第38話 ケットと可憐


 今回、彼でもあるのだろう彼女の出番はない。その代りに、またあの子が。

 やはり、彼は、彼女は、人を惹き付けてしまうのだろう。




 ケット・ウールは水色の塔の現一階生である。太く大きく生徒を容れる、百階以上あるとされるその塔の根本で彼は学んでいた。水に火に、風の色。バランス悪くも三色も持っている少年は十一歳。グミより年下という学園生の中でも一等年若い存在だった。

 ケットは、カーペット連邦のコンセント州出身である。テイブル王国の南に位置するその州は多く海に面していて、気候は温暖であり交易盛んな活気溢れる地だった。

 こと、ケットが生まれたプラグ市の街並みは、雑多が形になったような風。彼は特に露天の品揃えの変化を見るのが好きだった。隣のフェルトのシルクに、果ては東の遠国の刀まで。様々な物が並び、売り買いされていた。それを、少年は楽しみ親しみ続けて。果には、自分も何時か素晴らしき未知の品を交易にて手に入れる、海の男になるのだと、思いこむようになっていた。そんなことを許す者など、何処にもいなかったが。

 コンセントではありがちの黒髪を伸ばして纏め、潮風に棚引かせて遊ばせることを好んでいた少年は、だがしかし、自己認識と大きく違って特別だった。一色で喜ばしく、二色揃えば一族の宝として育て、三色もあれば街を挙げて大切にする。それが、カーペット連邦での常識。殆どないが、四色まで行くと最早国の宝か。それ程までに連邦において、混色の魔法使いは貴重だった。

 単色の染指の力でその方向に特化した成果を上げる。それだけでも、役立つ素晴らしいものと珍重される。だが、違う染指の色を一人で持った時の、そのバリエーションは非常に豊か。大方破壊に行き着くが、そうでなくてもその便利は相当なもの。それが、三つ。便利屋どころか、一人で様々な仕事のプロフェッショナルより役立つ。そういう人間になることが生来の指先によって簡単に想像できた。

 故に、人々はケットを危険な航海へと向けるようなことはしない。それどころか学者を首都から呼んで大切に学ばせて、そうして当たり前のように彼が学に親しむようになってから、魔法学園へと送り込んだのだった。


 最初は、大いに帰りたいと喚いていた、ケット。だがしかし、それでも三本指は珍しく、そして年若ければ、尚更可愛がられ。数の多い方である水色の生徒等に彼は人気になった。次第に、不平不満は少年の口から出なくなっていく。

 だがしかし、それでも上には上があった。魔に異常なまでに好かれる天才。魔的なまでに人心掌握の得意なグミは、誰からも一目置かれ、愛される。最初は驚き、次にケットは嫉妬を覚えた。二色なのに、どうしてあんなに凄くて好まれるのか。羨ましいと、少年は思う。

 だがしかし、それも長くは続かない。何しろ、グミはそんな子供の視線を放って置ける程人間に疎くはないのだから。むしろその面倒臭さを喜び、文字通り飛び付いた。


「ケット君!」

「わわ、な、何だよ……」

「遊ぼ!」

「え? ……わわ、引っ張らないでよ」


 そして、少女は少年を弄んだ。グミは、自分と居れば人は楽しいと知っていて、また信じている。そして、実際に幾ら間に険があろうともその通りになってしまうのだ。何しろ、少女の人形は、隣にあることが当然であるように感じてしまうほどに、受け容れやすい。

 走って、跳んで、魔法を遊ばせて。そうして何時の間にか二人の距離は縮んでいた。手を引かれながら、ケットは塔の周りで上階の皆に見られていることも忘れて子供の遊びを楽しんでいた。そして、彼は笑顔のグミに問われる。


「どう、楽しい?」

「うん!」

「それなら、良かった! 心配してたんだ。ケット君、つまらなそうな顔してたから」

「僕、そんな顔してたの?」

「うんうん。どうせ、ボクと持ってる玩具、比べてたんでしょ?」

「えっと、それは……」


 仲を深めた実感が、最初はケットを湧かせた。しかし、話すにつれて、少しだけ落ち着く。そうして彼は見抜かれていたという事実にバツの悪い思いをした。勝手に、そっちが欲しかったと羨む子供。それが自分であると認識したことで、少年は顔を赤くする。


「でも、人間ってそんなものだよ。あっちこっち、ふらふらしていて当たり前!」

「そうなの、かな?」

「うんうん。だから、良いんだよ。少し前は、ケット君はボクのことが嫌いだったかもしれない。でも……」

「でも?」

「もう、お友達だよね!」


 それは、少女の稚気に見せた嘘。計算高さを隠して、彼女は微笑む。だが、それを知らずにケットは応じる。満面の笑みで。


「うん! ありがとう、グミお姉ちゃん!」

「おお、お姉ちゃんは新しいね……うん、よろしくね、ケット君!」


 しかし、本物の稚気はニセモノを僅かに揺らがした。それを知らずにグミに抱きつくケットは泥だらけ。当然、少年がそうであれば少女も同様で。それから二人は泥団子になるまで身体を動かした。

 彼らは、上から物珍しく見つめる、水色の視線を知らない。




「それで……申し開きは?」

「痛いよ、ミー兄……」

「拳骨一つで済んで良かったと思うんだね。芝生を、ああも荒らして……上階生達からの注意でやっと気付いたが……こうも泥んこになってからでは、少し遅かったな」

「反省してます」


 頭にコブを作りながら、広い塔の中に作られた住居部分にて、グミはミディアムと対す。魔法を使って水で落としても全ては取れなかった泥。そのままでは駄目だろうと、叱る前に一先ず兄貴分は自分の服を二着子供達に与えた。ぶかぶかを引っ張るケットには、少女の反省の色が深く見えた、が。実際はそうではなかった。


「その表情は嘘か……」

「ミー兄にはやっぱりバレちゃうかー」

「はぁ。小技ばかり上手くなるなあ。わたしはシトラスの親御さんから教育を任されているのだからね。少しは、わたしの手を煩わせないでくれよ」


 ぺろりと赤い舌を出す少女の前に、ため息が一つ。人を見るのが上手いミディアムは、子供の嘘を見抜くことなど朝飯前だった。だから、その小賢しさも含めて叱り始める。一人に向かったそれを、ケットは嫌った。


「あ、あの……」

「何だい、ケット君?」

「ぼ、僕も悪いから、怒られるべきだと思うんです」

「君は、偉いねえ……グミも見習うべきだよ」


 そう言いミディアムはケットを撫でる。そうして驚く彼に向かって言った。


「ケット君は良いんだよ。何せ、初犯で、主犯ですらないからね。もう一度同じことをしたら、わたしも君をたっぷり叱るだろう。けれども、今はグミを見て、もうやりたくないなと思ってくれたら、それで良いんだ」

「そう、ですか……」

「ま、同じがいいなら、小突くくらいいいけれど?」

「ミー兄の拳骨、痛いよー」

「えっと……それは……結構です」

「うん。わたしも君を虐めたくはない」


 優しく、微笑むミディアム。仰がず同じ人に見る、その優しさがどうにも嬉しくて。だからそうあって欲しいという願いと共に、ケットは言う。


「ミディアム、お兄ちゃん……」

「おお、わたしに弟が出来たよ。嬉しいな」

「わわ。ケット君、いじらしくミー兄の裾を掴んでるよ。かわいいー」


 そうしてそれは快く許されて。この日。ケットには兄と姉が出来た。




 その後、しばらく。水の塔での生活は二人の年上と近づいてから順風満帆となり。誰彼からも可愛がられるグミという中心の側でわちゃくちゃと。楽しいことが普通となって、過ごしてきた。

 だが、それも物見遊山に五十階に棲むと周知されている大人しい魔人にミディアムに黙ってグミと会いにいった際に、変わる。


「君達が、新入生の粒達かな?」


 だらしない身体が、空に浮かんでいた。そして初対面の魔人、ブレンドからそう言われたことを、ケットはよく覚えている。だが、むしろそれ以外はぼうとして思い出せずに。ただ、あと一つ、グミがずっと笑顔だったことばかりは想起できるのだが。


「それじゃあね」

「ばいばい!」

「さ、さようなら!」


 ひょっとしたら、ケットが覚えられないくらいの難しい話をしていた、のかもしれない。それは、ブレンドから離れた後何やらグミが考え事をしていたことからも、確かであるだろう。それはそれは、難しい問題を出されたのだ。


「ケット、それじゃあ行ってくるね!」

「え、何処に?」


 そして、それから姉は何処かへ姿を消してしまい。地理も知らないテイブル王国中を追いかけ回すことも出来ずに寂しく思っていたところで、今度はしばらくしてから兄貴分が追いかけるように旅支度をし始めて。


「じゃあ、ケット。居場所は、魔人ブレンドから聞いた。グミを連れて帰るなり何なりしてくるから、待っていてくれ」

「ミディアムお兄ちゃん……」


 しかし、しばらく待っても中々ミディアムは帰って来ず。何もかもがつまらなくなり始めた頃に、ようやく彼は姿を現した。どうにも、清々しい表情をして。

 隣に他に姿がなかったことを、ケットは悲しむ。


「ただいま」

「……グミお姉ちゃんは、どうしたの?」

「向こうで、大事なものを見つけたみたいだ。当分、向こうにいるって」

「そう、なんだ……」


 聞き、ケットは落ち込む。それは自分よりも大切なものなのか。そう問いたくなる口を彼は無理に塞いだ。わがままに暴れるのは、もう恥ずかしいから。

 そんな抑圧を見て、ミディアムは少し思案してから言う。


「わたしはその分を、先に使ってしまったが……もう直ぐケットは休みだろう」

「うん。夏季休暇があるね」

「こっちは、どうにも四季が薄いらしいが、そろそろ暑いな。まあ、それはいい。待っていないで、一度君も追いかけてみればどうだ?」

「お姉ちゃんのこと?」

「ああ。もしかしたら……大切な何か、見つけられるかもしれないぞ?」

「大切……」


 その言葉を鵜呑みにしたわけではない。だが、きっかけにはなる。ミディアムも好きだ。だが、それよりもケットはグミが好きだった。それは恋ではなく、姉を慕う感情で。でも、一人っ子である少年には、大切なものだったのだ。


「うん。行ってみる。場所は、何処?」


 だからケットは、冒険の一歩を進めるのだった。




「んー。グミお姉ちゃんが居るってところは……ここか」


 少し、時間は経つ。鳥車から居りてから、ケットは疲れに身体を伸ばす。空は青く、澄み渡っていた。それが、どうにも期待感を煽る。


「ここがライスか。ごみごみしていて……何だかプラグを思い出すなあ」


 鳥車を乗り継いで、彼はライス地区にやって来ていた。急勾配に張り付くような家々。それらに加えて、雑多に並ぶ露天。斜めっているところ以外、どうにもケットは昔を思い出してしまう。果たして、ここに自分の大切になり得るものなんて、あるのだろうか。最低でもお姉ちゃんは居るという事実を鑑み、少年は笑う。


「ごめんよ、坊や」

「あっ」


 そして、弛んでいたケットは衝撃を受け取り、尻もちをつく。せっかくの期待感にケチを付けられたような気がして、痛むお尻を撫でて起き上がった少年は。


「……やられた!」


 走り去るその姿と、自分の懐の軽さからスリにまんまとやられたのであることに、ようやく気付く。途端に、ケットは犯人に向けて色味を三つ走らせた。


「ちっ、魔法使いだったか!」

「くっ……」


 それに掴まれた相手は、しかし振り切りなおも逃げんと足に力を込める。同じく力を込めて、ケットも応戦するが、しかし彼に付いた色味は次第に剥がれていく。

 染指から色味と呼ばれる触腕を出すことは魔法使いの誰にでも可能だ。だがしかし、その握力は、持ち主の身体の出来具合によって大分変わるもの。簡単に言えば、子供の色味で大人を掴んでおくことなんて出来ないのだ。


「あ……」

「じゃあな!」


 だから、そのまま留めておくことなど出来ずに、逃げられてしまう。それは当たり前のことだった。路銀を失い、路頭に迷う。それを思って目の前を暗くしたケット。

 だがしかし。


「ぎゃ」

「ふん」


 目を離したその間に、何故か、犯人は氷漬けになっていた。そして、それが落としたケットの財布を拾い、持ってくる魔法使いが一人。その染指の多さに彼はまずドキリとし。


「ほら。これ、お前のだろ?」

「あ……」


 そして、次にその美しさに心奪われた。それは、可憐。美麗の極地。最低でもそう思った少年は、この上なく、顔を朱くした。大切に、受け取った財布を抱く。


「良かったな」

「あ……」

「ど、どうした?」


 何故か、涙が溢れて止まらない。

 そしてケットは、生涯仕えるべき、大切な人に出会ったのだった。


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