第35話 聖女と変態
内の彼は表立つ彼女の中に隠れてやり過ごす。それほどに、彼女達は嵐だった。
よく寝たなあ。
ミルクちゃん……。
お尻ぺんぺんだよ!
そして二人は惹かれ合う。敵対し、競い合わないだけ、マシなのだろうか。その辺りを補足してみよう。
朝焼けの空の朱に彩られる世界に、鋭い風音が連続して響く。所作に音が遅れる、そのあまりの業を行っているのはモノである。少しひやりとした朝の空気を裂き、彼は地を踏んで辺りの靄を消し飛ばした。そして、自然再び周囲に集ってくる湿気に彼はまた対す。
モノは、それこそ誰も起きていない早朝から、剣を振るっていた。彼の強靭な肉体にあっては、数時間程度の睡眠ですら休みすぎ。近頃、ただの刃金では肉に傷がつくことすらなくなって来てしまった程の、己の身体の異常さに慄きながら、剣士はただ真鉄を舞わせる。それだけで、最適を越えた先へと進めるのであるから、天才という称号すらもはや青年には生温いのだろう。
バケモノを狩るためのバケモノ。モノは自分をそう思っていた時期もあった。自分なんて、人じゃないのだから、と。親にすら認められなかったその天才は、異才は、少年には重かったのだ。
「ん。少し鈍ったか」
そんな昔の恥ずべき自分を思い出し、剣筋に曇り程度の僅かな虚を見つけ、モノは呟く。だが、一々止まることはない。彼は自分の弱さを既に呑み込んでいた。そんな成長のために必要だった言葉をふと、思い返す。
「幾ら戦うのが得意でも、自分を戦わせ過ぎていたら、疲れちゃうよ、か」
さして特別ではない、そんな言葉。それが何より輝いているように思えてならないのは、自分に必要だった時に寄り添うように掛けられたものであるからか。そう、モノは疲れていた。その剣によって敵を否定することに。
自分は正義でも偉くもないのに、ひと度振るえば、問答無用で相手を断てる。それが、とても楽すぎて、そして得意すぎて。あまりにそうすることを必要とされてしまい。まるで自分が剣になってしまったような気持ちにすらなり、知らず人を傷つけて。それでも、聖女は内面を求められないがために膿んでしまったモノを抱きしめた。
優しさを忘れた、少年。そんな鋭すぎるモノだって、パールは受け止め、愛していた。だが、そうあることが辛いなら、止めようよと、彼女は諭す。私は敵じゃあないのだから、私の隣では休んで、と。
「俺が人間であるのなら、それはパールのおかげだ」
バジルと出会う前の、二人。特別ではなかった少女。だが、それこそ聖なることではなかったか。虚飾の側にて、それでも人を思えたパール。そんな奇跡にこそ助けられたモノは、だからこそ思うのだ。
「変わろうが、代わろうが、それでも愛そう。だって、それもパールという人間なのだろうから、な」
モノは、知っている。もう、パールが前の彼女ではないことを。混じってしまっていることだって判じていた。だが、そんな特別を含めて、そういう人であったのだと認めよう。
人間は生き物だ。成長を含めて、もとより違い続けなければ生きてはいけない。それに何より、この胸にある愛おしさに、変わりはないのだから。モノは、そう考える。
「お兄ちゃん、か」
だから、パールから貰ったその言葉は、嬉しくも、苦かった。それこそ思わず無様に再び欲してしまうくらいには、胸元が不明になってしまったのだ。
「ん。それでも、今は良いか」
頼られているとそう考え、剣を薙ぐ。空気に悲鳴を上げさせ、そうして時間と負荷程度では鍛えることにすら繋がらないモノのただの暇つぶしは、終わった。
「ん。トールか。おはよう」
日は明るくなって平等に辺りを照らし。そうして皆の一日が始まるのだろう。それを何時ものように迎えるモノは、最近馴染みになった彼に挨拶をした。
「ぶう」
器用に土色の付いた方の手を挙げて、トールは応える。何となく魔物は、眠ることすら許されない青年の強さを、少し可哀想に思う。
「ふわ。よく寝たなあ」
やがて、誰かさんも起き上がり、また日常は始まった。
「お父様は帰り、ホープ等には哨戒を命じました。さあ、親もお目付け役も居ない今がチャンスです。モノ、お襲いになって!」
「誰が襲うか。バカ」
「バカ……んんっ、才女と呼ばれることに慣れきってしまったこの身には、非常に新鮮です!」
「朝からバブちゃん、すっごいテンションだね……」
「っていうかコイツ、ひょっとしなくても能力高いのか」
「でもバブ、何かそんな感じするよね。普段はちゃんと、気品はあるし」
魔従によって家を台無しにされてしまったがために、昔のようにさして大きくない神官館で過ごしているパール等の慎ましい暮らしの中にレディ・バブは再び騒々しく現れた。
今度は黒色を基調としたシックなドレスを身に纏い、しかし一つも落ち着いたところなくバブは揺れ動く。だが、言葉は兎も角その所作に下品な部分がないのは、やはり育ちと素養の違いが出てしまうものか。彼女にはこと洗練さがあり、綺麗といえばそうなのだろう。顔は派手ではないが、その分だけ黙っていれば例えば王前だろうが馴染めるに違いない。
だが、どこに出しても恥ずかしくない、そんな見た目であろうとも、どこであろうと恥ずかしい言を披露してしまっていては、台無しだった。
「おっほほ。グミは私の素晴らしさに気づいている様子ですわね。そう、この高貴……一度損ねてみたくはなりません?」
「いや、全くそうは思わない」
「くっ、獣性のない、真にモノは紳士ですわ! ですが、その距離感がまた私を昂らせます!」
「どうすればいいんだ……」
「どうしようと酷いんだね……」
意味不明な誘惑を行い。それを放置しようとも、勝手に興奮している。何とも困った令嬢だ。何時の間にか控えているメイド等が、その有り様を微笑ましそうに眺めているのが、またよく分からない。
「一回叩いてやれば目が覚めるんじゃないか?」
「やった。そうしたらこうなったんだ」
「ああ。壊れちゃったんだ……」
モノは力強いから、と言いながら、グミは残念なものを見る目でバブを見下げた。それがまた相手を喜ばせるのだから、堪らない。その場の皆は無敵かこいつ、と思わずにはいられなかった。
「ええ、ええ! 私は既にモノへの愛に壊れていますわ! モノの全てを受け止める、そんな狂った覚悟すらもっています。さあ、さしあたっては、その太い腕から溢れんばかりの野性を私に振りまいて下さいな! ぺちんぺちんと、お願いします!」
「要は、俺に叩いて欲しいだけか」
「結局、そっちに繋がるんだね……」
発奮して頬を差し出すバブに、脱力するパール。げんなりと、そんな気分が繋がっていく。愉快を、過剰摂取気味。流石に優しい彼彼女だろうが、呆れ返ってしまう。
しかし、その最中で元気なバブが、またひと暴れしようとした時に。寝所へと続く扉が開けられ、彼女は現れた。モノが先程脱いだばかりの訓練着を抱いて。
そう、バブよりも尚黒くて、暗い。そんな少女は、ミルクだった。
「……ふん。レディと言えどもその程度? 片腹痛い」
「な、なんですの貴女は! そしてその衣服からはモノの匂いがしますわ! 貴女、盗人ですわね!」
「……これは、マーキング。野生では当たり前の行為。愛の狩人には時に原始に返ることも必要」
「は、何という目に鱗のお言葉! 貴女やりますわね!」
「また変態が出たよ!」
「ミルクちゃん……」
「モノの部屋に忍び込もうとしていたから、オレが捕まえておいたんだが……逃げ出したのか」
「バジル、迷惑をかける」
「いやホント、どうしてお前に惹かれるのはこんなんばっかなんだろうな……」
バジルの嘆きも当然だろう。何故かモノに向けられる愛は、こぞって気持ち悪い。バブも大概であるが、ミルクに至っては、ただの変質者である。盗人ではなく、保管している一着以外は、楽しんでからちゃんと洗って返すあたりがたちの悪いところ。普段は、彼女もしっかりとしているのだが。
「反省させるために捕まえても、法が追いついていないから、無罪放免なんだよね」
「……私は最先端のグレーゾーンを走っている」
「っつ、素敵ですわ! 貴女のお名前は? 私は、バブ・タアルです」
「ミルク。よろしくね、バブ」
「よろしくおねがいしますわ!」
「ああ、やっぱり変態は同調するのか……」
「どうすんの、モノ?」
「知らない」
「あーあ。ふてくされちゃった」
そして、当然のようにバブはミルクを気に入ってしまう。二人は並んで、微笑む。新たに出来上がったばかりの友情を歓迎できないのは、どうしてか。モノは、全てを忘れて窓から見える空を見上げた。
それを見てからパールは動く。まずミルクの腕の中のモノの服を取り上げてから、そうしてため息を吐いて、言う。
「はぁ。でも、こうして私に見つかったということは、分かっているよね。ミルク」
「……仕方ない。一時の迷いが止められない私が悪い。駄目と知ってやっている私に禊は当たり前。嫌われないだけ、マシ」
「なら結構。さあ、お尻ぺんぺんだよ! バジルとモノは、あっち向いて!」
「モノになら見られても……あうっ!」
そうして、パールは刑を執行する。ぺろんとミルクの白いお尻を出してから、真っ赤になるまでそれを叩いて、反省を促す。暴力は好きではないけれども、躾を厭うことには繋がらない。
パールも年上相手に何をやっているのだ、とは思わなくもないが。
「う……羨ましいですわ! モノ、私にもあれを!」
「指を咥えて、ただ見てろ」
「ああ、つれない。ですがそれも!」
そして、当然のようにバブもそんな反応を示して。変態達のせいで、空気はぐだぐだになった。
「……バブ。貴女、今求めているけど、元々は人嫌いだった、でしょ」
「分かりますか。ミルク、貴女は慧眼ですわね」
「貴女の目、見たことがある。光が点いたばかりの暗黒」
「あらあら。意外と、人生経験豊富なようですわね」
「それはもう、一生分上乗せされているから」
皆が捌けた隙。その間に、お尻をさすりながら、ミルクはぽつりと言った。落ち着いた様子のバブは、しかしどの言葉であっても驚くには値しないと受け止め、笑む。その懐の深さに、ほうと見知らぬ人生を見た少女は嘆息した。
「別世界、ですか。確かにあって、それは作用している」
「……バブ?」
「それを利用してあげようと思いましたが……今はもう行いません」
「……なるほど。貴女は真に、賢しいのね」
それは、高みから世界のつまらなさを眺めて出来た、膿み。広がり、黒く濁った全ては、この世の全てを侵そうとしていた。だがそれは、止められる。愛すべきモノの手によって。
そんな正義が勝ったのが嬉しくて、今日もバブは弾けるのだった。
「そう。本当は、私は悪役令嬢だったのです」
バブは、ミルクに向かう。告白に微笑む彼女は、どうにも不透明だった。
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