温泉宿にて

 ナガレに拉致らちられて地酒祭りにやってきた僕は、なんやかんやあって陽ノ目ひのめそうの人たちと一緒に宿に一泊することとなった。

 急な宿泊だったが、まあ明日は土曜日だし、皆さんも大丈夫とのことだったので、ナガレの提案に乗っかることにした。

「とりあえず三部屋取ったけど、部屋割どうする? 男女で分けて、女性陣は中学生組と大人組で分けるか?」

「僕んとこは家族で一部屋でもいいけど」

「それじゃ俺がひとり部屋になっちまうじゃねーか」

「寂しいのか?」

「寂しいに決まってじゃねーか」

「それじゃ最初にナガレが言ったやつでいいよ」

「よし決定!」

 と、部屋割も決まったところで、コンビニに行っていたキララたちが戻ってきた。

「お帰り。何買ってきたんだい?」

「はい。お菓子とトランプと、あと下着が」

「お姉ちゃん! 全部言わなくていいから! あとパパもデリカシーないから女の子にそういうこと聞かないで!」

「ご、ごめん。かかったお金払おうと思って」

「そうよ、セイラ。お父さんに悪気はなかったんだから」

「えぇー……私が悪いの?」

「いや、今のはお父さんが悪かったから」

 僕はセイラに謝り、とりあえず使った分のお金と泊まる部屋の鍵を渡す。

「それじゃ部屋も取ったし、適当に荷物預けたらふたりも温泉入ってきたらどうだい?」

「はい。ところで」

「何?」

「ここって混浴はありますか?」

「……ないけど、何で?」

「ないんですか。残念です。お父さんと一緒に入りたかったのですが」

「あったとしても入りません」

「そんな……」

 キララはガーンといった顔で眉尻を下げる。

「……あっ! それじゃあ普通にお父さんと男湯に入れば」

「余計にダメです!」

「何でですか? だって去年までは……」

「もう中学生なんだからやめなさい!」

「むぅ~~~!」

「そんな顔してもダメです」

 小学生の頃ならいざ知らず、中学生ならその辺り分別を弁えるべきだ。

 というか、キララは発育が中学生離れしているから、そういう意味でも男湯になんか入れられない。

「もうお姉ちゃん! 変なこと言ってないで温泉行くよ」

「でも~」

「来ないとサキと先に入っちゃうから」

「あっ! セイラ待って!」

 駄々をこねていたキララだったが、セイラたちに置いて行かれそうになって、慌ててそのあとを追いかけていった。

「ふぅ……」

「……」

「……あ!」

 キララが諦めてくれたに安心した僕は、そこでようやく狩野さんが傍で所在なさげに立っていたことに気がついた。

「えっと、狩野かりやさん」

「……あっ! えっ、はい!? な、何でしょうか?」

「あ、いや、今日はウチの娘がご無理を言ったみたいで、どうもスミマセン」

 キララたちはここまで来るために、狩野さんに保護者役を頼んだと言っていた。

 中学生だけで来なかったのはいいことだが、彼女からすれば急なことで迷惑な話だっただろう。なので、謝った。

「そ、そんな謝らないでください」

 狩野さんは慌てたように両手を振る。

「セイラちゃんたちだけじゃ危ないですし、それに管理人さんには普段からお世話になってますから、これくらいは」

「いえ、ホント、助かりました。娘は、特にキララは時々無茶をやらかすので」

「ああー……」

 狩野さんは曖昧あいまいうなずく。

 少し、間。

「狩野さんは温泉入られないんですか?」

「あ、その……人に肌を見せるの苦手で」

「なるほど」

 となると、余計に悪いことをしてしまったと思う。

 せっかくの温泉宿なのに……。

 娘の件で迷惑をかけてしまったし、彼女が退屈そうにしているなら、僕が何とかして楽しませないといけない。

「あの、よかったらその辺を少し散歩してみませんか? 僕もこの辺りは歩いたことないですし」

「……!」

 僕の提案に、狩野さんは驚いたように目を丸くした。

「あ、部屋でゆっくりしたいようでしたらご無理には……」

「いえ! 大丈夫です!」

「そうですか?」

 思ったより反応がよかった。

 そのことに安堵しつつ、僕は軽く頷く。

「じゃあちょっと行きましょうか」

「は、はい!」

 そうして僕らは温泉宿を一旦出て、周辺の散策へと繰り出した。

 まあ、と言っても宿はそこまで駅から遠く離れているわけでもない。

 よって、川沿いの道を駅方面へそれとなく歩いていく。

 駅前に出たら、土産物屋でも見て回る腹積もりだ。

 途中、渓流けいりゅう下りができる場所もあったが、並ぶ必要があったので川を下る舟を眺めるだけに留めた。

「カヌーみたいなスポーツとは違いますけど、あれも気持ちよさそうですね」

「管理人さんはああいうアウトドアな趣味ってあるんですか?」

「僕ですか? いえ、生憎あいにくとインドア派で」

「私もです。昔から運動は苦手だったので」

「僕は苦手ってほどじゃなかったんですが、読書やアニメの方が好きでしたね」

「そういえば、管理人さんってゲームはやらないんですか?」

「ゲームですか?」

「あっ、最近セイラちゃんとよくゲームするんですけど、ウチにはゲーム機がないって言ってたので」

「ああ、確かにそうですね。僕自身は昔やってた覚えがあるんですが、働き始めてからは自然と離れてしまったというか」

「それは、時間がなくてってことですか?」

「たぶんそうですね。娘も特に欲しがりませんでしたし、何かねだられてたら僕も一緒にやったと思うんですが」

 けれど、狩野さんの話ではセイラは彼女の部屋で、たまにゲームをしているらしい。

 もしかして家計的な事情をおもんばかって、娘たちはそういうのを欲しがらなかったのだろうか?

 これは帰ったら要検討だな。

「あ、あの!」

 僕が今の最新ハードの値段はいくらだったかと思い出していると、狩野さんが少し頬を赤くして話しかけてきた。

「あの……もし、管理人さんもよければ、私たちと一緒にゲームしませんか?」

「えっと、それは、狩野さんのお部屋で?」

「! あ、えっと、管理人さんのお部屋でもいいですし! ゲーム機は持っていきますから、パーティーゲームならキララちゃんも入れて4人でもできて、あの……!」

 狩野さんはもっと何か言いたそうにしていたが、上手くまとまらなかったのか口をモゴモゴさせていた。

「ありがとうございます」

 彼女なりに何か気を遣ってくれたのは伝わったので、僕はまず微笑んでお礼を言う。

「ぜひ今度やらせてください。僕もやっていたのは大体パーティーゲームだったので、久しぶりにやりたいです」

「……! は、はい!」

「でも、場所はどちらの部屋にしましょうか? 管理人室に持ってきてもらうには配線とかいろいろ……ケーブルとかはずす手間を考えたら、僕らがお邪魔した方がかえって楽ですかね?」

「あ、えっと……! それはちゃんと考えておきます!」

「ありがとうございます」

 もう一度お礼を言って、僕は軽く頭を下げた。

 それから僕らはまた何とはなしに駅に向かって歩き出した。

「で、今期のゴクドウちゃんの……」

「そういえばあれは……」

 ……それにしても。

 セイラとゲームをしてくれるのもそうだが、シリンさんにもよくお世話になっているなぁ。

 管理人的にお世話するのはむしろ僕の仕事なのだが。

 ふむ……。

 そんなことを考えていると、気がつけば駅前に着いていた。

 当初の予定通り、ふたりで土産物屋みやげものやを適当に見て回る。

 と。

「狩野さん」

「はい?」

 僕はとある物をこっそりと買ってきて、それを狩野さんに手渡した。

「これは?」

「そこで売ってた髪留めです」

「髪留め?」

「狩野さんは前髪を伸ばされているようなので。ゲームをする時にでも使っていただければ」

「え、でもそんな、いただくなんて悪いですよ」

「いつもセイラと遊んでくださってるお礼です」

 遠慮する狩野さんに僕はどうか受け取ってくださいと告げる。

 なんとか誠意が伝わったのか、彼女は髪留めの入った小袋を受け取ってくれた。

「あ、ありがとうございます」

 そう言った狩野さんの耳はちょっと赤かった。

 あまりこういうことに慣れていないのかもしれない。

 もしかして、お礼のつもりだったが余計なプレッシャーを与えてやいやしないかと、少し焦る。

「もし使ってみて合わないようでしたら気にせず仰ってください。その時はまた何か別の物を」

「い、いえ! 大事にします!」

「……そうですか。ありがとうございます」

 狩野さんに余計な気を遣わせないようにいろいろと言ったが、思ったより気に入ってくれていたようだ。

 それならそれでもちろんよかった。

 そこでふと僕はお店の壁時計を見やる。

「もう五時ですね。そろそろ宿に戻りましょうか」

「はい。分かりました」

 狩野さんは頷いて、髪留めの入った小袋を大事そうにポケットにしまった。

「あの、管理人さんって……」

「何でしょうか?」

「……い、いえ! 何でもないです!」

「?」



 そのあと宿に戻って皆で夕食を食べた。

 ナガレと二ノ木にのぎさんはまたお酒をみすぎ、彼らを部屋に放り込んだあと、僕はキララたちとトランプをしてまったりと時間を過ごした。

 やがて夜も遅くなり、キララたちにもう寝るように伝えて部屋に戻ったところで、ふともう一回温泉に入りたくなってしまった。

「ナガレ。僕もう一度温泉に行くけど、お前は?」

「あー……頭痛いから俺はいいや」

「そうか」

 僕はナガレを置いて部屋を出る。

 と、温泉のある一階まで降りたところで、見知った顔に出くわした。

「あれ、狩野さん?」

「あっ! 管理人さん……」

 狩野さんは僕を見て驚いたように身を竦ませる。

 彼女はちょうど温泉帰りのようで、部屋備え付けの浴衣を着ていた。

 人がいないと思って油断していたのか、着付けがだいぶゆるい。

 隙間から覗く肌からホコホコと湯気が微かに立ちのぼっているような気さえして、さらにお風呂後特有の人の匂いが鼻腔びこうをくすぐる。

「……!」

 普段の狩野さんがあまりそういうところを見せないからだろうか。

 その匂いと、浴衣から覗く鎖骨に不思議な色気を感じて、ついドキリとしてしまった。

「あ、えっと……温泉入られたんですね」

 昼は人前で肌を見せたくないと言っていたのを思い出し、とりあえず話しかける。

「その、せっかく長月ながつきさんにお金出してもらいましたし……この時間なら人もいないかなと思って……」

「なるほど」

「……」

「……」

 会話終了。

「あ……じゃ、じゃあ僕も温泉入ってきますので」

「あ、はい……」

 僕は狩野さんとぎこちなく別れ、温泉へと向かう。

 脱衣所で着替えてから、人のいない湯船に浸かってひと息つくと、またさっきの出来事が思い出され、顔が熱くなった。

「いかんいかん」

 十歳近くも年下の女の子相手に、何を考えているんだか。

 僕はパシャリと顔を洗い、煩悩ぼんのうを洗い流した。



「ふぅ~」

 温泉から上がって、ついでに湯上がりの牛乳も飲んだあと、僕が部屋に戻ろうとした時。

「……!」

 ふと部屋の前で話すナガレと狩野さんを見かけた。

 先程のこともあり、僕はつい廊下の角に身を隠す。

 すると、ふたりの会話が途切れ途切れにに聞こえてきた。

「……で、管理人さん……」

「あいつは……ない……しい」

 僕の話?

 見た感じ、狩野さんがナガレに質問しているように見える。

 それにナガレはさっきまで頭が痛くて寝ていたのだから、狩野さんの方から部屋を訪ねたと考えるのが自然だろう。

「……」

「…………た」

 ふたりはさらに2、3話していたが、やがて狩野さんが頭を下げて、自分の部屋へと戻っていった。

 一体、何を話していたのだろうか?

「……ふむ」

 まあ、隠すようなことでないなら、ナガレの方から話してくれるだろう。

 そう思った僕は隠れるのをやめて、まだ部屋の前にいたアイツの方へと近づいていった。

「よう、ナガレ。頭痛はもういいのか?」

「ん。まあな」

「起きたんならお前も温泉入ったらどうだ? せっかくだし、もったいないぞ」

「そうだな~」

 適当に会話を挟むが、先程の件をナガレが切り出す様子はない。

 となれば内密の話だろうか?

 だとしたら、僕から訊くのはやめておこう。

 僕は内心でそう決心していると。

「そういやコノハ、例のお見合いどうこうの話だけどな……あれ、俺の方でオヤジのこと止めといてやるよ」

「……ん? 何だ突然? いや、それならそれで助かるけど」

 しかし本当に突然だ。

「けど急にどうした?」

 心変わりというほどでもないが、コイツは困っている僕をおもしろがっているように見えたが。

「まあまあ、いいじゃねぇか別に」

「……」

 いや、表情を見る限り、おもしろがってるのは今も変わらないか?

 だが一体何がおもしろいのだろうか……分からん。

 ナガレの真意が分からず悩む僕に対し、当の本人はやたらニヤニヤして、

「まっ、頑張れよ」

 と、やたら意味深に人の肩を叩いてきた。

「おい、それどういう」

「さーて、俺も風呂行ってくるから。コノハは先に寝てていいぞ」

 僕が問い詰める前に、ナガレはさっさと話を流してしまった。

「……?」

 見合いさせられるだの、嫌ならカノジョ作れだの、あれこれ言ってたクセにひと晩で急に話が変わったのはなぜなんだ?

 考えてはみるが、全然分からん。

 ……そういえば、さっき狩野さんはナガレに僕の何を尋ねていたのだろうか?

 それも関係しているのかと考えてみたが、全然さっぱり分からなかった。

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