第28話 ミルクとモノ
彼も彼女も今は同じであるが、果たして他もそうなのだろうか。せめて、似ている者は。
はじめまして。
それがなんと……ただです!
嬉しいじゃないですか!
きゃ。
彼女は、どうなってしまうのだろうか。果たして、彼は間に合うのか。疾く、補足しよう。
ミルクは、モノのことを愛している。それは、少し暗ったく歪んでいるが、それでも恋愛の体は保っていた。全部は深すぎる故、だったのかもしれない。
生まれてから、ずっと少女には何かが欠けていた。土色の染指二つ、というこの世からの贈り物であっても、それを埋めることは出来ない。ミルクは、よくよく体調を崩した。
病弱少女はうなされながら、多くを夢に見た。見たことのない過去、それは【前世】と呼ぶべきか。自分ではない自分が、元気に生を謳歌している、そんな姿をミルクは多く望んでいく。
きらきらとした、数々の欠片達。それに、次第にミルクは打ちのめされていった。共感できない、自分と似て非なる自分。まるで己は、強制的に見せつけられる、生き生きとしたそれの影であるような気がした。
その夢見に広がる世界以外の、ミルクの世界は狭いもの。会話するのも関わるのも、祖父に、両親の三人ばかり。後は、時折窓辺に来る一羽のカラスに彼女は話しかけもしたか。彼の爪の一つが風色をしていても、少女は特に気にしなかった。ただ、旅人に尋ねる。今日は何処まで行ってきたの、と。返事が返ってくることは一度もなかったが。
そんな、多くがベッドの上での生活の中で、外の素晴らしさを見せされて、何になるだろう。ミルクにとって、前世は自分の不足を無理に知らせられる毒にしかならなかった。
だが、それでも一つ、気になってしまうことがある。それは、前の自分が添い遂げた相手のこと。別段格好良くも、賢くもなく、ただ身体は強かったようである彼。それは、果たしてこちらにも居るのだろうか、と。
別に、またあの人と仲良くなろうとは考えない。しかし、出来ればまた会いたいと思うくらいにはミルクに身近な存在だった。それ程、夢の中で頻繁にいちゃつきを見せつけられたから。
時々自分の不足に崩れ落ちながらも、緩やかに時は過ぎていく。それは、ミルクが、身体つきに女らしさが増してきたことに自覚を始めた頃だったか。噂を、訊いた。魔法を斬る剣士。それを実際に見たという祖父は興奮した様子で口にした。その名は、モノというらしい。強い人。それが、彼に対する初めての印象だった。
だが、それから英雄と病弱が少しも関わることなんてなく。忘れた頃になって、彼らは出会うのだった。聖女様の護衛の人間、として。
「はじめまして。私はパールと言います。ミルクさん、今日の体調はいかがですか?」
「そこそこ。……隣の人は?」
「モノだ」
「それだけ?」
「ん」
「もう、モノったら、ホント、必要な時以外は口数少ないんだから。ミルクさん、安心して下さいね。彼は私の家族で、出歩くのに心配して付いて来てくれただけなんです。最近は物騒みたいですからねえ」
「そうなんだ」
街の現況を聞き、なるほどと頷くミルク。筋肉質で大きな、モノ。だが、どうしてだか圧迫感は受けなかった。気後れしてしまうくらいに美しいものの後ろに、静かに佇む隆々。静かな人だな、と思った。
そして、ミルクは治療を受ける。白磁の手は、彼女の前で組み合わさった。
「え? 身体が……軽い」
「ふぅ……ちょっと、少ないのを私が埋めました。勝手が違うかもしれませんが。これである程度は動けるようになるかと」
「……治療費は?」
「え?」
「きっと、高いんでしょ?」
ミルクもまた、聖女に助けられた一人である。だが、感謝より先に、恐れが彼女には湧いた。ライスの医師全てがさじを投げた、自分の体。診てもらうそのためだけの支払いによって、家が小さく変わってしまった事実は、少女にはあまりに重いものだった。だから、余計な心配までしてしまうのだ。
「ふっふー。幾らくらいだと思います、奥さん?」
「奥さん?」
「今なら、モノの笑顔まで付いてきますよ!」
「勝手に付けるな」
「それがなんと……ただです!」
「……ホント?」
「本当だ」
あまりの疲労感に、テンションが上がってしまったパールを押さえつけ、モノが代わりに口にする。その内容を、上手くミルクは理解出来なかった。
「え、どうして? こんな……誰にも出来ないこと、なのに」
「あれ? 私は別にいいのですけど、そういえばどうしてなんでしょう?」
「パール、お前が忘れるなよ。それは誰にも出来ない特別、だからだ。父さん……神官はこのパールの奇跡の力を神の贈り物と定義した。それを、商売にする訳にはいかない。万人に分け与えるべきもの。だから値段は付けられないんだ」
「神の、贈り物……」
ミルクはパールを見て、繰り返す。この綺麗な人は、確かに天からやって来たのだと言われてみれば、頷けてしまう。或いは、彼女は神に触れているのか。そうとすら思う。
「へー、そうだったんだー」
「はぁ……前も言ったんだが、それも、建前だ」
「……建前?」
「パールが出来るだけ皆を助けてあげたい、と言った。先の屁理屈はそれを叶えるための後付けだ……父さん、パールに甘いんだよ」
「へえ……」
頬を掻き、少し恥ずかしがるモノ。そこにミルクは親近感を覚える。なるほどこの人達も、俗で人間なのだな、と。しかし、と彼女は続けて思う。
「……でも、そんなこと、私に言っていいの?」
「良いだろう、な」
「どうして?」
「そんな、世を斜に見ている人間に、神云々を語ってもあまり実感がわかないだろうからな」
モノは黒眼で真剣に見つめながら、そう断言した。少し、ミルクは胸を痛める。
「ミルク、お前を助けたのは、神の手でなくあくまで人の手だ。生まれつきに苦労させられただろうお前を、決して人間は見捨てない」
「そう、なんだ……そう、だったんだ」
「良いこと言うね、モノ。そうですよ。最低でも、ご家族に私とモノはミルクさんが自分で立てるようになるまで、手助けします。コレ一回で治すとはいかないですけど、何度でも、私は来ますから」
それは、どれほどの人間愛か。当たり前のように、聖女は言った。
今更、溢し過ぎた涙は流れない。だが、それでも感動はする。ミルクは胸いっぱいになるものを受け取って、また疑問を口にした。
「……どうして、ここまで?」
「だって、知っている人が幸せになってくれたら、嬉しいじゃないですか!」
パールの断言は、嘘一つなく。ミルクはここでようやく安心できた。もう、恐れるものは狭い世界の何処にもなく。太陽によって世界は照らされ、鮮やかに色づいた。
「ありがとう」
胸から溢れた思いは笑顔になる。それを喜び、パールと、モノも笑った。
その後、パールとミルクは友達になった。そして彼女らは次第に仲を深めて。最終的には、互いの秘密を打ち明け、曖昧な前世の話で盛り上がるようにもなる。
ある程度の健康を手に入れ、世界を広げたミルク。その中でも、一番の友達と言えるような者はパールだった。そして、気になる男子も、一人出来た。
「モノ……今日は、居ないんだ」
「ふっふー。私も剣の腕を上げて、もう一人でも大丈夫だって言われたの。だから、こうして私だけミルクちゃんの家に遊びに来たんだ」
「そう……」
教会とミルクの家には距離がある。だから、護衛も必要だったのだろう。だが、パールが安心を勝ち取った今、わざわざ遠くまでモノが付き合う必要はないのだ。その事実が、悲しいと少女は思った。
「……私、悲しいんだ」
「どうしたの、ミルクちゃん?」
「嫌だ、嫌だよ……モノが離れるの、嫌」
それは、今まで自覚をしていなかったこと。ずっと、会えば会話を交わす程度の間柄。情を過度に交わしたことなどなく。だが、確かに彼女の中に、モノは息づいていたのだった。
それは、前世の彼を彷彿とさせる、思案に下げた時の瞳の暗さや、くしゃりとした笑顔の癖、そんな相似を見つけていたということにも因はあったのだろう。まさか、とミルクは思わないこともない。
そして、そんなことだけではなく、言葉少なに真実のみを語る、単純で強いモノの心にも惹かれる部分が多々あったのだ。熱を見つけ、側でよろけた自分を抱きとめてくれた、その腕の力強さにも胸をときめかせていた。
思い返せば、愛しか覚えない。失いかけてはじめて、ミルクは自分の恋に気づいたのだ。
「私、モノが好きなんだ……」
「ミルクちゃん……」
ミルクは、それに自覚する。こうして息をするだけで思い積もり、折り重なって形を変え。それが面白くて。そして、少女は愛の深みに溺れる。
「キス……したくなっちゃった」
「えっと?」
「行ってくる」
「……ミルクちゃーん!」
途端に走り出す、ミルク。パールは出遅れ意外な速さに見失い。やがて、教会までの、半分の距離にて息も絶え絶えの彼女は保護された。聖女に抱きとめられながら、それでも彼女はうわ言のように、口にして求め続ける。
「モノ、モノ……」
「あわわ……リアルヤンデレさんだ……」
「どうしたんだ、二人共、こんなところで……わ」
「モノ、大好き!」
「ええ……」
通りがかりのモノはミルクを確りと受け止めて。しかし彼女が口にした内容までは受け止めきれなった。カア、と一羽のカラスが鳴いた。
それからずっと、ミルクの心は変わらなかった。好きだが愛してはいはないと拒絶されても、忘れて自由になってほしいと遠くに行かれてしまっても、彼女はモノを想う。
洗ってあげるからと半ば奪い取って得たモノの訓練着をそのまま今も密封保管していたり、夜な夜な安心を求めてこっそりとパール宅の彼の部屋だった所に時々侵入してベッドに寝転がっていたり(勿論バジルにはバレている)もするが、ミルクはこれまでその帰りをひたすらに待ち続けた。ほぼ同遇のユニともまずまず仲良くしたりして。
「あ……」
だがそんな日常も長くは続かない。モノが守った街を自分も護ろうと奮起して、ミルクは負けた。
「ダメ!」
そして、グミの助けの手も届かないまま、ミルクは土色の冬虫夏草に襲われて。彼女の全ての思いは壊されんとしていた。
触腕が、耳元に伸びる。鋭い先端にてそのまま鼓膜ごと脳が貫かれんとした、そんな時。
「カア」
一陣の風が吹く。風を槌と打ち出してから、黒い影は消えた。その一撃に、菌の狙いは逸れ。
「……危なかった」
そして、間断すら許さずに全てを斬り裂く暴風が訪れ、バケモノキノコは粒ごと斬り殺された。
「……モノ?」
目を薄く開けたミルクは、自身の惨状を知らずに、汗だくの想い人を見上げる。
それは、まるで曲芸。パールの全開の剣閃を、クラウン・ワイズはただ避ける。ひょいひょいと、身軽に魔法一つ使うことなく、あざ笑うように。
「えい、やー」
「クハハ! 魔法を使えないのは、初めてだ。こんなに惨めなんだね」
いや、実際は使わないのではなくクラウン・ワイズが魔法を使うことをパールが否定し続けているがために、使えないのだった。だが、それだけで、不老のバケモノを無力化することは出来ない。魔法など無くても、マナが次にどうすればいいのか彼にが教えるのだ。次々のその先まで分かっていれば、幾ら速かろうとも意味はない。有利にさせるその程度には、道化師は魔に愛されていた。
「絶好の機会、なのになあ……くっ」
「ぶう」
「ぐるる」
脂汗を滴らせ、奇跡を行うその負荷に今にも気を失いそうな、そんなパールを目にしながらも、立ち塞がる風狼をバジルは打倒できない。多重に展開した氷盾は、一重に壊された。
その大きな体。決して、戦うだけが能ではないのだ。長命な五爪の風狼は人間の結束を甘く見ない。ましてや、兄弟を殺した相手ならば尚更だ。二人と一匹を分断し、それをそのまま続けていく。窮鼠の一撃を恐れ、深追いもして来ないそのやり方。先の同種よりも遥かにやりにくい相手だった。
千日手。時間は、決してパール達の味方をしない。だがそれでも、機は必ずやって来る。彼らは、彼女を信じているから。
「えーい」
「おっと」
そして、パールの全力によって飛散した地面。それにクラウン・ワイズがたたらを踏んだ、その際に。
「放て!」
狙うは挟撃。察されぬようにとんでもない遠回りをしながら、背後から別隊として、彼女は味方を引き連れやって来ていた。そう、アンナが率いる、一団は暗に殺すことを得意としていて、それを今回も発揮するのだ。
誰知らず、今のために引き絞っていた弓はとき放たれて、天から数多の真鉄の鏃が降り注ぐ。
「ああ、危ないな」
だが、命中する筈だった矢はかざした手に全て溶け、道化師の一部と消えた。魔を否定する真鉄毎、彼は呑み込む。
その内にまで、奇跡など届かない。人型の魔は、魔の法を世界に敷く必要すらなく、無敵だった。
クラウン・ワイズは『融和』する。どんな攻撃もその身に届かずに呑まれて。その容積を溢れさせるのだ。
「きゃ」
「パール!」
そして、否定は否定された。クラウン・ワイズから溢れた一部によって、パールはその手毎剣を弾かれる。鮮血が、零れた。
「うん? もう、否定は出来ないのかな?」
そして、倒れる聖女。そこに集まり盾とならんとするアンナ達。
「このっ!」
届かぬ手を伸ばすバジルを前にして。
クラウン・ワイズの魔法が放たれた。
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