第36話 聖女とクラーレ

 男の子と同調した女の子は、ずっと思っていた。あの子は大丈夫なのかな、と。


 やっぱりアンナさん達って凄かったんだね。

 恩人なんだね。

 良かったー。


 その答えは、ここに。彼女の未来がどうなっていくのか。足掻く姉を中心にして、補足しみたいと思う。




 上等の、際まで。最もではないが、それでも素晴らしきものばかりの空間。暗ったい色を主にした家具に壁には、しかし重い印象はない。優美な曲線ばかりで構成された一室は、正しく女性的。黒の濃淡は、格調の高さを示して身分の高さを示している。

 そんな、高貴な者の居場所にて、黒白二色に柔らかく包まれながらアスクは眠っていた。足を欠損してから、もう四日は経っている。ふっくらとした頬に赤み差し、寝息を立てる彼女に苦痛に苛まれている様子はない。パールに素直の願いは届いて、確かに少女を癒やしていた。


「はぁ……」


 ゴシック調な天蓋付きのベッドの端に座しながら、姉、アンナはため息を吐く。哀れに残念、その全てが彼女に後悔を残した。

 サーカスが残した、その傷跡は深い。特に貴重な暗部戦力を用いて矢面に立ったアンナの私設部隊はほぼ壊滅。幾ら彼女が頭を下げつつ頑張ろうとも責任など取りきれるものではなく。暫くの間は、土地にて謹慎させられることを余儀なくさせられた。

 勿論アンナは、パールに素直、ひいてはライス地区どころかテイブル王国の危機を救った、部下と自分の奮戦を後悔などしてはいない。長年の知り合いの多くを亡くした喪失感は、勿論あるが必要な犠牲であったと割り切る。聖女の元へは、自分の代わりの者を送ることは許されたことだし、王建の件も問題なさそうだった。


「でも、流石に妹が犠牲になったのは、悔しいわ」


 しかし、アンナは目の前に横たわるアスクの、その痛みを認めることなんて出来なかった。素直のために聖女が名付けたローという風色のモアに跨がりモノへの伝令を中心として八面六臂の活躍をした、彼女。その結末が、両足首から下を失う、というものであっては報われない。


「彼が無事ということを知った時は、嬉しそうに笑っていたけれど……」


 アスクの両足は完治し、しかし損なわれた部分は戻らずに肉付いて丸く。そんな自分の両足を撫でながら、彼女は、あの人はあたしが殺すのだから無事で良かった、とパールの中の彼が生き延びたことばかりを良しとした。ねじ曲がった少女の愛が報われたことは、確かに良かったのだろう。

 だが、その良貨だけで、アンナは喪失を認めきれなかった。籠の中の鳥。それを嫌って外に出て、今回の事態を招いてしまった、アスク。果たして、その身の艶の一部を失ってしまった小鳥はどうなってしまうのだろう。価値が落ちたと、捨てられてしまうのが、流れだろうか。勿論、姉として利用価値の下がった彼女の弁護はした。だが、それでも、もう今までのように少女は大切にはされないのだろう。


「……私みたいになりたい、と言っていたこともあったわね」


 一族としての訓練を行う前の無邪気であったアスクの姿を、思い出す。身内への情の足りないアンナですら、愛したその姿。大体が変貌してしまった今も、その思い出ばかりは大事にしていた。

 確かに現在、アスクも同じように孤独にはなった。だが、アンナより、彼女の未来はきっと辛いものになるであろうことは間違いない。捨て駒。妹がそんな扱いをされないためにも姉の自分が頑張らなければならないのに。


「アレは、それすら許さないのね」


 上に立つ愚か。彼女らの父親はそんな存在だった。求めるのは力。そのために過ちを続ける男。アンナがそこから離れて、自分を広げるために旅を続けたのも当然だったのかもしれない。


「彼女を……頼りましょうか」


 このままでは、アスクは切り捨てられて、自分は、新たな籠の鳥候補とされてしまう。そんなことは許されない。自分の全ては王のため。だから、ここで奇貨を使うことを、アンナは決断した。

 彼女へと送る文の内容を考えながら、去りゆく前に一撫でを忘れずにして。身動ぎするアスクを優しく見つめて。


「大丈夫。きっと、リボンなら。毒にしかならない、今のクラーレを変えてくれる」


 そして、薬毒たるアンナ・クラーレは、サーカスの魔人によって出来た傷を塞ぐために、一本指の魔人を頼る。人でなしとの境界『素』たる彼女。アスクのために、切った鬼札。それはかもしたら、王国の歴史をすら、変えていくのだろう。




「なるほど。サーカスによってアスク様は、足を損ねる程のお怪我をなされてしまったのですね……」

「ん。知り合い、だったんだな」

「ええ。仔細は隠しますが……あの方は私などより余程高貴なお方。大いなる輝きの一つである彼女が治らない程の大怪我を負ってしまったのは、とても悲しいですわ」

「わ、やっぱりアンナさん達って凄かったんだね」

「おおよそ隠せてはいたが……どうにも、行動と金の出所に不信なところがあったし、育ちの良さが隠しきれていなかったからな。やっぱり貴族サマだったんだな」


 上等なものではないが、貴重な茶を呑みながら、神官館でお話し中。明日には発たなければいけないバブに、パールらはサーカスと対した際の一部始終を語った。その中で、少なく済んだ被害者の内の一人、アスクの話をしたところ、令嬢は大きく悲しみをその面に出す。

 社交界の最中にて見たことのある、格上の少女。固くも笑顔を送ってくれた、アスクを思い、バブは目を瞑った。


「えー、ボク、気付かなかったよ!」

「ぶー……」

「え、トール、ひょっとして、慰めてる?」

「グミ、お前はイヌブタにまで憐れまれているのか……」


 そして、変態淑女が大人しくしているその横で、グミが残念さを表し、それを飼いブタに慰められるという事態が起きる。パールですらおかしいと思っていたことすら判らなかった、その危機感のなさは、少し幼稚過ぎていた。


「案内されたばかりの俺にも、ただの子供には、見えなかったが……」

「あ、モノはアスクちゃんのおかげでサーカスに間に合ったんだよね。そう考えると、本当に彼女は恩人なんだね……」

「出来れば、見舞いくらいはしてやりたいが……」

「バブ。殆ど全てを知っているだろうお前はどう思う?」

「そうですわね……気持ちは分かりますが、今はかの家に向かうのは止めた方が良いと思います。アスク様程の方が傷ものになった。それはそれは、お家も大騒動になっているでしょうから」


 バブはそう言うが、しかし彼女であってもクラーレ家の蠢きがどうなるか、判らないところがある。聡明とされる当主、ジョージ・クラーレがどんな判断を下すのか。まさか、軽い駒とすることはないだろうが、とは思う。しかし、あの家の暗さは、想像の埒外にあるところがあった。

 外れた元五大。大きければそれだけ、茫洋不明に、暗黒を孕むものだろう。


「私があの時、足を戻せてあげられれば、なあ……」

「パール。気を落とすな。お前はあくまで否定をすることしか出来ない。それ以上を望むな。そもそも再生なんていうのは人の手に余る。戻って、それが正しい訳がない」

「そっか……」


 もう少し、なにかしてあげられたら。そういう当たり前の思いを、奇跡の力を持ってしまっているパールは余計に持ってしまう。だが、それは不相応なもの。モノが指摘し彼女は確かに受け止めた。


「奇跡、ですか。聞き及んだところを総合して思うに、とてつもない力のようですが」

「ん。要は何だかよく分からない否定の力だ。パールは傷や病気、そして魔法を否定するのに使っている。そのまま力として与えることも、不可能ではないみたいだが……」

「力といっても、私から離れるとちょっと人を元気にさせたり弱ったところを支えたりする、そのくらいにしかならないんだ。……奇跡と言っても、深かったり重すぎたりしたら、助けられない、その程度のものだよ」

「なるほど。素晴らしくも万能ではないのですね」


 バブは頷く。想像の通りだと、思いながら。それが、あくまで人の範ちゅうの異能であることを、彼女は先に予想していた。もしそれが別世界の作用であれば、と。


「残念です。私のこのほっぺに継続的にずくずくとした痛みを与えてくれるような、そんなことはやはり出来ないのですね……」


 そして、あわよくば異能の私的利用をしてみたいというバブの思いは、露と消えた。だが、その望みの解消法を、グミは考えついてしまう。


「そんなの、甘い物いっぱい食べて、虫歯になれば良いんじゃない?」

「それですわ!」

「パール、バブの性癖の否定は出来ないか?」

「うーん。これはこれで、アリじゃないかな、って私は思っちゃうし、そもそもそんなことやったことないしで、きっと無理だね」

「懐が深いというのも、考えものだな」


 変態も、いたずらに他を傷つけるようでなければ、あってもいいと思えてしまう。気持ち悪いなんて、考えもしない。それは実に、パールらしい見方である。あまりに平等すぎて、モノは少し不満に思う。


「おっほほ。有り難いことですわね。これで理解者が一人増えましたわ!」

「バブちゃん。別に、私は理解しているわけじゃないよ。ただ、あるのは仕方ないなあ、っていう感じで……」

「パールって、油蟲にも同じようなことを言ってたよね」

「私はゴキブリと同列!」


 そして、その無闇な優しさはバブを傷つけ、悦ばせた。早速弊害が表れ、モノは頭を抱える。


「……話を戻そう」

「そうだ、そうだ。アスクちゃんの話だったよ。ねえ、バブちゃん。今忙しいなら、何時どうやって私たちは感謝を伝えればいいのかな?」

「難しいですわね……最悪、今回のことで縁が途絶えるという可能性もあり得るでしょう。私にも、伝手らしい伝手はありませんし……困りましたわ」

「……それなら、大丈夫かもな」

「バジル?」


 それは意外なところからの、言葉。これまで黙っていたバジルは、気まずさに頬を掻きながら、意図して黙っていた訳ではなくてな、と言い訳と共に言う。


「昨日の夜、探知に引っかかった奴がいてな。出向いた先にいたのはダンベル、っていうオッサンだったんだが……そいつは、どうもアンナの部下らしいんだ。しばらく近くに居るから挨拶代わりに俺と顔を合わしたらしいが……これ言うの、忘れてたな」

「そうだ。その人に、言伝して貰えば良いんだ! 良かったー」


 バジルの言を聞き手放しで喜び出す、パール。眠ったままアンナがアスクを連れて行ったために、ありがとうと言えなかった、そのことは、彼女にとってそれなりのストレスだったようだ。反するように、その内容を受け取ったバブは僅かに曇る。


「ダンベル、ですか……」

「何か、知っているの?」

「……いえ、何でも」


 だが、バブは微笑んでそれを隠す。同姓同名もあり得るだろう、と自らに思い込ませながら。しかし彼女は知っている。同じ名前を持つ凶状持ちの男の、恐ろしきその悪事の内容を。だが毒々しいそれを呑み込める存在を想像できずに、令嬢は黙す。


「ん。大丈夫だ」

「モノ?」

「俺がいる」

「そう、ですわね」


 僅かに懐いた不安。それも、モノの手により吹き飛んで、後は談笑とバブはその場をかき乱すことに専念した。


「安心したら、お尻を叩いて貰いたくなりましたわ!」

「そんな、お腹が空いた、みたいに……」




「さて、恩は、返さないとね」


 そして後、リボン・ビアは色味一つない腕に大きな鎚を抱えながら、ヒーターから起った。


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