第7話 聖女と家族
彼女が彼でもあるボーダレスであったとしても、人であるから夢を見る。
お、とう……さん。
どうしてわたし達におとうさんやおかあさんは、居ないのかな?
神官様!
なら、わたしが魔法を使うよ!
生きて……おとうさん。
夢中にて、彼女は何を見たのか。補足しなければ、きっと分からないことだろう。
「うう、パールったら激しかった……お尻、痛い」
「グミったら本当に反省してるのかな……ひょっとして、回数が足りなかった?」
「そ、そんなことないよっ!」
自分の言葉の意味も分かっていないくせして無駄に意味深にさえずるグミに、上から怒気の篭った視線が降り注ぐ。怒り心頭のパールに対してしまっては、流石の魔女も型なしだった。
パールの言葉を受けて、慌てて平らなお尻を隠すグミ。その後ろで金髪坊主も、同様のポーズを取っていた。恨みがましく、バジルは溢す。
「どうしてオレまで……痛え」
「バジルは焚き付けすぎ。グミじゃなくたって、あれは怒るよ」
「正当な仕返しの範ちゅうだったと思うが……はいはい、分かった。ゴメン、ゴメン」
笑顔で片手を持ち上げるパールに、バジルも白旗を上げざるを得なかった。おざなりな跳ねっ返りの少年の謝罪を、彼女は鷹揚に認めてあげる。
「よしよし。それじゃあ戻ろうか……あれ……」
「どうしたの?」
「……そろそろ、きたか」
全てを水に流し、後は神官から説教を頂戴するため直ぐ側の帰路につこうとしたその際に、パールの身体はふらつき揺らぎ始めた。突然のことに驚く、グミ。それに対して、バジルは冷静であり、いつの間に後ろに回ったのか、気付けば倒れんとする彼女の身体を押さえていた。
「ね、ねえ、パールに何が起きてるの?」
「こいつ、重! それは、な……あの魔法、いや『奇跡』による消耗のせいだ……つまり……」
「酷いわ、バジルー。大丈夫よグミ。簡単に言えば、私、ただすっごく疲れて眠いだけだから……ふぁ」
「わっ、危ない」
だが、小さなバジルであっては、パールの長身を上手く支えることなんて出来やしない。それよりもっと小ぶりなグミが必死に落ち行く身体を掴んでも、引き上げることは無理だった。
「パール。お疲れ様です」
あわや総倒れとなってしまいそうになったその時に、支える力はぐんと増して、聖女の身体は安定する。パールの両脇に手を差し込んで慣れたように持ち上げる壮年の神官、パイラーは彼女にとても優しげな瞳を向けていた。
もうろうとした中、その黒色に何を覚えたのか、パールは閉ざされようとする口にてあの日のような言葉を紡いだ。
「お、とう……さん」
呟き。そうして、聖女は夢を見る。
それは、パールが聖女と呼ばれていない過去。彼女がただの、銀色の少女であった頃。夢中に、そんな昔のとある日が、流れていく。
その日、パールとバジルは手を繋いで、モノとパイラーの帰りを待っていた。聖堂の中。オレンジ色の斜光がステンドグラス越しに降り注いで、彼らを染める。
お互いに淡く一体になったような心地を覚え、ついパールは普段は決してしないだろう疑問を口から溢れさせてしまった。
「ねえバジル。どうしてわたし達におとうさんやおかあさんは、居ないのかな?」
「……オレには、居たよ」
「そうなの?」
少女と少年の丈は今よりずっと近く。だから疑問を呈したパールの隣で、バジルの表情が歪んだのは、彼女にも確りと見て取れた。
「父さんに母さんは、オレが珍しい魔法使いのタマゴだからって、さらわれそうになったところを助けようとして殺されたんだって。……神官サマが教えてくれた」
「そう、なんだ……」
バジル本人とて半分も理解できず、消化しきれていない話を聞き、パールは手を組んで黙祷をする。彼女はそのことを覚えていなくても、死を知っていた。それは、虚しく、悲しいこと。だから、分からず未だ向かい合えない少年の家族のためにもと、少女は涙を溢す。涙の故が分からずに、幼い彼は困惑する。
「パール?」
「ぐす……大丈夫。モノは、家族に捨てられた、って言ってたね。わたしも、そうなのかな」
「分かんないな。オレだったら、パールを捨てたりしないけど。だってパールはいいヤツ、だし……」
「ありがとう」
拭うことで落涙が少女の手元で煌めき、踊る。笑顔で抱きつくパールの温もりを受けたバジルの心は判らずとも僅かに、ときめいた。
冷え切っていた少年の心は、寄り添われることで次第に柔らかみを帯びるようになり始めている。何時しか彼が隣にある愛を知るために、パールは必要な存在だった。
それを知らずに、暮れる日の中彼らが小さな手のひらで繋がっていたその時、入り口の方から僅かな音が響いた。
「モノ……と神官様?」
振り向いたその先、そこには既に早い成長を遂げていたモノの姿があった。彼は、誰かに肩を貸しているようである。その相手が見慣れたパイラーであることに彼女が気付かなかった故は、一つ。
「どうしたの? 二人共、真っ赤だよ」
そう、助けるために染まったモノどころではなく、胸元と足元の包帯からおびただしい量の血液を吐き出しているパイラーは酷く、赤かったから。どうして。どうなってしまうのか。それが、パールには理解できない。理解したくない。
だが、一度同じ色が流れたことで両親を失くしているバジルは、死の影を敏に察した。走り、彼はパイラーの元へと寄っていく。
「神官サマ!」
「バジル……ですか」
「血が……神官サマも死ぬのか?」
「そう、かもしれませんね。ふふ、これも因果応報といったところでしょうか……」
「どう、したの?」
遅れて、パールもパイラーの元へと向かう。そして、少女は彼の顔色のあまりの白さに気付く。
「簡単に言うと、襲われました。辛うじて、モノが相手を追い払ってくれましたが……何の魔法によるものでしょうね。傷が……塞がらないのですよ」
「神官様!」
それに染まることも厭わずに、パールは血まみれのパイラーに寄り添うために身を寄せる。身体が揺れたことで僅かに痛みに苦しんだが、しかし彼は少女を想って微笑んだ。
「はは。私は幸せ者です。愛する者に看取って貰って、逝けるのですから。こんな幸せ、ただ周囲の信頼を得るためにと貴方達を保護した時には、想像も出来ませんでした……」
パイラーの独白。それは本当である。彼がはじめ、教会前に捨てられた赤子を育て出した理由は、人格者と周囲に思われ、不審がられている新参者の自分がいずれ信頼されるようになるため。その先の数多の金貨を思い、信心の欠片もなかった神官は、ゆくゆくは己の駒にもなるだろうとモノを拾い育てた。
だから、二人目の孤児、パールをパイラーが面倒を見る理由など本当はあまり無かったのだ。だが、少女はあまりに泣かなかった。手が掛からない、こんな子ならば居てもいいかと彼は思い、引き取り育児係に任せることにして。そして何時か、赤子であった彼女が何を望んでいたのか、組み合わせていた手が気になり戯れに触れた時に、孤独だった男は知ったのだ。
他人は、温かいのだと。
最初は少し、思うことを始めて。そうしたら、気になって。やがて、認めるようになり。そして、それらが害されるのを嫌がるようにまでなった。
それはあまりに自然なことで。だから何時しか、他人のバジルが男共にさらわれそうになっていた、そんな貧民街では偶にある様な光景を認められずに、割って入ることで彼を助け出して。そして、死に行く少年の両親の遺言を、受け取る。そんな大変すらいとわない人格者に、知らず自身が変じていたことに、パイラーはずっと気付けなかった。
彼らのために零した涙は、五本指の魔法使いを自然に手に入れるための嘘。バジルを撫でつけるその手の優しさも、手駒を懐かせるための演技。
そう思い込んでいたパイラーは、最期を前にして、自らの過ちにようやく気付く。
未だ完成には程遠い剣技と身体で獅子奮迅の活躍をして、三人もの魔法使いを撃退することに成功したモノ。普段表情一つ変えない彼が涙を流し、自分を求め抱きしめてくる様子に、確かに愛を覚えたことを切っ掛けにして。
「皆、私を殺した者を恨まないであげて下さいね……私は、何も、彼らを恨んでいませんから……」
それは、優しく変じたパイラーの遺言。自分を害そうとした魔法使い等は、恐らくバジルをさらおうとした一味が寄越したのだと彼は判じていた。自分に、両親二人の死。バジルが復讐の道に走る要素は揃っている。
だが、それは嫌だと思ったパイラーは、ただ愛する者の幸せを願って、優しい嘘を口にする。彼から、赤く、流れる血は止まらない。
パイラー・ブラス。偽金だった神官は、その最期に自らを輝かして、生涯を終えようとしていた。
だが、親の死を認める子など居るものか。これまで沈黙を守っていたモノはここで初めて口を開ける。そして、パイラーの冷えゆく身体を抱きしめたまま、バジルに向かって、頭を下げた。
「……お願いだ、バジル。怖いかもしれないが……魔法を使ってくれ。教会付きの魔法使いも既に、匙を投げている。父さんを助けられそうな魔法使いは、お前しか居ないんだ。助けて欲しい」
「そ、そんなこと言われても……オレには分からない……治すって、どうやるんだ?」
自分がそれで狙われたことを知っているから、バジルは魔法から避けるように今までを生きてきていた。故に、自分の冷たい手で大切なものに触れたらどうなってしまうのかを知らない。だから、全てが台無しになってしまうことを恐れて、彼はパイラーにその危険すら孕んだ水色の手を向けることは中々出来なかった。
しかし、思いはある。自分の小心を嫌い、涙を滲ませ悔しがる、そんなバジルを、彼女は優しく包んだ。
「バジルは出来ないんだね……なら、わたしが魔法を使うよ!」
兄にも無理で、弟には出来ない。ならば、自分の出番。そう思って、少女は無理を通そうとする。
この世界では、魔法の才能は先天性に左右されるもの。生まれた時からら四色のどれかに染まっていなければ、魔法を使うことが出来ないというのは、常識だった。
だが、そんなことは知ったことかと、少女は無力の手を組み合わせて、願う。
出来ないことを可能にするのだ。そのためにたとえ、自分がどうなっても、わたしがわたしでなくなってしまっても、それでもいい。愛するもののためなら、自分なんて消えてしまっても、いいのだ。だって、わたしは愛するために生まれたのだから。なら、愛するもののために、何もかもが失われてしまっても、構わない。
天に、願い。そんな彼女のために、満月から光が降りる。その姿は正に、聖なるものだった。
「生きて……おとうさん……」
そして、奇跡は起きて、パールの願いは叶った。叶って、しまったのだ。
「ん……」
「ぶー」
「あ、トール。ふわぁ」
よく寝てから、目を覚ましたパールは、鳴き声と物音から今横たわっているベッドの下にトールが跳ねていることを判じた。あくびを一つ。息を吐き捨て。そうして、大切なものまで彼女は宙に溶かした。
「んー、大事な夢を見た気がするけど……なんだか【忘れちゃった】ね」
「ぶぅっ」
「わ、凄いね、トール」
失くし、そうして土色を用いてはしごを創り、器用によじ登ってきたトールを構うことで忘れたことすら忘れ、ゆっくりと時を過ごしていると、ノックの音が聞こえた。
どうぞとパールが招くと、馴染みの茶色髪を最初に、あの時の後から必要となった杖を突き、パイラーが姿を現す。彼の表情は、酷く穏やかなものだった。
「どうですか? 体調は大丈夫ですか?」
「平気です。神官様こそ、ここ最近お忙しそうにしてますけど、お身体は大丈夫ですか?」
「ええ。お陰様で。時折、足が痛むことはありますが、それくらいで」
気を付けてくださいね、というパールの言葉にパイラーは笑顔で分かりましたと返す。父と子の和やかな対話。しかし、その幸せな時間は僅かばかり、途切れる。
「そういえば、神官様は何時怪我をしたのでしたっけ。どうしてだか、私、ど忘れしてしまいました」
「どうして、でしょうね……」
「ボケちゃったのですかねー」
あははと笑って、自分の中にあるはずのないものを考えさらったために、一瞬だけ、パイラーが痛ましい顔をしたことにパールは気付くことが出来なかった。
「ふふ」
「あはは」
そして、互いを思い、微笑みが交わされる。その後、僅かに流れた沈黙の中、バジルとグミの騒ぐ声が、はるか遠くに聞こえた。
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