エロマンガ先生

「ふぅ……今頃セイラたちはお昼かな?」

 僕は玄関を掃く手を休め、ひたいの汗を軽く拭う。

 陽ノ目ひのめそうの表を掃除していたら、太陽はもう頭の真上に来ていた。

 だいぶ掃き終わったし、そろそろ休憩にしよう。

 僕はほうきを片づけ、寮の中に戻る。

 昼食はラーメンでも作ろうか。

 確か材料が残っていたはずだ。

「ラーメン。ラーメン」

 口に出していたらお腹も空いてきた。

 僕は共用台所に入り、冷蔵庫を開ける。

 さてさて、と僕が麺とスープの素を取り出していると。

「管理人さん!」

「!」

 突然、背後から大声で呼ばれてビックリする。

二ノ木にのぎさん、どうしましたか?」

 声の主は201号室の二ノ木さんだった。

 今日は素面しらふのようだ。

 珍しい。

「お願い! 手を貸して!」

 しかし、その表情はただならぬ様子だった。

 よく分からないが手が必要らしい。

「分かりました。いいですよ」

 僕はラーメンを諦め、冷蔵庫の扉を閉める。

 と、そこで二ノ木さんに手を掴んで引っ張られた。

「えっと、何があったんですか?」

「いいから早く来て!」

 二ノ木さんは僕を引っ張りながら階段をのぼる。

 二階に上がったと思ったら、彼女はそのまま自分の部屋に僕を連れ込んだ。

「おう……」

 入った瞬間、思わず声が漏れる。

 二ノ木さんの部屋は何と言うか……。

 言ってしまうと、汚かった。

 酒瓶。

 ビールの空き缶。

 脱ぎ散らかされた下着。

 あと大量のエロ本。

 その他のゴミなどなど。

 そんな物で床の八割が占められている。

「ほら、入って入って」

「あ、はい」

 僕は言われた通り中に入る。

 物と物の隙間をうようにして歩き、何とか部屋の中央へ。

 こうして住人の部屋に入るのははじめてだが、やっぱり管理人室と比べると狭い……のだと思う。

 ゴミが多くて狭く見えているだけかもしれないが。

「えーと、それで結局何があったんですか?」

 僕は改めて尋ねる。

 ただこの部屋の惨状からすると……。

 いわゆる「G」が出たのだろうか?

 二ノ木さんの慌てぶりから考えると、充分にあり得る。

 まあ、ただ逆に彼女にも「G」に怯える感性はあったのかと、謎の安心感も同時に湧いた。

 なんて、思っていると。

 

 ガチャン


 ……なぜか鍵を閉められた。

 気づいたら二ノ木さんは部屋のドアの前に陣取り、そこにあぐらをかいていた。

 これでは彼女がどいてくれない限り外に出られない。

 え?

 閉じ込められた?

 …………何で!?

 彼女の意味不明な行動に軽く怯える。

「えっと……」

「管理人さん、一生のお願い!」

 二ノ木さんはパシンッと両手を合わせ、拝むように言った。


「何も言わずにあたしにち〇こ見せて!」


「…………はい!?」

 二十歳を超えているとはいえ、年下の女性からの唐突なセクハラ。

 さすがにビビるを通り越して耳を疑った。

 そこでふと二ノ木さんが画板を首から提げているのに気づいた。

 あの学生の写生大会とかで使うアレだ。

 右手には2B鉛筆。

 左手には消しゴム。

 あぐらをかく彼女の両脇にはインクにGペン。

「……二ノ木さん」

「何?」

「この前は聞きそびれましたが……ご職業は?」

「そんなの見りゃ分かるでしょ?」

 二ノ木さんは胸を張って言った。

「エロマンガ家よ!」

「……」

 そういえば彼女からはよくインクの匂いがした。

 床に散らばるエロ本は資料ということか。

 凄く納得した。

「それで、あの、ち〇こ見せて欲しいというのは?」

「いやー、なんか急にち〇この描き方ド忘れしちゃってさー」

 ハッハッハと二ノ木さんは鉛筆で頭を掻く。

「で、描き方思い出すために実物のスケッチさせて欲しいなって」

「………………………………………………マジですか」

「マジ。マジ。大マジ」

「……」

 僕は返答に困る。

 いや、普通なら断るのだろうけど。

 前職柄、作家のスランプというのには敏感なのだ。

 書きたいのに書けない。

 描きたいのに描けない。

 冗談みたいな状況だが、当人からすれば深刻な問題なはずである。

「………………………………」

 僕はタップリ一分間悩んだ。

 そして。

「…………分かりました」

「わーい、ありがとー管理人さん!」

 二ノ木さんは諸手を挙げて喜ぶ。

 そんな喜ばれても正直複雑だが……。

「あっ、できれば勃起ぼっきさせて欲しいんだけど、すぐたないならあたしのオッパイ見せようか?」

「結構です!」

「え、もう勃ってるの?」

「そういうことではなく……」

 ヒドい。

 なんて会話だ。

「早く脱いでー」

 二ノ木さんはそう言って、急かすように手拍子する。

 スゴく……脱ぎづらいです…………。

 このことをキララが知ったら、また跳び蹴りが炸裂さくれつしそうだ。

「あの……娘たちには内密にしてくださいよ」

「はーい」

「………………じゃあ」

 僕は覚悟を決めてベルトをはずした。

 二ノ木さんはすでに鉛筆を構えている。

「……ッ!」

 僕は羞恥しゅうちを感じながら一気にズボンを下ろした。

 と、その時部屋のドアがノックされる。

「あのーツヅラさん、また私の洗濯物に下着が混じってましたよ?」

 この声は狩野かりやさん?

 二ノ木さんに件の下着を届けに来たらしい。

「あっごめーん」

「って、二ノ木さん!?」

 なぜ躊躇ちゅうちょなく鍵を開け……っ!?

「もう、今度からちゃんと気をつけて……」

 あきれ声を出しながら狩野さんは部屋の中を覗き込み、そこに僕がいると気づく。

 下半身丸出しの、この僕を。

「……え? えっと……あの」

 狩野さんは一瞬僕を見て凍りついた。

 これがどういう状況なのか分からないといった表情。

 が、そのフリーズから立ち直るとみるみる内に顔を赤くして。

「ししし失礼しましたー!」

「ちょっ、待って! 誤解です!」

 僕が止めるよりも早く狩野さんは扉をバタンッと閉める。

「ぬわっ!」

 追いかけて誤解を解こうとするが、脱ぎかけのズボンが足に引っかかる。

 床のゴミと下着を盛大に舞い散らし、僕は間抜けにスッ転んだ。

「シリーン、あたしの下着返してよー」

「その前に彼女を止めてください! あと誤解を解いてください!」


 その後、何とか狩野さんの誤解は解けたが、しばらく彼女との間に微妙な空気が漂ったのは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る