第29話 抵抗と否定
二人が一人で一緒の彼と彼女は取り残された。そうして、言う。
待って!
伸ばした手は、届かない。だから、掬えないのだ。
人は、死を察知した後に、何を成せるのだろう。果たして、意味は残せるものなのか。
シャフトは、クラウン・ワイズの魔法に、死を覚悟した。遅れて聖女を護らんとした彼は、誰より前にて盾になることになってしまう。だから、火色に風色二本の魔法使いは目の前にて創られる『黒』の様子の全てが見て取れた。
集まる四色。それらが混濁して一体となり『融和』した、それが『黒』の正体。大きさは、人の頭より大きい程度だろうか。速度も矢よりは遅い。見知った大魔法と比べると、それは小粒。だが、篭められた力は恐らく全てを凌駕するのだろう。そんなものが、炸裂もせずに向かってくる。
避ける。それをまず思いつく。サイズから予想するに、攻撃範囲はきっと狭い。風色で自分の身体を飛ばせば、助かる可能性もあった。だが、それは駄目だろう。
シャフトは後ろを見た。四人の腕利きの同僚に守られて、敬愛すべき主のアンナは暗器を展開して立ち向かいもせずに、ただ気絶した聖女を抱きしめ庇っている。その後姿に、何時もの厳しさは何処にも見当たらない。悲痛さは、ひしひしと感じられたが。
「ここで、死ぬか」
だから、シャフトは不退転を決める。機能から人に変化した主を歓迎して、それを生かすために。
シャフトは昔のアンナのスパイシーな有り様に惚れて付いてずっと来たのだという自覚がある。だが、最近の人間なりかけな女性に仕える喜びも中々だったと、そうも思った。半ば道楽とはいえ商売で稼いだ売上の全てを彼女が教会に寄付した時は、おかしくなってしまったかとすら考えたが。
「全部、持ってけ!」
命がけで、それでも足りるとは思えない。染指一本で世界が違うというのならば、七本指というのは最早異次元だ。だが、どうせなら、やってみるのも悪くない。
命を奪うばかりで無意味だった、この生。せめて最期は意味あるものにしてみせよう。奪う方が楽な魔法で大事な人を守って終われるならば、中々だ。
そう思い、シャフトは今までに行わなかった全力で指を伸ばした。攣って、裂けて、離れて。それでも先へ。命を足してでも、深みに触れろ。
「ここ、か……」
そして、彼は底まで届かせる。ただの人には出来ない、これが魔法使いの悪足掻き。ニヤリと笑んで、一度きりの魔法を轟かせた。
それは、味方が撃った弾幕をも呑み込む、爆炎。威力は、中々。そしてこれは先の『黒』に対して圧倒的な向かい風となるに違いなく。
この渾身の魔法は、無理な行使の反動に臓腑を爆発させ、それだけで死に向かっているシャフトにせめて時間稼ぎになったのではという希望を持たせるに十分なものだった。
だが。
「はは」
風に多少勢い滞ろうと、その進みは変わらない。むしろ、向けられた魔法を無にするどころか呑み込んで融和して、それは大きくなって、黒々と。
周囲に絶望を広げながら『黒』は、シャフトの乾いた笑みごと全てを食んだ。
シャフトは、失敗した。そして、他も無駄と消える。魔に対するものとされる、真鉄も呑み込まれてしまうのであれば、それは最早何で止めるというのか。むしろ攻撃の度に容積を増やし、あっという間に『黒』は巨大と化して今や地すら削っている。
逃げなければ、いけない。誰かが『黒』に背を向けるアンナに手を差し出した。しかし、彼女が受け取ったそれはそれこそ手の平だけ。時遅く、彼の身体は既に呑み込まれていたのだ。
「あ……」
触れた手。誰かの亡骸の一部。それすらどんどん呑み込んでいく『黒』に、アンナの上げた瞳は黒く、堕ちる。守れない。私は、彼に彼女を王に出来ないのか。
それだけは、嫌だったのだけれど。と、盾にもなれずに、アンナはつうと涙を流して。
「お姉様!」
だから。ロー(パールが救った風色一爪の小モア)に乗ったアスクが自分とパールの身にぶつかることに覚悟する暇もなく、アンナは衝撃のまま、転がっていった。
「ア、アスク……」
そして、四つは回転してから止まり。アンナは振り返る。それはそれは、乱暴だったけれど、それでも命を助けてもらったのであるから、感謝をしたくて。だが、彼女の目の前に倒れていたアスクは。
「痛い……痛いよ、お姉様……」
その足、二つを欠けさせていた。
「アスク!」
諾々と流れていく血を許せず、疾く近づいてアンナは袖を引きちぎってから駆血を行う。
そうしてから、アンナは気付く。これは、呑まれたのではなく、斬られたのだと。もう通り過ぎて森を呑み込んでいる『黒』の道筋の中にあったのだろう、ロー。もしかしたら彼が、アスクを助けるために、呑まれながらその鐙に引っかかっていた足を魔法で斬ったのではないか。
そう、理解しつつ、逃げるためにべそをかいているアスクをアンナは持ち上げようとして。その時に声を、かけられた。
「どこに行くんだい? まだ、我々の出し物は始まったばかりなのに」
男のような女のような、老人のような子供のような、混じって不快な声色が、そう言う。
首を返す暇なんて、ない。暗器を投げつけ転がりながら、アンナはパールの元へと飛び退る。先まで彼女の有ったところに、黒々と穴が空いた。
「クハハ! 身軽だね。それじゃあ、次だ!」
額から、ずぶずぶと真鉄の針を呑み込みながら、クラウン・ワイズは狂喜する。
そして、今度は十、二十、次々と。どんどんと『黒』が精製されて。縦横無尽な線の如くに撃ち出される。
「っ」
勿論、そんな大量を避けることなど叶わない。だから、どうしようもなく、アンナもアスクも、その後ろで倒れるパールも呑まれて消える、筈だった。
「殺したな……!」
ぱん、という破裂音。それと共に数多の異次元を、バジルは差っ引いた。血だらけの体を、動かして彼は吠える。
「オレの前で……パールの前でっ」
もう、バジルの前に敵はない。後は、道化師ただ一人。五爪の風狼に対する一か八かの突貫は、成功していたのだ。
襲い来る刃の数々。バジルは肌に食い込んだ風が身体を通り抜ける前までに、それを全てゼロにした。そして、距離を取ろうとした狼を怒りに任せて凍らし、砕く。彼への哀れみなど、知るものか。痛みを我慢し、彼は突き進む。
「許せる、ものかっ!」
パレットの負担が何だ。自分の命が何だというのか。そんなものより、大切なものがあったのに。それを自分は守ることが出来なかった。人の絆は、そうそう絶やしていけないもの、だったのに。
大好きを救えなかったバジルは、悔し泣きを落としつつ、掛け値なしの本気を発揮した。
「なんだ、キミ」
そして、道化師はもう、笑えない。地が死ぬ、空が死ぬ。彼の周囲の魔すら、死んだ。
動物を殺して平気だというのに、人間を少し損ねたばかりで激昂する相手。そんな下らないものは、よく見るものだ。だが、そんな不条理がここまでの脅威に膨れ上がるとは、彼は一度も思わなかった。
調合板には、同じ色がずらりと並ぶ。そして五つの水色が、一筆によって流れていく。やがて、巨大な顔料は大きなうねりとなって、上等な絵画すら害した。
「――死ね」
それは、巨大なばってん。
まず先にバジルが倒れ。そして、クラウン・ワイズは粉々に割れた。
バラバラになった、クラウン・ワイズは考える。ああ、ここまで否定されたのは何時ぶりなのか、と。
こうまでなっても、クラウンは、死ねない。老いもせずに、彼は魔によって生かされる。それが辛いと、思い続ける部分も確かにあった。
生まれつきの、魔従で、魔人。人と深く交わったことなど一度もない。言葉が通じるのも、人のそれが未だ神の手によって分かたれていないというだけ。誰かに、話し方を教わったという訳でもないのだ。
だが、それでも。こうまで人を求めてしまうのは。たとえ、魔に囁かれて彼らを損ねるためだとしても、否定するためだけだったとしても、否定されたとしても。それは、自分が人の子だからではないか。
そう思いたかっただけ、なのかもしれない。誕生したのは、幾年ほど前のことだろう。もう、自分が人の間から生まれたという確かな証などない。母の顔を思い出せも、しないのだ。ひょっとしたら、彼はただのクラウン・ワイズという現象なのかもしれなかった。
「……いや、我々は生きている」
だから、殺すのだと、発声機関の再生にまでこぎつけたクラウンは言う。
生きることは、殺すこと。だが、こんなにも殺さなくても良かったのに、と思わずにはいられない。長々と生き続ける意味などないというのに。
それでも、衝動的に身体は動くのだ。止められず、泣けども笑えども、サーカスは続いていく。滑稽な道化師は、プロットに則って。
だから今も、クラウン・ワイズは前にも後ろにも【何処の世界にもない】地獄を創るために、起き上がった。
「ん」
そして、損ねるために起こした顔は、見つける。この世の中で、何より鋭い人間の姿を。
太い腕を緑髪伸ばした頭に回し、こんな筈ではなかった、とでも言うように悲しげな表情をしているモノを見て。ようやく安心したかのように若々しい老人は言った。
「キミが、我々の死か」
「ああ」
モノが帯びているのは、笑ってしまうほどに、小さな剣。だが、それが彼に見合った素晴らしいものであることをクラウンは疑わない。
あれは我々(神)をも殺せるものだ。
「待って!」
「……お願いだ、待たないでくれ」
「分かった」
望むことこそ、最期の抵抗。
そして、モノは聖女の静止を聞かずに、クラウン・ワイズの介錯をする。
一度くらい、貴方も正しいと言って欲しかったと不相応にも思いながら、サーカスは露と消えていった。
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