とある夜のサキ 

 夜。

 ノドがかわいて目が覚めた。

「ん……」

 起き上がる。

 暗い室内に目が慣れると、静寂せいじゃくがより際立つ。

 時計の小さな秒針の音がとても大きく聞こえた。

 隣室りんしつの娘たちを起こさないようにそっと立ち上がり、共用台所へ水を取りに行った。

 蛇口を慎重にひねり、コップに注いだ水を一気にあおる。

「ふぅ」

 ひと息ついた。

 落ち着いて、部屋に戻ろうかと思った時。

 ふと気配を感じた。

「?」

 誰か僕のように起きてきたのだろうか?

 台所から軽く顔を出す。

 すると。

「……」

 真っ黒な人影が階段をのぼっていた。

 いや、比喩ひゆとかではなく本当に真っ黒だ。

 その姿は夜に見るには不気味というか、奇妙というか。

 ともあれ、無視してしまえる存在感ではない。

 管理人的にも放っておけなかった。

 夜は玄関を閉めているが、不法侵入者でないとも限らない。

「……」

 僕は足音を殺して人影のあとをつけた。

 人影は二階の廊下をスススと進んでいき、一番奥のドアの向こうに消える。

 そこは洗濯物などを干す屋上へ続くドアだった。

 その奥で何をしているのか?

 あるいはそこから侵入して、今まさに逃げていこうとしているのか?

 もし後者だとしたら、みすみす不法侵入者を取り逃がすことになってしまう。

「……っ」

 僕はゆっくりドアノブを開ける。

 まずはドアの隙間から、屋上の様子を盗み見た。

 そこにいたのは。


「ベントラー、ベントラー、ベントラー、我が声に応えよ大宙おおぞらともがらよー」


 呪文を唱えながらライトを振る、黒マントを被ったサキさんだった。

「……」

 ベントラーというと、確か宇宙人を呼ぶ時の呪文だったかな?

 僕は古い知識を引っ張り出しながら、サキさんの様子を観察する。

「ベントラーベントラー」

 静かな声だけど、とても真剣だ。

 彼女の本気具合が窺える。

 と。

「!」

 サキさんが何かに弾かれたようにこちらを振り返る。

「誰ですか?」

 緊張をはらんだ声。

 僕がのぞいていることにかんづいたらしい。

 そっとこの場を離れる選択肢もあるけれど。

「……」

 僕はドアを開けてサキさんのいる屋上に出る。

「管理人さんでしたか」

 サキさんは僕を見て小さなため息をつく。

「えっと、こんな夜中に何してたのかな?」

 とりあえず尋ねる。

 さすがに何も見ていないでは通らない気がした。

 サキさんは数瞬すうしゅん迷ったあと、一度まぶたを閉じる。

 再び瞼を開いた時、彼女は真剣な目で僕を見つめてきた。

「管理人さん」

「はい?」

「実はお伝えしなければならないことがあります」

「はい」


「今まで隠していましたが……実は私、宇宙人なんです」


 サキさんはそう言って、僕の目をジッと見た。

 僕は……反応に困る。

 これは子供らしい妄想なのか。

 それとも――

「……」

 僕が無言でいると、サキさんは少し悲しそうに眉を伏せる。

「信じてもらえませんか?」

「いえ……」

「いいんです。慣れてますから」

 サキさんはまたため息をつく。

 慣れていると言いつつ、その表情はやはり物悲しげだ。

 人から信じて貰えないというのは辛い。

「サキさんが嘘をついてるなんて思ってませんよ」

 僕は沈黙をやめ、サキさんに言葉をかける。

「管理人さんはやさしいですね」

 だがそれをただの気遣いと思われたのか、彼女の表情は相変わらず晴れない。

「本当です」

 僕は言葉を重ねる。

 そして、僕も僕のヒミツを打ち明けることにした。


「実は、僕も昔UFOを見たことがあるんです」


「―――」

 この返しは予想外だったのか、サキさんは目を丸くする。

 それから少し疑いの目を向けてくる。

「……」

 僕は静かにその視線を受け止めた。

 僕の目を見ながら、徐々にサキさんの表情が変化する。

 疑い。

 疑い。

 ん?

 あれ?

 驚き。

 戸惑い。

 戸惑いからまた驚き。

 少しの期待。

 それから。

「……どんなUFOを見たんですか?」

「見るからにUFOという感じの物でしたよ。あの大きくて丸くて、円盤えんばん型の」

「それはアダムスキー型のUFOですね!」

 僕が手で円を描きながら説明していると、サキさんはやや食い気味に反応した。

「昔って、それはいつ頃のことですか? どこで見たんですか?」

「10年以上前、学生の頃ですね。放課後の帰り道で、雪の日でした」

「宇宙人には会いましたか?」

「……いいえ、どうでしょう? 会ったと言えるのかどうか」

「その時のこと詳しく教えてください」

 ペンライトの明かりに照らされたサキさんのほお若干じゃっかん紅潮こうちょうしている。

 娘たちと比べても、彼女はとても落ち着いた少女だった。

 こんなテンションの高い彼女ははじめてだ。

 宇宙人やUFOの話ができるのが、とても嬉しいようだ。

「そうですね……あの時は」

 僕は昔を思い出しながら、サキさんとお話しする。

 話せないこともあるけれど、僕もあの日がキッカケでUFOや宇宙人については調べたことがある。

 おかげで彼女の話にもついていくことができた。

 僕と話している彼女はとてもイキイキとしていた。

 今まで少し掴み所のない少女だったけれど。

 この夜の出来事のおかげで、サキさんのことをよく知ることができたと思う。



 翌朝。

「お父さん、目玉焼き焦げそうですよ?」

「ん……わっ!」

 台所でみんなの朝食を作っていた僕は慌てて火を弱める。

「寝不足ですか? なんだか眠そうですが」

 手伝いをしてくれていたキララが心配そうに尋ねてくる。

「そうかもしれないね。あとで昼寝でもしておくよ」

 昨夜はサキさんと話していて、寝たのは明け方になってしまった。

 僕は時間の融通ゆうづうが利く仕事だからいいけれど、学生の彼女は寝不足で授業中に寝たりしないだろうか?

 そんな心配を僕がしていると。

「おはようございます」

 当のサキさんがダイニングに現れた。

 いつも通り柔和にゅうわ微笑ほほえみを浮かべ、寝不足などまるで感じさせない。

 これが若さか……。

 まだ眠気が取れないおのれかえりみて、軽く落ち込む。

「管理人さん、寝不足ですか?」

 サキさんも僕を見て、心配そうに顔を覗き込んでくる。

「スミマセン。私が昨日遅くまでつき合わせてしまった所為で」

「え?」

 頬に手を当てて謝罪するサキさんのセリフにキララが反応する。

「昨夜は私も興奮してしまって、少々はしたないところもお見せしてしまいました。ですが、とても楽しい一時ひとときでした」

「……お父さん?」

 微笑むサキさんと隣で、ドンドン真顔になるキララ。

 変な誤解が生まれている気がする。

 と、サキさんはトドメのように僕の耳元に顔を寄せて。

「またお話聞かせてください。このことはヒミツにしてくださいね」

 そう言って、彼女はまた微笑びしょうして僕から離れる。

 サキさんと仲よくなれたのはよかったと思う。

 けれど。

「お父さん。昨夜って、はしたないってどういうことですか!? サキさんと昨日ナニがあったんですか!?」

 半狂乱になったキララが僕の襟首えりくびを揺さぶりながら、鬼気きき迫る表情で問い詰めてくる。

 しかし、ヒミツと言われた手前本当のことを言うわけにもいかない。

「え~と、その、つまり……」

「つまり何ですか!? 本当のことを言ってくださいお父さん!?」

 僕がしどろもどろになる所為で、キララの追及はいつまで経っても終わらない。

 結局、目玉焼きは焦がしてしまった。

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