第22話 パールと日常


 彼と地続きの彼女は、それ以外に殆何も考えていない。それとは、何か。


 ぎゅー。

 おかえりなさい、って言って貰えるの嬉しいよね。

 今日も、良い日だねー。

 だって、優しいもの!


 よし、頑張るぞー。


 これだけで、分かる人も居るだろう。だが補足は不可欠のものだと、わたしは信じている。




 拍車をかけられ、大モアの高い背が勢いよく鳥車を牽いていく。窓からこちらにずっと手を振る二人に、パールとバジル、そしてグミは応じてまたねと大声で返す。下った末に曲道で見えなくなるまで、ミディアムとレアとの別れを彼らは惜しみ続けた。

 晴天の旅立ちに絶好の日和にて、街道外れに三人と、一匹はそのままぽつねんと。ミディアムとの思い出を思い出しながら、しばらくの間何もない遠くを皆で眺めていた。

 やがてぽつりと、パールが会話の端を発する。


「行っちゃったねえ」

「だな。……グミ、本当に、付いていかなくて良かったのか?」

「子供じゃないんだから、ボクがミー兄達に付いていってあげなくても大丈夫だよ!」

「いや、そういう意味じゃなくてだな……」


 僅かに心配気なバジルの言葉に、グミは冗談で返した。あまり、真剣になりたい気分ではないのだろう。彼女は笑む。

 それでも、バジルは顎を掻きながら、正しい続きを欲した。誤魔化すのを諦めたグミは、観念したように言う。


「実を言うと寂しいけど……でも、ボクはここに居ることを選んだんだ。家に帰るのは、もうちょっとパールに元気を貰ってから、だね」

「そうか」

「ぎゅー」

「わっ。どうしたの、パール」


 明かりが消えた、グミに抱きつくパール。フカフカに、彼女は埋もれる。聖女の表情はあまりに優しい。まるで、愛おしいという想いが顔に書いてあるようだった。


「元気、幾らだってあげるよ。それでグミが家族と仲良くなれるなら。私はあまりお父さんお母さんって知らないけれど、それでも帰れる家があるのは幸せなこととは知っているよ。おかえりなさい、って言って貰えるの嬉しいよね」

「パール……」

「実は私、グミのお父さんお母さんが好きをこじらせて大変になったのは聞いてるんだ。それが直ってもぎくしゃくしてしまっているみたいだけれど、きっと、ほぐれた後も好きは変わらないと思うの。後でただいま、ってしてあげて」


 知らない。だからとはいえ、考えないということはなかった。育ての親だけでなく、実の親も居てくれたらどれだけ良かったのだろうと、パールは思う。素直の記憶で、その温かさを知ってからは、尚更のことだった。

 しかし、パールはグミが羨ましいとは、思わない。それは、今の幸せを認めているから。満ち足りた皿は、ただ隣人を愛する。そして、自分は無理でも人が努力でこれから更に幸せを得られるなら、その手伝いを厭うことはないと、聖女は思うのだ。

 だから、ありったけの意を篭めてパールは微笑んで。そうして、安心させるために、元人形姫を包み込む。グミは、言った。


「……考えとくね」

「それでいいよ。私と違ってグミは賢いんだから、きっとそうしてくれたら間違いないもの」

「悲しい事実だな」

「もう、バジルは何時も馬鹿にするんだから! トール、やっちゃって!」

「ぶぅっ」

「いて」

「ふふっ」


 トールに鼻で小突かれ、バジルはすねを押さえる。痛そうにしてしゃがむ少年の隣で偉そうにしているブタさんがどうにもユーモラスで、グミもパールの胸の中で微笑んだ。

 やがて、もういいよ、というグミに従ってパールは彼女を離してから、伸びを一つ。そうして、彼女は首を振る。


「ふぅ。何だか考えすぎたから、頭疲れちゃった」

「大丈夫?」

「あれだけで、かよ……」

「気を晴らすためにも、ちょっと、走ろう! わー」

「ったく、肉体派な聖女サマだなあ……」

「ま、待ってよー」

「ぶ!」


 言い、パールは走り出した。肉体が最早超人の領域である彼女が一度本気を出したら、きっとどこぞの剣士でもなければ追いつかないことだろう。だが、当然のように聖女は周囲の走る速さに合わせる。

 運動に慣れていようが、幾らお転婆だろうが、歩幅の小さなバジルにグミが駆けるのに優れている筈もない。彼らの必死と同じくしても息も切らさず、パールは周囲を見つめた。


「皆、元気そう! 今日も、良い日だねー」


 そして、聖女は今日も微笑むのだ。


 空の青に白い山嶺を突き刺すように聳えるハイグロ山脈。そして遥か高みのタケノコの下に、人々は生きている。連絡用の鐘塔以外にさして高い建物のない、しかし勾配の急な土地に張り付くようにして暮らす彼らは、抜けるような青空の元であっても高みを望むことなど殆どなく、ただ前を向いて過ごしていた。

 だから、目の前に自然に生まれた最高の美の果実が現れてしまえば、思わず頭を下げてしまうのは当たり前のことなのかもしれない。子供と動物を連れて走る聖女を、誰も見下げやしない。物語の一場面を見たかのように感じ入りはするが、一人たりとてそこに自分を入れることは出来なかった。

 けれども、聖女は孤独ではない。何せ、彼女を見つめる多くが思っているのだ。全てに親しもうとする彼女の幸せを。それ以外【殆ど何も考えずに】人の幸せを願っている少女の手で、幸せにしてもらった人々。彼らは確かに触れず崇めていようとも、それでも愛だってそこにはあったのだ。


「ああ、聖女様。私達が元気であるのは、貴女様のお陰です……」


 誰かの声は、パールの耳に、届かず消えた。だが気付かずとも、彼女は前へと進む。殆ど何も考えずとも、大体を叶えてしまう万能の奇跡の力を癒やしのために使って。


「今日は、誰の助けになれるかな? 急がないとね!」

「はぁ、はぁ、まだ速くなんのかよ……」

「お、追いつかないよー」


 そうしてそろそろ仕事の時間であることを思い出し、パールの足が奏でるリズムは早まる。背後で、悲鳴のような声が上がった。


「あ、ゴメンね。でも、そろそろお仕事に行かないと」

「はぁ……そんなに、お前は削らなくても良いんだぞ?」

「削ら? よく分かんないけど、大丈夫! そんなにお仕事、辛くないから」

「バジル、ボク、眩しいよ……」

「能天気も、過ぎればこんなのになるんだな……」

「ぶぅ……」

「ん? ひょっとして、私バカにされてる?」

「いや。太陽を馬鹿にする奴なんて、そうは居ないだろ」


 真っ白に輝く少女に目を奪われながら、バジルはそう言う。何時か自分の目が潰れてしまわないように、願いつつ。

 はっきりと、パールの仕事は過酷である。近ければ、それだけ奇跡は叶うもの。そうであるのであれば、日々その力を用いて人の治療をしている彼女はどれだけの痛みに触れたのだろう。

 誰彼の死の淵にて、誰よりも苦しみを目にしながら、パールは手を尽くしてきた。その白磁の手にて流れる血を押さえながら涙を流したことだって、一度や二度ではない。聖女の奇跡を持ってしても届かずに、命を掬うのに失敗したことも多々あったのだ。

 それでも、その度にどれだけ悲しんでも彼女は何時だって前を向いて戦い続ける。血に吐瀉物を汚れと思うこともなく、暴言や悪口を悼むこともなく、ただひたすらに彼らの幸せを願って。

 一途。なるほど、だから普通ならば投げ出す仕事も辛くはないのだろう。余計なものなどなく、純。パールはその輝きで人を照らす。そして、明るくなったことに喜ぶのだ。

 そんな自分を知らずに、考えもせず、聖女は空を見上げた。


「太陽かー。私、太陽好きなんだよね。素直も一緒らしいよ。それはそうだよね。だって、優しいもの!」

「はぁ、そうか?」

「そうだよ。だって、自分を燃やして、周囲を動かしているなんて、凄い。尊敬しちゃうなー」


 少し、先行してからパールは手を開いて、陽光を浴びる。振り向き様の動きで、少女の銀髪が広がり、キラキラと輝いた。光沢のない四色の法衣ですら、光って見える。

 疲れもあるのだろうが、その言葉を聞いたグミはこと微妙な顔をして小さく感想を言う。


「かんっぜんに、それってパールのことだよね」

「毎日、水鏡創って自分の姿を見せてやっているんだがなあ」

「ぶうぅ」


 グミとバジルの言葉も、我が子ながらちょっと足りていないな、とトールにも言われていることを知らずに、パールは再び前を向く。そして、彼らは再び揃って駆け出す。


「ちっ。『マイナス』に、魔女か……」


 観衆の一人。誰かの声は、本人へと届いた。だが、それに気を取られる程に、二人は真面目ではない。

 一体何人の人間が、聖女の周囲に居座る多くの染指を持つ魔法使いを恐れたことだろう。その数多の視線を、グミとバジルは知っている。今だって、目で嫌煙の思いを語られていることだって気づいていた。

 だけれど、彼らは聖人でもなければ聖女でも勿論なく。だから、大好きから離れてやることなんて、考えもしなかった。指先が傷をつけるのは、当然。高みにある彼らが、下々を思いやる必要なんて、あまりないのだろう。


「ま、きちんと聖女サマの前に立てるなら考えてやってもいいがな」

「邪魔こそ惹かれるから、困ったものだけれどね」


 だが、それでも彼らは彼女が望むものを少しは認めるようになっていた。自分の魔に右往左往される程度の人々であっても、悪くは思わない。ただ、そういうもので、尊くなくても醜くても、そこにあってくれるのは喜ばしいことだと。そこまでは、思えども流石に天の邪鬼なバジルにグミは口には出さない。ただ、そう考えるだけだ。


「あ、アンナさんだ。おはようございまーす!」

「マジであいつ、商人やってるぞ……」

「わあ。びっくりだね」


 そして、また聖に魅入られた邪が一人、人に交じる。振られた手に振り返し、去っていくパールの姿を目で追いながら、アンナは日常に埋没する。


「我が王様は、元気ね」


 金勘定は、別段得意ではない。けれども、決して苦手でなければ、多少の儲けを出すことは不可能ではなかった。だがしかし、アンナは損して人の笑顔を取ることを覚えてしまっている。

 今までアンナは考えてこなかった。掬われるべきは、どこまでか。そのことを、アンナはこの地にて肌で知った。


「少しは、居るのね」


 日々の中で、彼女はずっと聖を目で追い続ける。だが、その視界に微かに何かが混じるようにはなってきたようだ。



 そして、聖女はゴールへと辿り着く。その場の誰より早く、パールは彼へと飛び込んだ。


「おかえりなさい」

「ただいまです、神官様!」


 この子の反抗期は何時来るのだろうと内心戦々恐々としながら、パイラーはパールを抱き留める。そして、誰より近く少女の満面の笑みを見て。


「……数多間違って来て、良かったです」

「どういうことですか?」

「なんでもない、独り言ですよ」


 本心から、全てが今の幸せに繋がるのならそれで良かったのだと、思った。それが多くを踏みにじることだったとしても、パールの幸せに繋がったのならば、どうでも良いと。

 パイラーは、ただ聖女のもとに仕える。




「よし、頑張るぞー」


 やがて聖堂で用意を済まして白衣の腕をまくり、聖女はカーボの隣で発奮を始めた。パールが日常を謳歌している、そんな時。



「次は、何処に向かおうかな?」


 クラウン・ワイズが率いるサーカスは放浪しながら血の雨を降らし。



「この洞は……何かの遺跡なのか……ひっ」


 迷い込んだ者を飲み込みながら、人知れずにダンジョンは、脈動して。



「コア様……」


 そして、コアは信徒に願われる。



 日常の外で、世界は動いていた。だがそんなことを、パールは殆ど考えることもなく。


「ん? 頑張ってね、かあ」

「スナオか?」

「うん!」


 ただ、性を転換してしまった彼と交じりながら、自分のお話を紡いでいくのだった。


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