った故郷――はじめての黒川河畔の遊歩道でのことだった。

日光男体山の開山にあたり、勝道上人が土着の北方民族との戦いに明け暮れ、その流した血は夜になると生臭く黒い流れとなった。と古文書が伝えている。赤い血の色が月明かりでは、黒く見えたのだろう。

 そうしたなまなましい血の歴史を語ることは、妊婦にはふさわしくない。――そうした配慮から言葉を紡ぐことを中断したのだった。

 あれからいくたび、この河畔の遊歩道を啓介は妻と散策したことだろう。

 遊歩道は流れぎりぎりのところに敷かれている。旧帝国繊維の工場群の辺りからはじまり貝島橋の辺りで途絶える。遊歩道の行く手が、バシッと切断されたように途切れてしまうのが、いかにもこの街の土木工事らしかった。ここまで歩いて来て人は、振りかえって真逆のほうこうに戻ってください、といわれているようだ。前に進むことはできない道なのだ。

 元来た方にもどらなければならない。せめて、土手に登る道でも作っておけばいいモノを――。来た道を戻るということは、たまらない。閉塞感にさいなまれる。

「アラツ。尺八の音色よ」

 川端柳の枝垂れが薄闇をつくっていた。その仄暗いささやかな広がりのなかから、ここにはいない妻の声をきいたような気がした。啓介のかたわらを歩いてるはずの妻がつぶやいた。低い妻の声よりも、なお、かすかな尺八の音色が嫋々と河川敷に流れていた。今まで、その音に気づかなかったのは、わたしが独り、もの想いにふけっていたからだろう……。

 川面には夕霧がながれていた。渇水期とあって流れはゆるやかだ。尺八のかすかな音色は川面にすいこまれていく。川音と尺八の音が融け合い幽玄な調べとなってきこえてくる。枯れ芒があるかなしかの風にゆらいでいる。夏の間は、たけだけしく繁茂していた芦や芒もすっかり凋落していた。

 遊歩道の縁が防波堤のように普通の縁よりも高くなっている。ちょうど、腰をおろすのにいい高さだ。そこに虚無僧が尺八を作法通りにかまえて吹き鳴らしていた。虚無僧の笠に柳の先がゆれていた。足を「く」の字に曲げた蹲踞の姿勢から女性と知れた。かたわらに、白い杖がこれもコンクートの縁にたてかけてあった。

「いまどき、本当に珍しいわね」

 妻はじぶんに声をかけているようだ。

「あなたが、さきに死んだら、四国巡礼の旅にでるわ。旅の途中で、行き倒れて死ぬのがわたしの美学よ」

 不吉なことをいうなとは啓介はそのときは、いえなかった。妻が健在だった頃、実際に彼女の声音できいた言葉と現在の幻聴が重なる。

「それとも、虚無僧になって奥の細道の旅に出ようかしら」

 啓介はなんとも返事ができなかった。

 

 妻の想いとは逆に、啓介がとりのこされている。傍らにいたはずの妻がいない。

たしかに、いままで妻の声がきこえていたのに。妻がいない。

 人は誰かの「支え」がないと生きていけない。「支え」を「愛」という言葉に置き換えてもいい。愛する者の励まし、愛する者のために作品を書きつづける意欲が継続する。愛する者に、認めてもらいたくて、それが愛の確証であると信じて精進する。その愛の支えを失ったのが、哀れな男がこのわたしだ。


「才能がなかったのよ」

 そうかも知れない。

「もうやめたら」

 妻からの残酷な言葉。

 啓介はなにも言葉をかえすことができなかった。


 もう、もとにはもどれない。

 もとの生活にはもどれない。

 

 誰かを愛しつづけるということは、誠実に愛しつづけるということは、むずかしいことなのかもしれなし。愛がこわれる。そんなことは、考えたこともなかった。


「もうやめたら」

「才能がなかったのよ」

 啓介は壁に花瓶をたたきつけた。花瓶は砕け散った。いや、壁ではない、妻の頭蓋骨を花瓶は粉砕した。


 物カキとしての意識ばかりが肥大していた。その意識は、なんの変哲もない日常のくりかえしといった現実に収まらなくなっていた。現実は卑小化して、文章を書きつらねる執念だけが肥大していた。普通の生活をするのは苦痛だった。

 ヒビがはいった。愛していた妻に裏切られた。亀裂がはしった。裂けた。ふたりの結び目が裂けた。その瞬間――。

「バカ」

 花瓶を投げた。花瓶は妻にむかって投げつけた。


 観念のオバケだ。コノわたしは――と啓介は思う。アタマデッカチだ。妻がいたから、辛うじてリアルな世界とツナガッテいたのだ。


「白骨を見ちまった。細い腕の骨だ。指はしっかりと柳の小枝をつかんでいた」

 河川敷に住むホームレスの男が仲間と大声で話していた。


 彼女は死んでいなかった。川に投げこまれ――あまりの冷たさに意識がもどった。死に物狂いで岸にはいあがろうとした。柳の枝をつかんだ。ああ、わたしはなんてことをしてしまつたのだ。

 

 遠くにいってしまったのに、今はきみをいつにもまして、身近に感じる。

妻を感じることは――できる。リアルに感じる。

 尺八の調べに誘われて、いまふり返ったなら、わたしはなにを見るだろうか。

虚無僧の姿は消えて、白い杖だけがポッンと石畳上に冬の斜陽をあびて在るだろう。

 ふいに、川の表層がもりあがる。波となって寄せてくる。

 波の牙が襲ってくる。「もういい。もういいからやめたら。小説をかくことなんか、やめたら」波が吠えている。

 波はわたしをのみこもうとする。波頭がもりあがっておしよせてくる。

 濃密な生きもモノの気配が、波には潜んでいた。

 波が吠えた。ズブヌレになって、波の牙に追われて、啓介はただひたすら逃げた。膝の痛みがあるのでギクシャクとした走行だ。波がなぜ怒りくるっているのか。わかり過ぎるほどよくわかる。波を避けて走りつづけた。

 まだ、死ぬには、早過ぎる。

 まだ、傑作と広言できるようなものは書いていない。

 もつと、ましな、小説を書きたい。

 いままで書いてきた小説はどれも気にくわない。

「もういいわよ。もう諦めて、書くの、やめたら」

 妻に宣告されたのはいつの日のことだったろうか。

「わたし待ちくたびれた」

 妻が嘆声をもらしたのはいつだったろう。

「才能がなかったのよ」

 妻のステ台詞。

 そんなことは、じぶんがいちばんよくしつている。悲しいことだが――。

 でも始めたことはやめられない。やめることはできない。

 書きつづけることで、わたしは生きている。書かなくなるといことは、死を意味する。書くことが生きることなのだ。

 川辺からは遠ざかったつもりだった。まだ遊歩道で、もたついていた。

 背後から襲いかかる波は、蘇芳色をしていた。血の色だ。牙を剥いて襲いかかる波。大波。小波。波に翻弄される。波頭が砕ける。白いはずの波。牙まで血の色をしている。弧を描きながら襲いかかってくる。

 波頭から飛び散る波しぶき。生臭い血の臭いまでする。

 まだ、まだ――、だ。

 まだ、もっとましな小説が書ける。

 まだ、生きぬいて、いい小説が書きたい。

 いい小説とは、どんな小説なのだ。

 川の霊体よ、わたしの脳の動きを読みとっているのなら、教えてくれ。

 怒涛となって、わたしをのみこむ前に教えてくれ。

 膝が痛む。もう先には進めない。教えてくれよ。

 わたしと妻の会話を読みとっている川よ。橋の上をいく車が見える。たえまなく行き来している。この風景の中で、いくたび未来を夢見て、会話をくりかえしたことだろう。教えてくれ。見せてくれ。

 妻の姿を――。

 啓介は川に話しかけていた。

 いつも、妻は、わたしのそばにいた。イットキモ、わたしたちは離れて暮らしたことはなかった。いま、妻はどこにいるのだ。

 わたしの手に白い杖が現れた。

 いや、これは骨だ。

 わたしは妻の骨を突いて、川の堤をのぼりだした。

 今になって、わたしは妻のあのときの言葉にちがった解釈をあたえている。あれは慈悲だった。あの言葉は、妻だからこそできるたったひとつのわたしへの贈り物だった。妻の愛情から紡ぎだされた慈悲の言葉だった――。カムバックを果たせないまま毎日苦吟するわたしをみかねての言葉だった。アセリと苦悩に苛まれて老いていくわたしに、平穏な日々をすごしてもらいたいと願う妻のこころからでた言葉だったのだ。わたしに、創作から離れて、なにも悩むことなぞない、日々を過ごさせたかった。二人で静かに老境を遊びたいという願いからの発声だった。

「才能がないのよ」あの言葉を、あのとき瞬時に軽蔑の言葉と思いこみ、あのたった一言で、半世紀以上になる二人の信頼関係、助けあって生きてきた愛情に満ちた生活を破壊してしまったのだ。

 たった一言で――わたしはブチ切れていた。

 おもわずもらした一言が、相手を深く傷つけてしまうことがある。

 言葉が鋭利な刃物となる。イチド、口にしてしまった言葉は、もとにもどすことはできない。打ち消すことはできないのだ。

「小説をかくことなんか、やめたら」

 暮れなずんでいた晩秋の日がようやく夜をむかえようとしている。

 夕映えが薄墨色にかわっていく。コウモリの群れが空をいっそう暗くしている。

 わたしは道端におちていた木の枝を杖とした。

 いや、杖ではない。これは妻の骨だ。

 どうやら、二足歩行はムリらしい。じぶんの足だけで歩くのは困難だ。

膝はさらに痛む。なぜ、わたしは、河川敷の遊歩道を散策するのだろうか。

川面に映るわたしの隣りに妻の姿を見ることができるからだ。

 今はいない妻のイメージして、その姿を川面にみることができるのだ。

 ここにくれば、妻は、今もわたしのそばにいる。

 妻は河川敷を見はるかす土手のベンチに座っている。わたしが土手を登りつめるのをまっている。ベンチに座った妻のワイドパンツの裾が風になびいている。

 裾のなかに足はあるのだろうか。

 まるで足のない幽霊のようだ。

 裾だけが風にハタメイテいる。

 妻は、わたしを励ますように、手をふっている。

 妻までの距離が遠い。

 わたしはついに堤の斜面を這い登りはじめた。

 妻の骨を杖として、妻に助けられながら、土手を這い登る。

 波を逃れて土手を上る。

 妻の白骨をついて。

 妻の白骨を杖として。

 土手を登る。


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