第14話 魔物と親心


 これは、彼なのだろう彼女が飼っているものと勘違いしている、魔物に対して今回語ったこと。


 トール、おりこうにしているんだよ?

 わ、トールが笑ってるよ。


 もう、駄目じゃない、トール。


 この全てがとても優しく受け容れられた故を、誰が察せるだろう。補足しなければ、判らないものと、そう思う。




 元々、トールは、野生のイヌブタの中で頂点の座をほしいままにしていた、唯我独尊な心を持っていたブタである。生まれつきその右の蹄に土色を持っていたことは、少し小ぶりな身体であることを差し引いても、随分なアドバンテージだった。

 マナに届き得るその指の先から魔素を引っ張り込んで、掴め得る染指と同色にてこの世の道理を染め変えていく、それが魔法。先天的であるということは、それが出来て当然ということ。トールは兄弟等と遊ぶことで自然と魔法を学んでいった。

 たとえば、隠れんぼから、迷彩の魔法に、地に落ちた匂い物質を集める魔法を彼は身につける。鬼ごっこからは、地を弾いて加速する魔法に、色味を伸ばして自由に動く方法を得た。そして、天敵だった風色のカラスとの戦いにて、ツブテ飛ばし攻撃に土壁による防御までも思いつく。

 そんな魔法の全てを覚えておける上等な頭も含め、トールは周囲にあまりに図抜けた天才と持ち上げられ続けていた。それは思わず、寂しくなってしまうくらいに。


「ぶぅ……」


 何も考えず、尊敬を受け取るだけ受け取れていれば、楽だったのだろう。だがしかし、トールは疑問に思ってしまったのだ。これでは、魔法が自分ではないか、と。だから、群れから離れて孤独を好むようになった。


 そして、悩める子イヌのようなブタは、ある日、出会う。


「あれ。どこで飼っているワン……ブーちゃんだろう。首輪、ないなー。おお、やっぱりちっちゃいね」


 何も考えてなさそうに、自分に能天気な笑顔を向ける、太陽のような女の子と。



「トール、おりこうにしているんだよ?」

「ぶー!」

「良い返事。賢いね!」

「そりゃ、魔物だしな。マナに刺激されてるから、バカにはなれない。トールは多分、パールよりは賢いんだろうな……」

「バジルー……今日のご飯は、パセリニンジン丼ぶりね」

「それだけは止めろ」


 青空に浮かぶ雲が鮮やかな一日。パールとバジルは、トールに留守を任せて仕事に向かおうとしていた。普通ならば、動物を離して家に残すのは心配が残るものだが、トールは魔物。ただの動物と比べたら、だいぶ賢い。それこそ、あまりものを考えないパールでは勝れるか怪しいくらいに彼は道理を弁えていた。そこら辺をからかったバジルは、聖女の怒りを買ってしまったが。

 パセリニンジンとはその名の通り葉がパセリで根がニンジンの食物。実に、可食部が豊富な食材だが、その実パセリの癖が全体に行き渡ってしまっていて、好き嫌いが分かれるので有名だった。

 即答の通りに、バジルはパセリニンジンが大嫌いだった。だが、こっそり残ったそれの処理をさせられているトールは当然のように好んでいる。思わず彼は、子供な味覚の少年を笑った。ブタさんは、人間ならばよほど美味に味付けされていなければ、誰だって丼ぶり山盛りのニンジンは御免こうむることを知らない。


「ぶ、ぶっ、ぶ」

「わ、トールが笑ってるよ」

「何がウケたんだろうな……しかし人間様のマネごとしている動物って少し不気味だな……っと。もう、そうはしゃくりを喰らわないぞ」

「ぶうぅ……」

「残念がってる……トールは、バジルのことどう思っているのか、イマイチ分からないところがあるね」


 バジルに嘲られた。こんなような時のために編み出した新技術、ジャンプしゃくりがその螺旋の回転ごとマイナスによって停められたトールは、非常にそのことを悲しく思う。

 パールは理解出来ていないが、バジルを見たトールの中に常々沸き起こっているのはライバル心である。賢い魔物が、お腹を見せたのは当然、嘘だったのである。

 だがバジルは、飼いブタに自分が同等と思われていることをつゆ知らず。魔法を解除してから手を振りパールを連れて出ていく。

 まあいいや、と切り替えたトールは挨拶を忘れなかった。


「それじゃあな」

「行ってくるねー」

「ぶぅ!」


 バタンと、閉まったドアを見て、そしてくるりと反転。とてとてと、トールは寝所へと向かう。彼が行き来しやすいように、扉という扉が広げてある、そんなパールの心遣いをありがたがりながら、小さな足をちょこちょこ動かして。

 そして、パールのベッドの足元に辿り着いたトールは、染まった指先からリボンのように色味を伸ばして木製の骨に括り付けてから、それを縮めることによって一気にベッドの上へと登った。


「ぶー」


 そして、トールは安心した。今日は休養日。人間界の都合など知らない彼は勝手に決めて、快い匂いに包まれ眠ろうとする。だが、それを待たず、大きなその耳元で、声が響いた。


「わ」

「ぶ!」


 それは、驚愕。ブタらしく鼻も良ければ耳も良い、そんな彼の注意をすり抜け、少女の声が。その不明に驚き、声の方へと向いた彼の目に入ったのは、グミの姿だった。


「ふふ、誰もいないと思った? 残念、ボクが居ました!」

「ぶぶぅ!」

「へへー。今日は、トール。君で遊ぼうと思っていたんだよね。一緒に散歩、しよっ!」


 頬ずりを受けて、トールはその豊かな黒色を総毛立たせる。どうしてかが分からないまま、不明な存在に触れられるのは、誰だって怖い。

 実は、グミは魔法を使っていた。彼女は、足音を水のクッションで消し、そして匂いを変態させて隠してトールに忍び寄ったのだ。混色三本とはいえ大分疲れるだろう、パレットまで使った高度な平行魔法を一向に苦と思わず行ったそのバイタリティは、確かに恐るべきものがあった。


「ぶー……」

「さあ、行くよ……って、自分で染指を隠すように、手に包帯巻いてる。器用だねー」


 ブタさんの驚き顔に満足して、グミはトールを外に引き連れんと持ち上げる。仕方ないと思った彼はスカスカの胸元で、色味を伸ばして机に置かれていた包帯を引き込んだ。そして、左腕に巻く。

 パールが一度ちゅーにびょーみたい、と形容したその格好は生活圏に魔物が現れたことを知らせて周囲を恐れさせないための、トールの何時ものものだった。意外と、彼はこの装いを嫌っていない。


「あ」


 そして、首輪を付け、綱で引かれながらトールはグミと外に出た。だがしかし、清々しい空気を味わう前に前に、目の前にふくよかな女性の姿が。

 ドアに鍵を刺そうとしていた様子だった彼女は、安心させるため、柔らかに微笑んだ。


「あ……見当たらないから家に居ないか見てきて、って頼まれたから来たのだけれど。良かったわ。グミちゃんはトール君と元気してたのね」

「カーボさん!」

「ぶぅ!」


 そう、大きめな四塔教の法衣を着た女性、彼女はユニの母、カーボであった。グミはその娘へ遺伝しなかった優しげな顔立ちをじっと見つめてから、にぱりと笑って言う。


「わー。カーボさん、遊んで、遊んで!」

「ぶぅうっ」


 子供のように騒ぎ出す、グミ。自分では足りないのか、と鳴くトールの前で、カーボの笑顔の色が少しだけ、変化した。


「ふふ。私には魅力とかそういう人間的なものは、あまり通用しないわよ?」

「……やっぱり、あそこに居る人は皆特別なんだね。残念!」


 ただ、酸いも甘いも知り尽くしていただけ。しかし、その量が十分に特別であった。絶望の淀みの如くに内面が安定しているカーボは、何一つ心動かされることもなく、魔女の表の変化を笑顔で迎えた。


「それじゃあ、ボクはトールと散歩してくるって、パール達に伝えといて!」

「分かったわ。気を付けてね、グミちゃん。ばいばい」

「じゃあね!」

「ぶー!」


 そして、意外とつまらなかったカーボと分かれ、一匹と一人は歩み出す。彼らは足取り軽く、道を自由に行ったり来たり。散歩であるからには目的などなくても構わないのだろうが、その実無駄に歩みながら、人に紛れつつ、グミは探していた。

 そして、裏道でようやく見つけた看板に喜んで、彼女はしゃがんでからトールに耳打ちをする。


「ここだ……ふふ、トール今日は驚かしデイだよ。一緒に突っ込もう!」

「ぶぅ!」


 乗っかるトール。そして、彼らは酒場に突貫した。中に居たのは二人。若年のマスターは突発的な事態に、何か隠し武器でも出すためか手を後ろに回し、大人の女性は特産の蜂蜜酒を呑み込みながら、目をゆるりとグミ等に向けた。

 そんな女性を発見して、グミは言う。


「アンナさん、見っけ!」

「ぶっぶ!」

「……あら。どうして私がここに居ると分かったの?」

「ふふ。ボクの情報網を舐めないことだね」

「ごめんな、アンナさん。俺、ここがアンナさんのお気に入りだって、グミちゃんに教えちゃってたんだ……」

「もう、トリルビーさん。勝手なネタバレはダメだよ!」


 拍子抜けして、空手を遊ばせたマスター、トリルビーにぷんぷんと怒りを見せるグミ。そのコミカルさを受け止め、だがしかしもう彼が少女を気安く思うことはなかった。


「ふふ。情報をただで売ってしまって良かったの? 信用問題じゃない?」

「グミにしてやられてたってのは、後で気付いたんだが……まあ、良いだろう。どうせアンナさんは俺のことなんて、端から欠片も信じちゃいないだろうしな」

「あらあら。皆、私をどういうものだと見ているのかしらね」

「ボクには、何か虫を食べてた草に見えるね!」

「ぶっ!」


 つまりは、食虫植物。お前は約束破りな非道い植物に似ているのだという悪口を言ったグミは、お小言を恐れて、直ぐに逃げ出す。トールも尻尾を巻いて、後に続いた。どうやら彼も同意のような言葉を吐いたようである。

 バタンと閉まる扉。だがしかし、怒りも何も、アンナはグミが現れて後去ってからも何一つ動的な反応を見せない。

 酒の中の多くの甘みの影に苦味を受け取り味わってから、アンナはポツリと呟く。


「ふふ。その程度に見られているのであれば、成功かしら」

「おお、怖い怖い」


 本当に身震いしているのを隠しながら、自らの身体を抱くようなポーズを取ってそう調子に乗った風にしているトリルビーを眺め、そしてまた薬毒はただ事実を落とす。


「私はもっと、狂った存在だから」


 酒毒を呑み込んで、真面目に語られた不明瞭な内容。これには、情報屋トリルビーも、何も言えなかった。




 そして、嫌いを精一杯驚かすという目的を済ましたグミは、トールと共に屋台を冷やかしたり、自ずと友達となった子供達と身体一つで出来る遊戯を楽しんだりして、時間を潰す。

 子供達の親に面倒を見てくれてありがとうと言われたことを喜んでから、そうしてグミ達は、そろそろ頃合いだろうと教会へと向かう。

 向かう道は、目的の彼らの帰り道でもあったようだ。遠くから、互いを確認しあったグミとトールにパールやバジルにミディアム等は駆け足で寄り合う。

 そして、一方は表情が見えるくらいになってから、繰る足を遅めたが、グミとトールは構わず駆ける。そして、少女は言った。


「ミー兄! ボクを抱きとめて!」

「グミ……いや、駄目だ。わたしは君でも鼻血出してしまうかもしれない!」

「ミディアムさん……」

「最低の兄だな……」

「なら、ボク跳びつくのやーめた」

「ぶぅ!」

「な、止まらず、跳びついてくるのは君なのかトール……ぐほぉ!」

「お前は、一日一回は不幸に巻き込まれなければ気が済まないのか、ミディアム……」


 そして、ミディアムの長身に投げ槍のようにトールの硬い鼻先が吸い込まれていく。流石に股間に当たるようなことはなかったが、その上、水月の位置に見事に衝撃を入れた彼は、痛みにうずくまった。


「ぶぅ」


 そして、どうしてだか、トールは勝ち誇った。どうも彼は、大きて見た目的には迫力のある相手と、何時か白黒付けたいと思っていたようで、見事ミディアムを下せたものと、満足した様子である。

 勿論、そんな勝手を飼い主が許す訳がない。ぺしんと、その偉そうな頭を叩いて、パールはイヌブタとその目を合わせて、叱った。


「もう、駄目じゃない、トール。貴方は私よりも賢いんだから、きっと相手が痛いって分かってやったんでしょ? 謝りなさい」

「ぶぅ……」

「自分でイヌブタ以下と認めたよ、この女……」

「もう、茶化さない!」


 真剣で静かな聖女の怒りに、やんちゃなトールも頭を下げて暗い声を出す。人でなしの彼は、人間を傷つけるのを、駄目とは思えない。ただそれで、パールの心に険が出来てしまうのであれば、止めようと考える。子供程度の知能しか持っていない彼が、長くそれを肝に銘じておけられるかどうかは、微妙なところだが。


「はは、気にはしないよ。好意のあまり、ということにしておこうじゃないか」

「ぶぃ……」

「ミディアムさんが優しくて、助かったね。もう、人の嫌がること、しちゃ駄目だよ?」

「ぶぅ!」

「判ったみたいだな……しかしコイツ、どうしてパールの言うことは確りと聞くんだ?」


 バジルはもっともな、疑問を呈す。異なる種、異なる価値観。それが、どうして寄り添えるのか。流石に、トールが懐いているのがパールの人徳によるものだけでないと、彼も気づいていた。


「ぶぅ」


 だが、そんなのは当たり前だと、トールはイヌブタ語で疑問に答える。




「格好いい! やっぱりこの子が良いです!」


 トールは、大きな少女が目を輝かして自分を選んだ、選んでくれた、そんな言葉が発された際の危なげな稚気を決して忘れない。

 一度それを受けて感動をしたトールは、考えた。この胸に沸き起こった思いは何かと。そして、答えは軽く出た。

 ああ、自分はこの可哀想な子供を、守ってあげたいのだ、と。だから群れへ連れて行こうと暴れ、そして捕まった結果寄り添うことを選んだ。

 子の言うことを聞いてあげるのは、親の定め。当然のように、トールはパールの言葉を認める。



「ふふ。トールは可愛いねー」

「ぶー」


 パールが撫でる手の平。その高い熱を、彼は優しく受け取る。子の愛撫を嫌う親などいないのだ。


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