第37話 聖女と悪役


 彼を含んだ彼女は、悪になりかけた彼女の歴史を知らない。それを知っているのは剣士一人ばかり。


 バブちゃんには勝てないけどねー。

 なら、好きなの?

 バブちゃんの元気の秘訣が明らかに!


 彼女が見たそれは果たして全てなのか。残る部分の補足が出来たら、いいのだが。




 世界は美しい。そのことを、バブ・タアルは知らなかった。

 父母に少し年離れた兄は優しく、使用人は何違えることなく敬意を持って接してきて。豊富と綺麗によって箱は満たされ、自分の中にも金山を発見し。バブがただの愛を知る令嬢になるには、何の不足もなかった。

 だが、しかし上手に育つに、少女はあまりに痛みを知ることがなかったのだ。誰一人たりとて、自ずと判ることだろうと、何一つ試練を与えることもなく。そして、才女の芽が育ちつつあったバブは壁を覚えることなく、ずっと。やがて、不足に奪われることを恐れぬ令嬢は、小さな暴君となり。そして、そこでようやく彼女は初めて母の手により怒られたのだ。


 それは、愛故の鞭。言葉の痛みに、頬に感じる強い熱。真剣に向けられた目は鋭くも、しかし確りと焦点合わされていて。それら全てが、あまりにバブには衝撃だった。

 ああ、悪くあれば自分は見て貰えるのだと、そう彼女が錯誤したのも仕方ないくらいに、遅れた痛みの思い出はバブに強く根付いてしまう。それからは、より悪辣に。それを思って生きてきた。最初は見つかる度に喜んでいたが、しかし途中からそれを構って欲しいがための行動と気付いた周囲から生温く認められるようになり。

 そうして、バブは気付くのだ。倫理に囚われているからこそ、彼らの険は甘くなってしまうのだ、と。どうしても、醜悪にならねばなるまい。強く、あの目で自分を見て貰うためには。変わらぬ愛に飽き、変化を望んだ彼女は、それしか方法を知らないばかりに、そう考えてしまう。

 そんな間違いを犯しながら、しかしその悪の萌芽は確かに育っていく。窓辺の小鳥の足を折って、それを自ら治して育てることで、周囲を欺く背徳感に浸り。使用人一人ばかりを詰ることで、次第にその娘の扱いが悪くなっていきその愛らしい笑顔が曇っていく様を観察して日記に認め。社交界へのデビュタントにて自分に惚れた男の子をそそのかし、彼が道を外していくことを楽しみにして。

 このようにして、悪の華は成長していった。暗く、誰も見えないところで。


 徐々に蕾開かせていたそれが、加速度的に勢いを増したのは、さらなる悪徳を求めて父、マーケットの書斎にバブが忍び込んだ時から、だろうか。そこで彼女は異世界というものを、知った。

 時代と固定概念に囚われぬ賢者が綴ったそれは、あまりに斬新なものであり。マーケットすら半信半疑に受け止めざるを得なかった。だが、それを同じく才を持つバブは真実と捉えて。そうして、思いつくのである。この世界の壊し方を。

 強いものと弱いもの両者をぶつけ合ったら、どちらが壊れるかなんて、自明なこと。そして、自分のゆりかごの崩壊を望むなんて、なんて悪いことなのだろうとバブは考えた。それこそ、これを成した時には、誰も彼もが自分をあの目で睨みつけて止まなくなるだろうと、そうも思う。


 バブのことを才女、と誰かが称した。それは、異口同音に、繋がっていく。あたり前のことだろう。何せ、彼女は知りすぎて、他より深まりすぎた。故に、程度を合わせるのなど朝飯前。その人より僅か上で佇み受け止めることで、多くが令嬢を尊敬した。そして、そんな要らない注目をバブは強かに利用する。

 多くの人間は、パトロンを欲っするもの。大きなことを成し遂げたいのであれば尚更。そして、魔法使いの殆ど多くは選民意識を持ち、自分を理解して欲しいと思っている。だが、相手が小さければ、その手を取ることない傲慢さも、彼らにとっては普通のこと。

 ならば、助けになりたいと語る才ある令嬢とされるバブが、近寄ってきたら彼らはどう思うか。自然大概が、歓迎した。そうして多くの魔法使いを手懐けた彼女は、動き出す。


 神祖マウス。天へと昇ったとされる、四本の異色の染指を持つ国造りを成した王。そんな四塔教の広告を、バブは意味あるものに変える。

 天とは何か。それは異世界のこととバブは理解する。そして、四本。つまりは火色水色風色土色の四色を合わせることに、世界を壊して繋げる法が生まれるものと、彼女は信じた。色を合わせるのか、それともマナを食い殺して孔を開けるのか。どちらにせよ、世界の一部でも破壊する方法が分かれば、全てを台無しにするための期待が湧く。

 そして集めた魔法使いを騙してそれを行うために、バブは一つ演じる。それは、囚われの姫の真似事。どうせ、悪い結果にしかならない実験。ならば、それを行ったものが悪で、それに付き合わされたとすれば、自分に酌量の余地が生まれさらなる次へと繋げる猶予まで出来るだろう。

 そして、そんな浅はかのために、自分を信奉する者二人を使って誘拐の演技を行い、やがて一人実験場へと彼女はやって来た。


「え……嘘でしょう?」

「嘘は、お前だろ」


 そうしてそこで見たのは、凄惨。全ての色が赤の中で台無しになった上で、愚かだった筈の男が笑っている。その目を、見てバブは初めて本当の、悪を知った。


「いや、ですわ……」


 バブは、怯える。試しによって台無しになる筈だった彼の二本の水色が、あまりに恐ろしいものに思えた。そんな少女らしさに何も感じ入りもせずに。そして、男は簡単に、目的を口にする。


「俺はな。姉さんを自殺に追いやった、お前をずっと殺したかったんだよ」

「ど、どうして、今……」

「お前は、気付かなかったのか。今が一番無防備だぞ?」


 彼はバブが辞職にまで追いやった、メイドの弟。それが後の自殺に繋がったのだと思いこんで、男は復讐の機会を狙っていた。

 だが、何時も、四本指のホープか最低二人の魔法使いに守られていたバブを殺す機会を中々見つけることは出来なかった。だから、指を咥えて男はずっとバブの周囲を見つめていたのだ。そこで、募集を発見し、彼は染まった方の手を挙げる。条件に合う魔法使いだったから、付け入られたのだった。

 そして、疑念の目で見れば、どうにも笑顔が怪しいバブの手伝いをしながら、男は機を探った。そうして、今日。お付きを振り払ってくると言った彼女の言を信じて、こうして邪魔な同格の魔法使い達を後ろから刺すという凶行を彼は行ったのである。

 瞋恚が、肌を刺す。どうしようもない悪意、バブはこんなものまで望んでいなかった。


「や、やだ……」

「姉さんは、お前の日記を持っていた。お前は、姉さんが幾ら止めてと言っても止めなかったみたいだな」

「そんな、こんな、誰にも認められないところで私が……」

「はん。注目がお望みか。なら、見た者全てが目を逸らしてしまうくらいに無様に、殺してやるよ」


 多くを魅せたドレスは動くに邪魔で、威厳の一助になっていたヒールに足を取られて。バブは男の手に押さえられて、地に顔を擦り付ける。自分の無様に泣く彼女を、冷たい目しか見つめない。それが、嫌で喚こうとした口は、強い力で閉ざせられた。


「騒ぐな。死ね」


 そう言い、男はバブが執着していた魔法すら使わずに、尖った杭一つで彼女の人生を終わらせようとした。無慈悲に、振り降ろされたその手は。


「ぎっ」

「……話は聞いた。だが、後悔してもらう前に、死なせる訳にはいかないな」


 あまりに鋭い一閃によって親指と武器だけ舞った。助けの手は間に合ったのだ。そのまま助け手、モノは男に当て身を食らわし上手に気絶させ、手錠で自由を奪う。そして、彼はバブを助け上げた。


「ん。大丈夫か?」

「え、ええ……どうして、貴方は、ここが……」

「執事に指示されて、な」

「……察されていたのですね」


 その胸の内の全てまでは判らない。だがホープは今回の企てを知っていた。だからこそ、腕利きを放っていたのである。その一人がモノであったのは偶然で、彼がこの場を任されて救えたのは幸運だった。


「それで、噂と大分違う悪いあんたは、それでも反省しないのか?」

「分かりますか」

「ああ。お前は後悔していない。ただ冷静に、次を考えているばかりだ」

「参りました。そうです。私は、確かに悪徳を成そうとしていますわ。……貴方は、どうされますか? その男を開放すれば、止めることは簡単ですわよ」

「そんなことは、しない」


 そう言い、モノは男を担ぎ上げる。そのまま連れて行く気なのだろう。バブのエスコートなど考えもしていないようで、慌てて彼女は死体ばかりが残った独りぼっちの空間から逃げ出す。


「何故、ですの? 私は悪役に成ろうという令嬢です。それに既に……」

「人を死なせてしまった、か?」

「はい……」

「死んだ者の思いなんて、他にしか判らない。それに、もう終わってしまったことだ」

「冷たいのですね……」

「ん。剣なんて、そんなものだ」


 むしろ、意外とお前が温かくてびっくりしているよ、とモノは言った。それに、びくんと、バブは肩を上げて反応する。


「私が温かい……正気ですか? 私の心はこんなにも冷え切っていますのに」

「誰と比べた。人の熱に感じる、そのくらいで冷え切っていると、俺は思えない」

「人の熱……そんなもので、私が溶けるものですか?」

「大丈夫だろう……俺は知っている。人は、温かいよ」


 その時、少女は美しいものを見た。世界で最も鋭い刃金の銀。それが、自分のためにほころぶ瞬間を。そして、バブは気づくのである。険だろうが何だろうが変わるのは、素敵だ。そして、最硬だろうと変わらぬ世など何処にもなく。彼の優しい目に、彼女は胸を傷ませた。それが、存外心地よく。

 ああ、全ては無常で。世界はこんなに、美しかったのだとバブはようやく気付いたのだった。




「パール! 私、負けませんからねー!」

「色んな意味で私、バブちゃんには勝てないけどねー」


 それはしばしの別れの時。鳥車から顔を出すバブが発する大声に、パールは応答した。元悪役令嬢は、笑顔で聖女と向かい合い、そうして離れていく。そのことが、モノには殊更嬉しいことに思えた。


「あ、モノ笑ってるよ」

「ホントだな。きっと、うるさいのが居なくなってせいせいしたとでも、思ってるんじゃないか?」

「そんなことはないぞ」


 そんな喜色はグミとバジルの横槍にて薄まる。少し憮然として、モノは言った。


「俺は、バブのことは嫌いではないからな」

「なら、好きなの?」

「パール……恋愛的な意味では、違うな」

「残念!」


 悲恋の重さを知らず、笑顔でこれからに期待かなあ、と雑に思うパール。自分への恋にも気付かないそんなあり方こそ、残念だった。


「でもホント、すっごい元気な人だったよね。どうしてあんなに騒いでいられたんだろ」

「それは、簡単な答えがあるな」

「おお、バブちゃんの元気の秘訣が明らかに!」


 疑問を呈したグミの横で、モノの答えにわくわくし始めるパール。苦笑して、その期待に向けて彼は答えを伝えた。


「誰だって産声は、うるさいよ」


 そう言って、少年は笑顔を見せる。飾り一つない素の表情に、やっぱりモノは格好いいな、とパールは思った。




 透き通り抜けるような青空のもとに、二頭の大モアに曳かれて大きな車輪が回る。ゆるりと進む鳥車の中はそれほど揺れない。だから、お尻の痛みを感じることもなく、それをつまらないと思いながら、バブは呟く。


「モノは、変わりませんでしたわね。いえ、パールの前では変わっていましたか。意外と恋には盲目なのですね」


 もう既に、バブに笑顔はない。少女に素は二つ。皆のための一つを終えて、もう一つがここに顔を出した。黙って、彼女の独り言を従者は聞く。


「良い子ですわね、素晴らしい。ですが、私は彼女に敵愾心を持ちましたわ。当たり前ですわよね。恋の障害なのですから」


 冷静なその心は、一部が溶けても多くは残った。その残滓が、うごめいて、言う。


「負けないものを、手に入れましょうか。差し当たっては……」


 モノの目を釘付けにする方法。以前のようなそれではなくとも、幾つかは思いつく。何しろ、彼女には才があったのだから。

 列挙したそれにバツを付けて、そうして残りを精査して。その中でも一番難しそうなものをバブは掴み上げた。


「私も、似たようなものになりましょう」


 聖女、とは違うもの、ですがね、と少し残念そうにバブは笑んだ。

 ごとりごとりと、車輪の音は、続いていく。


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