殆ど何も考えていないTS聖女さんのお話

茶蕎麦

第一章 日常①

第1話 素直が聖女


 彼が彼女に至るその間に思いになるほど浮かばせた考えはこの程度だった。


 


 今日は曇り、ちょっと悲しい日だなあ。あ、子供が危ない。


 これ死んじゃうなぁ……あれ?


 


 女の子になっちゃった……まあ、いいか。


 


 流石に、これでは物語にならない。補足しよう。


 


 


 


 煙の折り重なったような深い雲天の下、新玉素直しんたますなおは歩道を進んでいた。


 晴れを好む素直は、時折空を見てつまらなそうな表情をする。女顔であるが見目の良い彼がする憂いを帯びた面を、目に入れた者は男女関係なく注目した。


 素直は、ぬいぐるみのような男である。見た目ほど中身が無いが、ハリボテ、というにはふかふかしていて優しい。


 どこかボケた人格であるが人当たりよく好まれ、まして際立った美男子であれば素直の元に注目は多分に集まり。当然のように人気者になっていた。


 しかし、それに慣れきってしまっている素直はそんな何時もをひけらかさない。ただ、己に目に余るようなことを時たま注意するばかりで、後は軽く楽しく日々を過ごす。


 家族に恵まれ、友人は沢山。彼女とも仲良く。何不自由もなく暮らしていた素直の素晴らしき日々は、しかしこの日唐突に終わった。


 


「危ないなあ」


 


 注視すべきもの多い運転中の車内からすれば見逃してしまうものもある。だが、それにただ歩んでいてばかりの素直はいち早く気付いた。


 ガードレールで遊ぶ少年。車道と歩道の中間にて身体を楽しそうに振り子のごとくに揺らしている、そんな幼稚な姿が素直には危険なものに映る。


 年長として、止めるのは当たり前のことだと素直は思った。だから、彼を驚かさない程度にゆっくり近づいていく。その判断が、己の生死を分けることを知らず。


 


「あ」


「……っ」


 


 大きかった男児の揺れは最大になり、そして片側に大きく振られた。その方が、車道であったのは、最大の不幸であっただろう。


 落ちて転がる少年。そこに迫る、大型車両。間に合う、間に合わないとか、そんな判断をする時間はなかった。


 


「間に合え!」


 


 考えている間にことが終わってしまうのならば、その身一つで間に合わせる。長身、知らずその見ための良さを引き立てていた自身の足の長さに素直は感謝をした。


 ハードルのようにガードレールを飛び越えた彼の躍動にそれまで何も気付かなかった通りすがりの幾名は驚きの声や悲鳴を上げる。


 そんな注目を何時ものように無視して、飛び降りた際の足の負荷も気にせずむしろ痛み走るその足で踏ん張り、素直はパニックになりかけの子供を拾って乱暴に歩道へ向かって放り投げた。


 勿論、素直が子供に怒りなどの感情を持って、粗暴に扱った訳でもない。ただ、危険が近すぎたのだ。


 そう、トラックは既に真ん前に。怯えなのか何なのか、酷い顔をこちらに向ける子供のために作ろうとした笑顔すら間に合わず。


 素直は自分が死んでしまうことを、理解した。


 


 その身が発したぐしゃり、という音は素直の耳に入らなかった。痛みすら感じ取れなかったのも、幸いだったのだろうか。


 


 


 


 


「あれ?」


 


 そんな、哀れな男子の最期の全てが過去として繋がった。それを、パールという名の少女は知る。


 タアル伯領ラーブル郡のライス地区、その中でも特に乏しく貧民が暮らすスラム街にて、献身のために行脚していた四塔教のカラフルな法衣を身に包むパールは、注目の中で僅か自失していたことにも気付いて、頬を掻く。


 隣のバジル――素直が最期に見た彼にどこかよく似た魔法使いの少年――は、そんな美少女の見慣れた無警戒さに溜息を吐いた。


 


「はぁ……パール、前からオレが言っているだろ。もっと周囲を見る目を持て、って」


「そう? これでも気を付けているんだけれど……」


「それで、こうじゃあ流石に拙いだろ。ココじゃあ騙りが日常茶飯事だぞ?」


「嘘なら僕……じゃなかった、私だって気付くよ」


「自分も騙れる器用なやつだっている。お前の節穴の目じゃ信用に足りないな……って何してるんだよ、バカ!」


 


 何かを確かめるかのように、観衆の最中で自分の豊かな胸元をその手で歪ませ始めた銀髪蒼眼に、バジルは目を剥いて驚く。彼の表情を見て、やっぱり助けた子に似てるな、とのんびりと感じるばかりのパールは、狭い通りを過ぎる際に向けられる男どもの視線の色を知らない。


 


「何って……確かめてる?」


「確かめているも何も……兎に角止めろ、今直ぐに」


「はーい。うん。よく分かったから、いいや」


「自分の胸揉んで、何が分かったってんだ……」


 


 パールが痴態を止めたことを惜しむ目に絶対零度の視線を向けつつ、バジルは己の金髪坊主頭を掻きむしり言う。直ぐ下にて騒ぐ心地よさそうな金の芝を見ながら、彼女は彼の言に答えた。


 


「私はここに居るってこと」


「当たり前のこと、ようやく分かったんだな……お前幾つだよ」


「十五?」


「俺より一つ上だから、そうだな」


 


 馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど十五年もそんなことすら分かってなかったのか、と零す隣でニコニコと、微笑みが大いに咲く。少し経ち、柔和な視線に気付いたバジルは頬を赤くした。


 パールの笑顔は美しく、それこそ前の世界でお茶の間にわずか写っただけなのにネットで大人気になった素直のものにそっくりであるからには、可憐でもあり。それこそ、見慣れたバジルであっても惹かれてしまう程のものだった。


 


「ちょっとココ、不便だよねー」


「ここらは王都と違って辺鄙だからな。オレらは魔法できる分マシだが」


「でも、回復魔法でパンができる訳じゃないしなあ」


「パール、お前ひょっとして、自分がどれだけ価値のある存在だって未だ分かってないのか?」


 


 そんな照れの混じった顔の色を瞬時に変え、またバジルは呆れの形にする。器用だな、とパールは笑顔のままに思う。


 


「聖女、って言われてもなあ」


「パール、自分が基本の四色以外の魔法を使っている、その異常さまで忘れたのか? オレがお前をここに連れ出すのだって大変だったのに……」


「分かってるよ。ありがとう、バジルー」


 


 感動を身体で伝える、異世界で男の子だった過去からその癖を引き摺っているパールはその豊満をバジルにくっつけた。面倒な方になって来た会話を断ち切りたいというのもその行動にはあったが、基本的には言葉のとおりにその抱擁はありがとうを伝えたいがため。


 


「パ、パール……」


 


 素直な、しかし唐突でもある姉貴分の行動に、バジルは困る。自分の下心を純真の前で晒すのは気が引け、更には護衛なのに視界が閉ざされたことも問題だと思い。だからそっと知らず抱き返そうとするその手を動かし離そうとする。しかし、その前に自由な彼女の柔らかな身体は自ずとどこかへ行った。


 


「あ、怪我してる人発見!」


「こ、こら! 勝手に行くなよ……ってそいつはそういう職なんだよ。簡単に騙されんな。包帯は嘘だ!」


「ホント? えいっ」


「こんな日向で魔法使うなよ……ああ、人が集まって来た……」


「な、なんだぁ?」


「あれ、手応えがないなあ」


「当たり前だ!」


 


 勝手に走り出したパールは、演出したみすぼらしい姿を売りにしている男の元へと急いで向う。そしてなんとか、黄色い包帯の向こうにあるはずの無い怪我を治そうと魔法まで使い騒いだ彼女の迷惑料として件の男性に幾らかの金銭を渡し、引き連れ人だかりから逃げ出したバジルは大いにくたびれる。


 


「つ、疲れた……」


「楽しいねー、バジル!」


「本当に、お前といると退屈する暇もないな……」


 


 疲れた様子の少年と、愉快げな少女は今日も隣り合う。それが、当たり前だから。


 そんなこんなが、パールの日常。少女のそれを受け容れて、彼女の中の素直も笑った。


 

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