2 明日香時子
2 明日香時子
季節外れの、水玉模様のワンピースを寒々と着た姿は、妻のものであるはずがなかった。婦人がはっと息をのむ気配が伝わってくるほど、わたしたちは接近していた。彼女の顔にはなつかしそうな微笑があいかわらず、ただよっていた。
そして、やわらかな、声だけは変わっていない、憂いをふくんだ言葉が彼女の口元から紡ぎだされた。
「あの……」
彼女はためらっている。
わたしは気づいていた。だが、なつかしさのあまり声がでなかった。
「失礼ですが……まちがったらごめんなさい……小松さんじゃ……」
「時ちゃん、明日香時子ちゃん……」
やっとなつかしい名前を声に出すことが出来た。それから、ふたりとも顔をみつめあうだけで、沈黙してしまった。
熟年の女性を「ちゃん」呼ばわりすることの滑稽さを配慮する余裕はなかった。
「よかったわ。まちがったらどうしょうとドギマギしてましたのよ。お久しぶり」
時子が出て来たばかりだという喫茶店にふたりで戻った。
モン・エテと袖看板が出ていた。緑色の文字が光りをあびていた。
ドアがきしんだ。外の光になれた目には店内は薄暗く感じられた。
時子のいたという席には、飲み残しのコーヒーカップがまだ放置されていた。彼女が座っていたという窓際に、わたしは座った。心なしかまだ彼女の温もりのこっているようだった。
男づれで戻ってきた時子に何人かの客が怪訝そうに振り向く。若い時には、こうしたあからさまな好奇の視線を真正面に浴びることはなかった。若さがあった。若いふたりが喫茶店でおしゃべりしていても、あたりまえだった。若さのフレァが遮蔽幕となって、たとえ凝視されたとしても、中にいるわたしたちは平静だったのだろう。
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