第16話 バジルとしろくま
一番強いのは誰か。それは男の子が特に喜ぶ題目であるようにも思う。それが、女の子に混じった男の子であってもきっと。
私すっごく羨ましいです!
私はあまりやりたくないけれどねえ。
良かった……本当に、良かった。
しろくま、果たしてそれは何なのか。今回、その補足の多くをバジルの記憶から借りよう。
日々を忙しく過ごしていても何時か休みは、必ず訪れるもの。それがなければ、生きるのは辛い。だから、パール等は存分に休暇を楽しむのが常であったが、しかしあまりに発奮し過ぎた後の昼過ぎの今。彼らは遊びの小休止を挟んでいた。
牧場にて草の上に座って、涼を覚えながら会話を交わす。何やらアンナと出かけていったユニを除く最近よく一緒に居る、パール、バジル、グミ、ミディアムの四人は仲を深めながらゆっくりとしていた。
そんなある時、無警戒に寄ってきた小さなドードー鳥を可愛がりながら、今思い立ったかのように頬に二色を当てて、グミはバジルに声を掛ける。
「ねえ、バジル。君はボクに勝ったよね」
「ん? まあ、そうだな」
「おお。グミに勝るとはやっぱり強いのだね、バジルは。わたしは深度も足りず、理解も足りず、どうして階長をやっているのだ、と言われてしまうくらいの弱さだから、少し羨ましいね」
「でも、ミディアムさんは頭いいですし、それに魔法でお空に絵を描けるじゃないですか。その絵の才能も含めて、人を楽しませられる力なんて、私すっごく羨ましいです!」
少し、話は逸れていく。だが、きっかけを作ったグミは、それを笑顔で認める。水を空に付けて、紺碧をキャンバスとする、ミディアム考案のその魔法は、彼の絵心と合間って綺麗なもの。兄貴分の美点、知恵の深さと心の繊細さがよく表れた、お絵かき魔法は多くの者、特に妹分である彼女は好きだったのだ。それが、褒められるのは、嬉しい。
先にも、その剣での戦いぶりを見ながらミディアムが水色だけで描いた、空に浮くパールとバジルの姿に、グミが土色で塗料を乗せて色付け、共に楽しんでいた。そんな、上手に切り取られ、美しく描かれていた彼らの共作は、漫画やキュビズムの知識もある聖女さんの中の素直の心も動かした程だ。
「はは。わたしは一芸特化なんだよね。あまりない、出来ることを伸ばすことだけはした。でも、その程度かと学園の皆には馬鹿にされていたよ」
「そこまで出来ないのに、あいつらミー兄のこと馬鹿にするんだよねー。何か、困ったら頼りにする癖して」
「まあ、年上だから、下に見るのも頼られるのも仕方ないのだろうね」
どうしても、年齢による認識の差とういうものは生まれ、自分と同じ年上など、からかいの種になりがちで。だから、弄くられるミディアムの姿をグミは大層嫌っていた。
何となく、バジルは共感を覚える。
「ミディアムに才能があるっていうのは知っているし、向こうでもミディアムが苦労しているというのはよく分かった。まあ、頑張れよ。応援くらいしてやるから」
「バジル、ありがとう」
「で、結局。グミ、お前は何が言いたかったんだ?」
「あ、そうだ。……ボク気になっていたんだよね。上には上があるっていうのはバジルのお陰で分かったんだけれど。でも、果たしてそこが天辺なのかなって。やっぱり、バジルってここらで一番強いの?」
天才。その自負はまだある。だがしかし、何時かは自分も本当に神祖のように天に届けるのか。それが、気になる。神ではなくまだバジル一人なら対抗も可能では、そう思わなくはないから、グミは訊いてみる。
しかし、返答は意外なものだった。
「そんなことはない」
そう言った、バジルの目は遠く空を向いている。
「第一、下手したらオレ、パールにも負けるぞ?」
「……そっか。パールは魔法消せちゃうから……」
「疲れちゃうから、私はあまりやりたくないけれどねえ」
「消せる? どういうことだい?」
ミディアムに詳しく教えたら、また面倒が起きるだろう。だから、それはまた後で、とグミは言い、そうして彼女は続きをねだる。
「それじゃあ、パールが一番なの?」
「そんな訳無いだろ。人間なら、間違いなくモノが最強だ」
「モノは、ねぇ……」
パールもまた、遠い目をする。モノ、その名前だけで、彼らには一定の諦観を与えるのだった。愛してはいるが、それでもその背は大きすぎたのだ。
「前に名前だけ聞いたけれど……魔法使いなの?」
「いや、無色の剣士。オレらの幼馴染で、現在は騎士見習いみたいなことやっているらしいな。どうも、口数と一緒で便りも少ないから、今どうしているかは不明だが」
「え? ……うーん。分からないなあ。ひょっとしたら、モノって魔法があまり効かないっていう、真鉄で装備を固めているような人なのかな?」
「ぜんぜん違う。そもそも、あんな重くてバカ高いものを隙間なく纏える人間なんて、ほぼ居ないだろ。まあ、アイツやパールの馬鹿力なら重さの点だけはクリアできるかもしれないが……」
「え、じゃあどうやってバジルの魔法をその人は防ぐの?」
どう考えても、周囲の世界ごと停めてしまう、そんなバジルに対するのは、その全てを防ぐ意外の方が見つけられなかった。だがしかし、現実は小説より奇なり、である。意外な方法で、モノは勝るのだ。
「簡単に言うと、だな。モノの剣だけはオレにも停められない。そもそも、あいつは疾すぎるし上手すぎる。指を振るう前に落とされちまうよ」
「え……ボクの思いっきりの魔法でも停められるのに?」
「斬られちまうんだよ。ホント、ありえん」
それは、理屈を超えた何か。最早超常現象の類である。世界を斬る。そんなことをやってのける人間は、モノしかいない。
「魔法使えないのに、魔法より凄いこと出来る人、多すぎでしょ、ここ……」
「わたしもそう思う」
「ミー兄も、凄い人だからね?」
「そうか?」
グミは、微妙な表になった。魔法で商売経営は出来ない。そんなの分かりきったことだ。それが、あまりに上手であれば、尚更価値がある。そう、彼女は考えている。
だが、とりあえず、話はこれで終わりなのだろうと、グミは思った。コレ以上のとんでもなんて、出やしないだろうと。
「じゃあ、モノって人が一番なんだね」
「…………いや」
「え、他にも誰か居るの? ボク、自信なくしちゃうよ」
「誰、じゃないな。そいつは、人間じゃない」
「ええ? 何それ!」
「私も初耳だなあ、どんなのなの、それ」
だが、まだまだ爆弾は落とされる。強いものは強いものを知るのだろうか。果たして人間以外の最強とは、何か。少し期待して、グミ達は身を乗り出して、バジルの言葉を待つ。
「しろくまだ」
その名前を聞いて。ごくり、とパールだけ、何故だか喉を鳴らした。
バジルは、登山が好きである。そもそも、生まれたときから近くに山があった。ならば、そこに手を伸ばしてみたいと思うのは自然なことで。また、苦難の果てに、山頂を足に敷く際の感動は、たとえようもなく素晴らしいものだった。
何度、危ないからと、パールに止められたことだろう。だが、それを無視してバジルは登り、挙げ句攀じった。そうして、己の魔法に助けられながらハイグロ山脈の、目に入る山の殆どを単独登頂成功させた恐るべき少年は、無謀にも名峰タケノコに挑んだ。
だが、パールの知る、エベレストをすら越えるその先鋭。標高二、三千メートル程度の高さを登り降りしていたばかりのバジルは、当然のように途中で力尽きた。
「くそ……こんなところで、止まっている暇は、ないってのに……」
今回バジルが誰もが恐れるタケノコに、夏の今とはいえ無謀な登攀を開始した故は、あった。毛皮の奥にて震えている自身の染指。パイラーが調べたその特異な水色の所以。それが、この名峰にあったのだ。
タケノコの雪の中にあったマナとバジルの染指の色が、完全に一致した。それはつい先日に教わったこと。そんなことは、まずあり得ない。人と同じく、色もそれぞれ違うもの。だがもし、同じというのであれば。それは、自然が彼を同色に染めたのでは、とういう疑いに繋がる。つまり、五本も指が染まった、その不幸とも幸運とも取れぬ定めの原因はこの山にあるのだと冷えた少年は知る。
この時、パール守るために必死だったバジルは、矢も盾もたまらず突貫した。自分の力が最強でないのはモノの存在にて思い知っている。ならば、もっと自分の魔法が長じるように、自分に力を授けたのだろう山に行けばさらなる進化があり得るのでは。
そう、切羽詰まっていた彼は、勘違いしたのだ。
「ぐるる……」
吹雪の中に倒れ込んでいたバジル。そこに、獣が訪れた。ずんぐりとした、黒いその巨体の生き物はアブラグマ。山々にて命の連鎖の天辺に居る存在である。
「丁度良かった」
だが、簡単に、無慈悲にも、バジルは彼の命ごと『マイナス』の魔法で停めた。やはり、合うのだろう、指先で動かすのに簡単に追従してくれるタケノコのマナは、アブラグマの魂の在り処ばかりを冷やしきったのだ。
「それでは、いただこうか」
そして、始まったのは、少年によるクマの解体ショー。軽い、小ぶりのオリハルコンのナイフを用い、手慣れた様子で、切り分けていく。どんどんとあらわになってくる肉のぬくとさで暖を取りながら、次第に気温で端から凍りついていく血だらけの肉を頂いていく。
「っ」
ただでさえ美味い。更に、極限の状態という味覚を押し上げる要素。それによって、ぽろぽろとバジルは泣いた。
自分が生きているという実感。それをひしひしと受け取り、バジルは満足を覚えていく。だが、それを認められず、彼は涙を拭い、再び歩み始めた。
「まだ、何も掴めていない……行かない、と……」
そう、呟き。一歩を踏み出して。そして、バジルはそれを見上げた。
「白い……」
吹雪の中、多くが白く染まる。だがしかし、それは全てより尚真っ白だった。それは、クマなのだろう。きっと、形から見ると、アブラグマの変種で間違いない。しかし、その大きさを見ると、そんな認識すら疑わしく思えてしまう。
「……でっか過ぎだろ」
それは、張り出した岩棚に座していた。だが、果たして大きなその岩が彼の存在に耐えられている、それは不思議なことだった。なにせ、そのクマらしき生き物の大きさは、素直が知るヒグマを十頭縦に重ねて、ようやく届くか届かないか、といった程のサイズを誇っているのだから。
いつの間にか、そこに居た獣は、今気づいたのかバジルの方を見。おん、と吠えた。
「っつ……」
それだけで、辺りの雪や空気、挙げ句はマナすら弾け飛ぶ。何処の何にしがみついたのか、バジルは吹き飛ばされなかったが、しかし轟音に耳はがんがんと痛み、そして恐怖に最早身体は動かない。
そして、のそりと、白いクマは歩みだす。彼の周りに、追従するバジルの指と同色のマナが、渦を作った。
そこで、ようやくバジルも気づく。このバケモノは、魔物でもあるのだと。しかし大きな指の、そのどちらも染まった様子がない。全身が、白くはあっても、それだけ。
つまり。
「はは。全てが……染まってやがる」
染指の暴走にて、身体の中心へ向かって染まってしまい、魔従という魔に操られてしまうような存在も、居る。それを鑑みるに、指より染まることも、あり得るのだろう。
だがしかし、これは度が過ぎた代物だが。ごうごうと、彼に従うマナは、音を立てている。
「オレ、死ぬな」
ドスンと、ゆっくり一歩を落とし続けるこの魔物が自分の何を気にしているのか。きっとそれは、先に同種を殺していた、その業に、だろう。
復讐、ならばそれを受け容れるのは道理。経験のあるバジルは、そう思う。思うだけで、己の死までは認められはしなかったが。
だから、彼はその巨体に『マイナス』を掛けた。ゆっくりとした接近で、時間はたっぷりあって、またその全身は隙だらけ。故に、大きく差っ引けた筈なのだ。
「おおっ!」
だが止まらないそれに向け、バジルは咆哮を上げる。目がかすむくらいに、本気になったバジルの『マイナス』は、きっと大山鳴動ですら停められるだろう。それほどの、力なのに。
「そもそも魔物は、相性が悪いが……やっぱり、これだけ従えている規模が違うと、オレなんて、無力か……」
ただ、あるだけでバジルの魔法は弾かれる。そして、どうしても停められないことに、少年は音を上げた。どうしようもなく、死は近寄ってくる。暴風のように、マナの奔流が彼の頬に当たった。
「ああ、強く……なりたかったなぁ……」
ただ、涙と共に最後にそう思い。そして、辺りに轟音が響いた。
バジルであっても無力であったという自然の話。荒唐無稽な、事実。それを受けて、沈黙が降りた。一度止まった彼の口。しかし、認められず、気になったグミは先を促す。
「え……その、何。しろくま? それとバジルはどうなったの?」
「何も。それで終わりだ。力尽き、起きたらオレは晴れた天の下に居た。しろくまの姿はどこにもなかったよ」
それで終わり。どうも締りが悪く、座りも悪い。もしや嘘では、とグミは思う。だが、彼女が何か言う前に、バジルに飛び付く姿があった。
「バジル!」
「おおっ」
それは、勿論パールである。大きなその身体を受け止めて、バジルはよろめく。
「良かった……本当に、良かった。生きていてくれて、本当に、ありがとう!」
ただ、パールは、バジルを想ってそう言った。辺りに、優しい空気が流れる。
「ま……正直眉唾かもと思っていたけど……うん。そんな顔が出来るなら、どうも本当っぽいね」
「ん? オレ、何か変な顔してるか?」
思い出す度に、震えを来たせる恐怖のためか、バジルは語る度に表情を暗くしていた。だが、パールに抱きしめられている、今は違う。
「とっても安心したような表情をしているよ」
良かったね、とグミも言った。それに追従したミディアムもまた、笑顔で。
そして、バジルは思い呟く。
「ああ、弱いままでも生きていて良かったよ」
良かった良かったと、涙を溢すパールの背に五本も染まった手をぽんぽんと当てて。ただ彼は、幸せな今に浸る。
ごう、とタケノコの山頂に風が拭く。それに身体揺るがすことなく、彼は誰よりも強く孤独に立って。
くうんと、鳴いた。
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