第18話 素直とアスク
今回は、素直がまた表に出る。だから、彼なのかもしれない彼女の出番はこれくらい。
随分と遠くから来たって聞いたけど、こっちにはもう慣れた?
相変わらず、おてんばだねえ。
二人共、ありがとうね。
本当に、一部分だけ。ならば、殆ど全ては補足によって描かれるべきなのだろう。
そこに届くまでに亡くなってしまったが、聖女の中の少年、素直にも夢があった。自分を幸せにしてくれる皆と幸せになりたかったというのが、一つ。そして、パールにまで影響するくらいに、少年は未来のために貢献できるからと、教師になることを望んでいたりもした。因みに、一度たりとて女の子になりたいということを彼は考えたこともない。
だが、そんな全ては過去である。素直は、一度途切れて、偶々続きの中身が失くなったために引っ張り出されてしまった前世に過ぎなかった。だから、皆の中に入りたい、という気持ちがあろうとも、彼にそれを叶える思いはない。
幾ら愛おしかろうと、どれだけ、言葉を尽くしたかろうとも。それでも、自分はもう終わっているのだ、と素直は心に蓋をし続ける。
途中で終わってしまったが、それまでずっと、人と比べて幸せに生きていたことは良く素直も分かっていた。だから、彼が次は皆の番だと、人のためになりたいと思うのは自然なことで。そして、自分はそれだけでいいのだと、勘違いしてしまったのは、死を受け止めた諦観に拠るのだろうか。
バジルの時のように、パールでも出来ない人助けを自分が可能だと判じた時ばかりに素直は現れる。また他にも、聖女が酷く困れば助けに入るだろう。だがつまるところ、よっぽどのことがない限り、彼は出てくるつもりはなかったのだ。
「お父さん!」
「えー?」
「パール、お前何時男になって、子供作ってたんだ……」
「しょうげきのじじつ!」
「ぼ、僕、何もやっていないからね!」
そう、こんな時でもなければ。
パールは、子供が好きである。まず、やわっこく、あったかで、小さくて、愛らしい。無邪気や、稚気や、悪気でさえも、手頃であって包みやすくて嬉しかった。それに、何より彼らは彼女の抱擁を嫌がったり恥ずかしがったりしないのだ。
人間好きなパールが十分に愛でられる存在、それが子供。だから、向こうから近づいて来た時、彼女は存分にそれを歓迎する。
「パールお姉ちゃん!」
「わ、ヌベルちゃん。そういえば、随分と遠くから来たって聞いたけど、こっちにはもう慣れた?」
「うん!」
「パール、パール」
「わわ。裾を引っ張った駄目だよ、シアンちゃん。相変わらず、おてんばだねえ」
「えへへ」
お仕事を終え。パールが洗濯物を取り込んでいる際に、二人の子供が現れた。ぴょんぴょんと跳ねながら、彼女の周りでニコニコと笑んでいる彼女らは、ヌベルとシアン。年齢を訊かれた時に片手を一杯に開けて、きゃっきゃ言いながら、五つと答えるのが大好きな、仲良し二人組だった。
生来、少し浅黒い肌をしているヌベルと、よく外で遊んで日を浴びているのに、真っ白なシアンは好対照だ。他は愛らしさも性格も、そんなに変わらないのだけれど、と思いながら、大体干し終えたパールは二人に構い出す。
存分に追いかけっこを楽しんでから、そうして疲れて休み始めた彼女らのために前世からの知識も引っ張って色んな歌を、歌ってあげて。やがて、おねむになった彼女らをバジルと共に背負って、そうして彼女らの家へと送ってあげる。それが、大体のパターンであった。
「あれ、あの娘誰?」
「……ん? 誰だろ?」
だがしかし、眠い目を擦りながら、ヌベルは生け垣の隙間からこちらを覗いている少女の姿に、気づいて瞳を大きく開く。遅れて気づいたシアンも、その自分より一回り大きな、だがそれでも十は行かないだろう娘の姿を見つめて目を覚ました。
遅れて、気づいたパールは、その少女に向かって、優しく声を掛ける。
「君、どうかしたの?」
「っつ……」
だが、綺麗なパールの声を聞き、見つかったことを知った彼女は脱兎のごとくにその場から逃げ出していく。あっという間に、ピンク色の長髪が、たなびいて消え去っていった。
「あれ、驚かしちゃったのかな……私、そんなに怖い顔してた?」
「パールはいっつも綺麗だよ?」
「そーだよー」
「ふふ。二人共、ありがとうね。ヌベルもシアンも、何時だって可愛いよ」
少女らが口にした綺麗。それはお世辞でも何でもなく、ただの嘘のない事実を口にしたばかり。だが、自分を褒めてくれたと思ったパールは彼女らを同じく褒めそやす。
聖女に幼い頃から容姿を認められていた。そのことを自信にして、ヌベルとシアンは将来王都でも有名な劇団で活躍することになるのだが、そんなこんなは現在誰も予想出来ない。
だから、ただ明日の嵐を予見することも出来ずに、パール達はバジルがやって来るまでの間、笑い合った。
そして、翌日のほぼ同刻。珍しく洗濯を手伝ってくれた、バジルとグミと談笑している際に、また件のピンク髪の少女は現れた。そして、急に彼女はお父さん、と彼女に抱きついたのである。
その挙げ句、バジルに男を疑われた素直が、思わず出て来てしまったことを、果たして誰が責められるだろう。
「えっと、お父さん……って言っているけど、君のこと僕、知らないんだよね。お名前は?」
「アスク……」
「そうか、アスクちゃんていうんだ……ごめんね。やっぱり覚えがないなあ」
ひっしと抱きしめて来る少女を前に、パールではなく、素直は困る。びっくりして引っ込んでしまった聖女さんの代わりをしなければいけないという事実も含めて、中々に。
「僕、ってことはスナオかお前……どうして出てきた」
「えっと……何となく?」
「スナオ……そっか、スナオって言うんだ……」
そして、パールと居た時にはただの友達家族という感を強く出していたバジルとグミが、妙な視線で自分を見てくることにも、素直は困惑した。何だか妙に照れくさそうなバジルはともかく、ぶつぶつと、何やら呟いているグミを見ていると不安にもなる。
だから、取り敢えず安全そうな、アスクに向かって彼なのか判らない素直は語りかけた。
「えっと。アスクちゃんは、お父さん、っていう意味を知っているの?」
「……多分」
「お父さんっていうのはね、一番近くの男の人のことなんだ。それを考えると、僕とは違うよね。ほら、どう見ても、僕は女の子でしょ?」
「……自分の胸を揉むなよ……」
見せつけるように大きな胸元を揉みながら、素直は自分の女性性を強調する。頭上でぐんにゃりと歪むそれを見て、アスクは首を振った。
「一番近く……あたしに今、一番近くなのはお父さんだよね」
「これは一本取られちゃったね……でも、僕が女の子っていうことは判るよね。だから、僕はお父さんじゃないよ」
「あたしには……そう、見えないけど」
「待った。離れろ」
「バジル君?」
無意識に、少女を撫でようとする、その手。そこに、バジルによる待ったが掛けられた。奪い取られていく、パール、彼女いわくお父さんの手の平を見ながらも、アスクは嫌に平然としていた。
「気づくのが遅れてすまん……コイツ、暗器の固まりだ」
「きゃはは! とうとうバレちゃった。バレちゃった! ごめんね。父なる人!」
「ええっ?」
そして、少女は狂喜する。そして、くるりと回って、一笑。スカートを広げてアスクは淑女の挨拶をした。
「あたしは、アスク。アンナの異母姉妹よ。よろしくね」
「お前ら一族は、初めて会う人を驚かさなければ行けない決まりでもあるのか?」
「うーん。そんなことはないと思うけど。ただ、その方が効率的だよね」
「……効率?」
訝しがるバジルを前に、アスクの笑みは、頬を歪めて笑窪を醜くし。そして、彼女は再び狂笑を上げた。
「きゃはは! だって、混乱の中の方が仕留めるの、簡単でしょ?」
「あ、あれ?」
「スナオ!」
「ど、どうしちゃったの?」
そして、崩れ落ちる、聖女の身体。自由もなく、力も入らずに、素直もパールですらも自分を動かすことが出来なくなっていた。
騒然となる、一団。そこに、駆けてくる姿があった。赤髪を振り乱しながら、やって来た女性は、アンナだった。
「アスク!」
「あら、お姉様の登場ね。まあ、挨拶はこれくらいでいいでしょう。父なる人。あたしは、また貴方と会えることを期待しているわ」
「逃がすか!」
「この人に、何をしたのっ」
そして、逃げ出そうとするアスクに向かって、容赦なく魔法を行使しようとするバジルとグミ。しかし、それは彼女が懐から取り出した瓶を目にしたことによって止まる。
「毒を入れてあげただけだよ。はい、これが解毒剤」
「渡しなさい!」
「お姉様。ふふ。あげますよ」
「投げやがった……ちっ」
姉の剣幕の前でも、アスクは狂った笑顔のまま、解毒剤と申告したものを明後日の方に放り投げた。
それが本当かなんて判らない。だが、もしかしたらは捨てられない。だから、バジルはマイナスを止めて、遠くに飛んでいかんとする青い瓶に向かって色味を走らす。
「バジル、そっちは任せた。ボク、この子やっつけるよ!」
「ふふ。実は、こっちこそ本物だよ。ほらっ」
「わわっ」
そして、代わりにグミがやっつけんとするが、しかしそれもするりとかわされる。何せ、もう一つ、小瓶がアスクの懐から現れ、それが投じられていったのだから。もしもを恐れ、グミはそれに向かう他になかった。
残るアンナが聖女の助けに向かってしまえばこれで、誰も追いすがる者はない。悠々と、アスクは逃げんとする。
「父なる人、それじゃあね!」
「待った」
「わ。まだ喋れるんだ。それで、何かな?」
そして、容態を診ようとするアンナの腕の中で、素直はアスクに向けて言葉を放つ。それは末期の言葉を収集するのが好きな彼女であるからこその振り返りだったのだろうか。
恨み言を楽しみにしていたアスクは、しかし、次の言葉に目を丸くする。
「……僕のことでは、泣かなくていいからね」
「っ!」
それは、きっとパールでも判らない。きっと素直でしか判ぜなかったこと。笑うアスクの涙の跡に気づいたのは、きっと一人きり。それはこれからずっと。
一度足は止まった。だがしかし、悪心は止まらない。再び駆け出したアスクの姿は、直ぐに遠く消えていった。
「うーん。身体が動かなくなってきた……」
「スナオ! 解毒剤、どうだったの?」
「……どっちも中身は水ね……バジルくん、解毒は出来る?」
「出来ないことはないが……何によるものか判らないと、流石に……」
「それじゃあ、私がやりましょうか……恐らく、あの娘の使った毒の解毒剤は持っているわ。これから使うけれど……信じて貰える?」
そして、今更本気でアンナは頭を下げる。真剣に、それこそ主の命のために、乞い願った。
それは、良い子達には真っ直ぐ伝わる。バジルもグミも、仕方なしに頷く。
「人の不信を楽しんできたような奴を、信じるとか、どれだけオレはアホかと思うが……アホは伝染るんだな。今だけ信じる。頼んだ」
「頼んだよ!」
「ありがとう」
そして、アンナがカラバル豆から採った秘伝の薬が処方される。筋弛緩を起こしている聖女も、それを水と共に何とか飲み込めたようだった。やがて、そのまま身体を休ませた彼女は、呼吸を次第に安定させていく。何時しか、そのまま眠ってしまった。
その様を見て、アンナも胸に手を当て、言う。
「ああ、良かった」
「本当だよー。良かったよお」
「全くだ。今回ばかりは、助かった」
「妹が動いたのは私のせい、かもしれないわよ?」
アンナがパールを助けたことと同時に、それは、きっと間違いのないこと。直々に姉が働いていたことを裏から察して、アスクはここにやってきたのだろう。
どうして素直の毒殺を謀ったか。そこまでは不明であるが、だがしかし、アンナの存在がアスクを刺激したのであれば、そこに責任がないとはいえない。
「お前がそれを謀った訳でもないんだろ? それに、本気で動いた今回に嘘がなかったことは知っている。ス……パールを助けたのは、間違いなくアンナ、お前だ。だから、オレは感謝するよ」
「ボクも。何考えているか分かんなかったけれど、意外といい人って分かって良かった」
「ありがとう」
だが、少年少女達は、そう思わなかった。アンナの本気を察して、二人はそこに想いを垣間見ている。少し勘違いしながらも、それがパールのためのものと判じたからには、許さざるを得なかった。そう、薬毒はここで認められる。そのことが、嬉しくない、訳がない。
しかし、予想外にて得た金貨にアンナは笑顔を見せず。ただ、じっとパールの中の素直を見つめて、彼女は呟く。
「あの言葉はきっと、正しかった。必要なものだった。貴方は、貴方様は……もしかしたら、あの娘ですら、救えるのかもしれないのですね……」
或いは私も、救われて良いのでしょうか、という言葉までは出なかった。
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