第10話 素直とマイナス


 彼女の中の彼は、盾たろうとする彼を思う。だから、今回表に出た。


 そんなに引っ付いたら、逆に危ないよー。

 バジルは、もっと自分を大事にするの。


 仕方ないなぁ。バトンタッチ、だね。


 だから、彼女が考えたのはこれくらい。後は補足にて語ろう。




「バジルー。そんなに引っ付いたら、逆に危ないよー。恥ずかしいし」

「……お前がどう思おうか、知ったことか」

「むむっ、ボクを差し置いて、ずっとパールを独り占めして。バジル、ズルい!」

「……他人にどう思われようが、知ったことじゃない」


 診療時間を終えた後の、暮れ始めの買い物道中。銀の少女に、金と青がぴたりと張り付く。周囲はそれを微笑ましく、姉弟か友達同士の交わりと見るものも多い。だが、彼彼女らと懇意にしている商店の者などは、少し奇妙に思う。それは、何時もより、パールとバジルの距離が近すぎることから。

 照れ屋のバジルがパールの側で冷たい表情をしているのは、異常なことだった。鉱山帰りにそんな様を目撃したボーラー等は、仲に進展があったにしてはどうもおかしいと仲間と噂すらしている。聖女と彼は、夕飯時の話題になるくらいには有名だった。


「むう。どうしてこんなに頑固に育っちゃったのかな? お姉さん悲しい」

「ふん……」

「全く、アンナさんにキスされたことがそんなにショックだったの? でも、だからってパールを束縛するのは、バジルらしくないな」


 ボクじゃないんだし、とグミは繋げた。自分の子供を自覚している辺り、中々に厄介である。そこら辺を、普段のバジルなら突っ込むところであるが全てを無視して、ただ冷たく言い放つ。


「オレらしさ、か……そんなものは、必要ないんだ」


 盾に必要なのは、装飾よりも強度。そんな事実を、バジルは思い出す。日々を楽しむこと、それすら今の彼には無駄なものに思えた。

 そんな、ひねた弟を、姉は許さない。間近の丸い顔をぴしゃりと両手で挟んで、パールはバジルと目を合わせる。


「……何だよ」

「ダメ。バジルは、もっと自分を大事にするの。守ってくれるのは嬉しいけれど、それで貴方の今が損なわれてしまうのを、私は許せない」

「お前が許さなかろうが、オレはお前を守る」


 真っ直ぐな言葉は、しかし氷の少年の心を動かすところまで行かない。愛を知って、尚それを拒絶するのは、どれほどの痛苦なのだろうか。しかし、その痛みを、バジルが表すようなことはない。


「バジル……」

「……お前を守れなかったら、オレは……それこそただの『マイナス』だ。それだけは、嫌なんだ」


 それは、少年の本音。自分の臆病故に肩代わりさせてしまったことで、パールの多くを失わせてしまった、そのことに対する後悔は、深い。それこそ、幾ら努力し魔道を極めようとも、そのトラウマが癒えるようなことはなかったのだ。


「そんなこと……わ」

「ったく……」


 そんな暗く沈んだバジルの上で、氷の花が咲いた。それは、少し離れて様子を望んでいたグミが放った魔法を彼が防いだ結果である。

 はらりはらりと、水から氷に変じた花状の魔弾は解けて宙に消えていく。季節外れの粉雪を被りながら、バジルは下手人の方へと向いた。


「……何すんだよ」

「空中に水が含まれていることをイメージするといいってパールに教えてもらったから、バジルの真似して水を撃ってみたけど……やっぱり、停められちゃったか。頭冷やさせるの、失敗!」

「オレは、これ以上なく冷えてるぞ」


 おどけるグミの前でも、バジルは何も変わらない。魔女の冷たい目を幾ら受けようとも、固く凍った意思は動かなかった。そのつまらなさを嫌って、彼女は言葉を放る。


「ふん。そんなニセモノの冷たさにのぼせているようじゃダメだね……結局、バジル、自分のことしか考えていないじゃない。そんなヤツ、ボクは知らないよ!」

「……ああ、そうかよ」


 それは、痛撃。バジル本人も、守らんとするその全てが、自分の満足にパールを付き合わせているだけと、そう思わないことはなかった。しかしその辛さでも少年は動かない。

 自分の苛立ちに耐えきれず、走り去るグミ。それを見送るバジルの目の色は薄い。仕方がないと、彼は静かに思うばかりだ。

 パールの法衣の袖の端を掴みながら、バジルは姉貴分をついと見上げる。彼女は揺らぎ一つないその碧に心細げな少年の思いを幻視した。


 ここまでバジルがこじらせた原因は、明らか。アンナの、このままでは守りきれない、という指摘のためだった。幾ら、口にした本人をパールから離そうとも、不安は拭えなかった。それもそうだろう、既にバジルの中に、アンナの毒は染み付いてしまっているのだから。


「はぁ」


 暮れの先に夜を覗いて、パールは早い解決が肝要と思う。だが、思いついた最後の方法に、彼女は乗り気になれなかった。

 自分では思いをそのままぶつけるより他に、言葉が浮かばない。それで無理なら、自分以外に頼むしかないのだろう。そう、パールは思う。自らの力不足が、どうにも悩ましいところだが。


「でも、仕方ないなぁ。バトンタッチ、だね」

「ん?」

「……はは。おお、柔らかいね」


 妙なことを呟いたと思えば、急にパールはぽんと、バジルの頭に手の平を乗せた。

 彼女がおっかなびっくりに、撫でる手は優しい。だが、それが何故かバジルには不快だった。しかし僅か顔を歪めてされるがままで、しばらく彼は待った。

 そして、しばらく後に、手が止まって。向けられた笑顔の違いに、バジルはそれを確信する。


「……よしよし。よく頑張ったね」

「……パールがオレを撫でることはない。一度嫌がってから、ずっとそうだ。誰なんだ、お前」

「素直だよ。よろしくね」


 昼と夜の間、目抜き通りに人も通らぬ隙間の時間。逢魔が時に、あり得ざるものが顕になった。

 どこか怯えた視線を向ける少年の前にて、彼女の中の彼は、綻んだ。





「スナオ……それが、あの時からパールに混じり出した異物の名前か」

「うーん……異物というか、前世というか、何というか……」

「前世?」


 前の世。この世界この時代では、あの世すら定義不足でふわふわとしたものであるからには、輪廻転生など早々理解できる代物ではなかった。よく分からないという表情をしたバジルの前でパール、いや素直は不明な説明を始める。


「そう。少し前まで、一挙に失くなってしまったせいで、今と前が混濁しているような、そんな感じになっていたんだ。ようやく最近になって、ちゃんと繋がることが出来たみたいだけれど」

「……なるほど。だから近頃パールの口から意味不明な言葉が出るのが増えてきたんだな」


 幸い、バジルの頭の回転は、それほど悪いものではなかった。つまりコレは、異物でなくパールに元から入っていたもので、自分のせいでそれが引っ張りだされてしまったのだろう。彼は、そのように解した。


「つまり……オレのせいで、もう、パールは戻れない、っていうことか」

「はは。馬鹿だねー、バジル君は」

「違うのか?」

「ううん。大体合ってるよ。ただ、その感じ方は間違ってる」


 人生は真っ直ぐ一本道で、戻れることなんて殆どないのにね、と言いながら、素直はパールの顔でふんわりと笑んだ。どきりと、バジルは胸を痛める。


「どういうことだ?」

「あのね。バジル君はマイナスに捉えすぎ」

「その、どこが悪いんだ」

「それって、彼女の覚悟を、そうなってまで助けようとした思いを、キミは否定してるんだよ」

「なっ」


 思わぬ言葉に呆気にとられたバジルの前で、自己犠牲が正しいっていう訳でもないのだけれどね、とまだ素直は繋げる。


「人生に選択肢なんて、ない。この子、パールはこうなるしかなかったんだ。だから、僕と混ざった後でも一切後悔はしていないよ。それを勝手に悲しむのは、僕が許さない」


 その断言は、誰より聖女の心を知っているがためのもの。誰よりもパールを想った言葉を受け、苦し紛れに、バジルは言う。


「……よく、口が回るもんだな」

「この子、普段あんまり深く考えたりしないから、僕が考えるしかないんだよねー」


 僕も考えるのは得意じゃないんだけれど、と胸に手を当てながら、その中の素直は言う。


「皆に手を伸ばすことが本来許されない僕は、だから内でずっと考えていたんだ。折角の機会だし、言葉に嘘入れない。ただ、好きなバジル君のためを思って語ったんだ」

「好き、か。初対面の相手そう言われると、何だかむずかゆいな」

「お、いい表情になってきたね」

「そう……か」


 はたと今気付いたかのように、バジルは自らの微笑に手を当てる。だが、これも当たり前の変化かと、彼は思う。自虐するのがパールの想いを汚すことになるなら、一切することはない。ならば、目の前の関係薄い筈の初対面相手に好きを伝える変人を、笑う方がいいだろう。


「はは……ありがとう。お前のお陰で、オレは罪人ではないことに気付けた」

「そっか」

「なら、あがなおうと必死になることはない。オレだって死ぬまでパールを守ると決めていたりするが……そのために、オレの人生まで使う意味はないんだ」

「うんうん。ひょっとしたら、アンナさんだって、そのことに気付いて欲しかったんじゃないかな? 薬が強すぎただけで、さ」

「それは……どうだかな」


 流石に、あんまりな決めつけには言葉を濁さざるを得ない。やけに人を信じすぎる、無垢なところはパールと変わらないのだな、とバジルは思う。素直のその、姉貴分と少し違った笑顔に、彼は惹かれる。

 場が和んだその途端、くらりと素直が揺らいだ。それに伸ばしたバジルの手は、制された。


「おっと。あり得ない筈の僕が表に出過ぎたね。ちょっと疲れたよ……」

「戻るのか?」

「失くなる訳じゃないけど、また一つに戻るよ」


 僅か、困ったような笑み。思えば、素直は現れてからこの方、バジルのために笑ってばかりだった。喪失感が、胸に来る。


「待て。確か、スナオって言ったよな?」

「うん」

「オレ、お前も結構好きだよ」


 バジルは素直を男と知らない。だから、はにかんだその笑みは、気になる女の子に向けたもので。


「……ありがとう」


 だから告白を受けて、少し複雑な表情をしながら、素直はそう答えた。来る雑踏に紛れるように、彼は、消えていく。




「……ふふふ。私を薬にしてしまうとは、やるものね」


 彼も、面白い。バジルに見つからぬよう人に紛れ込みながら、アンナはそう呟いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る