ブラジャー その1

 引っ越しも入学式も無事終わり、ようやく落ち着いた週末の午後。

 その日の朝食を終え、管理人室に戻ってしばらくった頃だった。

「お父さん、実はお願いがあるのですが」

 キララがふと改まった態度で僕に言った。

「お願い?」

「はい。ちょっと買って欲しいものがあって」

 欲しいものと言われ、ちょっと驚いた。

 キララがおねだりなんて珍しい。

「えー、お姉ちゃんだけズルい。私も買い物行きたい」

 居間でテレビを見つつポテチを食べていたセイラが、僕らの話を聞きつけて私も私も連呼する。

 まあ、そちらは一旦いったん置いておくとして。

「それで、欲しいものって何だい?」

「はい。私も中学生になりましたし……その」

 キララはポッと赤らめたほおに手を添えて、

「私、ブラジャーが欲しいんです」

 と言った。

 その時、隣でバキョッと音がする。

「!?」

 何事かと思って音のした方を振り返る。

「……」

 セイラが無言で真顔になっていた。

 その手からは握り潰したポテチの破片がパラパラとこぼれ落ちている。

 ふたりは双子ふたごだ。

 だが双子だからって体の成長具合まで同じとは限らない。

 しかも彼女たちは思春期。

 そういうところの成長が気になるお年頃だろう。

 ゆえにこの話題はなるだけデリケートに扱う必要がある。

 まあ、キララの話のつづきを聞く以外にできることなんてないのだけれど。

「そ、そっか~。キララにはもうブラジャーが必要な時期か」

「はい。最近、胸が揺れて痛くて」

 バキョッ

 また罪のないポテチがコナゴナに!

 でも今のは「キララには」と言った僕も悪かった!

 それではまるで「セイラには」必要ないみたいではないか。

 セイラから感じるプレッシャーに僕はさらに冷や汗を流す。

 とはいえ、年頃の娘に下着は必要か。

「分かった。それじゃあ今日買いに行こうか」

「はい!」

「お店とかは探してあるの?」

「はい。インターパーク、という所に専門店があるみたいです」

「ああ、あそこか」

 確かにインターパークなら大概の物は揃う。

「じゃあ、バスで行って、お昼も向こうで食べようか」

「はい」

 キララは嬉しそうに外出の準備を始める。

 その一方で、僕は恐る恐るセイラの横顔に視線を向けた。

「セイラも一緒に行く? 行かないならお昼代置いていくけど」

「………………行く」

 セイラは不機嫌な顔のまま頷く。

 買い物自体には行きたいようだ。

 というわけで、親子三人でインターパークに行くことにした。



「なんかデカっ」

「わあ、大きなショッピングモールですね」

 駅から出ている無料シャトルバスを降りた娘たちは、インターパークを見て各々驚きの声をあげた。

 正式名称はインターパークFKDタウン。

 福田FKD屋百貨店が運営する巨大ショッピングモールをはじめとして、様々な施設や店舗がひしめき合う大規模商業施設である。

 どのくらい巨大かというと、この施設の開発によって宇都宮うつのみや市内の町名が一部変更され、「インターパーク一丁目」とか「インターパーク二丁目」という新しい住所ができたくらい。

 いわゆる地方百貨店の成功例だ。

 イメージが湧かない人は「田舎 イオン」で検索すればいいと思う。

「さてと、じゃあ行こうか」

「はい」

「服屋さんならあっちの建物だね」

 僕は記憶を頼りにインターパークを歩く。

 ここへ来るのは十年ぶりくらいだが、相変わらず広い。

 デパートは縦に長い建物だが、ショッピングモールは平面上に広い。

 そのため移動距離もそれなりだ。

「懐かしいなぁ」

 十年前まで、僕はここより少し離れたところに住んでいた。

 なので何度か遊びに来たことがある。

 まだ学生時代の話だ。

 地元に戻ってきたのは、悪友ナガレの紹介があったから。

 アイツに陽ノ目ひのめ荘の管理人の話をもらってなかったら、まだ東京にいたかもしれない。

 そういえばこっちに来てからまだナガレと会えていない。

 僕というより向こうの都合が合わない所為せいだが。

 世話になったことも含めて、その内礼を言いに行かなければ。

「お父さん!」

 その時、キララが大きな声で僕を呼んだ。

「どうしたんですか? ボーッとして」

「いや、何でもないよ」

「そうですか?」

 少し前を歩いていた彼女は戻ってきて、僕の腕をグイグイと引っ張り始める。

「ほら、早く行きましょう」

「あ、うん」

 キララはそのまま僕と腕を組んで歩き始める。

 セイラはそんな僕らを相変わらずブスッとした顔で見ていた。

 やがて『ビレッジ』と呼ばれるファッション専門店の多く並ぶエリアに到着する。

「あっ、このお店です」

 そう言ってキララが指差したのは、都内でも看板を出している有名店だった。

 ランジェリー類を広く取り扱っているお店で、確かにここなら中・高校生向けの下着も売ってそうである。

「じゃあ、お金渡すから好きな物を買ってきなさい」

 僕がそう言うと、キララが驚いた表情を浮かべる。

「えっ? お父さん行っちゃうんですか?」

「ん? いや、ほらお父さんにこういうところは……」

 女性下着店なんて男にとって最大のアウェイのひとつだ。

 僕がお店に入ったら確実に悪目立ちするだろう。

 だから最初から入るつもりはなかった。

 が、キララが腕を離してくれない。

「キララ?」

「……お父さんに選んで欲しいです」

「えぇ?」

 僕は困惑する。

「だって私の初めてのブラですよ」

「う、うん?」

「初ブラはお父さんに選んで欲しいです!」

「いや、そんなこと言われてもなぁ」

「あとお父さんの好みも教えて欲しいです!」

「それはちょっと……」

「私に着せたい下着を選んで欲しいです!」

「その前に言葉を選んで欲しいな!」

「お礼に今度の父の日には、私がお父さんに穿かせたい下着をプレゼントしますから!」

「もっと普通の物でいいよ!?」

 何を言ってもキララは腕を離してくれない。

 お店の前で騒ぐ僕らを見て野次馬やじうままで集まってくる。

「……分かった! 分かったから!」

 僕はついに観念して、娘とランジェリーショップに入ることを承諾した。

 それを聞いてキララは喜び、セイラは額に手を当てて恥ずかしそうにため息をついた。



 ピンク。

 水色。

 赤。

 白。

 黒。

 目にまぶしい光景に思わずうなりそうになる。

 唸るというか呻き声というか。

 わけもなく圧倒されそうだ。

 本能がここをアウェイだと告げている。

 実際、店内に男性客は僕だけだし、結構ジロジロ見られている気がする。

 それにやっぱり僕ら親子は似ていない。

 それが余計に視線を集めているようだ。

 まあ、それくらいなら慣れてるし別にいいんだけど……。

「お父さん、どうですか?」

 キララが両手にブラジャーを取って、嬉しそうに僕に尋ねてくる。

 右はピンクの水玉。

 左は白のフリル。

「うん。どっちもかわいいよ」

「欲情しますか?」

「娘に欲情なんてしません」

「ではもっとセクシーなのを選びます!」

「かわいいのでいいよ」

「でも」

「キララはかわいいのが似合うよ」

「かわいいのにします!」

 キララは興奮気味に頷き、次のブラジャーを選び始める。

 まあ、娘が楽しそうなのはよかった。

 僕は胃に穴があきそうだけど。

 通報……されないといいな。

 いろんな意味でドキドキのブラジャー選びタイムが終わり、キララは最終的に三つほど候補を選んだ。

「あとは実際につけてみて決めます。すいませーん、店員さーん」

 キララは女性の店員さんを呼ぶ。

「はいお客様。お待たせしました」

「すみません。これ試着してみたいですけど」

「かしこまりました。ブラをなさるのは初めてでしょうか?」

「はい」

「ではまずお胸のサイズをお測り致しますね。どうぞこちらへ」

 店員さんは丁寧に対応してくれたが、確実に一瞬だけ僕の顔をチラリと見た。

 いや、本当に親子なんです。援〇じゃないです。

 視線で必死に無実をアピールしたが、通じたかどうかは半々といったところ。

 という感じで、キララは店員さんに連れられて試着室へと移動する。

 まぁ、これでいちおう一段落か。

 あとはキララが戻ってくるのを待つだけだ。

「パパ。私もその辺見てくるね」

 ふと暇をしていたセイラがそう言ってどこかへ行こうとする。

「えっ、それなら僕も一緒に」

 こんなところにひとりで残されるのは心細すぎる!

「ヤダ。ついてこないで」

 しかし、無情にもセイラは僕を見捨ててお店を出て行ってしまった。

「セ、セイラ~」

 娘の反抗期がツラい。

 あと周りの視線もツラい。

 まるで無人島にひとりで漂着したような気分だ。

 ダレカタスケテ。

「おっ、管理人さんじゃーん」

「!」

 その時、聞き覚えのある声がして、思わずそちらを振り返った。

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