第11話 マイナスと熊の手(または薬毒と王)


 今回、彼もある彼女は、主役たり得ない。ただ、相も変わらずここにある。


 あわわ。アンナさん、頭下げさないで下さいよ!

 治しましょうか?

 わっ、何か格好いい。


 だって今、幸せですから!


 果たして聖女の輝きは、闇を照らすのか。それは、補足してみなければ、分からない。




 贅を凝らした中にて、愛に抱かれ夢うつつ。濃い赤毛の少女は、この世のものとは思えないくらいに上等なお屋敷のベッドの中で、母の温度に包まれ安堵していた。

 誰もが羨む、そんな幸せの中。しかし少女の耳は優しさでくすぐられることはない。冷たい声が、ただ彼女の内へと響いていく。


「……貴女も私も出来損ない。愚かなあの人だって、何も変わらないわ。だから、どれだけ尊い血を持とうと、王になることなんて出来やしない」


 母は、自分の手に張り付く、子供の指先を包み込みながら、そう語る。薄い肌色同士が重なり合うその様子が、どうしてだか、どこか淋しげだった。


「でも、そんな私達は、王を選ぶことが出来る」


 うたうように、紅色の母は、そう言う。相変わらずの冷たい音色の中に、僅か熱が篭ってきたような、そんな感を少女は覚えた。


「私には無理だった。でも、貴女は誰よりも素晴らしい、王を立てるのよ」


 そのためにも貴女は、全てを認めなさい、と母は告げる。


「そして最後は、毒すら呑み込む、毒になるの」


 私のようにね、と言って、母は子を覗き込む。黒々と、洞穴が少女を見つめる。うとうとと、細い目を凝らして受け取った恐るべきその漆黒を、彼女は羨ましくすら思った。

 そして、これが母の遺言になるとは思わず、安心しきったままに、睡気に呑まれて少女は眠る。だから、その後にあったものと覚えている言葉は、彼女の心が創ったものか。


「おやすみなさい。ふふ……愛しているわ。幸せになりなさい」


 いかにも母と子の間に有り得そうな、そんな言の葉。しかし、一葉もそれが彼女の前に落ちることはなかった。少女は一度も言われたことのない、そんな言葉を、ずっと望んでいたのに。しかし、そんなものはあり得なかったのだ。



 だって、本当は。


「眠るのね。はは……この世に呪われなさい、私の憎悪の結晶よ」


 そんな呪言で、寿がれていたのだから。




「ごめんなさい、バジル君とパールちゃん。余計なお節介で、貴方達を困らせてしまったみたいで」


 その声は、どこか冷たさを孕んでいたが、真摯な思いをたたえているようにも聞こえる。

 パールより少し低い位置にあった、豊かな赤髪蓄えた頭が下がった。それを、バジルは当然のように受け容れるが、しかパールはそうはいかない。


「ふん」

「あわわ。アンナさん、頭下げさないで下さいよ!」


 バジルは完全にアンナを敵と見ているが、しかしパールは全くそう感じていなかった。銀髪を乱し、聖女は年上だろう女性の謝罪に右往左往し、やっと上がった顔にほっと一息。

 偶々合った深い黒目を、綺麗と受け取った。


「やっぱり、許してもらえないかな。それでも……少し、言い訳をさせてもらえる?」

「はっ。さあて、どんな嘘が飛び出てくるんだろうな……ぐおっ」

「バジル! どうぞどうぞ。アンナさんの行動に、私達も理由がないなんて思っていませんから!」


 その大きな胸でろくなことを言わないバジルの頭を押さえ、パールは先を促す。顔を真赤にする少年を見て、アンナは微笑みながら言う。


「ありがとう。どうして私がああいうことをしたか、簡単にいうと……それは」

「それは?」

「バジル君が可愛かったから、ね」

「はぁ?」


 真っ赤な嘘にすら思える素っ頓狂な発言によって、バジルの注意はアンナへと移る。彼女は、疑問の視線を指先で誘導して、口元に持っていった。


「必死に守らんとするその背中が可愛くて、ね。つい押してみたくなっちゃったの。そしたら……ふふ。ワイルドだったわよ」


 そして、アンナは紅と共に傷口を舐める。艶めかしいそれに、バジルは眉をひそめた。だが、バジルはいやらしさをまるきり受け取らず、ただその痛みの心配をする。


「あ、痛そう……治しましょうか?」

「せっかくのパールちゃんの申し出だけれど、嫌よ。何せ、これはバジル君が私の身体に刻んでくれた大切なものだから」

「変態め……」


 発言の、そのろくでもなさから、疑念から軽蔑へとバジルがアンナを見つめる視線は変わっていた。勿論、それは彼女の思いの通り。

 一度触れて柔らかい赤髪を跳ねさせてから、何やらアンナは手持ちのバッグから紙袋を取り出す。辺りに何やら、ぷんとほどよく焼けた肉の匂いが広がる。


「でも、それで貴方達を必要以上に困らせてしまったのは申し訳ない、と流石に私も思ったの。それで。私、訊いたのよね。どうすればバジル君が許してくれるかな、って。パイラー神官に」

「ふん。オレをそう買収出来ると……」

「はい。アブラグマの手」

「本当か……マジだ。わーい!」


 眼の前で広げられたペパ(カミガヤツリの茎を加工した紙のこの世界での呼び名)の中身を見たバジルは、態度を急変させた。それは、確かに少しソテーやら加工された様子の彼が知る熊さんの手だったから。

 アブラグマ。それはハイグロ山脈の高地に棲む弱肉強食の頂点。やけに油分を蓄えたその肉はバジルの好物であり、また故あってタケノコに挑んだ際に彼を助けた思い出深い食材資材でもある。代わりになってくれるモノが居ない今となってはパールの守護を優先させるために遠出は出来ず、狩りすることなど望めなく。そんな中、こと世に中々出回らない珍味である手の平の部分を食べることの出来る機会が巡ってくるとは、彼も夢にも思っていなかったのだ。

 そんな男の子の欲望は更にバジルの心を曇らせる。ここまで好きなものがあるとは知らず、パールは胸の下から抜け出した彼を見る目を瞬かせた。


「バジル?」

「でけえ。コレ、かなりの大物から取ったもんだな。毛ちゃんと抜いてあるし、それに何だか柔らかそうだな……」

「面倒な下ごしらえも大体済ませて貰っているわ。……コレは誠意になるかしら?」

「なるなる。許してやるよ! うまそー」


 快諾。意外とバジルはちょろかった。

 紙袋を奪い取り、バジルは慌てて水色の指先から色味を伸ばして戸を開けたと思いきやそのままアンナの部屋から走り出す。充満していた香は逃げ出し、辺りには沈黙が降りた。

 呆気にとられたが、取り敢えずは、とパールは姉貴分として貰い物の心配をする。


「良いんですか? 高かったのでは?」

「値段は気にしないで」

「そんなわけには……」

「お金は巡るもの。何時か戻ってくるけれど、バジル君の機嫌を取れるのは、今しかないから」

「わっ、何か格好いい」


 大人は凄いなー、と思いながらパールは両手を叩く。アンナも、心なしか自慢気だ。そんな緩い雰囲気の中に、青こけしが飛び込んでくる。

 彼女、グミはバジルの持ち物に驚いて、現場だろう場所へと向かったのだ。周囲を見回し、そして彼女はアンナと目を合わせ、直ぐに視線を下へと逸した。


「何か、でっかな手を持ってバジルが……アンナさん……ここ、アンナさんの部屋だから、当然か……」

「あら、グミちゃん」

「アレ、与えたの貴女ですか?」

「そうだけれど……」

「やっぱり……お父様と一緒だ……ズルい人ですね!」


 その反抗心は、人形だった頃の思い出から湧いて来る。毒々しさは、似通うもの。甘さこそ、骨を抜くための基本である。それを思い知っているグミは、何かアンナがバジルに対して企んでいるのではと、勘違いした。

 だから、そう言ってグミは逃げ出す。狂喜乱舞して出ていったバジルを、心配して追いつくために。

 これは、アンナも正味、予想外であった。彼女は少女の恐れほど、バジルを利用尽くそうと思っては居ないから。


「今度はこっちに、嫌われちゃった、かな?」

「アンナさんなら直ぐに、打ち解けますよー」


 そう口にしたパールの言葉は軽い。だがしかし、まるでそれを受けとめるためのように、アンナは目的へと向く。

 聖女の心和ます微笑みに、快いものを感じてしまっていることに気付きながら。


「ねえ、パール。貴女は何か欲しいものはある?」

「欲しいもの……ないですね!」

「本当?」


 それは、正に意外。私利か、そうでなくても聖女らしくパールは皆の幸せなどを望むものかと、アンナはそう勘違いしていた。

 だが、パールは続ける。


「だって今、幸せですから!」


 今、とは何時か。それは、自分と居るこの時間のことなのだと、アンナは遅れて気づく。

 それはただの戯言ではない。間違いなく、少女は今を全身で楽しんでいる。そう、アンナが理解できたのは、曇り一つない彼女の瞳から。

 きっと、パールは余計なことは何も考えていないのだ。だから、ただ今ここにあることを喜べる。それは、とても幸せなことで。眩いほど美しくもあり。


「そう……」


 そんな心を毒々しく、歪めたい。アンナはそう思ってしまう。それは、歪んだ性根に寄るもの。だが、それをアンナは呑み込んで。


「ならこれからもっと、皆で幸せになるといいね」

「はい!」


 それこそ、パールが聖なるままに天上にまで届けばいいと望み、そして、何時しか彼女に全てを引き上げて貰うように、願う。

 雑念一つなく、聖女に匹敵する程に薬毒は純にそう思うのである。何しろ、アンナの欲しいものなど、借り物のそれしかないのだから。




「美味い!」

「美味しー、ぷるんぷるんだ!」


 そんな問答が起きているとはつゆ知らず。ソテーしごま油をベースに作ったソースで味付けした熊の手。それを分け合い、口に入れたバジルとグミは、その美味を称え合う。

 彼らの脳裏は舌で蕩ける肉を味わうことに夢中になって。


「わ、グミとバジルが抱き合ってる」

「そういう仲、だったの?」

「ちっちゃい子の抱擁を見てると、何だか和みますねー」


 感動を分け合うためにくっつき合うことまで始めた彼らは、パールとアンナの目に入り、揶揄までされるが。


「この、舌の上で旨味となって消えてしまう、それが最高なんだが勿体無いな! なんて贅沢だ!」

「何ていうんだろ。甘くもあるし、それでいて塩辛さを容れていて……こんなお肉ボク、初めてだよ!」


 そんな最愛と疑惑の声すら、届かないようだった。


「あはは」

「ふふ……」


 流石に、これにはパールだけでなくアンナも、心から笑ったようである。



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