第30話 涙と笑顔
彼はあまり泣かなかったけれども、それを秘めた彼女はどうなのか。
うああ、わあぁん!
皆辛そうなの、ヤダ……。
あは、ぐす。うう……。
あは、もうモノ、ふざけないでよ!
泣いた後には、笑顔が咲くのか。それは、補足してみる価値があると思う。
「うああ、わあぁん! うううぅう……」
パールは涙を流す。自分が気を失っていた間に起きた多くの痛みに悲しみに、とうとう堪えられずに。しかし彼女は、濡れる視界を閉ざすこともなく、手を組み合わせることも止めなかった。
死してしまったものは、いくら悲しんでももうこの世にはないのだ。だから、彼らの復活は望めない。あまりに、それは悔しいことで。だが、傷ついてしまった者を救うために、パールは決して崩れ落ちずに休むことはなかった。
「ぐす……ぐず……ううぅ……」
パールの美しい顔は、涙に汚れて崩れている。だが、それが醜いものとはならない。容姿を忘れ、懸命に思う彼女は足掻きすら人の目を惹く。そう、誰から見ても、その必死はあまりに、悲痛だった。
「パール」
「モノ……ぐす、治さないと。うぅ、痛いの、嫌だよ。皆辛そうなの、ヤダ……」
「ん。そうか」
全身を崩れさせ辛うじて生きているばかりのバジル、そして足の痛みに涙するアスクの前で、パールは必死に自分の力に願う。少女は、利己的だ。辛いのは嫌で、皆が辛いのも許せなくて、だから否定する。
それは人間らしくて良いのだろうと、モノは認めた。
「だが、パール、お前は余計なことまで考えているだろう?」
「だって、だって、私、助けたかったのに……ぐず、クラウンも苦しんでいたって分かっちゃったから、だから、解き放ってあげたかったのに……」
「それは、俺がやった。パールがそのことで悩むことはない」
「モノが言っていることも分かる、分かるんだ。でも、でも……死んで、欲しくなんてなかったよお!」
それは、慟哭。身勝手にも、パールは疲れ果てた老人にも、生きることを望む。もう会えないのは、認めたくなかった。幸せにすることが出来ないというのは、辛い。何より悲しいのは、嫌だった。幾ら通じ合えなくても、認められなくても、彼女はそれが亡くなって欲しいとは、とても思えなかったのだ。
「だったら、向かい合うことを躊躇うんじゃなかったな」
「ぐす、本当に、そう、だった……」
どうしてそのことを知っているのだろう。モノの言に対して、パールは頷いた。
その、通りなのだ。対したところで殺傷しないように末端を狙ったからこそ、クラウン・ワイズにああも簡単に避けられてしまい、結果止めることが出来なかった。奇跡の力ならば、魔で出来た身体に傷をつけることだって不可能ではなかっただろうに。
殺してでも止める、そんな気概が足りずに、パールは負けた。本来、殺されていてもおかしくないのに皆の力で生き延びられた、そのことを喜ぶべきなのだ。そのくらい、彼女も分かっている。
「皆が、生きていてくれて、私を生かしてくれて、嬉しい。ありがとう。本当に、ありがとう……うぅ、でもでも、悔しいんだ。あとちょっと、だったのに……」
もう少しで、抱き留められた。パールには聞こえていたのだ。『融和』していた彼の悲しみも。きっと奇跡であっても道化師を人に戻すことは出来なかった。それでも、人の温かみを教えてあげることくらいは、可能だったろうに。
「ぐす。小突いて、間違っていたんだよ、って教えてあげることくらい、やりたかった……」
サーカスの行いを肯定なんて、出来ない。被害を受けた人々のためにも、後悔を覚えさせるのは、必要なことだっただろう。でも、それでも、もし彼らが生まれ変わったら。それを含めた皆の明日が少しでもいいものであればと、願うのだ。
どこまでもパールは、強欲だった。
「パール。お前は本当に、戦うのに向いていないんだな。魔物相手には食べるのと同じ生きるためだと言って馴らしてやったが、魔人相手だと、そうはいかないか」
「モノ?」
「戦いにもしかしたら、はないんだ。否定するなら、全部しろ。隣人と思うからこそ、辛いんだ」
「で、でも!」
モノの言葉を受けて、パールは困る。否定するのが辛いのは、当たり前じゃないかと。だって、何時だって彼女は辛い。こうして、奇跡の力を使って傷を否定するときまで、ずっと。
パールは、対するのに向いていない。それは間違いなかった。だから、笑んで、モノは言う。
「勝ったんだ。笑え。そうしたら、皆も笑える」
「でも……」
「ビターエンドを否定するな。皆が、悲しくなる。……お前も頑張った、皆も頑張った。それで今がある。十分じゃないか」
足りないと泣くのは向いていないよ、とモノは語る。それに感じ入り、彼女は再び、満ち足りた。
「あは、ぐす、あはは……そう、だね。これでも、良かったんだ。助けてくれた皆、ありがとう。あは、ぐす。うう……」
「泣くのか笑うのか、どちらかにしろよ」
モノに撫で付けられながら、泣いて笑って、そうしてようやく今を認める。一日の終りを認めなければ明日へ行けない。だからパールは悲しみを尽くして。そうして、ようやくただ皆の幸せを願えるようになったのだった。
後から後からを、次から次からで叩きのめして。ジャワとノッツは獅子奮迅の活躍を続けた。途中から応援もやって来て、それらと組み合わせた魔法は四本指の魔従すら退けて。
援軍、グミと敵影が失くなったことにハイタッチしてから、彼女が勇んで森へと向かいだしたことを、彼らは止めなかった。少女が自分らより余程強いということを既に認めているから。
「行ってくるねー」
「おう」
「聖女様を、存分に助けてあげてくれ」
「モノが行ったから、多分大丈夫だと思うけれど」
「先のあの後ろからの風が、モノだったのか……すわ背後からの攻撃かと思って驚いたぜ」
「少しは、大きな影が見えたが……いや、一度手合わせしたけれども、やはり彼は全く全力ではなかったのだな」
じゃあね、と消えていく少女を見届けてから、自警団と騎士団の二人は、背を合わせて座り込んだ。互いに疲れは、もう限界。魔法の使いすぎでジャワの指からはもう煙も出ず。重い盾振るったノッツの腰は最早痛みを越えて笑っていた。
「随分と、煤けたな」
「はっ、そう言う騎士様も、同じだぞ?」
「ふ、そうか」
数多の木々や動物を燃やしたために、黒くなった互いを見て、二人は笑う。苦労を相手の有り体で確認しながら、上出来な結果を思った。
「結局……魔従の一匹たりとて落とし穴の一帯は越えて来なかったな」
「他所に向かった魔従らはどうなったか分かんないが……人間様々ってところかねえ」
ジャワがなるだけ、それを損ねて来そうな土色や水色持ちを先に狙ったため、というのもあるだろう。だが、人々の手によって作りあげられた防衛線は結果的に最後まで保たれて、サーカスの多くを押し留めた。
グミの報告から聞くと、街の被害も殆どないようで。対策をする時間を作ることが出来た、一報をもたらしてくれた何者かに、ジャワ等は心中にて深く感謝をした。
「後は、クラウン・ワイズか……」
「ぶっちゃけ、サーカスの怖さってのは、魔人の強さに拠っているからなあ。モノでも勝てるかどうか」
「ま、彼でだめなら仕方ないだろう。すっぱりと諦められるさ」
「はっ、違いねえな」
伝説に対するのは、物語られるべき人間。きっと、この大騒動も、モノのお話の一部になるのだろう。そう、二人は思う。何しろ、彼らは聖女の優しさと同じくらいに、剣士の強さを信じているのだ。
そして、不安はもういいかと、疑問をノッツは語りだす。
「それにしても、街ではないなら何処に行ったのか……魔従の数は予想された半分くらいしか見当たらなかったな」
「五十足らずだったなあ……正直、大部分がライス地区を荒らして回っているんじゃねえかと思ってたが……それもない、と」
「報告すべきことが、一つ出来たな」
事前情報と、噂から、サーカスの魔従は百より多いと考えられていた。だが、クラウン・ワイズに従う彼らはここに来るまでにあまりに数を減らしている。山を越えて来たのだろう、その負担で数を減らしたのだとしても、半分以下というのは不思議なことであった。
今はその不測が味方になったが、しかし次はどうなるか判らない。サーカスからすら魔従を誘った何か。それが何か、彼らは気になった。
「まあ、上司の前に出るまでに、アンタの首が繋がっていればいいがな」
「……本当に、な」
今まで命令違反は殆どして来なかったほぼ白い身とはいえ、この灰の土地と化した森の責任をどうとればいいか。自分の命で済むなら、むしろ安いものだとノッツも思わないでもない。他に累が及ぶ前に、実行者の確保はしておこうかと、そうも考えた彼だったが。
「ま、今日はありがとうな、騎士様!」
「……ノッツでいい」
しかし、グローブ越しの強い握手に友情を感じてしまい、言い訳を考えるのが先だな、と未来をノッツは投げ出した。
「パール!」
「わっ……グミ……」
「良かった、生きててー……ね、どうなったの?」
一直線に向かい、パールに抱きつく、グミ。涙の跡を察しながらも、それでも心配から彼女は疑問を呈する。
「クラウン・ワイズは、倒した」
「モノ……それって、ホント?」
「ん。間違いない」
その場で一番に元気な、モノがそれに答えた。本当は、それはおかしなことであるが。アスクが駆るローの案内に付いていき、大モアと見つけた野生のモアを乗り継いで、それも潰れてしまった後は自分の足で駆け、遙かなる距離をゼロにした彼。
そんな途中で倒れていても何ら不思議ではない道程をこなして尚、疲労の色すら見せないモノはやはり、群を抜いた存在だった。
「この剣で斬ったからな」
「えと……その剣……何か、凄そうだね……」
「貰い物だ」
判りやすく示そうと音もなく、モノが鞘から取り出した短剣。それに、グミは魅入られた。くねって集まった不思議な刃紋。それが、素直の知識ではダマスカス鋼と判じられるものであるとは、彼女には判らない。
「誰から貰ったの?」
「タアル伯から」
「ええっ! どうやって、何で、どうして?」
「落ち着け」
「落ち着けないよ!」
幾ら強くて凄くても、モノは一般人の筈。それが、伯爵と知り合っていて、物を頂ける程に関係を深めているとは、流石にグミはびっくりである。当然、バジルを背負い、グミを首からぶら下げている、パールもこれには驚いた。
「ええっ、閣下と、どういう関係があるの、モノ」
「簡単だ。娘さん……レディ・バブを助けたことがあって、その縁で」
「どういう時に助けたの?」
「拐われた時に、偶々居合わせてな。どうにもバブには気に入られてしまって困っている」
「わ、すっごく主人公っぽいよ、この人」
どっかで聞いたー、と騒ぐグミに、悲しみ燻らせながらも、ああモノならば出来るだろうし、やるだろうなともパールは思う。
そして、驚きの発言をモノは続けた。
「そういえば、それもあってか認められて、俺は叙勲されている」
「っていうことは……私と同じ?」
「お前も準貴族なのか? 言い忘れていたが、俺のフルネームは、モノ・ディリートだったりする」
「聞いてないよ、そんなことー」
「そういえば、文に書いてなかったし、言っていなかったな」
「酷いよ、お兄ちゃん!」
少し調子を取り戻して、パールは冗談めかして普段と違う呼び方をする。それを聞き、何故かモノは目を輝かした。
「何だか、新鮮な響きだな……もう一度、言ってくれ」
「ヤダよ!」
「そう言わずに……」
「何だかモノ、気持ち悪い!」
何時もと違う。久しぶりの再会にタガが外れているのもあるのかもしれない。だがしつこいモノに、パールはそう言ってしまう。
「気持ち悪い……」
「あ、ゴメンね、モノ」
そして、モノはどうしようもないくらいに落ち込む。想い人にそう評されてしまえば、そうなってしまうのも仕方のないことかもしれないが。
だが、その情けなさに、グミはくすりと笑う。
「何だか、最強の騎士様も、パールにはかたなしだねえ」
それは、全てが終わったからだろう。悲しみも随分とあったけれども、それでも笑顔を失くす理由にはならない。
「あは、もうモノ、ふざけないでよ!」
災厄を越えて、再び皆に笑顔が生まれる。
その洞は、深い。故に誘わずにはいられないのだ。
「ぐるる」
「コロコロ」
サーカスの一部をも呑み込んで、それは今も広がり続けている。
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