第39話 バジルちゃん・二
彼と共感しながらも、しかし本当に彼女は男性の気持ちを解せているのだろうか。好き勝手なその手で、あの子がまた姿を表す。
バジルは手が空いていた方が、気が楽でしょ?
カツラだよ!
わあい。
バジルが叫んでる……。
また、それは少年にトラウマを生んだようだ。何かちゃんと考え行動していたら、違ったのだろうか。これは、補足せずにはいられない、のかもしれない。
その日、バジルは機嫌が良かった。その要因としては、一般にはそうでもないが、彼にとっては辛い夏の日差しが雲で和らいでいることが一つ。もう一つは、久しぶりに好きなパールと二人きりで街を歩けていることだった。
バジルは、普段は人を寄せ付けないような様子も見せるが、基本的には情が深い。友や家族に喜ぶのは当然。モノやグミらと騒いでいる時間だって好むところだった。とはいえ、流石に好きにも特別があって然りである。彼はパールのことが、何より大好きなのだ。
「買ったねえ」
「オレが持たなくても、本当にいいのか?」
「うん。これでも私には軽いくらいだから……それに、バジルは手が空いていた方が、気が楽でしょ?」
二人並んで、買い物帰り。まだ街の入り口近くに寄る道程が残っているとはいえ、それでも予定していた殆どは、既に買い漁っていた。果物野菜に、小麦。そんな食料品を中心に片手では余るほどの重量を持つパールは、しかしあっけらかんとそう言った。前半の故は、彼女の持ち前の怪力のための適材適所を伝えただけだったが、後半は魔法使いなバジルへの配慮である。
そう、染指に力の重点を置いているバジルは片手を用意してこそ安心できるのだ。それを、パールは確かに察していた。
「まあ、何かあった時のために、右手は空けておきたいところだが……男が女に荷物を持たせてると、外聞が悪い」
「前時代的だね。なら、ほらこれ持って!」
「ん? 何だこれ」
「カツラだよ!」
「はぁっ? なんでこんなもの……もしかして」
パールが知らない間にこっそりと露天商から買っていた金のひらひら。それだけ渡されたことにバジルは困惑するが、次に嫌な予感も覚え始めた。少し前の忘れようとしていたこと。男に色目を向けられた記憶が、頭によぎる。
「バジルちゃんに良いかな、って思って衝動買いしちゃったんだー。気に入った?」
「気に入る訳あるか!」
浪費に、勝手。それに判りやすくバジルは激するが、しかしそれでも物に当たらることはなく手の中にある忌まわしいものは安堵されたまま。真面目だなあ、とパールは思わずにはいられない。
「もうオレ、アレはやらないぞ」
「えー。あんなに可愛いのに。いやむしろ今も可愛いよ! バジルちゃん、可愛い!」
「だーっ、変なこと言うな! やらないものはやらない!」
「残念!」
パールのおだてて乗せる作戦は失敗。可愛いと言われて喜ぶ男は少数だろうから、それもまあ当然のことだろうか。だが、曲がりなりにも褒められたということで気を悪くする訳にもいかず、バジルは少しむずかゆい思いをしながら、ロングウェーブでもさもさしたカツラをパールに突き返した。
「ほら、返すからな。他のを持ってやるよ!」
「えー……ちょっとだけ、一度でいいから被って見せてよ。そうしたら後でモノと一緒にねだったりしないから」
「……本当か?」
「うん! わあい。これで私がバジルちゃん独り占めだ!」
「ったく……」
そうして、バジルは衆人環視の中で、間違える。何がその原因なのだろう。それは、夏の暑さによる知らない内の疲れと、何よりもその機嫌の高さがあったのかもしれない。だから、何時もならば決してやらないことをやってしまったのである。
そう、カツラを被るだけとはいえ、人前で女装なんて、何時もの少年ならばあり得ない。
「んしょ、っと。これで良いか?」
「わ、まだ髪の毛がぐしゃぐしゃだよ……とかして……うん、よしっ!」
「はぁ……」
「わあ、可愛いよお! バジルちゃんは、どんな髪型でも、似合っちゃうんだね!」
「……気が済んだか? 今気付いたんだが、見られてて、恥ずかしいな。取るぞ」
「えー」
パールの残念そうな声は、周囲の皆の思いの代弁か。それほどに、バジルちゃんは、麗しい。更に、どこか可憐ですらあった。髪型一つの違い、とはいえ普段から実はその実力の片鱗は覗けている。パールの影に隠れているとはいえ、女性人気がそれなり以上にあるのはその証左だ。
目の碧が、どうにも人の目線を吸い込んで、得も言われぬ魅力をバジルちゃんは発揮する。頬を朱くして口を尖らす、その様子はとても愛らしく。流れる長髪は、相当に高価であっただけに非常に艷やかで良く似合っている。偶に着てしまった四塔教のローブがまた、その性を不明にさせた。
そんな、どこからどう見ても少女な男子は、パールの了承を得てから、カツラを取ろうとする。律儀なところがまた愛らしく、少し勿体振ったところ。その間隙が未来を変えてしまった。
「やられた!」
子供の大声。それが聞こえる位置に二人が居たのは、偶々。少女のような男子の焦った声色を聞き、向いた先には色味にて人相の悪い男の足止めをしている少年の姿が。大事に持っているその身なりにしては上等過ぎる財布を目にしたバジルちゃんは、男の正体がスリであることを瞬時に察する。
「ちっ」
「バジルちゃん!」
「分かってる!」
小さな犯罪。だがそれを見逃すほどにバジルちゃんは薄情ではない。更に、自警団所属ということもある。せっかくの良い心地を台無しにされたことを含めて、犯罪者に行使した魔法の強さはそれなり以上に強いものになった。
「ぎゃ」
「ふん」
周囲を一瞬で水浸しにし、そしてそれを凍らせその無法な自由を奪う。犯罪者に対して、バジルちゃんは必要最低限には冷徹だった。
「ほら。これ、お前のだろ?」
「あ……」
顔以外氷漬けになった男を尻目に、落ちた財布を拾い。そうしてバジルちゃんは少年へと差し出した。コンセント州生まれの特徴であるよく日に焼けた肌をした彼、ケットは驚いた様子で少女らしい姿を見、そうしてバジルちゃんがかけた言葉にて。
「良かったな」
「あ……」
「ど、どうした?」
「わ、バジルちゃん泣かせちゃった」
ケットは泣いた。まさかそれが、自分の可憐さに感動したものだとは思わずに、バジルちゃんは、ぽろぽろ零れ行くそれに、うろたえる。年少を脅かすつもりなどなく、だからその涙を拭ったり撫でたりすれば良いのか、混乱し。
「もう、泣くなよ。男だろ」
「あ……」
ついつい、視線から隠すように少年を抱きしめてしまった。間近に整った顔が。そして、柔らかさに熱を覚えて胸が高鳴り。そして、何故か薫る甘くも思える匂いに異性を感じてしまったケットは。
「きゅう」
「あ……」
「気絶しちゃったねー」
そう。年頃の子らしく鼻を伸ばすでもなく、ただ相手の尊さに耐えきれなくなって。ケットは自失することを選んだ。小さな重みを預かったバジルちゃんは、どうすればいいのか、パールと一緒にしばらく悩む。
「はっ」
「やれやれ。やっと起きたか……」
「わあっ」
すっかり暗い空に星が瞬く。ケットが目覚めたのは、遅く、日が落ちてからのことだった。周囲を見回し、そこが宿屋の軒であることに気づく前に、直ぐ近くに一目惚れした相手と目を合わして、彼は狼狽した。
「すまん、驚かしたか。だが一時軒下は借りられたがそればかりでな。オレ以外に緩衝材になるものが無いから、仕方なくお前の身をオレに預けさせてたんだ。不快だったら申し訳ない」
「不快なんて、そんな!」
ケットを抱きながら、スリを衛兵に引き渡し。そうしてから、少年を診る場所を探した。そうして、近くの宿屋の軒が借りることが出来、パールにこういう時に役に立つだろうモノを呼ばせてから、バジルは気絶した彼の体調を診出したのだ。流石に、子供の頭を床に置かせるのは忍びなく。膝に乗せるのは流石に恥ずかしかったから、自分の身体に寄りかからせて。そうして大丈夫であることが分かってからもずっとそのままでいたのだった。
そんなこんなを自分に移った熱で感じ取ったのか、勢いよくケットは離れ、そうして変化を彼は確認する。それは、バジルの天辺にあった。
「あれ。綺麗な、髪の毛が……」
「ああ、あの時ははカツラだったんだよ……気にしないでいてくれると、助かる」
「そ、そうですか……」
気にするべきではない。なるほどそれはそうだろう。女性が短髪を通り越して、坊主頭になるまで髪を切り、それをカツラで隠しているなんて、余程のことがなければあり得ない。詮索するべきではないだろうと、ケットは理解した。バジルが、バジルちゃんではないことを知らずに。
「そうだ。財布も取っておいたぞ。ほら。今中身確認しな……暗くて分かり辛いか?」
「いえ。これでも魔法使いの端くれ。火くらいは出せますので」
「ふうん。指の多さから出来るかもしれないと思っていたが、媒介もなしか」
「えへへ……凄い、ですか?」
「おうおう、年の割には、随分と凄いな」
まるでロウソクの先端のように、ケットの火色の指から炎がちろり。それに照らされたバジルはまた幻想的に見えた。思わず、彼はつばを飲む。近い、可愛い。少し中性的な部分も見受けられるが、それを含めてミステリアスな美に思えた。
「おい。早く確認しないで良いのか?」
「ええと……実は、持って来たお金の把握をしていませんでした。大きいのは判るのですが……」
「小銭は全然判らないか。まあいい。ざっとは見て、重みも大体比べておけ。それで、オレが抜いていないかどうかくらいは判るだろう」
「そんな心配はしていませんよ」
「……どうしてだ?」
疑問に、ケットの目とバジルの目が、合う。そして赤と青はまた、すれ違った。
「だって助けてくれた、じゃないですか」
「……あのな。だからって、目先の金を前に変わる場合があるだろ。善がずっと善なのは、物語の中だけ……いや、知り合いに大体変わらないのも居るが、オレは……」
「いいえ、きっと貴女も変わらないと思います」
それは、信頼というよりも、信仰の類。こんなに可憐な存在が、悪いはずがない。そういった、思い込み。だがそれは、今回は当たっていた。バジルは、悪くはなれない。復讐の道にすら踏み出せなかった、そんな純真。それをケットは、見抜かずとも当てていた。
「初対面のお前に、オレの何が判るんだ?」
「判りません。でも……」
「でも?」
眉ををひそめて首を傾げる、そんなバジルの様子を見て、ケットはその険を取ってあげたいと、真に思う。だから、こんな恥ずかしいことも言えてしまえたのだろうか。
「綺麗な人は心も綺麗だって、そう思いたいじゃないですか」
少し気障だったかと、そう考えながら紡いだ言葉。嘘一つない文句で笑ませることが出来たらと、そういう思いでケットは言ったのである。
しかし、それはバジルの表情を更に歪ませる結果に終わった。何とも言えないそんな面をすら、ケットは愛らしく思う。性別の錯誤もそうだが、恋は盲目とは、このことだろうか。
「……綺麗……そう、見えるのか……」
「はい。貴女は嘘偽りなく綺麗で、素敵です!」
「そうか、そうか……それはひょっとしなくても、女性として、か?」
「勿論です!」
真っ直ぐさは、時に残酷だ。本心からのそれは、柔らかい心を傷つけた。子供に食って掛かりはしない。だが持て余した激情に、叫ぶくらいはしないと、バジルはやっていられなかった。
「オレは男だ!」
その悲鳴のような声は、暗闇に響いて連鎖的に数多のイヌブタを吠えさせて。多くに迷惑をかけることになった。
「これで、男の人……」
少女ともとれる少年のローブ姿の全身を見つめるケット。彼がごくりと飲み込んだつばの音は、幸いにもバジルには聞こえなかった。
「バジルが叫んでる……」
「あ、ケットだ」
「ん。知り合いだったのか」
ただその当然を叫ぶ姿は三人に見られて、後でバジルは大いにからかわれることになる。だが、その中でもずっと、ケットはバジルを真っ直ぐに見定めていたのだった。
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