ブラジャー その2

二ノ木にのぎさん!」

「よっす、こんなところで何してんのー?」

 二ノ木さんは相変わらず陽気な様子で訊いてきた。

 地獄にほとけとはこのことか。

「娘たちの買い物の付き添いです」

「へぇー、いつも一緒に買いに来てるの?」

「いえ、初めてですけど?」

「そうなんだ。ファーストブラにしては遅いね」

「ファー……え? 中一で遅いですか?」

「ブラは年齢じゃなくて体の成長に合わせるものだし」

「な、なるほど」

 言われてみればそうだ。

 そういえば今朝のキララも「胸が揺れて痛い」と言っていたし。

 小学生にブラはまだ早い、と思っていたのは僕の偏見だった。

 帰ったら反省しよう。

「ところで、二ノ木さんも買い物ですか?」

「うん。資料買いに」

「資料?」

「そうそう漫画の資料」

「……」

 彼女はエロマンガ家。

 つまりそれ用の資料ということだ。

 ……うんまあ、資料は大事だし。

「あっ、よかったら娘さんが買った下着、あたしにも見せてくれない? 最近の中学生がどんな下着選ぶのか気になる」

「この流れでうなずくのは物凄く抵抗があるんですが……」

「えー」

 さすがに娘のをモデルにされるのは父親として抵抗がある。

 と、僕らがそんなやり取りをしていると。

「すみません。お客様」

「はい?」

 声をかけられて振り返ると、先程の女性店員さんが困った顔をしていた。

「何でしょうか?」

「その、実は……」

 店員さんは言いにくそうに眉根を寄せて、

「娘さんが……」

「娘が何か?」

「試着した下着をお父さんに見ていただいて意見を聞きたいと仰ってまして……」

「あー……」

 僕は思わず頭を抱えそうになる。

 男が試着室に入るのはさすがに……。

「えっと……とりあえず、自分で選びなさいと伝えてもらえますか?」

「かしこまりました」

 女性店員さんは頷いて一度試着室の方へ戻っていく。

 しかし、再び僕の許へやってきて。

「お父さんにどうしても見て欲しい、と」

「……」

「あと、変な下着を買ってしまったら、毎朝お父さんに見せるのが恥ずかしい、とも」

 キララー!?

 何で毎朝見せること前提なのかな!?

 おかげで店員さんの目が「親、子……?」みたいになってるよ!

「……すみません。行きます」

 これ以上変な誤解が広まっても困るので、僕は渋々しぶしぶ試着室へ向かうことにした。

 だが試着室に入る直前で再び立ち止まる。

 だってもう「え? あの人何やってるの?」って視線がスゴい。

 そりゃそうだろって自分でもそう思う。

「あの……こういうところに男が入ってもいいんですか?」

「本当はダメなんですけど、今は娘さんひとりですし、特別ということで」

「あ、そうですか……」

 気を利かせてくれたのだろうけど、正直ツラい。

 僕は観念して試着室の中に入った。

 試着室の中にはカーテンで区切られた場所が全部で六つあった。

 今はその内のひとつだけ閉じている。

「そちらのカーテンです」

「はい。どうも」

 僕は閉じたカーテンの前に向かう。

「えーと、キ、キララ?」

「はい!」

 カーテンの向こうから元気な声が聞こえる。

「すみません。わざわざ来ていただいて」

「あー、その、いや」

 何と言うべきか迷って、結局僕は言葉を呑み込んだ。

 まあ、怒るようなことじゃないし。

 ちょっと後ろの店員さんの視線が気まずいだけで。

「えっと、それで僕の意見が聞きたいんだっけ?」

「はい。どうぞ入ってください」

「いやいやいや」

 さすがにそれは。

「ではカーテンを開けますので……」

「ストップ!」

「?」

「~~~」

 僕は背中に店員さんの視線を感じながら、試着室のカーテンに頭だけ突っ込んだ。

 中には当然、キララがいた。

「どうですか、お父さん?」

 キララがつけていたのはフリルたっぷりの、非常に女の子ちっくでありながら、少し大人っぽさも感じるデザインの物だった。

 というか、なんだ……。

 誤解を恐れずに言うと――我が娘ながら、これはエロい。

 本当にこれで今年の三月までランドセルを背負っていたのかと。

 元々大人びていたが、これはちょっとマズいのでは?

 なにしろ娘の通う中学校は共学だ。

 こんな下着をつけた娘が同じ教室にいたら確実に男子生徒の成績が下がると思う。

「お父さん?」

「!」

 マジメに悩んでいた僕の顔を、キララが上目遣うわめづかいにのぞき込んでいた。

 見下ろした必然で、下着姿の娘の谷間が目に入る。

 谷間?

 え!?

 谷間!?

 下着の「寄せて上げる」補正があるとはいえ、こんなに!?

 娘の成長具合に思わず慄く。

 さらにほのかに香る女の子特有の香り。

 うん。

 これやっぱりアウト。

 中学生が出していい色気じゃないやこれ。

「うん。似合ってると思うけど、お父さんはもっと大人しいデザインの方が好きだな」

「えっ!? じゃあ、こっちの水玉のとかどうですか!?」

「ウンウン。そういうのがいいと思うよ」

 それはちょっと子供っぽいデザインだったが、キララにはそれくらいでバランスが取れてると思う。

「これにします!」

 キララはウキウキとした声音で頷いた。

 それから改めて店員さんにサイズを測ってもらうことになって、僕は試着室をあとにした。

「管理人さん、なんかゲッソリしてない?」

「ハハハ……」

 待ってくれていた二ノ木さんに小首をかしげられ、僕は愛想笑いを浮べるくらいしかできなかった。

「ねぇねぇ、ところでさ」

「?」

「あっちにいるのってセイラちゃんよね?」

 二ノ木さんがお店の反対側を小さく指差す。

 確かに、そこには見覚えのある髪色の後頭部がちょっとだけ見えていた。

 あれ? でもさっきその辺見てくるって……?

 いつの間に戻ってきたんだろう?

「セイラ?」

「!?」

 僕が近寄って声をかけると、セイラはビックリしたように振り返った。

 その手に持っているのは……ブラジャー?

「セイラもブラジャー欲しいのかい?」

「べっ、別に、これは違うし!」

 セイラは慌ててブラジャーをハンガーラックに戻す。

「私にはまだ必要ないし、ホントただなんとなく見てただけで」

「んーそんなことないんじゃないかにゃー?」

「へ?」

 いつの間にか二ノ木さんがセイラの背後に回り込んでいた。

 そして、唐突に後ろから胸を鷲掴わしづかみにした。

「キャアア何なにナニ!? 離して、離してってば!」

「ふむふむ」

 悲鳴を上げるセイラの声など意にかいさず、冷静に胸を揉む二ノ木さん。

 いやホントなにしてるのこの人!?

「あ、あの二ノ木さん!?」

「うんうん、これはいいチッパイですな」

「誰がチッパイよ!」

「アハハ、ごめんごめん」

 セイラにバシバシ叩かれて、二ノ木さんはようやく手を離す。

「パパ! この人やっぱり痴女ちじょだよ、早く寮から追い出して!」

「まあまあ落ち着きなよセイラちゃん」

「アンタが言うな!」

 僕の背中に隠れてガルルルと威嚇いかくするセイラ。

 まあ突然胸を揉まれたら誰だって……。

「セイラちゃんの胸、ちょっと膨らんでるじゃない」

「え?」

 驚きの声を上げたのは僕だった。

「……っ」

 娘の顔はトマトみたいに真っ赤になる。

 どうやら事実のようだ。

「まあ、まだまだミニサイズだけど全体的に膨らみ始めてるし、セイラちゃんもブラつけていい頃合いなんじゃない?」

 さっきの二ノ木さんはそれを確かめていたらしい。

 いや、それはひとまずいいとして。

「セイラ、何で言わなかったんだい?」

 セイラにも必要ならブラジャーを買ってあげないといけない。

「別にいらないし、まだお姉ちゃんより小さいし……」

「大丈夫だってー。セイラちゃんくらいの大きさならもうつけていいって」

「かわいいキャミだって持ってるし、ブラはまだ早いっていうか……」

「キャミもブラも持ってていいじゃん。かわいい物はたくさん持ってて損ないし」

「中一でブラとかしてて変に思われたら嫌だし……」

「早い子は小学生でもうつけてるって。ちゃんとブラしないと将来形が崩れちゃうよ?」

「そうだよセイラ」

 さっき二ノ木さんにファーストブラについて指摘された僕も同意する。

「でも……だって……」

 セイラはうつむいて、ますますほおを赤らめる。

 それからチラッと僕の顔を見て、

「だって……パパに言うの、恥ずかしかったんだもん」

 本当にの鳴くような声で、そう言った。

「……」

 ああ、なるほど。

 確かにそういうことを男親の僕に相談するのは恥ずかしいよなぁ。

 まあ、キララの場合は別として。

 それとももしかして。

 今朝セイラが不機嫌だったのは、自分が相談できないことを姉がアッサリ口にしたことに対して、ついモヤッとしてしまったからなのかもしれない。

 僕はポンポンとセイラの頭を撫でる。

「いいからほら、セイラも店員さんにサイズ測ってもらって、自分のを選んできなさい」

「……うん」

 セイラは小さく頷く。

「お父さん!」

 その時ちょうどキララが試着室から戻ってきた。

「お帰りキララ。決まった?」

「はい。やっぱりこれにしました」

 キララは先程の水玉のブラジャーを掲げ笑顔でそう言った。

 そのブラジャーを見て、セイラは怪訝けげんな目をする。

「それ、お姉ちゃんにはなんか子供っぽくない?」

「そう?」

「微妙」

「むっ!」

 微妙と言われ、キララは頬をぷくーっと膨らませる。

「そんなことないわ。だってお父さんにも直接見て選んでもらったんだから!」

 キララの発言に、今度はセイラが目を丸くする番だ。

「パパに、直接?」

「そうよ。試着室で、直接!」

「へぇー……」

 セイラの冷たい目が僕を下からジッと睨む。

「だからほら、セイラも私とお揃いのがらにした方がお父さんも喜びますよ」

「いい」

 セイラはスパッと姉の提案を断って、自分で選んだブラジャーを持ってとっとと試着室に行ってしまった。

「もうっ、セイラったら。どうせなら姉妹で下着も揃えたかったのに」

「あー……たぶん、恥ずかしかったんじゃないかな?」

「え? どうしてですか?」

 キララは不思議そうに僕にたずねた。

 二ノ木さんは僕らのやり取りをニヤニヤしながら眺めていた。

 結局、その後セイラは僕と一度も口を利いてくれず、フードコートで昼食をとったあと軽くインターパークを見て回ってから帰宅した。

 その日の夜。

「ふぅー」

 共同風呂から戻った僕は、大きく息を吐きながら居間のソファに深く腰を下ろした。

 管理人なので他の住人に気を遣って、僕が入るのはいつも最後だ。

 娘たちは明日学校なのでもう寝ている。

 テレビもつけてないので部屋も静かだ。

 人によっては晩酌ばんしゃくとかするんだろうな。

 僕はあまりひとりで飲まないからボーッとするしかない。

 と。

「パパ」

「セイラ?」

 姉妹部屋のふすまを開け、セイラが静かに居間に入ってきた。

 もうパジャマを着ていて、てっきり寝てるのかと思ったけど。

「眠れないのかい?」

「えっと、ううん」

 セイラは髪を指先でイジッている。

 これは言いにくいことがある時の癖だ。

 こういう時は彼女が自分から言ってくれるまで待った方がいい。

 しばらくして。

「あのさ」

「ん?」

「……」

 そこでふとセイラはパジャマのボタンをはずす。

「セイラ?」

 え? 何してるの?

 娘はそのままボタンを全部はずした。

 それからまた少し躊躇ためらったあと、パジャマの上を脱ぐ。

「……どう?」

「えーと?」

「……似合う?」

 ああ、そういうことか!

 何をする気なのかとちょっと焦った。

「うん。セイラに似合ってるよ」

 お店ではずっと手許てもとで隠して見せてくれなかったので、セイラが買った下着は今日初めて見る。

 彼女が選んだのはピンクのフリルつき。

 最初にキララが選んだブラジャーとデザインがよく似ていた。

 そういうところはやっぱり双子なんだなと思う。

「……お姉ちゃんとどっちが似合う?」

「え? うーん、それは決められないなぁ。ふたりともかわいいから」

「……ん。そう」

 セイラは少し目をらした。

 その横顔はちょっと不満そうで。

「分かった。それだけ。じゃあ、おやすみ」

 セイラは手早くボタンを留め直すと部屋に戻っていった。

「おやすみ」

 何だったんだろう?

 そんなに感想が聞きたかったのかな?

 娘の不思議な行動に首を傾げつつ、僕もそろそろ寝るかと居間に布団を敷き始めた。



 ちなみに翌朝。

「お父さん。昨日店員さんにブラのつけ方を教わったんですが、やり方を忘れてしまいました。寄せて上げるってどうやるんですか?」

「ちょっ、お姉ちゃん着替え中に襖開けないでよ!」

「ふたりとも朝は静かに……」

 朝から騒がしいふたりを僕は注意した。

 するとセイラは怒り狂った目で僕を睨んで。

「パパも見ないでよ!」

「え、えぇー?」

 本当に昨夜のは何だったんだ?

 年頃の娘の気持ちは、やはり奇々怪々ききかいかいである。

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