第八話 あたし青山の秋が好き、あなたは……。1めぐり会い
1 めぐり会い
地下鉄早稲田駅の階段を昇りつめる。
秋風の吹く街にでた。風には冷気が感じられた。高田馬場へ向かう道路が急な坂になる。そして屈折する。神楽坂方面から吹いてきた風は行き場を失う。一息まどろんでから、行き場のない風が、街に向かって開いた昇降口に吹きこんでくるのだ。その風を押し返すように、わたしは街にでたのだった。
構内からずっと、早足で来たので息切れがしていた。茅場町で乗り換える時、最後尾に乗った。早稲田でプラットホームを歩く距離を縮めるたである。そんなことに心をくだくようになった。……年のことを考えて、焦りやら悔恨に苛まれる。
深呼吸をして息を整えた。約束の時間には少し遅れていた。単身残留している、鹿沼から電車をなんども乗り継ぎ、息子の憲一のパレードをみるために上京してきたのだった。
鼓笛隊の吹き鳴らす『上を向いて歩こう』の音色が風に乗ってかすかに聞こえてきた。
街を行き交う乗用車や宣伝カーのせいいっぱいがなりたてる音量の洪水の中に、希望に満ちた明るいメロディが混流していた。
わたしはその音が、早稲田正門通りの方角からながれて来るのを再認識するように、階段の最上段から街に踏みだしたところで佇んだ。
憲一はトランペットを吹いているはずだった。トランペットを吹くのよ、と電話で不意に妻に言われても納得できなかった。子供は成長がはやい。変貌していく。憲一が頬をふくらませ、金色のトランペットの吸口に唇をあてて吹いている真剣な顔が目前に浮かぶ。
電柱の脇の鶴巻図書館という掲示板に珍しく赤蜻蛉がとまっていた。矢印は左。すっかり都会の生活とは縁遠くなったわたしは、矢印にしたがって歩き出そうとして、微笑を浮かべながら近寄ってくる小柄な婦人に気づいた。その微笑は明らかにわたしに向けられたものだった。周囲を見渡しても鶴巻町の方角に、つまりわたしの歩いていく方角に向かっている歩行者は、誰もいなかった。都会の歩道が稀有にも展開した人の流れの途絶。わたしは一瞬、妻の美佐子が迎えに来てくれたのかと誤認した。
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