第6話 聖女と魔法


 彼らしき彼女が聖女とされようとも、人間であるからには怒ることもある。その流れを、彼女が後に思い出したところ、このようになった。


 あわわ。

 こんなに幸せな死の危機が訪れるとは思わなかったよ。

 あわわ。

 私のために争わないでー。



 もう……止めなさい!

 お尻ペンペンの刑だよ。


 スカスカで、意味不明だ。最早、彼女に補足が不要になる日は来ないのだろうか。




「ぎゅー。ふふ。これくらいの身長なら私の方がよしよし出来るね……ふふ。綺麗な髪。パールの銀髪は、フェルト産の絹なんかよりよっぽど上等だよ」

「あわわ」


 パールを抱きしめたグミのその身は、正しく人体の温さに柔らかみを帯びていて、本物を感じさせるに十分なものだった。長身の聖女より魔女は高くなり線にメリハリが付き。お返しにと、愛撫をやり返す彼女の手付きは、はっきりといやらしいものだった。

 唐突に間近に現れたエロさに困惑するパールを見て逆に冷静になったパイラーは、グミに質問をする。


「貴方はブレンドから、その魔法を教わったのですか?」

「違います。見て覚えたんですよ」

「……それは、凄い。私はてっきり、彼のモノが魔人であるから変態出来るのであると勘違いしていましたよ」

「ふふ。ボクって天才ですからね!」


 前と違い、グミが張った胸は大いに震える。少し枯れ気味のパイラーは、少し盛りすぎですねという見当外れな感想を覚えた。シャツから溢れんばかりのそれは、はっきり言って、大げさ過ぎる。


「パール、オレらを調べに来た奴ってどんなの……痴女だ」


 そして、偶々件の『マイナス』ことバジルがその場にやって来たのが、場の混乱を更に助長するものとなった。少年の眉は、絡みあう女性同士を見て、歪んだ。

 端的に言って、純情なバジルは、グミのその格好に魅力を感じるより前にドン引きした。関わり合いになりたくなくて、思わず彼は疾く扉を閉めんとする。それを、パールより立派な身体つきをした彼女は、指先から発した色味にて直接ドアノブを絡め取ることで止めた。


「痴女っていうのは酷いなぁ……『マイナス』君」

「ふん……なんだ、よく見たら背伸びしているだけのガキか。あんまりパールに寄りかかり過ぎんなよ。お前の為にならないからな」


 睨み合う二人。どうにもグミとバジルは赤と青の目を合わせただけで、互いに合う部分が殆どないことに気付いたようだ。聖なるものを求める男女に挟まれ、しかしパールはのんきに感想を言う。


「バジル凄い。さっきまでグミが小さかったって判るんだ……わぷ」

「寄りかかる? そうじゃない。もう、パールはボクのものだ。なら、どうしたって構わないだろ?」

「胸が……当たって……苦し……」

「あ、ゴメン」

「ぷは。……はぁ、はぁ。まさか、こんな幸せな死の危機が訪れるとは思わなかったよ……」


 胸に挟まれ、呼吸困難。あわや、窒息の危機だった。女体に溺れて死ぬとは、もしかしたら中の素直は本望であるかもしれないが、パール自身は御免こうむりたい。だが、その一部が顕れた本心の言葉はグミの耳に届いて、彼女の心をくすぐり妖しく笑ませた。


「幸せ? ふふ。パールのエッチ」

「あわわ」

「何だこりゃ……パール、お前女相手に下心出してんじゃねえよ。情けない姉貴分だよ、本当に」

「むむっ、私のことは幾ら言われてもいいけど、パールの悪口は許さないよ」

「ガキに脅されて、ためらう男子が何処に居る。パールは馬鹿だ。アホの子だ」

「『マイナス』! たとえ仲良くてそれが本当でも、言って良いことと悪いことがあるんだよ!」

「地味に酷いね、二人共……わっ」

「ちょっと、下がって居てね、パール。『マイナス』。ボクは絶対に、キミにパールを返すことはないよ。両思いのボクに全てを任せるんだね」

「ふざけんな」


 グミは大事を自分の後ろに置いて、宣言をする。その言葉が、バジルの癇に障った。手を上げ、魔法を使おうとする彼を見て、挑発をした少女以外は慌てた。


「バジル、グミさん、止めなさ……」

「そう。皆、私のために争わないでー」


 パイラーの言を遮るように、パールは前へと出る。そして彼女は、一生に一度は言ってみたいと思っていた言葉を二生目にしてようやく言えたのだった。

 パイラーは、己が娘のその唐突な発言に、白い目を向ける。また、変なことをいう子だな、と彼は感じた。



「無駄な喧嘩など、天に居られるマウス様も望まないでしょうが、それでも訊かないのであれば仕方ありません。裏手で、なら魔法でも何でも好きにやっていいですよ。勿論十分に加減しなければ、貴方達の御飯も、今日の泊まる場所もなくなってしまうでしょうが……」


 悠然と、魔法を放とうとしていた二人の間に入った後、黒い笑顔と共に場を仕切り始めた神官パイラーはそう言う。彼が醸し出す妙な迫力による説得力に、借家で過ごしているバジルは勿論のこと、今更泊まる家のことを忘れていることに気付いたグミも、首を縦に振る以外になかった。


「わかったよ……付いてこい。格の違いを教えてやるよ」

「ふん。ボクの天才っぷりに驚くんだね!」


 肩を怒らせ外への扉へと一直線に向うバジルに、その後をしゃなりしゃなりと大きい姿のまま付いていくグミ。パールは、少し迷ってから二人を追いかけ始めたが、そこに低い声が掛かった。


「パール貴女も行くのですか?」

「もしも、が怖いので……」

「大丈夫だと思うのですが……はぁ、仕方ない。確かに貴女が居たら万が一もありませんし、良いですよ。好きにして下さい」


 呆れ気味のパイラーの声を後にして、パールが二人に追いついた場所は、教会の裏手。神官館との間の小道。木々に囲まれ隙間になっているその部分にて、子供の喧嘩は始まる。

 バジルは右手を上げ、パールは地に左手を向け、それぞれ敵対姿勢を取ってから順番に口を平いた。


「正直なところ、手加減は不得手だが……それでも、次元の差っていうのは教えられるだろう。ちょっと混濁しただけの三本程度で敵うと思うなよ?」

「ふん。才能だけの浅学さんに、ボクが負ける筈がないよ。本数の差が、絶対的な違いになるとは、思わないことだね!」

「……それが、お前の遠吠えか」

「っ!」


 はっきりと、先に言っておこう。グミの実力で、バジルという究極の『マイナス』に勝てる道理など、何処にもない。彼女自慢の深度ですら、底を突き抜けていしまっている彼に届くものではないのだった。

 バジルが手を動かす。それだけで四方の空間全てに一定の距離を空けて無数のこぶし大の水が創られた。それは、何の変哲もないマナを変じさせた水塊。だが、これほど多量の創造を染まった指先で指揮するだけで行ったその事実。それに、グミは驚愕を覚えざるを得なかった。

 遅れて、グミは地に手を当て、指先から己が色を伸ばしていく。そこから地を変じさせて、礫でも創ろうと思ったその時。宙の全ての水が彼女に降り注いだ。


「ぐぼっ」


 陸にて溺れ、思わずグミは地から手を離して喉元に手を伸ばす。そんな彼女の四肢を拘束するために、周囲の水は意思を持つ。そう、バジルの指揮にならい、固まり粘性を帯びて、彼女を縛したのだ。得意な氷を使わないのは、彼なりの手加減である。

 水気によってその衣服を透けさせて、その手足を固定までさせられたグミは正しくエロティックであり、パール辺りの目に毒であったが、しかし切り替え、既に心凍らせているバジルは何を感じることもない。ただ、彼は真っ直ぐに見下げて、彼女に終了勧告をする。


「これで終わりか? それじゃあ、オレと一緒に帰るぞ、パール」

「……ダメだよ。パールは、ボクのものだ。決してもう、渡さない! ボクは、お前の代わりになるんだ!」

「私は、誰のものでもないんだけれど……」


 パールのそんな意見を無視して、事態は更に進んでいく。末端の動作を奪われてしまえば、骨ある人は身動きできない。だが、魔人から変態の魔法を学んでいたグミは、自身の柔らかさを変えて拘束から脱する。魔法によって水が固められて縄のようになるのであれば、人を水のようにさせるのもまた不可能ではないのだった。

 抜け出しどちゃりと地落ちたグミは、今度こそ地に触れ、遠慮なく魔法を行使する。彼女は地面を波立たせ、その先端をバジルへと向ける。大量による攻撃。これならば、相手に白旗を上げさせることも可能だと思った彼女は。


「ふぅ」

「え? あれ?」


 指先を動かしただけで、自身に向けられた数多の土製の杭の全てを停めたバジルの姿によって、笑顔を凍らせた。白い息が、グミから漏れる。

 その後も続けざまに行った魔法の結果、瓦礫に大岩、更には水のカッターですら途中で霧散し無意味となる。


 これこそ、バジルの『マイナス』である。指先の染指で指揮を執り、空宙の水分を媒介にして範囲内の威力などを殆ど直接的に差っ引いて停止させてしまう、彼の固有魔法。どんな強力であろうと、指の一振りで無効化されてしまうのだ。彼の手にかかれば、たとえば、それが敵の命であろうとあっという間に停められるのだろう。それは、まるで努力の全てを否定するかの様な無敵。思わず、グミの動きすらも、止まってしまう。


「嘘でしょ……」


 パイラーの強制した、手加減。それを十二分に守り、グミの絶望を受け止めながら、バジルは誰より余裕を持って呟いた。


「これでいいか? はぁ……そもそも、オリハルコンの人形みたいな中身からっぽが、人間様にとって変わろうってのが間違いだったんだ」

「バジル、言い過ぎだよ……」


 それは、白すぎる水色の指先から冷え切った範囲内の全てを解しているバジルだからこそ、感じてしまったこと。そう、少女のがらんどうの中身を察してしまった少年は、正直にグミの無理を呟いてしまう。パールがそれを遮るのは、間に合わなかった。


「……ボクは……私は……人形じゃない!」

「わっ」


 言い合い、それはエスカレートして、片一方の心に血を流させた。癒やされかけの傷を突かれて、少女は激高する。大地は、揺らぐ。そして大いに盛り上がった。地面の津波がバジルへと襲いかかっていく。その重みは、最早普通では考えられない量である。


「まずまず上等だが、これくらいのプラスじゃあ、オレの前だと零と変わりない」

「ああっ!」


 だが、バジルは普通ではない。彼は、人間に許された最多の五本の染指持ち。故に彼は、涼しい顔をして襲い来る波ごと停めた。そして数多の粒としてその場に落とす。それを見て、狂乱したグミは暴走を始めた。

 明らかに、故があるのだろう。幾ら混ざっていても、三本では到達できない出力を持って、グミは癇癪玉のように力を破裂させる。そんな、ただの暴力の殆どを。つまり自身に向けられた部分はバジルが無効化していったが、それ以外の他に向いてしまった土や岩に水等までもは、流石に彼であろうと停められない。


「やばいな……」

「ああ、地面がボコボコ……あ、窓ガラスが割れて……」


 その被害は、間近の協会を襲う。まだ微小。しかしこのまま放っておけばどうなってしまうのか。思わず、守るためにふらふらと建物の方へとパールは向かう。


「……っ、パール危ない、避けて!」


 だがそこは、暴力の最中、魔法の効力内である。パールの危険に気付き、停まったグミであるが、魔法の結果までは留められない。幾つかの石が、彼女の元へと飛来する。盾を自称するバジルが魔法の範囲を広げることで、問題なく無力化しようとしたその時。聖女は声を荒げて。



「もう……止めなさい!」



 その結果ごと、全ての魔を無に帰した。



 冷気はあっという間にかき消え、その後熱気がやってきて。ぽん、という音と共にグミの姿も愛らしいものに戻った。そして、バジルの顔色はどんどん白く変じていく。


「……二人共、お尻ペンペンの刑だよ」


 そして、彼らにとって絶望の時間が始まる。




「これが、ブレンドが彼女を見出した理由ですか……やれ、窓が割れたくらいで済んで良かったですね」


 パチーン、パチーン、という小気味いい音が響く中でどこか遠い目をしながら、パイラーはそう呟いた。今お尻を真っ赤にしている自称天才のグミが使った魔法は異常。発揮された力は、四本指すら越えかねなかった。

 どこか壊れた内面と共に、それこそグミが当たることの出来る存在などパールとバジルの二人くらいしか居なかったろう。他で、彼女を受け止め切れる人など無い。


「だから、ここに寄越した……あの魔人がそこまで予測できたのだとしたら、そら恐ろしいものがありますが……っ!」


 パイラーが、そう考えを口に出して纏めていると、視界の端に人影が見えた。それなりに修羅場を潜っている方である彼に知られずここまで迫れた人物は、驚いて歪んだ壮年男性の顔を笑う。


「……ふふ。聖女とは貴方が付けたのかしら? それにしても面白い、子ね」

「ク……アンナ様。居られたのですか」

「少し前から、ね」


 赤い髪が愉快げに上下する。潜んでいた女性は、闇夜にバジルの前へと現れたことのあるアンナだった。

 しばらく微笑んだ彼女は、知り合いとして受け容れ落ち着いた様子のパイラーを確認してから、自分の考察を語り出す。


「パールが人を癒すことが出来るのは、彼女の力、『全てを望ましい状態へと戻す』その効果を用いているからね。ただ魔を、彼女は望ましいと認めていない。つまり、パールは魔――人の領分を超えるもの――を無効化してしまう、魔法使い等の天敵となり得る存在ね。聖女とは、よく言ったもの」

「……そう、感じましたか」

「大丈夫。私はパールを悪くするつもりはないわ。そう、悪くは、ね」


 妖しげに、アンナは微笑んで。彼女を【王】の候補に上げるのもいいかもしれない、と心の中の碑に赤色で書き留めた。


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