第25話 人々と歌
優しい男の子を見習った彼女は、少なくとも精一杯考えた。そして、戦うことを決める。
どうして、ですか?
私は、ここの皆が好きです。
私は私の心に殉じることが出来るのならば、本望です。
たとえそれが間違いであっても、彼女はそう言った。それにどれだけの人が応えるのか。補足して、物語りたいと思う。
「パール。出来るなら一時だけでもこの地から離れてはくれないかしら?」
それは、急遽。パイラーにバジルとグミが呼び出されて、独り部屋に残っていたパールの元に訪れたアンナの第一声は、それだった。
アンナの真白い肌に汗が一滴。それに気づいたパールは、その急ぎ様と声色から切迫した事態を感じ取る。
「どうして、ですか?」
しかし、ここから離れろ、とは直ぐに受け容れられる内容ではなかった。思わず、パールはアンナに質問してしまう。それに、赤色の頭を振ってから、安心させるように笑みを作って彼女は応えだした。
「言葉を濁す時間ももったいないわね。端的に言うと、サーカスがこちらに来ているの」
「サーカス……皆に教えないと!」
「待って」
その言葉が本当かどうかくらい、目の色で分かった。あまりの真剣に慌てて危険が迫っていることを喧伝しようとするパール。それを、手を取ってアンナは止めた。
力の強い自分を停止させられる程に篭められた力。そこに、パールはアンナの本気を受け取る。彼女は黒色の瞳に、複雑な感情を見た。
「今回の情報を得るために、私の部下が二人、犠牲になったわ」
「え……それは……悲しい、です」
「私も悲しい気持ちではあるわ。けれども、彼らが命をかけてまで、得た情報。それを私は決して無駄には出来ない。あの子を守って下さい、という彼が遺した最期の言葉を叶えなくては、私は遺族に合わせる顔がない」
「あの子、って私のことですか?」
「そうね……随分と、顔を変えて二度話しただけの貴女のことを気に入っていたようよ。風色と土色の彼、アレーはね、今回の仕事を誇りに思っていた。だから、彼は幾ら身体を食まれようとも報を送ることを決して止めなかったの」
「……なんて、こと……」
絶句して眼を湿潤させ始めたパールの隣で、アンナはひと度だけ目を瞑る。
アンナにとって、彼らは便利な道具であった。だが道具に愛着を持つのもまた、人だろう。それを損じられたことに対する憤りは大きい。ずる賢く働く頭を捨てて今直ぐにでもサーカスに挑みたい。だが、そんな思いを塞いでも、彼女はパールを守ることを選んだ。
再び目を開け、そして涙溢れようとしたパールの目尻をアンナは拭う。
「まだ、泣かない。パール、前を向きなさい」
「……はい」
「私も、亡きアレーだってパール、貴女だけを守ろうと思っていた。そのために、他が邪魔になりそうであれば、私は他に気を回すことはないとも考えているわ。混乱で貴女を失い、損ねてしまう可能性が出てしまうのであれば。それを私は認めない」
「アンナ、さん」
「私だって、この街を嫌っている訳ではない。むしろ、好きだわ。汚れも程々に、上辺はとっても澄んでいて。こんなところ、他には中々ないでしょう」
「ならっ!」
「でも、サーカスのことを伝えたら、確実に混乱が起きてしまう。惑う人々程邪魔なものはないの。少しでも遅れてはあのバケモノ達からは逃げ切れない。だから、せめて、平穏の中で先んじでもしなければ……きっと私は貴女を守れないの」
それは、王国どころか連邦に帝国等諸国を見て回ったアンナはよく知っていたこと。群れは、利点と共に悪点も孕む。多数は纏まりに失敗すれば反乱し、一方向に向いすぎた感情は、往々にして爆発するものだった。それが恐れであれば、尚更のこと。
サーカスが来るという情報は、広まればきっと人々に暴動を起こさせる。それは邪魔だ。何せ、アンナが本心から助けたい人など、今の所一人しかいないのだから。
そして、大切で大事なそんなパールは、しかしアンナの静止を振り切った。
「アンナさん、私を想ってくれてどうもありがとうございます。でも私、それだけは出来ません。私は、ここの皆が好きです。だから、そのために戦いもせずに、自分のために逃げることなんていうのは決してしません」
「……そう。やっぱりパールはサーカスと敵対する気になってしまったのね」
「はい。……ずっと、思っていました。魔に操られて、永遠望まないことをさせられ続けるなんて、どんなに悲しいのか、って。今まで関わることがなかったから、サーカスを救う機会なんてないと考えていましたが……でも、これから向かい合うのです。なら、救えずとも話すことくらいなら出来るかなって、そう想像してしまったら、もう……」
聖女は、目を伏せる。サーカスは不幸を内に秘めて、笑顔を見せるようなそんな二律背反な存在だとパールは思っていた。彼女はそれが、とても哀れだとも感じている。だから、出来るならば掬ってあげたいと、そう思うのだ。
ため息を呑み込んで、アンナは喋りだす。
「……甘っちょろい、理想ね。クラウン・ワイズは対して理解できるような、そんな生易しいものではない。それに、数多の魔従が行く手を阻むわ。幾らパールが奇跡の力を持っていたところで、向かい合える程の近くに届く前に力尽きて、きっと殺される」
「それでも、私は決めてしまいました。可能性がなくとも、私は私の心に殉じることが出来るのならば、本望です」
「そう……」
誰かのために、聖女は考え言葉を絞り出す。それはどうにも澄んだものであって、ただ呑み込むには少し純粋過ぎて辛いものがあった。
だが、アンナはその言を受け取り、頷く
「以前の私ならば、絶対に貴女を許しはしなかった。……けれども、私も弛んでしまったのね。……いいでしょう。皆に伝えなさい」
「あ、ありがとうございます!」
「そうして全体を巻き込んで、戦うわよ」
アンナの瞳の黒色に炎が灯る。弔い合戦は望むところ。他を利用するのは彼女の得意だった。
偶には他を頼るのもいいでしょう、とうそぶいてから、アンナは微笑んだ。
安さのみが売りの飯屋。粗悪な硬い鳥肉を頬張るのを苦にしないような貧困層が集まる、そんな食事処。そこの一角にて大体が黒く汚れた衣服を纏う一団があった。それは、ボーラーが率いる鉱山労働者達である。
その多くが、柄の悪さから平素からざわめきを起こし続けているような、そんな彼ら。だが、少し前にやって来たバジルと我らが親方が真剣に行っていた会話。その内容が今発表されるということで、全員は固唾を呑んでいた。
「バジル坊からお前らに凶報だ。サーカスが来る、とよ」
それは、あまりに端的な情報。サーカス、つまりは地震などより余程恐ろしい災害が来るということに、多くの驚きと疑念の声が上がった。
だが、ボーラーはその喧騒を一喝する。
「黙んな! ……いいから、落ち着け。魔人がなんだ、魔従がなんだ。お前らはもっと恐ろしいもんを見てきたじゃねえか。……まさか、鉱山労働で、一度も死の恐れに触れなかった奴らが居る訳、ねえよな。思い出せ、あの真っ暗を」
実感の篭ったその言に、一同は押し黙る。原始的な掘削や労働に危険は隣り合わせ。そして、数多く広がる洞の暗さに死の恐怖を覚えなかった者はなく。確かに、姿の見えない魔人よりもずっと恐ろしいものはある、と彼らは思った。
「は、結構結構。まだまだアレが目の前に迫って来たってことじゃねえ。なら、判るよな。おいらたちがどうすればいいか」
「に、逃げないと……」
「ボネット、馬鹿かテメエは! こんな時でもお前は、臆病風に吹かれやがんのか!」
「ひぃっ」
何時ものように怒られる、そんな根性なしの男に、笑みを見せるものもちらほら現れる。場が多少和んだことを感じ、ボーラーは語りを続けた。
「……いいか。おいらはバジル坊に聞いたんだ。お前はどうすんのか、ってな。戦うってよ。まあ、これは当たり前なのかもな。アイツは怖いもの知らずみてえなところがあるからなあ」
何時かバジル坊が無理して消えちまわないか、おいらは怖いな、とボーラーは続けて呟く。彼には、親心が多少なりともあった。
「だがな。それなら、パール嬢ちゃんはどうすんのか、っておいらは気になっちまってな。訊いたんだ。するとな……嬢ちゃんも戦う気なんだって、よ」
「そんな! あの人は、……戦いのような、そんな血生臭い場に出るべき人じゃない!」
「素っ頓狂なことを言うもんだなあ、ビーニーよ。お前は良いことばかり耳に入れて、悪いことは知らんぷりなところがあるな。少し目覚まさせる必要があるか? お前さん、パール嬢ちゃんが、魔従を二匹もやっつけたことのある凄腕だってことも知らんと見える」
存外有名な事実を知らなかった青年に、白い目が向けられる。それで告白したのか、という揶揄も飛んだ。だがしかし、驚きにビーニーはそれらに上手く反応することが出来なかった。
「あの、剣を振るのすら難儀していた、パールが……」
「昔のことはおいらも知らねえ。だが、今のパール嬢ちゃんは立派なもんだって、それはおいらもお前らも知っているだろう」
ボーラーの言葉に、誰もが頷く。そして、一人が思わず思いを言葉に出した。
「聖女様……」
「そうだ。バジル坊は、どうにもパール嬢ちゃんを崇めるのを嫌っているみたいだが……仕方ないだろ。何せ、あの方はおいら達の希望だ」
ボーラーは、他の誰が、こんな汚い俺らの手を取ってくれるってんだ、と続けざるを得なかった。
「この中でも、聖女様の手で救われた奴は多いよな。ちょいと運が悪かったのは、バジル坊に治して貰っていたりするが、それを施しにしてしまうあいつらの太っ腹の凄さがお前らに分かるか?」
「……分かりますよ! パールはもう優しすぎて雲上人だけど、バジルの奴だって、治療は苦手って言いながら額に汗して俺らを……無力の時に石を投げたことだってある俺を、真っ直ぐ見て助けてくれた! 他の医者なんて、魔法使いなんて、俺らのことなんて下に見るのが当たり前なのに。その感謝すら受け取らない、受け取とってくれずにただ治って良かったって言ってくれたアイツを、俺は一生嫌えないです!」
「ビーニー、良く言った! 幾ら金持ってたって、もっとお金が欲しいのが人の普通だ。世の医者が悪徳なんじゃない。アイツらが善良過ぎなんだ!」
涙と熱狂が、その場に溢れる。確かに想っているのであれば、感動は通じるもの。彼らはどうしようもなく、パール達が好きだったのだ。
「お前ら、聖女様達の力に、なりたいか?」
その場に怒号のような、様々な肯定の言が轟いた。
「なら、穴を掘るんだ。今回は、縦にな。仕留めるのは、無理かもしれないが……奴らをバラバラにして、足止めするための落とし穴を沢山な! 何、勝手が少し違おうが、おいら達が何時もやっていることだ。こればっかりは、バジル坊にだって劣らないだろう!」
「親方。ぼく、罠の作り方知っています。お爺さんが貴族様に教わったのを聞いていて……」
「おお、それはありがてえ。良くそれを教えてくれた、ブルトン! 勝手に森に入ってしまうことになろうが、これは非常時だ、お目溢し願おう! 今日はお終えだ。皆、勝手にしな!」
端にいた小太りの男の背を叩いて、ボーラーはその場で仕事終わりを告げた。そして、彼らは器具を持ち出し、勝手にも森を掘り返して危険の立て札を針山のごとくに刺していく。だが、その行動は確かにサーカスの妨げになって。
戦いたい他の人々の背を押すことにも繋がっていった。
ボーラー達が発奮している中。サーカスの噂は、急速に街中へと広がっていく。猟奇的なおとぎ話と昔の悲惨を知る者たちの恐れ、災害の情報に不安はどうしようもなく高まり。そうして、爆発するその寸前。暴徒が溢れるそれより少しだけ、早くに。
彼らは歌を聴いた。
「らーらー」
それは、高みから響き渡る。見上げた者にも何処からそれが届いて来るのか判らない。ただ、素晴らしきそれは、天から送られたのに、間違いはなかった。
それに、歌詞などない。いや、きっとそんな華飾など要らないのだろう。ただ、思いの丈が綺麗に、優しく響いていく。
「あーあー」
誰が先に何人構わず逃げようとした足を停めたのだろう。それは判らない。だが、間違いなく、人々はその歌によって釘付けになっていた。見上げて目を瞑り、僅か彼らは思う。それだけで、良かった。
何しろ、一息さえ吐ければ、人は我に帰ることが可能だから。
「らーらー、らー」
そして、少女の歌は何より高く大きく響く。人々を焦がすそれは明らかに、魔性。だが、曲がりなりにもそれは何処までも人を想って歌われたもので。だから、高らかに張り上げられるその声を誰も不快に思うことはなかった。
「あーあー、らーらーららーらー」
一時だけ、魔女は人のために歌う。その天才を使い、人を獣とさせないために。勿論、聖女でない彼女がそこまでするのは、自分が愛する者のため。
「らー、あー」
これは、パールの中の彼のための、愛の歌。歌詞がないのは、口にするのが恥ずかしいため。だがそれでも、皆を、ひいてはあの人を幸せに出来るならば嬉しいと、彼女は思う。頭に流れるその美しい曲調を、転がるような美声でグミは流していった。
そして、最後に鐘塔の上で頭を下げてから、魔女は微笑んで歌を〆る。
「らーらっ……皆、聴いてくれて、ありがとう!」
果たして最期の感謝の言葉は届かずに消えた。やがて歌によって創られた魔境から、人々が我に返り。その内の一人が、呟きを始めて。そしてそれらは連鎖的に続いていった。
「……逃げ……逃げて……いいのか、本当に? ここには大事なものが、一杯あるってのに」
「綺麗な歌だったな……サーカスにライスが荒らされたら、あれも、もう聞けるか判らないのか」
「怖い、怖いな……でも、慌てて怪我してもたまらない、か」
「……教会に、行きましょう。この噂が本当かどうか、教えて貰えるはず」
恐れに統一されかけていた群衆は、感動の後に、見事にバラバラになった。次第に三々五々、避難の準備をするものも、噂の確認するものも、日常を守ろうとするものも、別れていく。
そんな全てを、グミは塔の高みの端に座して足をぶらぶらさせながら見下げ続けた。やがて、彼女の元まで昇ってくる足音が辺りに響く。
「グミ」
「バジル。そっちは、どうだった?」
「はぁ……半々、だな。だが自警団でも実力が上の奴らは全員戦うと言ってくれた」
「そうなんだ。良かった」
街中を走り回ったのだろう、汗だくでそう語るバジルはどこか満足げだった。誰かを頼り、それが受け容れられる。そのことが存外嬉しかったのだろう。
「後は、あまり役に立ちそうではないが、何とか騎士サマの手も借りて……」
「そうだ。モノって人の力は借りられないの?」
「今領主サマの元で指導を受けているそうだからな……最速で頼むと向こう行きの知り合いの御者に頼んで文を送ってはみたが……明日までには間に合わないだろうな」
「そっか」
ついとバジルとグミが見上げた空はまだ高く青いが、それは明日も同じものになるであるだろうかは、疑問だった。
そう、魔の手は直ぐ近く。山を降りて向かって来るサーカスの本体は一日足らずで着くだろうという目算がされていた。果たして眼下に展開している人々のどれだけが、逃れ抗い生き延びられるだろう。
「ボクも、戦うよ。ライスは好きだし……それに、ここで食い止めたら、お父様とお母様にまで、被害が行くことはないだろうから」
「そう、だな」
愛憎は半々。それでも愛してはいる存在を思うグミを眩しそうに見て。そうして、バジルは震える手を握り込んでから明日は魑魅魍魎で溢れるだろう森に勇んで入っていく男共を見送りながら。
「助かるよ……ホント」
そう、言った。
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