引っ越しパーティー

 夕方。

 引っ越し荷物の搬入と家具の配置を終えた僕ら一家は、陽ノ目ひのめそうの人々に引っ越し祝いを兼ねた歓迎会を開いてもらっていた。

「そいじゃっまずはカンパーイ!」

 乾杯の音頭おんどを取っているのは、さっき僕にゲ〇をぶっかけた女性だ。

「いやー、さっきは悪かったね管理人さん」

「いえいえ」

 ゲ〇シャツは洗濯機に突っ込んである。

 まあ、犬に噛まれたと思って忘れるが吉だろう。

「ングング、プハーッ!」

 彼女はジョッキのビールを一気に飲み干す。

 続けて二杯目。

「プハーッ!」

 これもあっという間に飲み干す。

 見事な呑兵衛のんべえっぷりだ。

 しかも笑い上戸じょうごらしく、すでにかなり上機嫌になっている。

「じゃあとりあえず自己紹介しましょーか!」

 三杯目を注いでから、彼女はようやくそんな提案をした。

 彼女はジョッキに口をつけつつ、僕に手の平を向ける。

「まずは管理人さんからどうぞー」

「あっ、はい」

 まあ何にせよ仕切ってくれるのは有難い。

 指名された僕は立ち上がり、軽く会釈する。

夏目なつめ此葉このはです。すでにご存じの方もいるかと思いますが、今日からここの管理人になりました。娘ともどもよろしくお願いします」

「夏目キララです。よろしくお願いします」

「セイラでーす。よろしくどうもー」

 娘たちも頭を下げ、小さな拍手が起こる。

「それじゃ次はあたし! 改めまして、二ノ木にのぎつづらでっす! 201号室、Fカップ! 職業は~~~忘れました!」

 そう言って笑いながら四杯目をあおる二ノ木さん。

 なぜ自己紹介で胸のサイズを……いや、酔ってるだけか。

 しかし……Fか。

 確かに、あの膨らみはそのくらいのサイズが。

「コホンッ」

「!」

 キララの咳払いで我に返る。

 危ない危ない、つい視線が。

「えーと、それじゃあ次は……」

 僕は二ノ木さんから目を離し、その隣に座る女性を見やる。

「……!」

 彼女は僕の視線に気づくと、慌てて俯いて前髪で目を隠した。

「……狩野かりや紫凜しりん。101号室。大学生……です」

 狩野さんは顔を上げないまま自己紹介して、チビチビと日本酒を飲む。

 それ以上言うことはないようだ。

 だいぶ物静かな印象の女性だ。

 単に二ノ木さんが騒がしすぎるだけかもしれないが。

 まあ、101号室は管理人室の隣だし、徐々に打ち解けていくとしよう。

「順番的に、次は私ですね」

 そう言ったのは、娘と同い年くらいの少女だった。

 彼女は静かに立ち上がり、胸に手を添えてやさしく微笑む。

「私は102号室の佐々崎ささのさきさきと申します。今年で中学生になります。どうぞ、よろしくお願い致します」

 サキさんは丁寧にお辞儀し、着席する。

 とても礼儀正しい性格のようだ。

 ご両親の教育の成果だろうか。

 ……ん?

 そういえば。

「サキさんのご両親はまだ帰ってきていないんですか?」

「いえ、私はひとり暮らしですので」

「えっ、中学生でですか?」

「はい」

 サキさんは何でもないように頷く。

 これには僕だけでなく、娘たちも驚いていた。

 今年で、ということは、彼女も中学一年生のはずだ。

 その歳でひとり暮らし?

 謎だ。

 ともあれ。

 二ノ木葛。

 狩野紫凜。

 佐々崎咲。

 この三人が、今の陽ノ目荘の住人たちだ。



 自己紹介は終わったが、そのあとも歓迎会は続く。

 狩野さんは早めに食べ終えて部屋に戻ってしまったが、僕は二ノ木さんにつき合って何本かビールを空けていた。

「ほらほら、管理人さんも飲んで飲んで」

「あ、どうも」

「にしても管理人さん若いわねー。あたしと同い年くらい?」

「いえいえ、もうすぐ三十路みそじですよ」

「へぇー、じゃあ4、5歳上? 見えなーい」

「あはは、ありがとうございます」

「とにかく飲み仲間ができて嬉しいわー。シリンはあんまり飲めないし」

 二ノ木さんは上機嫌にビールをあおる。

 僕も弱いわけではないが、彼女のペースはメチャクチャ早い。

 娘もいる手前、釣られて飲み過ぎには注意しなければ。

 まあ、それはそれとして初日から住人と打ち解けられたのはよかった。

 それに子供組も案外話が合うようで、僕らの横でずっとお喋りを続けていた。

「そういえばサキさん、中学校はどこなんですか?」

桜舞おうぶ中学です」

「えっ、私たちもそこだよ」

「あら? キララさんとセイラさんは何年生なんですか?」

「同じ一年生ですね」

「そうなんですか。おふたりとも大人びているので先輩かと思いました」

「そう? 私とお姉ちゃんどっちが大人っぽい?」

「うーん、キララさんは落ち着いていて、セイラさんはお洒落で、どちらも大人っぽいです」

「アリガト。ねぇ、呼び捨てで呼んでもいい?」

「構いませんよ」

「ところで中学生のひとり暮らしなんて凄いですね」

「そんなたいしたものではありません。好きにさせてもらっているだけです」

「サキもさー、お化粧してみたら? 素材いいし、私教えるよ?」

「お化粧ですか? あまり考えたことはありませんね」

「セイラ、無理に勧めるのはダメよ」

「えー、いーじゃん」

「そういえば入学式は明後日あさってですね」

「同じクラスになれたらいいですね」

「私はお姉ちゃんとは離れたいんだけど」

「双子はクラスを分ける決まりがあると聞いたことがありますけど?」

「それ、特にルールがあるわけじゃないみたいですよ」

「そうなんですか。なら、三人一緒になれるといいですね」

 娘たちとサキさんの会話は続く。

 女の子って本当にコロコロ話題が変わるなぁ。

 まあ、ふたりに友達ができたみたいでよかった。

 引っ越しをする上で、そこがやっぱり不安だったから……。

「そーいえばー管理人さんの奥さんっていないの?」

 その時、酔っ払った二ノ木さんが不意に尋ねてきた。

「えーと……まあ、その」

 僕は明言を避け、曖昧あいまいにお茶を濁す。

 こうすると、まあ大体の人はそれ以上の追及を避けてくれるのだ。

 二ノ木さんも「あー……」と呻いて、軽ーく天井を仰ぐ。

 かと思ったら、突然グイッと僕を抱き寄せてきた。

「わぷっ!」

 Fの谷間に鼻が埋まる。

 汗ばんだ人肌の匂いが鼻腔びこうをくすぐった。

 あとかすかにインクの匂い。

 なぜインク?

 二ノ木さんの職業に関係あるのだろうか?

 だが今はそんなことどうでもいい。

 何でこの人は酔うと逆セクハラしてくるんだ!?

 僕がもう少し若ければ喜んだかもしれないが、この歳になるとその先のトラブルを想像して恐怖を感じてしまう。

 ビビる僕のことなんか構わず、二ノ木さんはさらにギュッと腕に力を込めて。

「泣け! あたしの胸で泣いていいよコノハっち! そんで飲もう! 今日は朝までつき合うよ!」

「いやっ、あのっ!」

 あわてて引きがそうとするが二ノ木さんが離してくれない。

 言動げんどうからしてなぐさめようとしてくれているのは分かるけれど。

 こんな場面を見たら、娘たちが怒り出してしまう。

「ちょっとツヅラさん!? お父さんに何してるんですか!」

「このセクハラ女!」

 やっぱり怒った。

 怒声どせいとともにガタンッと椅子の倒れる音がする。

 そこからはもうギャいのギャいののドタバタ騒ぎ。

 そんなこんなで僕らの陽ノ目荘引っ越し初日の夜はけていったのだった。

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