第4話 聖女と剣


 元々は彼であった筈の彼女は、休日もあまり多くを考えない。


 


 負けちゃったー。


 モノは凄いよねえ。


 バジルは、良かったの?


 皆、格好良くなったなぁ。


 


 美味しい!


 


 私はタケノコ派!


 


 こんなものである。これで補足がなければ、あまりに不親切であろう。


 


 


 


「えい、やー」


「ほっ」


 


 山の斜面を活かした広い放牧地にて、テイブルオークを削って作られた木刀にて遊ぶ少年少女が二人。飼育されているドードー鳥にモア、更には管理しているお爺さんの視線の先にて、剣閃は幾度も交差する。


 


「ぶー!」


 


 そして、どちらを応援しているのか不明であるが二人の動的な姿に老翁の手の中でイヌブタの魔物、トールがどこか興奮しているような声を上げた。そう、防具も付けずに剣で遊んでいる二人は、パールとバジルだったのだ。


 


「えーい」


 


 上段から斬りかかるパールの剣は苛烈である。持ち前の長身、そして男性と比べても驚くべき膂力によって型の通りに振るわれるそれは、単純に鋭く強い。間抜けな掛け声に騙されてはいけない。その一振りはたとえ木刀であっても、まともに受けてしまえば怪我では済まない、そんな威力のものだった。


 


「よっと」


 


 そんな強力を軽々とさばいていく、バジルもまた達者である。受け流し、それに長けた彼の剣は取り回しをなるだけ良くするために、短く切り取られていた。主に上方から降り注ぐ剣戟を自分に向うものから斜めに取り除いていくダガーの形は、風のように素早い。


 先から半時近く続くその剣舞。互角の腕前によって両端がピンと伸びた天秤は、だが両者が戦法を変えることにて、大いに変動し始める。


 


「よし、これからは両手でいくよー、バジル」


「じゃあ、オレは盾を使わせて貰うぞっ」


 


 今までは遊びの、遊び。なら以降は何か。それこそ、遊びで決める勝負であった。


 脇を締めて両の手に力を込めることで、パールの打ち込みは一刀にて防げる域を超える。同質で打ち合えばそれこそ刀を折れかねない威力を、バジルは展開した木の盾の丸みにて削いでいく。盾にて耐える少年に振り下ろされた豪剣は十合。盾ごと頭を割られかねない圧倒の中で、バジルはようやくそれを見つけ、笑んだ。


 


「そこだ!」


「わ」


 


 そう、バジルが発見したのは、微かな隙。振り下ろしに篭めすぎた力によって遅れた剣の引き戻し。その合間に入り込んだ彼は、パールの喉元に木剣を突きつける。これにて、勝敗は付いた。


 


「負けちゃったー」


「やっぱり、久しぶりだし、オレもパールも少し鈍っているな。せめて、モノが居てくれたら型の修正が出来るんだが……」


「騎士様になっちゃったからね。偶には、帰ってくれないかなあ」


「未だ見習いらしいが、モノならそのうち苗字を名乗ることを、許されるようになるんだろうな」


 


 もしものためにと、普段着のまま動いたことによる着崩れを直しながら、二人はもう一人の幼馴染、己等の剣の師匠について語る。選ばれ、王都に向かった寡黙な益荒男のことを、パールにバジルは大層好いていた。その、二人がかりであっても一度たりとて勝利を掴むことが出来なかった剣の美しさも含めて。


 


「モノの身のこなしならそうそう魔法に当たらないんだろうが、出ていった時のオリハルコン製で装備を固めていた姿を思い出すと、ちょっと向こうで馴染めているか心配だな」


「前だったら浪漫溢れるものだったけど、実際使ってみると綺麗なだけでしょっぱい性能だからねー」


「前?」


「なんでもない。うん。幾ら安価で軽いからって、魔法を殆ど素通りさせちゃう金属はちょっとね。下手したら木製の方が良かったりして」


「……たとえ木の玩具でも、アイツは誰にだって負けそうにないがな」


「モノは凄いよねえ。ホント、魔物が魔法使うまえに切ればいいって、そんな机上の空論本当に為せる人ってどれくらい居るんだろ」


「モノは自警団の時に魔物アホほど倒してるからなあ……オレ、魔法使ってもアイツに勝てる気しないぞ」


 


 モノは、彼らの兄貴分。パールの二つばかり年上の長い黒髪から覗く切れ目が特徴的でことストイックな男の子である。そして、パール等の類から漏れずに、彼も相当な天才肌だった。


 最強の剣士。彼を語るにはその一言に尽きる。体躯はあまりに恵まれたもので特殊なパールの全力ですら赤子同然。また彼が操るその剣技の全ては独自で磨いて完成した殆ど完璧なもの。動物にも好かれ、たとえばモアに騎乗してみれば、大会総なめしてしまうほどの無双ぶり。


 モノのそのあまりの強さは広く知れ渡り過ぎて、彼が望まずとも騎士に推挙されてしまった程だった。バジルにパールは出立の際に兄貴分が零した、その涙を忘れない。朴訥で、優しい、そんな彼が同じ境遇の自分たちを確かに好いてくれていたこと。それはあまりに嬉しくも誇らしいことだったから。


 そして、パールはもう一人の身近な天才のことも思う。兄貴分を失った時に、弟分に縋って泣いたこと、それが或いは枷になってしまったのではないかとも彼女は考えた。


 


「バジルは……良かったの? それこそ、バジルは魔法学園に行ったら、直ぐに準貴族になれたでしょ? 試験か色々と免除してくれる上に特待の待遇まで学園側が用意してくれてたっていうこと、私、知ってるよ」


「前も言ったろ。そんなのにオレは興味ないし、第一オレが向こうに行ったら誰が聖女サマを守るんだ。パールが王都に行くってのは神官サマが許さないし、オレもそれは嫌だ。オレも、ライス地区は好きだし……だからこれで良いんだよ」


「……そっか」


 


 これで話は終わりだと言わんばかりにバジルは立ち上がり、昔から遊び場として牧場を開放してくれているお爺さん――リンという――とトールの元へと歩んでいく。地に座ったまま半身を持ち上げるために置いた手に引っかかったクローバーと木剣をを遊ばせながら、パールは思う。皆格好良くなったなぁ、と。


 


 


 今日は、定期的なものではない教会の休みの日。パール等は剣士ごっこ――一般から見たら達人同士の戦闘にすら思えるレベルのもの――を楽しんでから、リン爺さんとトール等動物と一緒にお昼ご飯を食べることにした。


 騎乗用の大モア、卵食の為に飼われている小モア、そして食肉用のドードー鳥。彼らに飼料を与えてからトールを引き連れ皆で食卓へ。


 焼いた鶏肉に炒った卵を合わせ、そこに蜂蜜色のソースを掛けただけの男飯。そこに煮豆を合わせたものが、リン爺さんが作る、彼なりのご馳走である。実際、小さな頃からパール達は贅沢にも、この馴染みの味を好んでいた。


 


「美味しい!」


「コレコレ。ホント、爺さんが作る飯は、なんでか美味いんだよな。無駄に凝ったもの作ろうとして失敗してばかりいるパールに見習わせたいところだ」


「酷い言い方だけど、そうだ。リンさん、そろそろレシピ教えてよ!」


「ホホ。そうだなあ……儂も年だし、亡くなっちまう前に、パールちゃんに教えておくのがいいのだろうが……」


「そうそう」


「だが、今日もパールちゃんに掛けてもらった魔法のお陰で、後十年は長生き出来そうだから、また後で、だな」


「残念!」


 


 パールは至極、残念がる。この味の良さはソースが決め手であるのだろうが、しかし彼女が幾らその内容を訊いても、リンは教えてくれない。


 それは教えて満足されて、離れていかれるのを恐れる老人の小心が理由にあったのだが、それは長生きしてねーとほのぼのしているパールやがっついて食事をしているバジル、ましてや今ソースなし御飯を頂いているトールには分からなかった。


 


「ホホ」


 


 ただ、リンは子供に囲まれ老獪を顕にすることなく生きることの出来る今を、楽しむ。


 


 


「はぁ。満腹、満腹。よし、行くか」


「それじゃあ、ちょっと腹ごなしに散歩しに行ってくるねー。それで……あの、リンさんにトールを任せちゃって本当にいいの?」


「ああ。魔物とはいえ、コイツはただのちびっこい動物だろう? その世話に儂ほど慣れているものなどそうは居ないよ。安心しな」


「分かったー。それじゃあね、トール」


「ぶぅ」


 


そして、彼らは外に出た。青染めの寒色を並べた空は何処までも遠く、吸い込まれるほど果てしない。


 牧場の斜面からは、遮蔽物のない山々の先にそびえ立つ、名峰タケノコがよく見える。青に白が入り混じり、真っ直ぐに天を衝くその威容は、何時見ても荘厳で美しく映るもの。フリント地域の名所キノコと並び称されるハイグロ山脈随一のタケノコは、山しかないとすら言われるラーブル郡一番の名物であり、誇りでもあった。


 だからこそ、この槍のように極端な形をしている成層火山を見上げる度にパールは異端のバジルを気にしてしまう。


 


「それにしても、こんなにもタケノコは綺麗だっていうのに、バジルはキノコ派なんでしょ? ちょっと信じ難いねえ」


「オレだってタケノコが嫌いな訳じゃない。だが、キノコの笠を広げたような裾野の美しい曲線には、何時見ても胸打たれるものがあるからな……」


「一度見に行っただけなのに。よっぽど良かったんだねー」


「ああ。土産に買ったキノコが描かれた絵葉書はいまもちゃんと取ってある」


「そういえば時々、バジルの机の上に置いてあるのを見るなあ。確かに良さげではあるけど……でも、私はタケノコ派!」


「そうか」


 


 キノコタケノコ論争は、どこでも尽きることはない。まだ、地元民同士の言い争いのように最終的に喧嘩にならないだけ、二人の思いのすれ違いはマシな方だった。


 


「よーし、あっちまで競走だ! わあ、気持ちいいー」


 


 天上天下の綺麗を見れば、心も弾む。心地に任せて走り出し、山裾の涼を浴びたパールは、服に髪に、多くをたなびかせる。ブカブカの法衣は彼女に張り付いて、起伏に富んだその身体が顕になった。一度、振り向いてバジルを確認した際の彼女の笑顔は晴天をそのまま持ってきたかのような美しさである。


 


「……ったく、何処までなんだよ……」


 


 同じく、この上ない人の綺麗を見て、当然のようにバジルの心も弾んだ。しかし、パールの美しさを一番に見つめられる位置に居ながら、彼が手を出すことはない。もっとも、軽々と手を伸ばしたところで、足の早すぎる彼女には届かないのだろうが。


 とはいえ、走らなければ、隣に居続けることも出来ない。だから、バジルは負けまいと本気で駆け出す。慣れた彼に、牧場の凹凸なんて気になるものではなかった。


 


 


「それにしても、決着は後で付けるぞ……って、それは何時になるんだろうな、モノ」


 


 ただ、バジルは一番に尊敬している男との約束を思い、抜け駆けしたくなる自分を抑える。想いを、彼はその日まで凍らせ続けるのだった。


 

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