第27話 水土蜘蛛と風狼


 彼と生きる彼女は、抗うために戦う。掬えない現実に零れ落ちそうな涙を堪えて。


 えーい。

 だ、大丈夫なの、バジル?

 これ以上は、無理だよ。


 それでも、最悪はやって来る。果たしてその風は、逆風だったのだろうか。




「それにしても、こんな人が居たなんて、ね。話に出なかったから分かんなかったなー。お陰で段取りが無茶苦茶になっちゃったよ」


 曇り空の下、蜘蛛を見ながらグミは、足元に気絶していて、そのために守ってあげなければいけなくなってしまったミルクに思わずそう溢す。

 本来なら、あえて魔従をギリギリまで招き寄せ、第一波として自警団を中心とした魔法使いの手によって魔法を要塞化した街の入り口付近で降らして、そうして突破された後は皆の手によって複雑にさせた街にてゲリラ戦を行うのが流れの筈だった。

 それが、誰の目も外に向いていた最中にふらりと内から出て行ったミルクのせいで、台無しになったのである。グミが彼女の救助に間に合ったのは、単に近くに隠れていたからであった。


「まあ、この人のお陰で、こんなのが釣れたんだから悪くはなかったかな。知らずに地面を移動されて後ろに回られたらボクでも危なかったかも」

「チチ」


 この世界では昆虫が長命で大型化しやすいもの、とはいえ自分の身長よりも大きな蜘蛛なんてグミもこれまで目にしたことはない。キチン質を鳴らした摩擦音が聞こえてくるほどの巨大。更に、右側の足四本に水土土水の四色を持って、それで身体の半分を染めている魔従であることなど、その黒く尖った毛と単眼、更に王冠のように伸びた謎の気管を含めて、虫取りが嫌いではない魔女であっても不気味に思うものであった。

 この、さしずめ水土蜘蛛は、地面から現れている。それは、この魔従は自在に存在を隠せるということ。今この場で倒さなければ何時不意を突かれるか、分かったものではない。四本の染脚といい、恐ろしい相手であり、むしろその存在を確認出来たのは、幸運といっていいのかもしれなかった。


「さて、向こうは四つだけれど、関係はないね。ボクは何しろ、天才だから!」

「チチチ!」


 逃さず、倒す。その意をグミは操る魔で顕した。颶風の如くに、少女の周囲でマナがざわめく。彼女は恐るべき天賦を、動物たちの前にて見せつける。

 指によって力に限度はあると言われている。確かに、操ることの出来る深さに規模はその数にて変わってくる。だが、それが全てでないのは、明白だ。何しろ、天に昇った、昇れた神祖マウス・テイブルだって諸説あるが基本的には四本指の魔法使いであるとされているのだから。

 そう、愛されるべきグミの天才は、届かない筈のマナすら自分の助けにしてしまう。本来の三本指での限界を軽々しく踏み越えた彼女の力に、蜘蛛の頭の中も驚きで一杯になる。

 それを恐れ、地を矢に、水を凝らして飛ばしてグミに攻撃を始めた仲間を無視し、水土蜘蛛は後方へと、跳んだ。


「え、逃げた?」


 そのすぐ後に、グミの大魔法は行われた。それは、平原の殆どをなめる、マナの流れ。魔女の魅力にやられた地面は津波となって、半端な魔法に魔従の身すらも呑み込んだ。


「チチチチ」


 後退して、怒涛から逃れた水土蜘蛛。彼は、グミの異常さを解しつつ、脚で地を捏ね出す。そうして、また後から合流してきた二匹の仲間も無視し、マナを用いて水を混ぜながら急速に泥を広げていく。そして出来上がるは、彼に従うマナで創られた泥地。水のレーザーによって凪がれていく同じ魔従達に守られながら、それは完成した。


「むむっ。泥の上で偉そうにしちゃって。でも、厄介だね。キミの周囲は確かにボクでも動かせそうにない」

「チッチ」


 言いながら間断なく水弾を飛ばすグミであったが、しかし全ては蜘蛛に従う泥の触手によって防がれる。泥の飛沫を浴びながら、どうにも水土蜘蛛は笑っているようだ。


「けれども、厄介者程度で、天才に及ぶものではないんだよ! ふふ、必殺技、行くよー」

「チ……」


 しかし、水土蜘蛛の鳴き声は止まった。それは、グミが地につけた手に応じて隆起した地。その大量が人型を取って手を伸ばして来たことによって。水が混ぜられたそれは、太い腕を持つ巨人となり、そうして高らかに彼女は呼びかけた。


「いっけー。ボクの『ゴーレム』!」


 巨大も巨大。その高さは教会を越え鐘塔にすら並ぶ。人型であることはグミが共感を覚え易いがため。彼女が伸ばした手に合わせてパールが名付けた『ゴーレム』は、その手を地に振り下ろす。


「チチ」


 そして、それだけで巨体は水土蜘蛛を彼の土地から追い出した。先から四脚によって受け続けている生半可な魔法などでは、泥の身体には通用しない。何とか持ち前の俊敏さにてひらりと逃げ出した蜘蛛だったが、しかしそこに追撃がやって来る。


「ふっふー。この人の魔法は参考になったね。いっくぞー」


 グミは地に手を当てたまま。そうして水土蜘蛛が飛び降りた彼女がマナで操っている地からタイミング良くミルクの如くに土の手を伸ばしていく。今度は自動でなく彼女が意のままに操っているために、流石に数多の腕から蜘蛛も逃げられなかった。


「そしてすかさず……くらすたー」


 グミは真似して昇華までさせる。間断なく、水土蜘蛛を捕まえた千手は爆発を起こす。それは、間近で撃たれた散弾。さしもの巨大生物でも、腹に数多穴を開けられてしまえば、もう駄目である。


「チ……」


 だが脚の大部分はもげ、汁を滴らせながら、それでもグミの元へと歩む。頭の上の土色を揺らしながら、彼は諦めない。しかし、染まっていない三脚しか残っていない状態ではもうどうしようもなく。苦し紛れに飛ばした糸は『ゴーレム』に防がれて。むしろ手繰られそのまま彼は地に叩きつけられた。


「わ、近くに落としちゃったから汁が飛んできたよ……あ、この人にかかっちゃったねえ……びちょびちょだ」


 潰れた身体は、汁を飛ばす。ぬとぬとしたそれがかかったミルクは、ただでさえ不憫な様子を更に酷いものにさせていた。スナオなら興奮しそうだな、と思いながらグミがまた駄目になった上着と彼女を回収しようと動いた、その時に。

 蜘蛛の一部もまた、動き出した。


「え?」


 それは、水土蜘蛛の頭の中に住み着いていたもの。菌は並んで形になり、動物と魔に認められた。そのため得た自由を、彼は侵略に使う。

 そう、土色のその身を変形させながら冬虫夏草は機敏にその触腕を伸ばす。目的は、次の寄生相手。穴から入り、一気に脳を台無しにさせ支配してしまうそれは、間近のミルクへとしゅるりと向かう。


「ダメ!」


 だがしかし、グミの伸ばしたその左手が間に合うことはなかった。



 一陣の風が、吹く。




 疾風と、剣閃、そして水流。三者によって交わされる攻撃は周囲を裂き、破壊して。それでも誰一人致命打を受ける者は居なかった。

 そう。パールとバジルの二人がかりであっても、トールが地を耕して援護射撃を行っていても、それでも五爪の風狼には届かなかったのだ。


「えーい」

「ぐる」

「クソッ」


 風爪五本の大狼。考えうる中の最速に対して、二人も工夫を行っている。パールは前にてその動体視力を活かして攻撃を捌き続け、地抉る水の流れを龍として周囲で動かすバジルは、それによって狼の動きを著しく制限した。

 だが、そこまでしても、真鉄の剣は空振って、龍の顎は空を切ってしまう。それほどまでに、森を我が物として疾走する風狼は疾すぎるのだった。おまけに、その魔法の一撃は真鉄にすら影響を与える威力。太刀が歪んできたことを、パールは感じる。

 攻撃方法は、マナで形成する鎌鼬ただ一つ。だが、それだけで彼には十分なのだ。たった一種類だけで世界を壊せる。


「この子、強い……」

「単純で、どうしようもないな、コレ」


 そして二人、前後になる。どうしても、パールに守られる形になってしまうバジルであるが、しかしそんな自分を省みている暇などなかった。当たりさえすれば大狼ですら身を削らせるだろう勢いを持つ長大な水龍を辺りにくまなく流しながら、周囲を見渡す。しかし、彼では高速に移動する狼の影すら掴むことが出来なかった。

 そんな中、眼前にまで動いたパールの腕の近くで火花が散る。どうも、また助けられたようで、バジルは吐きたくなった、ため息を呑み込んで、言う。


「一か八か……パレット……行くぞ」

「ぱれっと?」

「並行魔法だ。五本指だと負担が大きくいからな……失敗したら四散するが、まあどのみちこのままだと五体を散らすんだ。構わないだろ」

「え、そんな……待ってよ、バジル」


 物騒な言葉に、パールは整った眉をひそめる。確かに、捉えられない相手など、どうしようもないだろう。だが、正直なところ彼女は動きに目が慣れてきていた。次近寄ってきたらきっと、と口にしようとした、その前に。


「待たない」


 自分と彼女の疲労を知っているからこそ、バジルは苦手な掛け合わせを行使しだした。

 それは、秘中の秘の業。魔人ブレンドが天才グミだからこそ教授したその技術を、こちらの分野では凡才であるバジルはまた聞きで知ってから研究し、今ここで無理に用いた。


「があっ……」


 あまりの負担に、バジルは吠えざるを得ない。涙までも零し始めた彼に、パールも守るために動きながらも、驚き慌てる。

 魔法は、基本的に一つの目標へ叶えるために、用いるもの。願いに向かって一直線。二股なんて普通はあり得ない。だが、強欲な者たちは、一遍に二つを出来ないか、そう考え出した。それによって編み出されたのが、このパレットである。

 指をそれぞれ別方向に動かす。確かにそれは、器用な人であれば可能であるかもしれない。だが、それが巨大な力を孕んでいるのであれば、難易度はぐんと増す。

 魔法を発露せずに取っておきながらもう一つ魔法を放つ時に同時に行使するという荒業。普通ならば、取り置く概念すら理解できない。だが、バジルには判った。それは、五つ指の力を端に集めておけばいいのだと。だが、その身に暴れる力は、彼を侵す。


「だ、大丈夫なの、バジル?」

「ダメだな……」

「え、え?」


 そして、その場に崩れ落ちるバジル。同時に周囲を巡っていた龍も消えた。


「わん!」

「ぶっ!」


 そんな間隙を逃すほど風狼は鈍いものではない。トールの注意に応じて構えるパールに数多の風を纏いながら全力で彼は突貫して。


「不完全だ。だが……これでも殺せるか」


 そして、彼と彼女とイヌブタ。それ以外の周囲の全ては停止した。『マイナス』に『マイナス』を足して、もうどうしようもなく足りなくなった、そんな一切合切は。



「消えろ」



 バジルが白く染まったその手を閉じたのに合わせて、砕け散った。魔も何も、伽藍堂になった狼は、音もなく崩れ去っていく。


 やがて周囲には静寂が訪れた。


「え……こんな……あ、大丈夫、バジル?」

「疲れた……毎日相当鍛えてたんだが、それでもこれはキツい」

「ぶう」


 無常を示すかのようなあんまりの強力に瞠目したパールであったが、そのまま崩折れて動かないバジルに心配も始め出す。返事が出来ることに安心を覚えたが、汗を滝のように流す彼を見て、一息つくことは出来ない。


「バジル、戻ろ。これ以上は、無理だよ」

「いや、最大戦力を倒した今が好機だ。有象無象に守られているばかりなら、パールの奇跡とオレの魔法を使えばきっと……」


 二人の間に起きる問答。しかしそれを続けることは無理なことだった。だって。



「あおーん!」



 のしりと、もう一匹の五爪の風狼が現れ、手向けるかのように吠えたのだから。


「は?」

「まだ、おんなじ子がいたの?」


 驚くのは当然。それは果たしてどれだけの確率なのか。兄弟で同じく五爪に風色を持って、魔従に至るなんて。幾ら彼らが双子であったとしても、考えられないことだ。

 だがしかし、そんな現実は目の前にて牙を剥いていた。そして。



「ふうん。キミが、我々を否定している人間かい?」



 辺りのマナが歓喜に暴れる。彼の周りでは、全ての色が顕になった。魔人の一言一言が、人を殺す重みとなる。裸の上半身が、マーブル模様に揺れ動く。


「我々も、キミを否定するよ」


 それは、青年の真白い肌に涙のメイクを歪めて、笑顔で言う。神の資格を持とうともそれを投げ捨て、クラウン・ワイズは何処までも滑稽に。


 この世に地獄を創り出す。


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