狩野紫凜の華麗なる日常

 今日は日曜日。

 私の中で休日といえば、部屋で一日中ゲームしながらダラダラ過ごす日だ。

 人と会う必要のない休日はとても気楽だ。

 いつもなら。

 今日はいつもと違った。

 なんとこの私が休日に外出している。

 向かう先は映画館。

 観る映画は『ゴクドウちゃん』シリーズの最新作。

 それだけならまあ、年に数回くらいはあるイベントだ。

 けれど、今日がいつもと違うポイントはもうひとつある。

 それは。


狩野かりやさん、コーラとポップコーン買ってきましたよ」

「はっ、ひゃはい!」


 そう、それは。

 今日は陽ノひのめそうの管理人――夏目なつめ此葉このはさんとなのです!


 数日前。


 その日の夜、私が部屋でダラダラとゲームしていたら誰かが扉をノックした。

「狩野さーん。いらっしゃいますかー?」

「……管理人さん?」

 聞き覚えのある声に、私は思わず緊張する。

 私、何かしたっけ?

 家賃はちゃんと払ったよね?

 洗剤を使いすぎたりもしてないし。

 お風呂場も汚していないはず。

 もしかしてまた宅配便に気づかなかった?

 それで管理人さんが荷物を預かってくれたのかも。

 管理人さんが不意に訪ねてくる理由に思い当たった私は、幾分か安堵しながらゲームの電源を切って立ち上がった。

「はい、何でしょうか?」

 私は扉を開けながら管理人さんに応対する。

 応対しつつ、視線は下。

 管理人さんが何か持ってないかチェックする。

 ……持っていない。

 あれ?

 予想をはずし、私はようやく管理人さんの顔を見る。

 宅配便でなければ何の用だろう?

 またちょっと怖くなる。

「えっと……私、何かしました?」

「え? あ、いえ、そういうわけではなく」

 管理人さんがすぐ否定してくれたので、私はホッとする。

 同時に、さらに疑問に思う。

 そうすると本当に管理人さんの用事は何だろう?

 もう夕飯も終わったし。

 管理人さんも一日の仕事は大体終わっているはず。

 それなのに、なぜこんな根暗なオタク女子大生の部屋に?

 もっと有意義なことに時間を使っては?

 私はそんなことを考えながら、管理人さんの言葉の続きを待った。

 と、管理人さんはエプロンのポケットから二枚の紙切れを取り出す。

 どうやら映画のチケットのようだった。

 しかもそれは。

「ゴ、『ゴクドウちゃん』の新作映画のチケット……!?」

 なぜそんな物を管理人さんが?

「偶然手に入れたのですが、そういえば狩野さんが『ゴクドウちゃん』お好きなのを思い出しまして」

「……!」

「ペアチケットですので、もしよければどなたかご友人を誘って行ってください」

 友達いないです。

 とは言えない。

 でもチケットは欲しい。

「あ……ぅ……っ!」

 ひとりで行くのにペアチケットくださいって言えない。

 それもこれも私がクソぼっちだから!

 誰か一瞬でいいから友達になってくれないかな。

 友達料払うから!

「えっと……」

「……?」

 なかなか返事をしない私に、管理人さんが首を傾げ始める。

 は、早く答えないと……!

「あー、えっと……!」

 チケット欲しい。

 友達いない。

 チケット。

 友達。

「あっ、そうだ!」

 テンパった私はふと名案を思いつき、管理人さんの手を取った。

「管理人さん、一緒に行きましょう!」

「……え?」

 突然の私からの誘いに、管理人さんは目を白黒させた。

「ほ、ほらふたりならペアチケットも無駄になりませんし!?」

「あ……はい」

「それじゃあ次の日曜日に」

「分かりました」


 回想終了。


 ああああああああああああああ。

 ああああああああああああああ。

 勢いとはいえ私はなんてことを!

 ふたりならペアチケットも無駄になりませんよね?

 じゃっ、ねーーーー!

 こんなん完全にデートじゃん!

 しかも管理人さん子持ちだし!

 ヤバい。

 絶対常識のない女だと思われてる。

 冷や汗が凄い。

「……っ」

 館内のヒンヤリとした空気もあって少し寒い。

 私が自分の二の腕を擦っていると。

「狩野さん、これどうぞ」

「え?」

 管理人さんが差し出してきたのは、映画館で貸し出されている毛布だった。

「女性が体を冷やしたらいけませんから」

「……!」

 どうやらわざわざ借りてきてくれたらしい。

「あ、ありがとうございます」

 私は毛布を受け取り、膝の上にかける。

 どうしよう。

 男の人にやさしくされるのに慣れてない。

 単純に緊張する。

「もうすぐ始まるみたいですね」

「は、はい!」

 スクリーンには映画が始まる前の予告編とかが流れている。

 その内容すらもなかなか頭に入ってこない。

 隣の管理人さんが気になって。

 ていうか、これってデートっていう認識でいいの?

 いや、私が非常識なのには変わらないんだけど。

 実際どうなの?

 管理人さんは凄く紳士的だ。

 でも、やっぱり男の人なわけで。

 どうして今日一緒に来てくれたんだろう?

 管理人さんも『ゴクドウちゃん』は好きって言ってたけど。

 本当にそれだけ?

 いやいや、誘ったの私だし。

 自意識過剰だとは思うんだけど。

 デートと思ってるのが私だけじゃなくて。

 もし……管理人さんもそうだったら?

 映画のあとどうするの?

 終わるのは午後四時くらい。

 夕飯にはちょっと早い。

 そもそも管理人さんは仕事があるから、夕飯までには陽ノ目荘に帰らなくちゃだし。

 けど逆に言えば、夕飯までは時間の余裕があるってことで……。

 その時間で、何かしようと思えば何かできるということで……。

 あ、ダメだ。

 頭が変な方向に回り始めた。

 それはもう坂を転がり落ちるように。

 男坂ならぬ煩悩坂。

 もう落ちるだけだから凄い速い。

 凄い速さで脳内エロ同人のページが捲られていく。

 その速さときたら、もう四冊目に突入してる。

 すでに三通りのパターンでシミュレートが終わってる。

 四冊目は二ページでもう脱いだ。

 さすが同人誌。

 展開が早い。

 というか頭の中の管理人さんがジゴロすぎてヤバい。

 私って男の人にどうにかされたい願望があったの?

 いや、単に自分からする方法が分からないだけか。

 ん?

 待って。

 違う。

 これは妄想が捗りすぎただけで。

 別にそういう願望はないから!

 ホント、ホントだから!

 誰に言い訳してるんだ私……。

「狩野さん?」

「ひゃいっ!?」

 突然声をかけられて私は変な悲鳴を上げてしまった。

 声をかけた方の管理人さんも驚いた顔をしている。

「あの、映画終わりましたよ」

「……え!?」

 いつの間に!?

 もう一時間経ったの!?

 言われて気づいたが、すでに館内は明るい。

 スクリーンもすでに真っ暗で、帰ろうとする客が出口に集まっていた。

 どこからどう見ても完全に映画は終わっている。

 つまり一時間も妄想してたの私!?

 全然内容を覚えてない。

「……狩野さん?」

「あっ!? えっと!? い、行きましょうか!」

 私はいぶかしげな管理人さんに慌てて返事をして席から立ち上がった。

 ゲートのところで借りた毛布を返し、管理人さんと並んで映画館を出る。

「えっと……このあとどうしますか?」

「喫茶店でも入りますか?」

「あ、はい」

 管理人さんの言葉に頷き、ふたりで喫茶店に入る。

 適当に甘い物を注文したところで、私は冷静に水を飲みながら思った。

 これ二冊目のエロ同人(脳内)で見た奴だ。

 とりあえずこの後ホテルに誘われる。

 いや妄想だけど。

 あるいは妄想で済まない可能性が微レ存?

「ところで狩野さん」

「ぶふぉっ!?」

 管理人さんに名前を呼ばれて飲んでる途中の水を噴いてしまった。

「だ、大丈夫ですか?」

「だだ大丈夫です!」

 私は口許を抑えながら紙ナプキンで机を拭く。

 何やってんの私は?

 変な妄想で自爆して迷惑かけて。

 やめやめ、バカな考えはこれでおしまい。

 管理人さんに限ってそんなことあるわけないんだから。

「そ、それで管理人さん、どうかしましたか?」

 私は先程話しかけられたことを持ち出しながら会話を続ける。

「えぇっと、まぁありきたりですが映画の感想の話でもと思いまして」

「ああ、映画ですか、映画……」

 ヤベェ。

 全然観てなかったから覚えてない。

「感想、感想ですよね」

「……」

「……」

 マズい。

 会話が続かない。

 どうしたらいいの?

「お待たせしました」

 天の助け!

 ありがとうケーキを持ってきてくれた店員さん!

「ごゆっくりどうぞ」

「あ、管理人さん食べましょう」

「はい」

 とりあえずケーキで誤魔化す。

 その間にこのあとどうするか考えなくちゃ……。

「~~~」

 なんか目の端に映ってた映像の断片を思い出して、それっぽいことを言わなければ……。

 チケットを譲ってくれた上に、今日つき合わせてしまった管理人さんに呆れられないようにしないと。

 しかし、そんな都合よく観てもいない映画を思い出せるものでもなく。

 本当にどうしよう……。

 もうすぐケーキも食べ終わってしまう。

 管理人さんはとっくに食べ終わってるし。

 ヤバい。ヤバい。ヤバい。

 またテンパってきた。

 いよいよケーキも食べ終わる。

「狩野さん」

「!」

 早速管理人さんが声をかけてきた。

 待って待って早いそんな早い。

 まだ何にも頭の中で纏まってないから!

「狩野さん、よければすぐ出ましょうか」

「え、あ、はい?」

 管理人さんが携帯電話を見ながらそう言うので、私は反射的に頷いた。

 すぐにお会計を済ませ、ふたりで喫茶店を出る。

 このまま帰るのだろうか?

 だとしたら助かるけど……。

「あ、時間が……」

「?」

「狩野さん、スミマセン」

 管理人さんにいきなり手を引かれる。

「え?」

「ちょっと急ぎましょう」

「え? え?」

 何?

 急に管理人さんどうしたの?

 とりあえず私に分かるのは、バス停とは逆方向に進んでいることだけ。

 あれ?

 これエロ同人(脳内)の四冊目で見た気がする。

 もしかしてこのまま強引に!?

 え?

 ウソ?

 突然すぎて頭がついていかないんですけど!?

 あわわわわ。

 頭の中はもうパニック状態。

 走ってるのに若干目がぐるぐる回ってる。

 自分がどこ走ってるんだか歩いてるんだか、何の建物に入ったのかも分からなくなってる。

 ていうか、建物入っちゃった。

 もうエレベーターに乗ってるし。

「……」

「……」

 エレベーターの中には私と管理人さんしかいない。

 妙に静かで、少し走った私たちの息遣いばかり聞こえる。

 あと心臓の音も。

 凄いドクンドクン鳴ってる。

 走った所為?

 それとも緊張の所為?

 いや、そうじゃなくて。

 もしこのエレベーターが妄想通りホテルのエレベーターだったら?

 私このあとどうするつもりなの?

 逃げる?

 拒む?

 流される?

 分かんない。

 頭がぐるぐる働かない。

 その時、ポーン、とエレベーターが目的の階に着いた。

 自動扉が開く。

「さあ、狩野さん」

「……!」

 私は管理人さんに手を引かれてエレベーターを一歩出て。

「あ、あの私やっぱり……!」

 と、言いかけて。

「……あれ?」

 ここが元の映画館だと気づいた。

「どうしました?」

「あ、いえ、え?」

「っと、急がないと」

 管理人さんはまた私の手を引き、映画館の受付まで小走りに向かう。

「スミマセン。次の『ゴクドウちゃん』の映画って、まだ席あいてますか?」

「少々お待ちください」

 管理人さんに訊かれて、受付のスタッフさんが空席を確認し始める。

 その間に管理人さんは財布を取り出す。

 財布の中からは、例のペアチケットがもう一枚出てきた。

「管理人さん、それは?」

「ああ、実は何枚か貰ってまして」

 私の質問に、管理人さんが笑って小さく頷く。

「次の席があいてれば、夕飯までにはどうにか間に合います」

 映画は一時間で、次の上映は四時半から。

 確かにそれなら間に合う。

 喫茶店から管理人さんが急いでいたのはこのためらしい。

「二連続で観るのは疲れるかもしれませんが……その」

「?」

 管理人さんは何か言いづらそうに頬を掻いている。

「さっき映画を観ていた時の狩野さんは……えっと、何かされていて、あまり映画に集中できていらっしゃらなかったので……」

「……え?」

 確かにさっきの映画中、私は妄想に忙しくて全然集中できてなかった。

 でも、それは頭の中の話だ。

 多少表情に出ていたとしても、薄暗い映画館では分からないはず。

 ……

 ……

 えっと、つまり……。

 管理人さんがエスパーでもない限り……多少どころではないレベルで、私はあのエロ同人みたいな妄想をダダ漏らしていたということ!?

 変な奇声を上げてたとか。

 いきなり悶絶し始めたとか。

 あるいは妄想をそのまま口から垂れ流していたとか。

 そんな感じでやらかしてしまった……!?

「えっ!? あの!? その!?」

 私は狼狽して意味もなく手をわたわたと振ってしまう。

「お客様」

 その時、スタッフさんが私たちに声をかけてくる。

「空席ですが、ちょうど二席並んであいている箇所がひとつございます」

「ありがとうございます」

 管理人さんはスタッフさんにお礼を言い、また私に向き直る。

「まあその、さっきはちゃんと映画観れなかったと思いますし、もしよければもう一度一緒に観ませんか?」

「……!」

「もし疲れているようでしたら、チケットはまた差し上げますので後日来られても」

「あ、その……」

 私は返答に困る。

「管理人さんこそ疲れてませんか? それに私の所為で二度もつき合わせるのも……」

 元はと言えば悪いのは全部私だ。

 これ以上迷惑をかけるのはさすがに躊躇われる。

 しかし、管理人さんは遠慮する私に向かってやさしく微笑んだ。

「いい映画は何回観てもいいものですよ」

「……!」

「それにせっかくなら、帰ったあとにでも狩野さんと『ゴクドウちゃん』のこと話したいですし」

「…………!」

 その管理人さんの微笑みに。

 一瞬、さっきとは違う意味でドキリとした。

「あ……じゃ、じゃあ、その……お願いします」

「はい」

 管理人さんは頷いて、スタッフさんに空席の番号を尋ねる。

 その横顔を、私はボーッと眺めていた。

 …………ヤバい。

 せっかくもう一度『ゴクドウちゃん』を観られるのに。

 今度はさっきと違う理由で集中できそうになかった。

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