みんなでプール

 もう夏だ。

 今年も暑い。

 ……いや、本当に暑すぎる。

 日本の夏はどうなってしまったんだ。

 これも毎年言っている気がする。

 まあ、とにかく暑い。

「パパ。プール行こうプール」

 夏休みに入ったばかりの娘がそうねだるのも無理からぬことだった。

「え? プール? あたしも行きたーい」

 さらに話を聞きつけた二ノ木にのぎさんが「あたしもあたしも」と言い始めたので、こうなったらもう陽ノ目ひのめそうの皆で行こうという話になった。



 というわけで、みんなで井頭いのかしら公園一万人プールにやってきた。

 子供の頃は、夏になると毎年両親にここに連れてきてもらっていた。

 ウォータースライダーや流れるプールなど、ひと通りの物が揃っている。

 ちょっとした遠出になったけど、せっかくだしいいだろう。

「それにしても、ここも懐かしいなぁ」

 僕は更衣室を出たところで皆を待ちながら、ノスタルジックな気分に浸る。

 前に来たのは10年以上前……少し変わったところもあるようだが、ここから見える波のプールとか本当に懐かしい。

 いつも最初はあの波のプールで遊んでたな。

 その次はウォータースライダーに行って、流れるプールを浮き輪で一周して……。

「パパー」

「お父さーん」

「ん?」

 娘たちの声が聞こえて、僕は物思いにふけるのを一時中断する。

「お父さん、どうですかこの水着? セイラに選んでもらったんですけど」

 そう言ってキララはこの前セイラと一緒に買ってきた水着を見せてくる。

 ホルターネックの花柄ビキニだ。

 とてもカワイイ水着なのだけれど。

 胸が……。

 中学生らしからぬ娘の胸が、カワイイ水着をドセクシー水着に変えている。

「うん、とても似合ってるよ。でも、誰かに声をかけられても絶対ついていかないようにね? 特に男の人には」

「……?」

 僕にいきなり注意され、キララは小首を傾げる。

「ちょっとパパ、私は?」

 と、今度はセイラが僕に声をかけてくる。

 こちらの水着はスカートつきのフリルビキニ。

 スカートは花柄で、キララとちょっとお揃いになっている。

「うん。セイラもセイラらしくて、カワイく似合ってると思うよ」

「……ん! さすが私!」

 僕の褒め言葉に、セイラは満足げに頷く。

 実際、親の贔屓目ひいきめなしにふたりともスゴくカワイイ。

 キララだけでなく、セイラもナンパとかされないように、僕がしっかり目を光らせておかないと……!

 そうこうしている内に、二ノ木さんたちも水着に着替えて現れた。

 二ノ木さんはクロスデザインのビキニ。

 狩野かりやさんはレトロ柄なワンピース。

 サキさんはシンプルなタンキニ。手には浮き輪。

「ほーい、お待たせー」

「あ……お待たせ、しました」

 堂々とした二ノ木さんと狩野さんはいかにも対照的な印象。

 特に二ノ木さんはまあ……いろいろとめだつので、とても注目を集めた。

 あと僕も、いくらかの恨みがましい視線と、多少「ん?」という視線を送られる。

 まあ、こうも年齢層がバラバラな異性に囲まれるアラサー男って、どういうポジションの人間なのか分かりづらいからだと思う。

 女子寮の管理人、って発想はなかなか出てこないだろうし。

「二ノ木さんと狩野さんはどうしますか? 娘とサキさんは僕が見ておきますから、おふたりは好きに遊んできていただいても大丈夫ですが」

「えぇー、最初はあたしたちとも一緒に遊びましょうよ。ね、シリン?」

「あ……はい。私も、それで」

 狩野さんは小さな声で頷く。

 さっきからちょっと二ノ木さんの後ろに隠れ気味だ。

 男の僕の前で水着なのが恥ずかしいのかもしれない。

 僕はなるべく彼女をジロジロ見ないように心掛ける。

「じゃあ、とりあえず皆でプール行きましょうか」

 いつまでも更衣室の出入り口でたむろっているのも迷惑だ。

 あとプールサイドは暑い。

 早く水の中に入りたい。

 それはみんな同じ気持ちだったようで、僕らは早速移動を始めた。

 最初に行くのはやっぱり一番近くの波のプール。

 名前の通り、プールの奥から波が来るプールだ。

 入り江の辺りなら波も低くなっているが、奥に進むほど波が高くなる。

 さらに奥に行くとプールも深くなるので、ちょっと遊ぶ時には注意が必要だ。

「キャッ!」

 波の水飛沫みずしぶきを浴びて、セイラが楽しそうに悲鳴を上げる。

「冷たいの気持ちイー」

「そうですねー」

「ほらっ、サキ!」

「キャッ! もうっ、やりましたね!」

 セイラはサキさんと水を掛け合い、笑い合っている。

 一方、キララは僕の隣で、慎重に波のプールに入ろうとしていた。

「お、お父さん、手を離さないでくださいね」

「大丈夫だよ。離さないから」

「絶対、絶対ですよ?」

 キララは念に念を押してくる。

 どうやら波が怖いらしい。

 まだたいした高さではないのだが、キララはすでに少し腰が引けている。

「キララ、もっとシャンと立たないと逆に転んじゃうよ?」

「で、でも……」

 なんて言ってたら、ちょっと強めの波が来た。

「わっ、わっ、波が……キャッ! お父さん!」

 案の定キララは足を取られ、慌てて僕の腕にしがみつく。

 ……肘に胸が当たってる。

 今年何度目かの娘の成長を実感。

「キララ、ほらしっかり立って」

「ダ、ダメです。怖いです!」

 波が来る度に、キララはさらに強くしがみつく。

 参ったな……。

 カップルの多い夏のプールでも、僕らの年齢差はやっぱりめだつ。

 かといってキララの手を離すわけにもいかない。

 僕としては通報されないのをただただ祈るのみだ。

「管理人さーん?」

「はい? ぷはっ!?」

 二ノ木さんに呼ばれて振り返った途端、顔に水をかけられた。

「アハハ、隙あり~」

 イタズラに成功した二ノ木さんはにんまりと笑う。

「せっかくプール入ったのに、こんな入り口で立ってるだけじゃ勿体ないわよ?」

「いやあ、でもキララがこの状態ですから」

「ん~?」

 二ノ木さんは小首を傾げたあと、またイタズラを思いついたように笑って。

「えーい!」

 と、僕ら親子に抱きついてきた。

 そのまま体重をかけて、僕らを押し倒す。

「わっ、わっ!」

「キャアー!」

 バシャーン!

 プールの中に三人揃って倒れる。

「ぶはっ!」

 たいした深さでないので、すぐ手をついて顔を上げる。

「ぷはっ!」

 続いてキララも起き上がる。

「アハハハ」

 二ノ木さんはびしょ濡れになった僕らを見て、また楽しそうに笑っている。

「……もうっ! 何するんですかぁ!」

 キララはちょっぴり怒った顔で、二ノ木さんに抗議する。

「ゴメンゴメン。でも、波で転ぶのが怖いなら、いっそ自分から倒れちゃえばいいじゃない」

「何ですかそれぇ!?」

「だって、先に倒れちゃえばもう転ぶ心配もないでしょ? ここはプールなんだから、立ってるのが怖いならいっそ座っちゃえばいいのよ」

「それはそうですけど」

「それに、こんな暑い日は頭から濡れちゃった方が気持ちいいじゃない」

「……むぅ」

 その通りだなと思ったのか、キララはそれ以上何も言わなかった。

 まあ確かに、地べたに座り込むのと違い、水に体を半分浸ける感じで座るのは別にマナー違反というわけでもない。

 周りにも浅いところで平泳ぎしている人や、浮き輪に乗って波に揺られている人たちもいる。

 何なら水に体を浮かせて、顔だけ水の上に出して仰向けに寝る感じにしても気持ちがよさそうだ。

「ねぇねぇキララちゃん」

「はい?」

 座って水の中で手を遊ばせていたキララは、二ノ木さんに再び話しかけられて顔を上げた。

「実は物は相談なんだけどさ」

「何でしょうか?」

「今度スク水着たとこスケッチさせてくれない」

「ブフゥ!?」

 横で話を聞いていた僕は思わず噴き出す。

 一方、彼女の仕事を知らないキララは小首を傾げた。

「スケッチ、ですか? 何のために……」

「仕事の資料でね、ちょっと欲しくて」

「はあ、お仕事ですか? そういえば二ノ木さんって、何のお仕事を……」

「二ノ木さん!」

 驚きから立ち直った僕は、そこでふたりの話に割って入る。

「ウチの娘に変なこと頼まないでください!」

「えぇー、じゃあスク水だけ描くから。顔とかは描かないからー」

「そんなのもう自分でスク水買ってくださいよ!」

「え? それであたしに着ろと? そして鏡見ながら描けと?」

「いや、そこまでは言いませんけど……」

「けど実際に人が着ないと陰影とか細かい質感とかどうなるか分からないし」

「マネキン買って着せるとか……」

「マネキン高ーい。あと部屋に置く場所ない」



 二ノ木さんを諦めさせるのには骨が折れた……。

 いや、うん……正直、僕が協力する分にはいいのだけど、娘をモデルにされるのは流石に躊躇いを覚えるというか、何というか……。

 今回はとりあえず、夏のコミケの売り子を僕が手伝うということで妥協してもらった。

 というか、二ノ木さんの次の漫画はスク水が出るのか……。

 これも夏か。

 ……いや、エロマンガだとあんまり季節関係なくスク水は出るか?

 まあそれはそれとして。

「パパ、次ウォータースライダー行きたい」

 と、波のプールに飽きたセイラがそう言ったので、僕らはウォータースライダーに行くことにした。

 最初は波のプールからも見える、グネグネとカーブしたウォータースライダーへ行こうとしたのだが――

「あれ?」

 ――移動の途中で、最初のとは別のウォータースライダーを発見する。

 そちらは直線の坂をまっすぐに滑るタイプで、一切カーブがない。

 その代わりにスピードが出て爽快感のあるウォータースライダーだった。

「こっちにもウォータースライダーありますね」

「うん……」

「どうしました、お父さん?」

「いや、これ昔からあったっけと思って」

 なにしろ前に来たのが10年以上前なので、少々記憶が曖昧あいまいだ。

 けど昔からあったなら印象に残っているだろうから、たぶん昔はなかったのだろう。

 まあ、いつからあったかはどうでもいいか。

「どっち滑りたい?」

 直線の方とカーブのある方。

 僕は娘たちにどちらがいいか尋ねる。

「私はこっち!」

 セイラが真っ先に直線スライダーを指す。

「う……私はちょっと怖いので遠慮します」

 キララはそう言って辞退する。

 娘たちで意見が分かれてしまった。

 ふたりから目を離したくないのだけど……どうしよう?

 と、そこで狩野さんが小さく手を上げる。

「私もウォータースライダーはいいので、キララちゃんと下で待ってます」

「そうですか? じゃあ、お願いします」

「はい」

 というわけで、一旦キララは狩野さんにお任せすることにした。

 彼女たちが直線スライダー脇の階段を降りていくのを見届けながら、残る四人で列に並ぶ。

「これ滑った時に水着ズレたらどうしようかしら?」

 暇なのか、二ノ木さんが自分のビキニの紐を引っ張りながら唐突に言う。

「手で押さえておきましょうよ」

「けどこういうのってバンザイして滑りたくない?」

「いやいや、やめておきましょう」

「それに漫画なら脱げるのがお約束じゃない?」

「漫画ならそうですけど……」

「まあエロマンガなら、滑った勢いでハプニング挿入とかアクロバティックな展開もあるけど」

「それこそ絶対ないですから!」

「そう?」

「……ていうかパパたちは何の話してるのよ!?」

 セイラのツッコミ。

「公共の場でぬ、脱げるとか、エ、エ……マンガとか、そんな単語出さないでよね! 非常識!」

 ……はっ! 気づけばペースに載せられて、公共の場でなんて話題を。

「ゴメン、セイラ」

「ごめんなさい」

 中学生の娘に怒られ、大人組は揃って頭を下げる。

 それを見てサキさんはクスクスと笑っていた。

「もう……!」

 セイラはまだ怒っているようで、腕組みしてそっぽを向く。

「ゴメンねセイラ。お父さんが悪かったよ」

「ていうか、今の水着って結構作りがしっかりしてるんだから、そう簡単に脱げるわけないでしょ?」

「あ、そうなんだ」

「そうなの。なのに外で変な話して」

「いやホント、ゴメンって」

 僕が平謝りし続けると、ようやくセイラはこっちを見てくれた。

「反省してる?」

「してるしてる」

「……じゃあ」

「ん?」

「このスライダー、私と一緒に滑ってよ」

「一緒に、って?」

「だ、だから、こう後ろから抱っこ……とかしてさ、あ、あるでしょそういうの!」

 セイラは早口に力説する。

「……」

 まあ、小さい子供を親が抱っこして滑るのは普通にある光景か。

 けどそれをセイラがねだるなんて、ちょっと予想外。

 最近は反抗期に入ったと思っていたし……こうして昔みたいに甘えてもらえると、なんだかちょっと嬉しくなってしまう。

 と、そこで話を聞いていた二ノ木さんが「まあ!」と口に手を当てて驚く。

「まさかセイラちゃん……後ろから抱っこしてもらって、幻のエロマンガハプニングを実践しようと」

「……ッ! ンなわけあるかー! このエロ女!」

 セイラ、今度はキレる。

 いや、今のは二ノ木さんが悪いと思うけど。

「そ、そんなのあり得ないし、お姉ちゃんじゃないんだから……!」

 セイラは真っ赤な顔でブツブツと呟く。

 それはそれとして、気づいたら列も進み、僕らの番となっていた。

 約束通り、僕はセイラと一緒に滑ろうとしたが――係員に止められた。

「スミマセン。直線スライダーは親子でも一緒に滑るのは禁止なんです、危険なので」

「あ、はい」

「……」

 それを聞いたセイラは、とてもショボンとした顔をしていた。



 そんなこんなもあって。

 その後も流れるプールで浮き輪に乗って遊んだりしている内に、気がつけば午後になっていた。

「そろそろお昼にしましょうか」

 ちょっと遅くなったが、僕らはプールから上がって『陽だまり亭』というプールサイドのレストランに移動する。

 お昼時をはずしたのが逆に幸いし、六人でも無事席に座れた。

「じゃあ、何か買ってくるから、食べたい物は?」

「私アメリカンドックとかき氷」

「私はたこやきで」

「了解」

 僕は娘たちのリクエストに頷く。

 さらに二ノ木さんたちの分も注文も聞くが……さすがに僕ひとりで全員分運ぶのは無理そうな量になった。

「スミマセン。二ノ木さんか狩野さん、運ぶの手伝ってもらえますか?」

「あ、じゃあ私が」

「狩野さん、お願いします」

「あたしはここで皆のこと見とくよ」

 席を二ノ木さんたちに任せ、僕と狩野さんは『陽だまり亭』の注文カウンターへと向かう。

「ちょっと並びそうですね」

「はい」

 まあ、ピーク時よりはマシだと思っておこう。

 僕と狩野さんは列に並び、順番を待つ。

「……」

「……」

 少しの沈黙。

 どうしようか、ちょっと狩野さんのテンションがいつもより低い。

 元から静かな人だけれど、いつもよりさらにという感じだ。

 基本的にインドアが好きな人だし、もしかしたら今日は無理やり付き合わせてしまったのかもしれない。

 そうなるとますます気を遣いたくなるのだが、さて何を話題にしたものか……。

 そんな風に、僕が雑談のネタに頭を悩ませていると。

「あの、管理人さん」

 意外にも狩野さんの方から、ふと僕に話しかけてきた。

「はい。何ですか?」

「その…………」

「?」

 何だろう、言いづらいことなんだろうか?

「あの」

 その時、伏し目勝ちだった狩野さんが、チラリと僕の顔を前髪の隙間から見上げる。

 何かを頑張って話そうとする表情は、ちょっと頬が赤らんでいて、瞳も少し潤んで見えた。

 そうして、彼女は恥ずかしがりながら、何かを決意するように僕を見て――口を開いた。

「この後、ふたりで一緒に抜け出せませんか?」

「……え?」

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