授業参観 その1

「お父さん、これ」

「ん?」

 ある日、キララとセイラが学校のプリントを持ってきた。

「授業参観のお知らせ?」

「はい。来週の水曜日に」

 キララがうなずく。

「へぇ、もうそんな時期なんだ」

 僕はプリントに書かれた日時を確かめながら呟く。

 授業参観。

 学校での娘たちの様子を知るいい機会だ。

「……」

 ふとそこで、僕はセイラが不安そうな顔をしているのに気づく。

「セイラ、どうかした?」

 僕はプリントを持ったまま尋ねる。

 すると、セイラは少し躊躇ったあと、

「パパ、来れる?」

 と、小さな声で言った。

 それは普段の強気な彼女からは想像できない声音で。

 僕は娘を安心させるようにポンッと頭に手を置いた。

「大丈夫だよ。買い物を早目に済ませれば、時間は作れるから」

「……ん。そう」

 でられるのが恥ずかしそうに、そっぽを向くセイラ。

 けど特に逃げようとはせず、されるがまま撫でられ続けている。

「あっ、ズルいです。お父さん、私も撫でてください」

「はいはい」

 僕は両手で娘たちを撫でながら、ちょっと昔のことを思い出していた。

 あれは陽ノ目ひのめそうに引っ越してくる前。

 僕らがまだ東京に住んでた頃の話だ。


 一年前。


 朝。僕は包丁がまな板を叩く音で目を覚ました。

「ん~……あ、おはよう」

「おはようございます、お父さん」

 台所に立つキララが振り返って笑顔を浮かべる。

 また料理に戻る彼女の背を見ながら、僕は大きなあくびをひとつ。

 ふとそこで、セイラがまだ寝ていることに気づく。

「セイラ。セイラ、朝だよ」

「ん……わっ! きゃっ!」

 セイラは起きるなり驚きの声を上げて飛び退く。

「パパが胸触った!」

「えっ、あ、ごめん」

 揺する時に無意識に触っていたようだ。

 しかし、セイラもそういうのを気にする年頃か。

 ふたりとももう小学六年生だ。

 来年には中学生になる。

 次からは気をつけよう。

 と。

「お父さん、朝から娘にセクハラですか!?」

 さっきまで朝食を作っていたキララがいきなり素っ飛んできた。

「私にもしてください!」

「何で!?」

「不公平です!」

「公平にするもんでもないから!」

「でもセイラだけズルいです!」

 話を振られたセイラは少しほおを赤くする。

「私が触らせたわけじゃないもん! パパが勝手に!」

「いや事故だよ。事故だからね?」

 僕は娘らを何とかなだめる。

 その後、布団をたたみ、キララの用意した朝食を三人で囲む。

「いただきます」

「いただきます」

「いただきまーす」

 白米にお味噌汁、お漬け物、焼き魚。

 スタンダードな日本の朝食を食べながら、軽く今日の予定をチェックする。

 僕の勤め先は幻想社げんそうしゃという出版社だ。

 僕はそこで編集をしている。

 今日は打ち合わせが二件に会議が一件。

 それと原稿の確認が三、四つ溜まっている。

 内一件は今週中に作家さんに戻さないといけない。

 あとは記事作成などの業務がいくつか。

「お父さん、今週も忙しいですか?」

 スケジュール帳を見ていた僕に、キララが箸を止めて尋ねてくる。

「うん。まぁ、今日も遅くなっちゃうね」

「そうですか……」

「?」

 心なしかキララがションボリしている。

「どうかしたのかいキララ?」

「あっ! いえ、何でもないです」

 キララは慌てたように首を横に振る。

「じゃ、じゃあお父さんのお弁当詰めておきますね」

 そう言って娘はご飯を終えて台所の方へそそくさと行ってしまった。

「?」

 キララが隠し事なんて珍しい。

 もしかして、妹に続いて姉も反抗期に入ったのだろうか?

 だとしたら……結構ヘコむなぁ。

「……」

 ――落ち込む僕をセイラがジト目で見ていたが、その視線の意味にこの時は気づかなかった。



 昼前に出社した僕は、今日も今日とててんてこ舞いになっていた。

夏目なつめー。ファンタジアマガジンの記事は?」

「それなら夕方までに上げる予定です」

「〇〇先生の原稿は?」

「先生が先週風邪引いちゃったみたいで。リスケして何とか来週中に上げてもらう話になってます」

「午後の会議の資料は――」

「それは――」

 催促。確認。報告。

 常に何らかの業務に追われている。

 別の出版社から幻想社に移って五年。

 去年から担当する作家も増え、今年もいくつか新作を立ち上げた。

 それに比例して担当作の記事作成案件も増え、イベント関連の打ち合わせも増え、時間ばかりがドンドンなくなっていくようになった。

 だからとにかく毎日が忙しい。

 キララに用意して貰ったお弁当を食べる暇もないほどだ。

 今も電話中にお腹が鳴ってしまった。

 このあとの会議まで少し時間がある。

 それまでに少し遅めの昼食をとるか。

「夏目」

 と思っていたら、電話を終えた直後に編集長に呼ばれた。

「はい!」

 僕は慌てて編集長机の方へ向かう。

「お前、明後日の13時は空いてるか?」

「13時……はい、大丈夫ですが」

 僕はスケジュール帳を開きながら答える。

「なら加賀かが先生が東京来て打ち合わせするから、その席に同席しろ」

 加賀先生といえば、編集長自ら担当する幻想社でもトップクラスの作家だ。

 その打ち合わせの席に僕が同席ということは……。

「もしかして、担当替えですか?」

「ああ。来月から加賀先生の担当は夏目に任せるから。明後日は挨拶がてら打ち合わせと飯な」

「はい。分かりました」

「まあそういうことだから、うっかり別の予定入れるなよ」

 僕は編集長の言葉に頷き、自分の席に戻る。

 すると、隣の同僚が話しかけてくる。

「加賀先生の担当任されるとか、やっぱ夏目は期待されてるな」

「そんなことないですよ」

謙遜けんそんするなって。今年立ち上げた新作も調子いいし、来年には副編集長かな?」

 肩をウリウリしてくる同僚に僕は曖昧に笑って返す。

 加賀先生はベテランだ。

 この業界も長く、僕が学生の頃から本を出している。

 実はこっそりファンだったりする。

 だから、担当できることはもちろん嬉しい。

 今以上に忙しくなったら、ホントに帰る暇もなくなりそうだけど……。

「夏目ー。会議行くぞー」

「はい!」

 名前を呼ばれ、僕は慌てて会議の資料を抱えて会議室に向かう。

 あれこれと考えるのは、ひとまず目の前の仕事を片づけてからにすることにした。



 夜。

「ああーーー」

 僕は机に突っ伏しながら、ゾンビのような呻き声を上げた。

 つ、疲れた……。

 ずっと仕事してた。

 さっきやっと今日の分が終わったところだ。

「……」

 あと十五分で会社を出ないと終電に間に合わない。

 それまで少し机で休んでいくか。

「……!」

 ふとそこで机の隅に置いてあったキララのお弁当を思い出した。

 そういえばお昼に食べようと思って、すっかり忘れていた。

 会社を出る前に食べてしまうか。

 弁当箱の包みを解いて、フタを開ける。

 中身は冷えていたが、とても美味しそうだった。

 ご飯のところに『パパ大好き』と書かれているのは、恥ずかしかったりニヤけたりしてしまうけど。

「……」

 そのお弁当を食べていると、今朝のキララの顔を思い出す。

 あの時、あの子は一体何を言いかけたんだろう?

 そんなことを考えながらお弁当を食べ終えて、僕は会社を出た。

 ピルルルル

 駅へ向かう道すがら、懐の携帯電話が鳴る。

「ん? ……なんだ、ナガレか」

 通知画面に映っていたのは悪友の名前だった。

 高校時代からのつき合いで、僕が上京してからも時々会ったりしている。

「はい。夏目」

『よーコノハ。元気だったか?』

「まあね。ナガレこそどうしたんだ?」

『今度また東京行くから、そん時飯でも食おうぜ』

「ああ、予定が空いてたらいいよ。いつ?」

『えっとなー来週の……』

 そうしてナガレと話す内に駅の改札を抜け、ホームへの階段をのぼる。

「そろそろ電車だから、もう他に用はないか?」

『俺はないけど』

「けど?」

『お前こそ何か悩んでないか?』

「僕? 何で?」

『お前悩み事があるとすぐ声に出るからな』

 電話口からナガレの笑い声が聞こえてくる。

 まったく、この悪友は昔からこうだ。

「実は娘のキララに隠し事されてさ」

 僕は苦笑いし、観念して話し始める。

『隠し事?』

「と言っても大した話じゃないんだ。何か言いたそうなのに、それを言ってくれなくて」

『ほー、親ってのは大変だな』

「どうしたらいいと思う?」

 僕は尋ねるが、

『子供の対処法なんか知らん。俺まだ独身だし』

 と、にべもない返事が返ってきた。

 僕はその場でズルッとズッコケそうになる。

 こちらの呆れた気配を察したのか、ナガレはまたハハハと笑って。

『まあ、そういうのは話してくれるのを待つか、もう一度話を聞くしかないだろな』

「……それもそうか」

 ヘタに勘ぐったり、コソコソ探ったりするのは逆効果なこともある。

 明日……もう今日か、朝になったらキララと話そう。

 と、そこで電車がやってきた。

「助かったよナガレ。電車が来たから、もう切るな」

『おう。また来週な』

「また来週」

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