第3話 聖女と盾たる彼
先の続き、その後の彼女の記憶に残るくらいの考えはこの程度。
やっぱりバジルは……ツンデレさんだね!
ユニちゃん怖いー。
えっと、えっと……皆、逆に考えるんだよ!
ワァオ。
良かった、大きくなるんだよ。
皆一緒に寝よー。
あれ、バジル、どこに行くの?
あまりに途切れ途切れ。幾ら何でも、彼女はその場で考え深くして動かなさ過ぎだと感じざるを得ない。
これではやはり、補足が必要となるだろう。
「ぶー……」
「何かと思えば……こんなブタ一匹で騒いでいたのか」
染指一本違えば、世界が違う。そして、この世界広しといえども五本指のバジルの右に出る魔法使いはそう居ない。たとえ比較対象が同じ大気のマナを奪い合う魔法使いの天敵である魔物であろうとも、相手ではなかった。
そう、パイラーの大声を聞きつけてやってきたバジルによって、熱を持った場は完全に、鎮静したのだ。
「ぶ」
「おいおい、腹見せたぞ、コイツ」
「流石、バジルですね」
「良かったー」
片手を凍らせられた土色を持つイヌブタは、眼前の魔法使いの手により自分の力まで凍てつかせられたことに、何かを感じたようだった。お腹を見せて、彼はバジルに降参の意を示す。思わず、皆に笑みと安心が広がった。
「ふふふ。この子、格好いいだけじゃなくてやっぱり可愛いね。ありがとうバジル。ちょっと冷凍豚足とか、美味し……可哀想だけど」
「ぶぶー」
「……何言ってるんだ、お前」
事態が収束に向かって安心したのだろう。微笑むパールははついでのように、イヌブタのそのぷにぷにの手から前の世界で食まれる豚足を思い出して、腹八分目のお腹に僅かにある食欲を披露してしまう。彼女の視線に良からぬ色を感じた小豚ちゃんは、バジルの足元へと逃げた。
パールを白い目で見る一匹と一人。その前に、杖を拾ったパイラーが立つ。
「いや、ありがとうございました、バジル。ただの二本指でしかない私ではパールを守れるか不安がありましたので」
「ふん。オレの代わりにアイツを守ろうとした意気は買うけどさ。いい年なんだから……無理すんなよな」
「ふふ。肝に銘じますよ。バジル」
笑顔のナイスミドルと、それに向かい合えない照れ顔の少年。思わず、パールの女の子らしい部分は和んだ。そうしてどうしようもない感想を持った。
「やっぱりバジルは……ツンデレさんだね!」
「だからさっきからお前は何を言ってるんだ……」
「何か、近頃ちょっとおかしいですよね」
最近前世を引きずり気味なパールは、その場の誰にも判らぬ言葉を再び口にする。自分がよく知っている筈の彼女の謎に、男共は引き気味に。イヌブタも、空気のおかしさを感じたのか、どうかしたのかと言いたげに、ぶうと声を上げた。
そんな完全に弛緩した空気の中に、やって来た者が一人。ショートの茶髪が愛らしい、バジルとパールの丁度中間くらいの身長の女の子は、やけに悪い目つきをして周囲を見渡し始めた。彼女こそ、バジルにパールの幼馴染で、カーボの娘の一人であるユニである。
因みに、そう見えてしまうが、別段今現在意図してユニは目つきを悪いものにしている訳ではない。そんな風に彼女を演出してしまう三白眼は、何時と何ら変わっていない。つまり、彼女はそもそもそういう顔つきだということだ。
本人は人相の悪さをよく自虐していた。だが、パール辺りはそれをチャームポイントとして捉えていたりする。
「皆、何があったの? 片付けはお母さんに任せて来ちゃったんだけど……」
「あ、ユニちゃん。この子がちょっと暴れちゃって……今は大丈夫だけれど」
そして、事情を訊いたユニは顔色をどこか昏いものに変えて、差し出すようにパールが抱きながら向けてきたブタの頬を黙ってつつき出す。彼を見る彼女の瞳は先程よりもなお鋭い。
「ぶぶ?」
「へぇ……つまり、このブタちゃんが、あたしとバジルの時間を奪ったんだね。あたしの昼休みの時間、そんなにないってのに」
「ユニちゃん怖い! あまりその子、イジメないでっ」
「っ、そりゃあパールに比べたら私の顔なんて厳しくって怖いですよー。でもこの目つきは生まれつきなの!」
「あわわ。私、ユニちゃんの顔はむしろ可愛らしいと思うよー。怖かったのは行動!」
「えっ、可愛いって……そんな……」
「ユニちゃんって結構直ぐにデレるよね……」
ユニがやたらと、パールいわくデレるのは、尖すぎる目をよくいじられたり面構えの険によって普段から面倒を感じたりしているから、褒められること自体に慣れていないため。
だが、そんなコンプレックス持ちの少女の気持ちを、褒められる度に褒め返すことを習慣としているようなパールは分からない。ただ、彼女はまた照れを覗いてほくほくとした気持ちになった。
「……それで、どうする? 今なら簡単に処分出来るぞ」
「魔物ですからね……力を付けてしまう前に、どうにかしてしまうのが常道ですが……」
「ダメー!」
「ですが、飼うというのは危険ですよ。貴女が手を尽くしたところで魔物によって人が亡くなることは後を断たない事実からも、それは分かるでしょう」
「そ、そうですけど……」
話はまた手の中の小動物へと移る。胸元へと抱きしめたその温もりを守るためもパールは必死に頭を働かせた。
どうすれば、どうすれば。頭を捻り、首を傾げ、混乱した頭は一転するような錯覚を覚え。そうしてパールは答えを思いつた。
「えっと、えっと……そうだ。皆、逆に考えるんだよ! こんなに可愛いイヌブタちゃんが魔物で良かったって。皆敵だって何も考えずに殺しちゃう、魔物と距離を縮める絶好の機会だと思うな!」
「……遠い帝国には魔物が湧いて出てくる神代からあるという色付けの迷宮なるものも存在すると聞きます。そして、神祖マウスが下にした我が国の神鳥の例に似て、大人しい魔物を飼い慣らす文化もあるとか」
「そう言われてみればよく考えたら、神官サマも、神祖の行いを真似することを否定する訳にはいかないよな」
「……そうですね。これだけ今人を好いているようなのです。きっと大丈夫でしょう」
「そもそも、コイツはせいぜい一本指程度しか力がないみたいだし、悪くて怪我させられる程度だろ。そのくらいなら、パールの力借りれば直ぐに治ることだし。大丈夫だな」
「やったー!」
大喜びになったパールは、床にイヌブタをおろして撫で撫で。そこに、きっと餌やりに散歩を任せられることになるだろうバジルが寄っていく。
「よしよし。パールだけじゃなくて、オレの言うこともちゃんときけよ……」
「ぶぅ!」
「ぐっ、がぁっ!」
突然だが、ブタの動作に、しゃくりというものがあるというのを知っているだろうか。それは、自分より丈の高い動物を敵と判断した際に、鼻先を股に突っ込まして、持ち上げた挙げ句に捻るという恐ろしい行動のことだ。テイブル王国でも年間一人二人の死者を出しているこの野生からの習性として行われる男性殺しが、何故か今この場で発揮された。
まずイヌブタの発達した硬い鼻が、座って撫でようとしたバジルの股間を強く打つ。それだけでダメージが酷いというのに、更にそこに捻りが加わったことで、最早バジルは悲鳴を上げることしか出来なかった。
「オウ……」
「ワァオ」
一部始終を隣で見てしまった、男性の股間の痛みが分かるパイラーとパールは、思わず謎の感嘆の声を上げてしまう。
「バジル、痛いの? 大丈夫?」
その合間に、ただその辛さを想像するしかないユニは寄って背中を、そして患部を擦ろうとした。流石にそれを、バジルは嫌う。
「さ、擦ろうとするなよ。ユニ……」
「小さい頃に洗いっこしたし、看護の手伝い毎日してるじゃない。今更、汚いのとか無いわよ」
「……気持ちは判ったから、退いてくれ」
好きな相手の前で、異性の愛撫を受けるなど、耐えられないくらい恥ずかしいに決まっていた。だから情けなく、少しでも痛みを弱めようとバジルは魔法で回復を図りながらぴょんぴょんと跳ね始めた。
そんな無様を複雑な視線で捉えているパールに、ユニは疑問を呈する。
「しかし、神官様は男の人だから共感してしまうのだろうと分かるけど、どうしてパールも真似して股を押さえているのよ……」
「ええと……何となく」
まさか自分に男の時代の記憶がある、とは言えず、パールはぱっと手を離して言葉を濁した。
やがて、交わされる言葉の失くなったことを感じたパイラーは、話を纏め出す。
「まあ、あの程度なら、バジルは大丈夫でしょう。あのしゃくりは、魔物云々関係ないですしね。この子を飼うのは決定です」
「良かったです! ねえ、大っきくなるんだよ!」
「ぶ」
「ですね。それこそ国旗にも描かれている、かの高名な国の守り神、ルフ・アムルゼスのように立派になってくれれば望ましいのですが……」
「ぶ?」
「……まあ、最後まで望みは捨てないでおきましょうか」
果たして小豚は、その身に大望を預かれるのか。未だにぴょんぴょんしているバジル以外の話を聞いた皆は、それは無理だと考えた。
だが、願望を受け取った魔物は、ぶっ、とどこか気合を入れた様子だった。
ところで、この会話はバタフライエフェクトを起こして結果的に風となり、やがて何処かで何者かの鼻をくすぐることとなる。
『くしゅん』
「ふん。怪鳥もくしゃみをするのか」
『誰か、アタシの噂をしたんじゃないかしら』
それは、正解だった。
「トール!」
「ぶぅ!」
「わあ、自分の名前が判るんだ。賢いねえ。賢いねえ!」
「イヌブタは元々頭いい方だし、魔物化しているなら余計だろ。そのくらい楽に違いないさ」
「そっかー」
日が落ち夜を迎え。菜種油の灯火により照らされた部屋にて、二人と一匹はそれぞれのベッドの上に転がりながら団らんを楽しんでいた。
美味しい夕飯を頂いた後の、寛ぎの時間。パールは半ばうとうとしながら愛する一人と一匹を眺める。
パールはしゃくりの一撃でトール(イヌブタの魔物に付けられた名前)とバジルが完全に仲を違えてしまったか心配であったが、何とか杞憂に終わっていた。それは単純に、気を揉みすぎた様子の彼女を慮って彼が怒りを収めたためである。
バジルはパールに甘い。きっと大好きで密かに想ってすらいる姉貴分のためなら、大概のことをやってしまうだろう。そう、たとえばそれが彼女の心を汚すとするなら、ひた隠しにしてでも。
「よっと」
「今日は皆一緒に寝よー……あれ、バジル、どこに行くの?」
「トイレ」
「そっかー」
「ぶぶー」
「判るんだな……だが、大丈夫だ。トール、お前は付いてこなくていい」
「そうだよー。お前のトイレはここにあるでしょ?」
「ぶ」
「よし」
砂が敷き詰められた木箱を指し示すパールを横目にトールを一撫で。そうしてから部屋から出たバジルはそのままトイレに向うと思いきや、歩みを止めずに外へ出る。
辺りは闇。眺めれば一体全てが等しいような、或いは全く損なわれてしまっているような、そんな恐ろしい心地が襲ってくるもの。普通の子供ならば、背を向け疾く家に逃げ帰るべきだろう。
だが何を恐れることもなく、ただ独り言のように、バジルは真っ暗な空間へと声を掛けた。
「で、お前は誰だ?」
「……よく判ったわね」
暗黒から滲み出て来るように現れたのは、紅い長髪の女性。ぽっかりとした彼女の黒目が、バジルを刺した。だが彼は特に何も覚えることなく、彼女の視線を柳に風と受け止めた。女性はまるで氷のような子ね、と思う。
「オレは、温度で大体周囲の生き物の有無が判るんだ」
「魔法使いはこれだから厄介ね」
「それで、どうする? 端々冷たいし、どうも暗器持ちみたいだが、戦う気か?」
「これは護身用。そもそも、高名な『マイナス』の貴方と戦うつもりならば、一人で来ることはあり得ない」
「そっか」
淡々と会話を行うバジルに、何時もの色はない。透明に、彼は感情一つ見せずに相手を処理する。その達し振りに、女性は面白さを覚え、また噂通りであると解した。
ミステリアス。それこそ角度によって受け取れる年かさすら不明になってしまうようなカメレオンのような女性は、ふ、と微笑んで。そして参ったと伝えるように両手を上げた。
コイツの場合は腹を見せないのだな、とただバジルは思う。
「今日は影で貴方達がどんなモノなのか様子を見ておこうと考えて忍んでみたのだけれど……無駄だったわね。後で真正面から失礼するわ。パールちゃんにも自己紹介するつもりだけれど……私はアンナ。よろしくね」
「……血の匂い、ちゃんと消してから来いよ」
「肝に銘じておくわ」
熱が遠ざかっていくのを確認してから、バジルは闇に背を向ける。そして彼が家のドアノブに触れたその手は、凍てついてしまうほどに、冷たいものになっていた。
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