陽ノ目荘

「着いたよ。あれが陽ノ目ひのめそうだ」

 僕はバス停を降りてすぐ目の前の木造の建物を指差す。

 女子寮・陽ノ目荘。

 築30年。木造二階建て。屋上あり。

 風呂・キッチン・洗濯機共用。

 駅からバスで12分。徒歩で30分。

 周囲は田んぼとまばらな民家。

 裏手には小さな森がある。

 最寄りのコンビニまで徒歩5分。スーパー12分。

 今日から僕らの住む場所だ。

「古っ」

 セイラが見た率直な感想を呟く。

「まあ、住めば都だよ」

「……」

 しらーっとした顔をされた。

「ここが今日から私とお父さんが暮らす愛の巣なんですね」

 一方、キララはウットリとしている。

 真逆の反応に僕は苦笑い。

「じゃあ、ちょっと引っ越し屋さんに連絡してくるよ」

「はい」

「キララとセイラは先に部屋の中でも見てきなさい」

 僕がそう言うと、セイラが「何号室?」と尋ねてくる。

「一階の管理人室だよ」

「え?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

 驚いた顔の娘に、僕は答える。

「僕は今日から、ここの管理人になるんだよ」

 管理人をやる代わりに家賃タダ。

 その条件でここを紹介してもらったのだ。

「えー、それって私も何かしなきゃなの?」

「いやいや、管理人は僕の仕事だから。セイラたちは何もしなくていいよ」

「ふーん」

 セイラは興味なさげに頷く。

「私は何でも手伝いますから、いつでも仰ってくださいね」

「ありがとう。キララも部屋を見てきていいよ」

「はい」

「……」

 僕がキララを褒めると、セイラは少しおもしろくなさそうな顔をする。

 それからふたりとも陽ノ目荘に入っていき、僕は引っ越し業者に連絡するため携帯電話を取り出した。


「……はい、はい。じゃあお願いします」

 引っ越し業者との連絡を終え、電話を切る。

 業者はもうすでに近くに来ているらしく、あと二十分くらいで来られるようだ。

 さて、電話も終わったし僕も中に。

 と思った時だった。

「キャアアー!」

 突然の悲鳴。

 セイラの声だ。

「な、何だ!?」

 僕は慌てて陽ノ目荘の共用玄関へ向かう。

「セイラ! どうした!?」

「パ、パパ。何か変な人が……」

 駆け込んできた僕に、セイラが震える声で言う。

 まさかの変質者か!?

 僕は娘の指差す方へ視線をやる。

 そこには……確かに変な人がいた。

「ウ……オェ……」

 寮の二階へ上がる階段の途中で、人が倒れている。

 しかも半裸で酒瓶を抱えて。

「……」

 終電間際の駅の階段で寝ている酔っ払いみたいだ。

 というか、こんな真っ昼間から酒って……。

 僕は呆れつつ、靴を脱いでスリッパに履き替える。

「ちょっ、パパ、それ変態だよ。近づいちゃダメだって!」

「いや、けど放っておくのもマズいだろ」

 セイラに制止されつつも、僕はその酔った人のいる階段に近づく。

 いちおう、これでも今日からここの管理人なのだ。

 相手がこの寮の住人なら、ちゃんと世話を焼くべきだろう。

「あの、大丈夫ですか?」

「……ウ?」

 酔っ払いが声に反応して少し顔を上げる。

「……!」

 驚いたことに、その酔っ払いは大層な美人だった。

 ただし半裸。

 赤いブラを盛り上げる胸のサイズが半端ない。

 胸の谷間に挟まった酒瓶の飲み口がヒドく卑猥。

 泥酔した女性を見たことがないわけではないが。

 これは正直目の毒だ。

 彼女が同じ醜態を外で晒したら確実に事件に巻き込まれる。

 そう考えたら、まだ酔い潰れたのが寮内でよかったと言うべきか。

「あえ、、、あんりゃ誰~?」

 焦点の合わない目で女性が僕を見上げる。

「僕はここの新しい管理人です。お水はいりますか?」

「あにぃ~管理人~?」

 女性は急にクワッと目を見開く。

「そんにゃの聞いてないぞー!」

「うわっ!」

 何事かと思う間もなく、女性は僕に飛びかかってくる。

 僕はバランスを崩し、ふたりして階段を転がり落ちた。

 たいした高さじゃなくて助かった。

「イタタ、大丈夫ですか?」

 僕は自分にのしかかっている女性に呼びかける。

「つ~か~ま~え~た~」

 女性はゆらりと上半身を起こし、僕に馬乗りになる。

 もちろん彼女はさっきからずっと半裸のままである。

「あえ? このあとどーすんだっけ?」

「いいからまず服を着てください!」

 僕は大声で叫ぶが、女性は首を左右に傾げるばかりだ。

 首の角度を変える度に胸が揺れる。

 生憎と全然嬉しくない。

 むしろ冷や汗ダラダラだ。

 こんな場面、ほかの住人に見られたらマズい。

 管理人初日にして逮捕案件である。

 社会人にとってラッキースケベは死神の鎌と同じだ。

「おねーちゃん! パパが痴女ちじょに襲われてる!」

 その時、セイラが大声でキララを呼ぶ。

 初対面の人を痴女呼ばわりはどうかと思うがファインプレイだ。

 僕がどうこうするより、娘たちに何とかしてもらった方がややこしくならなくて済む。

 だがそんな目論見を潰すかのように酔っ払いが呟く。

「そっかー、こんな時は尋問だよね~」

「尋問!?」

「おらー、吐けー。エロマンガみたいなことするぞ~」

「っちょっちょちょっと! 脱がないで脱がないで!」

「うるへー、レヒプ目になるまでファッキュしてやりゃうー」

 何なのこの人!?

 酔ってるとはいえ行動がメチャクチャすぎる。

 ブラのホックをはずす女性に対し、もはや恐怖しか湧かない。

 と、その時。


「ドリャー!」


 キララの放った跳び蹴りが、酔っ払いの女性を吹っ飛ばした。

「にゃわー!」

 彼女はゴロゴロと転がって床にブッ倒れる。

 一方、キララはそんな相手には目もくれず、僕へと縋りつき。

「お父さん大丈夫ですか!? 童貞どうてい奪われてませんか!?」

「心配してくれてありがとう。でも娘が父親にする心配じゃないね」

「お父さんのはじめては私になる予定ですから、お父さんはまだ清い体なんです」

 たまに娘が意味不明で怖い。

「って、キララちょっとやりすぎだよ」

 僕は急いで倒れた女性の方へ近づく。

「う~ん」

「大丈夫ですか?」

「あー……うん、大丈夫」

 どうやら頭を打って記憶が飛んでいるようだ。

 だが酔いは醒めて多少意識はハッキリしてきたらしい。

「頭痛い……何で?」

「飲み過ぎです」

「そうかも」

「そうです」

 娘の跳び蹴りはなかったことにした。

 これも今後の管理業をやりやすくするための方便だ。

「……でー、あなた誰?」

「この寮の管理人です。今日越してきました」

「あ、そうなの……あたしは201号室の二ノ木にのぎつづら

「管理人の夏目なつめ此葉このはです。あっちは娘のキララとセイラ」

「はーい。よろしくー」

 二ノ木さんは僕の肩越しに娘ふたりに手を振る。

「……」

「……」

 一方、娘たちは先程の彼女の醜態のせいか、やや冷たい目だ。

 いちおうキララだけは会釈を返した。

 セイラはジト目。

 まあ、さっきの二ノ木さんはちょっと擁護できないくらいヒドかったからなあ。

「えーと、とりあえず部屋まで送ります。そしたら着替えて」

「……うっぷ」

 二ノ木さんに肩を貸そうとした時、彼女が口許を押さえる。

 ああ、嫌な予感。

 そう思ったのも束の間。


「おえーーーーーーーー」


 こうして僕の引っ越しの思い出一号は、吐瀉物まみれシャツになった。




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