第12話 聖女と告白
彼を内に秘めた彼女は自分がどう思われているか、それを知らない。自覚しない。
ごめんなさい。
こんなの、っていうのはないよお。
ボーラーさん!
私は馬鹿じゃなーい!
今回は、その多くを語ってみよう。今まで省いてきていた彼らの思いを補足することで、判ることもあるに違いない
ライス地区はハイグロ山脈の山裾からポート川に至るまでをその範ちゅうとした、タアル伯が治めている土地の中でもそれなりに人口の多い地区である。高低差の激しいその広い土地は豊富な自然に恵まれていた。
オリハルコンを中心とした金属資源の採掘を仕事とする人間、川辺にて水車を用いた製品加工に従事する職人や川魚を捕らえて卸して生活の糧を得ている漁師などが集まることで、ライス地区の中心街は昼から夜にかけて大変に賑わうようになっている。
自警団等によって、ある程度の治安は保たれているとはいえ、怒号ともとれるほどの喧噪や半ば暴力的なまでの客引きなどは無くなりようもない。狭い中に人が集えば自ずと険が出て、騒動もよくよく起きる。拳の応報なんて、可愛らしいもの。刃傷沙汰に沸くことすらあった。
だが、そんなある種の無法地帯のような場所にも、美点一つないという訳ではない。多種が飽和しているその様子はまず、面白い。それに、時に衆目笑わせる道化が現れたり、思いもよらぬ奇態が巻き起こったり、他にも思わぬドラマが生じたりもする。
そして今、中心街の真ん中にて、悲恋が生まれた。
「ごめんなさい」
「そっか……そりゃあ、そうだよな。あはは。ゴメン」
月の銀を糸にしたかのような、美しい髪が左右に振られたことで、辺りには様々な感情が巻き起こる。青年の告白は、玉砕に終わった。
面白い見世物だったという喜色に、残念だという思いに、ざまあみろという侮蔑。多くのざわめきの中、しかし誰も告白の結果について異論を述べようとするものはない。そう、少女の拒絶に、周囲の大体は納得していたのだった。
それほどに、愛を受け容れなかった彼女、パールは浮世離れした美しさを湛えていたから。青年の諦めの言葉を受けてから少し経ち、聖女の果肉の如くに柔らかそうな唇が、再び開けられる。
「別に、私、ビーニーが嫌いとかそういう訳じゃなくて……その気が起きないのに、はいとは言えないというか……」
「いや、それ以上は言わないでくれ。俺が、惨めになる」
少女の困惑も、笑窪と同じで愛らしい歪みにしかならない。青年、ビーニーにはパールの平凡な法衣姿すら、神聖この上ないものに映る。
その美を見上げるのは苦ではない。パールが自分より長身なのも当たり前のことだろう。聖なるものが天に近いのは自然なことだ。そうまですら、ビーニーは思う。だから、彼女の時間を奪い、慮られることすら恥ずべきことだと、彼は考えた。
もはや崇拝に近い感情。それは、この場の多くに共有されていた。何しろ、度を越えて美しい少女はその心根まで綺麗なものと周知されているのである。そんなものが、現し世にあるとは、誰も思えなかった。
パールはその故をもっともらしく語られたために、パイラーが考え広めたものと勘違いしているのだが、聖女という呼び名は、彼女の有り様を見た者が称えるために口にしたことから自然に生まれたもの。
素直の時点でアイドル顔負けであるならば、パールはもう偶像そのものだ。対するに正しい態度は、身分をわきまえ、離れて頭を垂れること。
だがしかし、その美しさばかりで人集りに穴を空けているパールのその隣で、少年を嘲る小さな姿があった。それは勿論、バジルである。
「ふん。なら、こんな野次馬の注目の中でフラれたのは、惨めじゃあないってことか?」
「バジル……いや、確かにそうだな。そもそも、パールの目にはお前やモノばかりが映っているというのに、もしかしたらと考えてしまった俺は、最初から惨めったらしい男なんだろう」
「こんなのを、そこまで想ってしまう時点でオレには惨めに思えるがな」
「もう、バジル……ホント、ビーニーに冷たいんだから! それに、こんなの、っていうのはないよお」
パールとバジルは夫婦漫才を繰り広げ。そして、ビーニーは二人の世界を直視できず、頭を下げるかのように視線を下ろした。
一見で、彼らは恋人や兄弟、せめて親しい友人同士の様に見えるだろう。二人だけを切り取れば、微笑ましくすら思えるかもしれない。世界が違う。それは判っていたことだ。パイラーが育てた孤児三人は、誰も彼もが特別で。そして、結びつきが強かった。物語の登場人物のような彼らを、少年はただ羨望で見つめていたばかり。
それこそ、嫉妬からバジルに悪口と石を投じたことすらある、そんな自分がパールによく思われている筈はなかったのだと、ビーニーは思う。
そんな、青年の傷口を見てはいられずに、げに恐ろしき五本指の魔法使いに口を出した、大柄の中年男性が一人。そんな勇者の姿に、知らず辺りは湧く。彼、ボーラーは鉱山で働くものなら誰もが知っている身近な有名人。なるほどこの人ならば、と考える者は多かった。
そんな注目を感じながら、どうしても覚えてしまう『マイナス』という呼び名が付くほどの魔法使いに対する恐れを隠し、平気を装ってボーラーは大声を張る。
「ったくバジル坊は惨めというが……そんなこたぁねえぜ。誰が何と言おうとおいらが認めるさ。そもそも、女を振り向かせようとするのが、どうして恥ずかしいんだっての。ビーニー、お前は男らしかった!」
「親方……」
「ボーラーさん!」
「おっさんか……また熱苦しいのが出しゃばって来たもんだ」
パールは知り合いのおじさんの登場を歓迎するが、そんなボーラーの中の弱気も見通して、バジルは冷たい目を向ける。彼のそんな氷点下の視界に入った全ては停止したかのように、沈黙した。
どうしようもない青さに内心怯えを感じるのを認めながら、数多い弟子の一人でもあるビーニーを乱暴に撫で付けて、彼のためにボーラーは揶揄する。
「……そんなバジル坊は、随分と冷てぇな。パール嬢ちゃんが取られそうになったのが、よっぽど嫌だったのかい?」
「そんなことはない。ただ、ムカついただけだ」
「何がだ?」
「お前らの誰もが、この馬鹿のことを理解していないってことにな」
そして、周囲の温度は消えた。それはマイナスの魔法が使われたと、そう勘違いしてしまうくらいの殺気をバジルが、発したからだ。こいつが居さえしなければ、という悪意に慣れている彼は、だが純にもそれを気にしてしまい。そして、何よりパールに向けられる悪意なき隔意に対して敏感だった。
誰もが、死を彼女に匹敵する程よく知る少年の意気を恐れて沈黙する中で、それこそ呑気にパールは口を開く。
「私は馬鹿じゃなーい!」
「いて」
「バジルのバーカ!」
ぽかりと、絶対零度の少年の頭を遠慮なく叩いて、聖女はふざける。そんな様もまた彼らの理解の外のもの。またまた少女は人々の遥か高みにあるものだと勘違いされていく。バジルの望みとは正反対に。
グミ・ドールランドは美少女である。小さく忙しない、その動きの全てが愛らしい。思わず魔のものと疑ってしまうかのような、人々についつい親愛を寄せられてしまうような魅力が彼女には備わっていた。
だから、グミがそこら中で可愛がられるのは、当然とすら言えた。青い短髪をふりふり、辺りを見回しながら彼女はつい先程知り合ったばかりの女性に手を引っぱりながらライス地区を疾走する。
「ま、待って、グミちゃん。もう少しゆっくり駆けて……」
「チョコさん、足おそーい」
「グミちゃんは小さいからいいのだろうけど、人の隙間を縫うのは私には大変で……」
まるで二人は親子のよう。そこに、魔法使いと一般人の間にある、隔意は見当たらない。いや、既に出来るものならばグミを娘にしたいと思っている女性、チョコは童女のその左手に秘められた危険性を忘却していた。
それ程までに、少女は魔なのである。
「なら、休もうか。ボクも、ちょっと疲れちゃった」
「助かるわ……はぁ。私にもグミちゃんみたいな子供が居たらなぁ……でもこればっかりは授かりものだからねえ」
「チョコさん、子供いないの?」
「ボーラー……旦那さんのことね。彼は沢山子供が欲しいって言っていたのだけれど……今じゃ、彼のお弟子さんのお世話をするので手一杯。でも、一人くらいは……」
ある程度走って落ち着いたグミは、道端に置いてあった木の椅子に勝手に座り、もう一つの空いたところをぽんぽん叩いて、チョコに休憩を促す。そこに座した彼女は、知らず身の上話を呟いていた。出会ったばかりの少女に、自身の深みを語るその異常さに、まるで気づくことなく。
「なら、今だけボクを、子供だと思えば?」
「嬉しい……けど……」
「お母さん!」
「グミ!」
ひっしと抱き合う二人。それは正しく、子と母の構図。その後も、ごっこ遊びは加熱していく。撫でて、つついて、距離はどんどんと近くに。しかし、チョコの黒髪を弄りながら膝の上に寝転がるグミを見て、はたと彼女は思う。
「あれ、そういえば私達、何時何処で出会ったの?」
「ふふ……そんなの、気にしないでいいじゃない。お母さん」
そして、チョコはぞっとした。髪の根元。こんなにも近くに、水色と土色の二色があることに。笑顔の少女に惑わされて、どうして自分はこうも急速に砕けてしまったのか。何時も守っていたはずの厳格さは、果たして何処に。
お人形遊びは、童心でなければ楽しめない。だから、彼女が我に返ったここで、お終いだった。
ぴょんと、飛び降り離れたグミは、後ろ姿のまま、チョコの疑問を聞く。
「グミちゃん……貴女は何なの?」
それに対する答えは一つ。首だけ振り返って、斜めに世界を見ながらグミは言う。
「ボクは、天才なんだよ」
魔法少女は、くすりと笑った。
「聖女にマイナス。そして魔人のお気に入り。更には、未来の勇者までここに居たというのだから……怖いものね」
「そう、思いますか」
それは神々しさの演出のため。教会には採光部が多かった。四塔教に暗黙の了解として認められている、光に溢れるこの無名の教会にて、アンナはパイラーの前で内の恐れを告白する。
「あり得ない、そんな全てがここに集まっている……果たして、これからどんな特別な何が起きようとしているのかしらね」
「それは判りません……ただ」
「ただ?」
黄金の神官は神に近いほど尊い血の持ち主の前で勿体振ってから、予言をする。一つばかりの、確信を持って。
「その特別をすら、あの子は日常にしてしまうのでしょうね」
言い、一歩窓辺に近づいて。そして彼の姿は光に溶けた。暗がりに、アンナだけを残して。
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