3 いままでのままでいいの

3 いままでのままでいいの


 黒のテーブルに貝殻のような凹凸のある純白のカップがぽつんと置いてあった。袖看板にあたった陽光の反射が半ば引かれたレースのカーテンごしに斜めに差し込んでいた。


 わたしはめまいを覚えた。あの時……風が吹き込んでいた。窓がわずかに開いていたのだろう。汚れた白いカーテンの裾が風にゆらいでいた。カーテンのふくらみ具合や、部屋に満ちた光りに浮かんだ埃の微粒子の明暗まで覚えている。なにがあったのか、記憶は曖昧であった。わたしは強引に時子をひきよせ唇をあわせた……後だったはずだ。ふっくらともりあがった乳房をまさぐり…さらに進展させようとして……彼女の抵抗にあっていたのだ。もう言葉が声にならないほど、興奮していた。

 わたしはその朝、青山一丁目の下宿で目覚めた時から「これからの一日はとくべつな日になる」と思っていた。鹿沼に帰らなければならなかった。そして再び戻ってこられないだろう。部屋は整理していなかった。帰省したままになりたくはないという願望がそうさせたのだ。とりあえず、父の病状を見舞にいく。病気が軽いものであったら、すぐにもどってこられる。

 彼女は激しく逆らって泣き出してしまった。わたしから逃れて必死になって顔を横に振っていた。長い黒髪が左右にばさっとゆれていた。髪の簾の向こうの顔は泣いていた。背を壁にこすりつけるように、後ろにすさって逃げ、いやいやをしている顔は童女の泣き顔だった。わたしはたじろいだ。わたしは愛するものを、愛しているからというだけで、犯そうとしていた。犯してしまえば時子はわたしについてきてくれる。わたしは、愛するものと別れなければならない不安に錯乱していた。

「いやよ。いままでのままでいいの。そういうことするの、いやなの」

 泣き声で、訴えかけるように、くりかえしている彼女を見るともう、なにもする気がおきなかった。気持ちが萎えてしまつた。

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