長月流 その1

 夕方。

 僕は買い物袋を両手に持ちながら、陽ノ目ひのめそうへの帰り道を歩いていた。

「ふぅ、重」

 六人分の夕飯の食材はさすがに結構な量だ。

 最寄りのスーパーまで片道12分。

 この程度で重労働とは言わないが、歩いているとちょっと肩が痛くなってくる。

 自動車はまだ検討中だが、買い物用に自転車くらい買おうかな。

 そんなことを考えている内に、陽ノ目荘の屋根が見えてきた。

 娘たちはもう帰ってきているだろうか?

 新しい学校生活にも慣れてきた頃だし、どこかで寄り道しているかもしれない。

 ふたりにサキさん以外の友達はもうできただろうか?

 セイラはともかく、キララは少し心配だ。

 あの子は少し僕のことを優先しすぎるところがあるから。

 悪いことではないけれど。

 ただちょっと過剰だ。

 もっと自分の時間を大切にして欲しい。

 まあ、陽ノ目荘の管理人になる前は毎日仕事が夜遅くて、家事はキララに任せっきりだった僕にも責任があるのだが。

 その点は本当に申し訳なく思っている。

 だが今は管理人の仕事をしながら家事の大部分は僕がやっている。

 この仕事を引き受けた理由の半分は娘の負担を減らすためだ。

 もう半分は娘たちとの時間を作るため。

 それは今のところ上手く行っている……と思う。

 隙あらばキララは何かしら家事をやってるけど。

 特に休日の洗濯の仕事は有無を言わさずとられる。

 お陰で僕のトランクスは週一でアイロンにかけられ、いつも新品の履き心地だ。

 その丁寧すぎる仕事には何か執念を感じるけれど……。

 と。

「サキさん」

「あら、管理人さん」

 陽ノ目荘の前にサキさんがいた。

 どうやら娘たちより先に帰っていたようだ。

 彼女は陽ノ目荘の玄関前にしゃがんで猫のお腹を撫でていた。

「その子、のら猫ですか?」

「はい。名前はナナハチです」

 猫――ナナハチはお腹をでられ、ノドをゴロゴロ鳴らしている。

「だいぶサキさんに懐いてますね」

「地域猫だから人に慣れてるんですよ。私以外からも餌を貰っていると思います」

 そこでふとサキさんが僕を見上げる。

「管理人さんも触ってみます?」

「いいんですか?」

「それはナナハチ次第ですけど」

「それもそうですね」

 僕は笑い、荷物を玄関先に置く。

 それからサキさんの隣にしゃがみ、ゆっくりとナナハチに手を伸ばした。

 ナナハチはチラッと僕を見て。

「……なーぉ」

 ひと鳴きだけして、また仰向けに戻る。

 撫でて良いぞとお許しをもらったようだ。

 では有難く、とナナハチのもふもふしたお腹に手を埋める。

 おお、柔らかい、温かい。

 手触りのいい毛並みの奥のぷにぷにしたお腹。

 最高の撫で心地だ。

 気持ちいい。

 ただただ気持ちいい。

 猫、最高である。

「クスクス」

 ふとサキさんが口許を抑えているのに気づき、僕はハッとする。

「管理人さん、凄くいい顔をしてらっしゃいますね」

「そんなに表情に出てました?」

「ええ、とても」

 サキさんは唇に人差し指を当て、少し考える素振りをして。

「こういうの何と言うんでしたっけ……アヘ顔?」

「たぶん違います」

「トロ顔でしたっけ?」

「ある意味トロけてましたが、きっと違います」

 サキさんの口からアヘ顔とかトロ顔とか言われると凄い違和感。

 それだけだらしない顔をしていたのかもしれない。

 僕はナナハチの魔性の腹から手を離し、ちょっと反省。

 お腹がいたので、サキさんが再び撫で始める。

「そういえば、管理人さんておいくつなんですか?」

 サキさんがふと尋ねてくる。

「29歳ですね」

「早生まれですか?」

「? そうですね。1月生まれです」

 重ねて質問され、僕は反射的に答える。

 するとサキさん小さく頷き、

「やっぱりお若いんですね」

 と言った。

「……やっぱり?」

「いえ、見た目がお若いので」

「……」

 僕はちょっと黙り込む。

 今のは少し不用意だった。

 僕はすでにオッサンと呼ばれる年齢だ。

 が、中学生の娘がいるにしては若い。

 世間的には若すぎると言ってもいい。

 変な勘ぐりをされても無理からぬことだ。

「まあ、そんな怖い顔なさらないでください」

 サキさんは僕を見て驚いた顔をする。

 いつの間にか眉間に力が入っていたようだ。

 彼女は場を和ませるように微笑む。

「別に、どのような事情があったとしても気にしませんよ。宇宙人ですから」

 地球人の事情は気にしない、と言いたいのだろうか。

 それが方便なのか本音なのかは分からないけれど。

 宇宙人、か。

「あの……」

「はい?」

「いえ、やっぱり何でもありません」

 僕はそこで会話を切り上げ、立ち上がる。

「それじゃあ、僕は買ってきた物冷蔵庫にしまってきますので」

「今日も夕飯楽しみにしてます」

 サキさんはそう言って微笑み、ナナハチのお腹を撫でる作業に戻った。

「にゃー」

「なーぉ」

 サキさんの鳴き真似と、それに応えるナナハチ。

 彼女はまだしばらく猫と戯れるつもりのようだ。

 僕は彼女と別れ、玄関で靴を脱ぐ。

「あっ管理人さん、今日のご飯何ー?」

 僕が台所に入ってすぐ二ノ木にのぎさんが現れた。

「焼き魚と揚げ豆腐ときんぴらですよ」

「いいねー。あたしきんぴら好き」

 二ノ木さんは話ながら冷蔵庫を漁っている。

 何か食べる物を探しに降りてきたようだ。

「夕飯前ですよ」

「いいじゃーん。おつまみくらい」

 気がつけば二ノ木さんの手にはすでにビールが。

 僕はため息をついて手を止め、彼女の手からお酒を取り上げる。

「あー!」

「二ノ木さん、夕飯前ですって」

「返してよー。やっと一仕事終わったンだからー」

 二ノ木さんは返して返してと、僕が高く掲げたビール缶へと手を伸ばしてくる。

 その声はやけに子供っぽく、しかも涙目だった。

 おまけに……。

「のーみーたーいー」

 二ノ木さんが密着してくるものだから、その、胸が……。

 彼女のこういう頓着しないところはホント困る。

 スゴく柔らかいし。

 困る。

「晩酌ならつき合いますから、夜まで我慢してください!」

「おっ、いいなそれ。俺の分も頼むわ」

 その時、ふと第三者の声が割り込んできた。

 陽ノ目荘の住人ではなく、男性の声。

 聞き覚えのある声だった。

 僕は声のした方へ目を向ける。

「ナガレ」

「よっ」

 そこに立っていたのは、久しぶりに会う高校時代の友人長月ながつきながれだった。

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